亡命//企業

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 ──亡命//企業



 七海たちは李麗華のところで、BCI手術を受けたばかりの七海のためのアイスを準備してもらうことになった。


「BCI手術、受けたんだね。反生体改造主義者じゃないかって少し疑ってたけど」


 李麗華は七海のBCIポートを見ながらそう言う。


「そんなことはないよ。普通にこういうSFみたいなのは憧れだったし」


「それはよかった。あたしのお古だけど、これよければ使って」


「ん?」


「ワイヤレスサイバーデッキ。古いやつだけど十分使えるはずだよ」


 七海に渡されたのは白い半円状の首輪のような電子機器だった。その内側にBCIポートに接続する端子がついている。


「おお。マジか。サンキュー、李麗華!」


「いいってことよー。で、頼みごとはアイスだったね」


「そうそう。そういうのがないと危ないだろう?」


 李麗華が確認するのに七海がそう返す。


「危ないといえば滅茶苦茶危ないね。脳みそをハックされたら最悪死ぬし。というわけで、あたしが組んだアイスをいくつか授けようぞ-。まずはこの端末に繋いでくださいなっと」


「オーケー」


 七海は李麗華が差し出した端末のケーブルをBCIポートに接続。


「さてさて。じっとしててね。すぐに終わるから」


 李麗華が作業を始めると七海の視界に、その作業の進捗状況が記され始めた。


「すげえ。完全に自分がパソコンになったみたいだ」


「はは。へんてこな例えをするね」


 七海が嬉しそうに驚くのに李麗華は七海の脳にアイスをインストールした。


「これでオーケー。限定AI制御の多重防衛型だから、そう簡単には砕かれないよ。それはそうとして、ひとつ実験に付き合ってくれない?」


「実験ってどんな?」


「試作品の戦闘支援AIがあるんだ。使ってみて感想を聞かせてほしい」


「何だか面白そうだな。やるぜ」


「そうでなくっちゃ!」


 七海は快諾し、李麗華は七海の脳に新しくデータをインストールしていく。


「戦闘支援AIまで組んでいるのか?」


「そだよ。できることは何でもチャレンジしている。今回は例の博物館の仕事ビズで手に入ったデータを使いたくてね」


「ああ。礼の古代火星文明?」


「イエス」


 アドラーが尋ねるのに李麗華がサムズアップ。


「具体的にどんな支援をしてくれるんだ?」


「統合的なサポート。邪魔になったらすぐに終了できるようにしておくから、とにかく実戦で試してみて。感想とログはあとでもらうよ」


「あいあい」


 李麗華に言われて七海が頷く。


「インストール完了! じゃあ、結果を楽しみにしてるよー!」


「俺もどういうものか楽しみだ」


 七海はそう言ってケーブルを抜いた。


「ん」


 と、ここでアドラーが訝し気に視線を走らせる。


「七海、李麗華。ジェーン・ドウから連絡がきた。この前の仕事ビズでかかわったジェーン・ドウだ」


「おっとー? それは大丈夫なやつ?」


「分からんよ」


 李麗華が目を細めて怪しむのにアドラーはお手上げと言うように肩をすくめた。


「無視するのもやばいだろ。どういう連絡なんだ?」


仕事ビズの依頼だそうだ。カール・セーガン地区の喫茶店で会いたいと」


「オーケー。俺とアドラーで行ってこよう。李麗華は万が一に備えてくれ」


 七海はそう役割を割り振る。


「気を付けなよ。企業に所属しているフィクサーってのはろくでなしが多いから」


「おう。ちゃんと気を付けるよ」


 李麗華がそう警告し、七海がしっかりと頷いて見せた。


 それから七海たちは公共交通機関を利用して、荒れているオポチュニティ地区からカール・セーガン地区へと移動。


「おお? ここら辺は綺麗な街だな。ゴミも散らばってないし、落書きもない」


「カール・セーガン地区はお上品な場所だからな。ここは火星の政治・経済の中枢であり、お偉方が暮らしている場所。治安もしっかりとウォッチャー・インターナショナルの連中が守っているから、ギャングも存在しないはずだ」


