Ⅳ・戦

 

 港は騒然となった。イグナツィオから引き剥がされた俺が、「あの御方は本物のアリステラ姫です」と叫ぶ声などまるで無力だ。誰もきいていない。それだけではなく、殺到してきた兵に押しやられて、俺はどんどん後ろにさがっていた。視界の端ではアリステラさまが侍女と護衛に囲まれて、いそぎ、天幕から出て行くところだった。

「マクセンス王は何処だ。なぜこの場にまだ現れぬのだ。この状況をマクセンス王は隠れて見ているのだろう」

「違います、イグナツィオさま」

 最初に動いたのはゼデミネン家の家来だった。彼らの眼には、イグナツィオが弓矢海軍に囲まれているように見えていた。その後から先に陸に上がっていた北の国の兵が巣から蜂が飛び出すようにして、わああっと四方から殺到してきた。

「化石の国は、偽物のアリステラ姫を餌にして北の国の王をおびき出し、捕らえるつもりだったのだ」

「何だと」

「そうはさせるか」

「ルジウス伯」

「スカイ、一体何があったのだ」

 ルジウス伯の姿を見つけた俺は駈けつけて訴えた。ルジウス伯の横にいるのがおそらく、カザリクス船長の留守の間に弓矢海軍を率いているセリニーロ副長だ。

「イグナツィオさまは、アリステラさまが偽物だと勘違いしておられるのです。我々が北の国を騙したと」

「莫迦な」

「ひとまず南国特務大使どのを、この場から」

 さらに折り合いの悪いことに、その時分はちょうど、御召艦から北の国の王がいましも可動式の階段を使って港に降り立とうとしている時だった。北の国の王は騒ぎのいっさいを耳にした。

「裏切られた。我々は化石の国に裏切られた」

 誰がいったいそう叫んだのか。

「マクセンス王は、北の国の王を港で捕らえるつもりだ」

 イグナツィオの煽動にのって、兵士が口々に叫び出すと、それはもう止められぬものとなった。

「落ち着け。止めよ」

「王、ただちに船内にお戻りを」

 副長セリニーロさんの指示や制止は弓矢海軍にしか通用しなかった。イグナツィオを救い出そうとする彼の私兵と、弓矢海軍の兵、そして海神の兵がぶつかり合ったところで、誰かが剣を抜き放ったのを合図に、その場にいた兵士が次々と剣を抜いたのだ。

「化石の国は我々を殺すつもりだぞ」

「王を護れ。御召艦を護れ」

 とんでもないことになりつつあった。俺はといえば、睨み合いの輪の中に飛び込んでイグナツィオを説得しようと試みては、押し出され、転がされ、兵士に踏まれた。

「イグナツィオさま」

「見ろ、偽物の姫が逃げたぞ」

 アリステラさまが侍女と護衛兵に護られて天幕からいったん姿を消したことがさらに火に油をそそいだ。

「マクセンス王は北の国を騙したのだ」

「姫は偽物だ。化石の国が裏切ったぞ」

「違う、違う」

 俺はもう一度、混乱の中にとび込むために「お借りします」と駈けつけた港湾管理官の部下から剣を借り受けた。俺は長剣を振り回しながら剣の乱立する林の中に突入した。

「皆さん、きいて下さい」

 港の騒ぎをみた沖の『ギマド』号が、大急ぎで錨を上げて帆を降ろしていた。それよりも早く、機動力のある海神の船が御召艦を護ろうと一斉に港めがけて押し寄せてくるのが見えた。それに対して弓矢海軍も湾を護ろうと沿岸に控えさせていた武装艦を沖に押し出す。

「止めて下さい」

 声の限りに俺は叫んだ。このままでは本当に血が流れてしまう。

「落ち着いて下さい」

 どん、どん、どん。

 諍う男たちの怒声は轟音によってかき消された。空と陸を真っ二つに割るような音が立て続けに響く。遠雷のようなそれは陸側に据えた弓矢海軍の大砲ではなく、北の国の船から放たれた砲弾でもなかった。その大砲の音は、沖合に現れたあらたな一隻から撃たれたものだった。

