崩壊

 今日もめのおじさんのとこだ。

 待ち遠しくて仕方ない。委員会もクラブ活動もぼくには無関係だ。

 6年生にもなって、こんな変なことをしているのは間違いなくぼくぐらいだが。

 おかげで今まで、一人も親しい友達はできなかった。

 授業や休み時間にそれなりに仲良く話すクラスメイトはいたが、放課後の遊びには誘わせないしついても行かなかった。

 何よりも大事なだいじな、だいじなことがあるからだ。

 友達ができないから没頭できたのか、没頭していたから友達ができないのか、ぼくにとってはどちらでも良い。

 土日はもとより、夏休みや冬休みは正念場だった。

 誰とどこへ何しに行くという設定をボロが出ないように自然な調子で家族に納得させるのは骨が折れた。

 それでも、なんとかうまくやった。

 本当は一日中いたかったのだけれど、昼まではテレビを見たり宿題をやったり、夜は門限があったので結局は通学時と同じ昼過ぎから夕方ごろにかけてしか行けないのは心残りだった。

 その頃になるとぼくの右頬は入れ墨が入ったようにマンホール蓋の跡で戻らない朱の凹凸ができていたが、絶対に口を割らないようにした。

 あの目をぼく一人のものにしておきたかったのと、他者に存在がばれると何かが終わってしまう気がしたから。

 そういうわけで、二度か三度、心配した親や姉、からかいたがるクラスメイトに後をつけられたこともあるけれども、気配に敏感なぼくはその時ばかりは空き家のエリアには近づきもせず、辺りの公園で時間をつぶしてまっすぐ帰宅した。

 めのおじさんと視線を通わせる。それだけがぼくの生きがいで、それも誰に迷惑をかけるでもないささやかな生きがいだったのに。


 新年度からやや経った初夏の頃。

 例のごとく静かな高揚を胸に滾らせて校門を抜けたぼくは、足早にめのおじさんのもとへ向かう。

 風の子たる所以を半袖短パンで示す、どこにでもいる元気な子ども。ありふれた景色。

 だけれど街路樹のふくよかな緑薫らす風は、なぜか今日に限って乾いた砂塵のにおいを宿していた。

 空き家の一帯が近くなってくると、何かの轟音とともに微かに地面が振動しているのを感じる。

 それは目的地に寄るにつれ程度が増していった。

 厭な胸騒ぎがする。まだ何も判明していないのに、すでに込み上げる準備をしている絶叫がある。


 嘘だ、嘘だ、嘘だ。


 言語化されていない予感が、さも的中したかのように同じ言葉を呟きながら走る。


 嘘だ、嘘だ。


 そんなはずはない。ありえない。

 角を曲がったぼくを待ち受けていたのは、空き家を取り壊している重機と、マンホールなどすっぽり覆い尽くした瓦礫と砂の山だった。

 もはや嘘だ、すら吐く余裕はなかった。

 ぼくは半狂乱で解体現場へ駆け寄ると、ランドセルをかなぐり捨てて忌々しい小山を手でかき分けた。


「コラー!あぶねえぞ!」すぐに部外者の存在に気付いた作業員の若い男が怒鳴りながら近づいてくる。

 必死の抵抗も虚しく、脆弱な小学生は瞬く間にランドセルよろしく羽交締めにされてその場から引き剥がされたのであった。

 一番の年長者であるらしい現場監督を名乗る男は、登場早々にまず危険な行為を咎めた。

 そこで少し語気を和らげ、行動の理由を問うた。

 あの下に、だいじなものがある。

 涙を前腕の和毛で拭いながら、ぼくはそれだけ答えた。

 そうか、ふーむ。

 男は何のことだか分かっているはずもなかったが、一応は納得する形を見せた。

 この間にも、瓦礫と砂の山はこつこつと積み上がっていく。

「ここの土地は持ち主が変わって、空き家は取り壊すことになったんだ。ここの道路も、公道みたいにはなってるが、私有地の範囲だな。土地主以外入ることはなかった。

 つっても、前の土地主が行方不明になってたって最近判ったもんだから、誰も立ち入ってないと思ったんだが…そうか、君はここに入ってたか。ダメだからな、ほんとは」

 難しい言葉は理解できなかったが、ここは道も含めて人の土地だったのか。

 やけに砂の溜まったアスファルト。

 誰も通らず、それどころか誰も知らない理由がやっとわかった。

「この家に住んでた人は遠い別の場所に新しく家を建てて引っ越したんだが、土地を手放すことはしなかったらしい。けどな、使わない土地をいくら持ってたって、役に立たないどころか維持費だの税金だの…この辺は子どもにはまだ難しいかもな、そういう金がかかるんだよ。手続きやら面倒だし買い手がつくかも分からない状況じゃ土地を遊ばせとくのも無理はねえが…持っとくほうが大変だってことに気付いて逃げ出す人もいるわけよ。

 ここの持ち主もそう、新しく越した家からも夜逃げだってよ、よ、に、げ。これも小学生にはわからねぇかな、ははは」

 めのおじさんは、ここの持ち主と関係があるのだろうか?

 いいや、そんなことより。

「君がなんだか頑張って掘り返そうとしてたのはマンホールか、あれは空気弁の役割で、えっと、まあそういう種類のやつだったんだが、もう何年も前から使われてなかったらしい。加えて私有地の敷地内だから、あれも埋めて電柱も動かして一旦まとめて更にしようって新しい持ち主が決めたんだ。駐車場にして土地を有用に回すんだとよ」

 ぼくはもう、抗う胆力も泣き叫ぶ気力も失い切っていた。

 ただただ、監督の言葉が透けた頭をひらりと通過していった。

 厭な残滓だけを残して。

「だから君が大事にしてたもんはもうないぞ。これからは無闇に入るなよ」

 監督はそう言うと、敷地の外──あの上半分だけ赤い石杭の角を曲がったところ──までぼくを連れて行った。

 ぼくは何の感情も表出させずに、蛞蝓の這い跡めいた乾き涙を貼り付けたまま帰宅した。

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