「格差を感じるねえ」


 オポチュニティ地区が放置されているのに、カール・セーガン地区には安全と公共サービスというものが、確かに存在していた。


「ジェーン・ドウがここを指定したってことは、彼女も大物なのか?」


「企業のフィクサーだから、まさにそうだろうな」


「スカーフェイスもかなりの大物だと思ってたんだけどな」


「彼もオポチュニティ地区では大物だ。ただ火星全体からすれば、火星を支配しているのは企業連合であり、ギャングではない。だから、企業のフィクサーの方が大物だということになる」


「あーあ。そんな企業様からのご依頼ってのは何だろうな?」


「さあ?」


 七海が嫌な予感がして尋ねるのにアドラーは首を傾げて返した。


 彼らはそれからジェーン・ドウに指定された喫茶店に向かう。


 喫茶店は表通りにはなく、奥まった場所にあった。七海たちは間違いなく問題の喫茶店であることを確かめてから、高級店の佇まいをしている店に慎重に入店した。


「いらっしゃいませ」


 高級店でも他の店同様に接客用アンドロイドは導入しているらしく、入店するとそれが七海たちを出迎えた。


「待ち合わせしているんだけど」


「はい。承知しております。こちらへどうぞ」


 接客用アンドロイドは七海たちを既に生体認証しており、彼らを奥の方の個室に案内した。そして、個室の扉を開く、接客用アンドロイドは頭を下げて下がる。


「ようこそ。お待ちしておりました」


 個室の中にはジェーン・ドウとスーツ姿の男がいた。ジェーン・ドウは以前と同じ喪服脳ような黒いドレス姿で、一方の男の方は何やら大きな金属製のアタッシュケースを抱えている。


「一応ですが、検査をさせていただきます。すぐに終わりますので」


 ジェーン・ドウがそういうと男がアタッシュケースから機材を取り出し、その空港の手荷物検査を行うようなスキャナーで七海とアドラーをチェックした。


「クリアです」


「ご苦労様です。もう行って構いませんよ」


「では」


 スーツの男はそう言って立ち去った。


「今のは?」


「盗聴や盗撮などへの対策です。あなた方を疑っているわけではないのですが、用心しておいた方がいいでしょう? あなた方が把握していないときに、第三者が密かに仕込んでいる可能性もあるのですから」


「まあ、それはそうだ」


 七海はジェーン・ドウの言葉に納得し、個室の椅子に座る。


「さて、この度は依頼をお聞きしていただけるということで感謝します。まずは何か飲み物を頼まれてください。ケーキはガトーショコラがおすすめですよ」


「いや。この店、高そうだから……」


「ご心配なく。この場の支払いは私が持たせていただきます」


 七海は庶民的な感覚からお冷だけで済ませようとするのに、ジェーン・ドウがにこりと笑ってそう告げた。


「そっか。それじゃあ、コーヒーとガトーショコラを」


「私はコーヒーだけでいい」


 七海とアドラーがそれぞれ注文。


 それから七海たちの下にコーヒーとケーキが届く。ジェーン・ドウの前にも彼女が頼んだコーヒーがおかれ、彼女は優雅にコーヒーを味わった。


「合成品の質も上がりましたが、やはり天然のそれには及びませんね」


「おお。これって天然のコーヒーなの?」


「ええ。とは言え、流石にブランドものではありませんが」


「へえ」


 七海はジェーン・ドウの言葉を聞きながらコーヒーを味わった。ほのかな酸味がコーヒーの味わいを際立たせるいい味だ。合成品のような単調な味わいではない。確かにこれは合成品ではないのだろう。