 重たい砲音を鳴らしながら、帆を張った船が高速でこちらに近づいてくる。

「『いるかの渡る虹』号だ」

 現れた船影をひと目みるなり、港湾管理官とセリニーロ副長が叫んだ。



 後できくと、『いるかの渡る虹』号が水平線上に見えた瞬間から『ギマド』号は警戒態勢に入っていた。シツヤ艦長は、すぐに海神の船に指示し、防御の陣形を作った。それによりまるで北の国の艦隊が化石の国の港を護るような恰好になったが、彼らが護るのは埠頭に停泊中の御召艦と北の国の王だ。

「停止セヨ」

 信号旗の勧告は無視された。大砲を撃ち鳴らしながら『いるかの渡る虹』号は港に急接近してきた。『ギマド』号の船尾楼にいたカティアはその時、シツヤ艦長と舵輪手に叫んだそうだ。

「あの帆船に向かって」

 シツヤ艦長はすぐに舵輪手に命じ、舵輪手はそれに応えた。続いてカティアは命じた。

「旗を掲げて、艦長」

「どの旗を」

「あれは化石の国の船よ。こちらに戦意がないことが分かる旗ならば何でもいい」

 港に突入してきた『いるかの渡る虹』号に乗り込んでいたのは、ホーラン副長とケルヴィンほか、船の修理のために南風の神の島に残っていた者たちだ。

「撃つな」

 向かってくる『ギマド』号の舳先にカティアの姿を認めたホーラン副長は砲撃を止めさせた。

「まさか、あれはカルティウスシア姫か」

「ホーラン副長。あれは確かにカルティウスシア姫だ」

 いるか号の艦首に据えてある大砲の砲手を手伝っていたケルヴィンが大声で伝えた。両艦が近づくと、いよいよその姿がはっきりしてきた。

「カルティウスシア姫。カザリクス船長もいる。北の国の船にどうして」

「ホーラン副長」

 横に並んだ船の上からカティアは伝えた。

「港で起っていることはただの暴発です。このままでは、蒼い狼たちが化石の国の港を襲います。降伏旗を揚げて」

「お言葉ですが、弓矢海軍の名誉にかけて自国の海域でそれは出来ません」

「ホーラン、姫の云うとおりにせよ」

 カザリクス船長が命じた。

「救難旗でも休戦旗でいい、戦意がないことを示す旗を揚げるのだ」

 カザリクス船長にそう云われたホーラン副長はすぐにそうした。続けてホーラン副長は「なぜここに」というカザリクス船長の疑問に応えた。

「南風の神の島から直行してきました」

 傷みの酷い『貝がらの兜』号よりも、『いるかの渡る虹』号の修理を優先させたホーラン副長は、指物師のケルヴィンの手伝いもあって応急修理がほぼ終わり、ひとまずいるか号だけでも化石の国に戻すと云ったところ、島に居残っていたゼデミネン家の家来たちから強固に反対を受けた。

「反対するその様子がどうにもおかしい。だからその場では物分かりよく引き下がっておいて、夜明け前にわたしが指揮してこっそり島から出航したのです。風に恵まれて、夜の間に追手が追いつけないところまで走ることが出来ました。そして戻ってみると、わが国の港が海神の船に襲撃されていたのです」