「さて、仕事ビズのお話をしても?」


「ああ。聞かせてくれ」


 ジェーン・ドウが話を切り出すのに、アドラーがそう言う。


「我々はとある技術者の引き抜きを検討しております」


「引き抜き、か」


 ジェーン・ドウの言葉にアドラーが警戒した表情を見せた。


「ん? 転職のお助けってわけ?」


「そう簡単じゃない、七海。企業にとって技術者というのは資産だ。優秀であればあるほど重要な資産になる。その資産が勝手に他所の企業に渡るのを、お前はただぼんやりと眺めているほどメガコーポがお人よしだと思うのか?」


「それはまあ……。そう言われると相手は妨害してくるだろうが、この時代は気軽に転職もできねえの?」


「できない。それどころか自由すらない。重要な技術者には生物医学的措置と呼ばれるものが施され、自社から脱走すればフェイルデッドリーなその措置によって死ぬようになっている」


「ひでえな……」


 家畜みたいな人間の扱いに七海が唸る。


「そういうわけだから引き抜きというのは、ほとんど戦争みたいなものだ」


 アドラーはそう言ってジェーン・ドウを見た。


「否定は致しません。我々の引き抜きはかなり荒っぽいものになるでしょう。そうであるが故に優秀な傭兵であることを示されたウィザーズの七海さん、アドラーさん、李麗華さんに頼みたいのです」


 ジェーン・ドウは隠すことなくそう認めた。


「俺たちのこと、評価してくれているんだ」


「もちろんです。我々はあなた方が将来的にいわゆる伝説レジェンドになる可能性もあるだろうと考えています。歴史に名を刻むような傭兵になると」


「へへっ。そいつは間違いないぜ」


 自分たちを持ち上げてくれて、にこにこと親切なジェーン・ドウに七海は気を許し始めていた。


「七海。あまり気を許すなよ。仕事ビズ仕事ビズだ」


「分かってる、分かってる。具体的な作戦を聞きたい」


 アドラーがそんな七海に釘を刺し、七海が改まってジェーン・ドウにそう尋ねる。


「これが引き抜きた対象の技術者の人物像プロファイルです」


「……こいつは……」


 ジェーン・ドウから送信されたデータとして七海たちが見たのは以前の仕事ビズで知った技術者──エーミール・ハイデッガーという人物だった。


 地球のメガコーポであるメティス・メディカルの所属で、精神医学者という人間だ。


「地球のメガコーポから引き抜きを?」


「その通りです。我々はメティス・メディカルから問題の技術者を引き抜き必要性を感じています。私のクライアントはある科学プロジェクトのために、この人物を必要としているのですよ」


「ふむ……」


 この時点でジェーン・ドウがどこの企業のフィクサーなのかは不明だ。だが、彼女が火星のメガコーポの所属なのは間違いなく、ともなればこれはまさにメガコーポ同士の戦争である。


「報酬は50万ノヴァ。いかがですか?」


「5、50万ノヴァ!?」


 七海は示された報酬に目を見開く。


「待て。具体的な計画を聞いてからだ」


「計画についてはこれを参考になさってください」


 アドラーが用心するのにジェーン・ドウが新しい情報を送ってくる。


「エーミール・ハイデッガーは火星の軌道衛星都市オービタルシティ・ドーンで開かれる精神・脳医学シンポジウムに参加します。狙うのはそこです」


「火星に来るのか。それは好都合だが、火星という敵地にメガコーポが何の警備もなく、こいつを送り込むとは思えない」


「その通りです。警備の規模はそれ相応になるでしょう。しかし、ひとついいニュースがあります。エーミール・ハイデッガーは引き抜きに同意しているのです」


「ほう。つまり、これは企業亡命か」


 企業亡命。メガコーポに飼われている人間が別の企業に文字通り亡命すること。


「そうなります。そのため向こうから現状についての情報の提供と引き抜きへの積極的な協力が得られるでしょう」


「それは悪くねーな。引き抜きって言っても、なんだか拉致みたいなものだし、向こうが協力してくれるならやりやすい」


「それでは受けていただけますか?」


「ああ。引き受ける。任せておきな」


 ジェーン・ドウの問いに七海がそう不敵に請け負った。


……………………

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