「攻撃を受けているわけではないのだ、ホーラン副長」

「しかし見たところ、陸で争乱が起きているようですが」

「シツヤ艦長、ホーラン副長。両隻を並べて、空に向けて大砲を撃って」

 カティアは、『ギマド』号と『いるかの渡る虹』号の双方に頼んだ。

「あの騒ぎを鎮めるの。二隻の船を並べて港に入って」

 どおん、どおんと砲弾が放たれた。回頭した『ギマド』号と『いるかの渡る虹』号が二隻並んで大砲を撃っているその音により、港にいた俺たちはようやく争いを止めた。

「なんとしたことだ」

 静かになると、御召艦の上から、北の国の王はかんかんになって怒鳴り散らした。

「マクセンス王はわがアリステラ姫ではなく、別人をこの場に寄越したというのか。化石の国は最初から北の国を騙そうとしておったのか」

「違います」

 慌てて俺は第一埠頭に停泊している御召艦の前に出て行った。両軍の衝突の中で踏まれて蹴られて、俺の姿はひどいものだった。

「王に申し上げます。決して騙そうなどとはしておりません。港にいるのは、まことにアリステラ姫です」

「王、『ギマド』号が入港してきます」

「シツヤ艦長に伝えよ。ただちに湾外に戻れとな。絶対にカルティウスシア姫を下船させるな。アリステラ姫と交換の人質を化石の国に奪われてはならぬ」

「港においでなのは本物のアリステラさまです」

「アリステラから届けられた手紙の文言からしておかしかったのだ。北の国に帰りたくないと書かれてあった。これは仕組まれた罠だ」

 北の国の王に俺は必死で訴えた。

「どうか信じて下さい。長年お仕えしていたわたしが見間違えることはありません」

「嘘だ」

 後ろからイグナツィオが俺の言葉を否定した。

「隠居屋敷でわたしが逢っていたのは今の女ではない。偽物だ」

「イグナツィオさま、確認させて下さい」

 誰もが昂奮状態だった。俺の眼も血走っていたことだろう。

「北の国の小宮殿でカルティウスシア姫から受け取ったアリステラ姫の肖像画、あれを憶えておられますか」

「むろんだ。ここにある」

 イグナツィオは胸を叩いた。

「拝見しても」

「必要ならば」

 彼の手で肖像画が取り出され、開かれた。俺は覗き込んだ。

「隠居屋敷でイグナツィオさまがお逢いしていたのは、この画に描かれた女の人ですか」

「もちろん」

「この方がアリステラさまと」

「最初からそうだ。何年も、言葉を交わした。間違えるわけがない」


 アリステラ姫が二人。


 俺も、もう何がなんだか分からなくなった。その間に港に入ってきた帆船『ギマド』号は、埠頭を挟んで御召艦の反対側に横付けた。その船上にカティアの姿を見出した弓矢海軍は吼え立てた。

「氷の国の船を見ろ、カルティウスシア姫だ」

「眼の前まで戻ってこられて、我らに返されぬということがあるものか。力づくで奪い返せ。北の国に奪われた姫をお救いするのだ」

 セリニーロ副長まで叫んだ。

「姫を奪った北の国は、ふたたびカルティウスシア姫を北に連れ去るつもりだ。ただちに港を閉鎖せよ」

「勝手をぬかすな」

 武闘派の北の国の王も御召艦の上から怒鳴り返した。

「人質交換の交渉は決裂した。アリステラ姫はもはやこの世のものではないのだろう。だから会見の場にも姿を見せることが出来ぬのだ。許さぬぞ、マクセンス。こうなれば我が国の姫を殺害した化石の国に報復をしてくれる。沖に留め置かれている海神の船を岸に寄せよ。化石の国の河という河をわが軍の船が埋め尽くし、この国の全てを焼き尽くすさまを、臆病者のマクセンス王に見せつけてやるのだ」

 再び現場は大混乱に陥った。

「スカイ」

 停泊した『ギマド』号の上甲板から、カティアが俺に注意を呼び掛けている。カティアの腕は、真っ直ぐに陸の一点に向けられていた。

 俺が振り返るのと、喇叭の音が鳴り渡るのが同時だった。旗がまず見えた。そしてその後ろから、大勢の武装した親衛隊を従えたマクセンス王の姿が港に現れた。

「マクセンス王」

 俺は大急ぎで王の許に走って行った。

 

 船で河を下ってきたアリステラ姫とは違い、マクセンス王は二日月湖のある城から馬をつかって陸路で海までやってきた。そのマクセンス王の前に俺は転がるようにして出ていった。

「マクセンス王」

「遅くなった」

 馬上からマクセンス王の冷たい視線が俺を射た。

「港に近づいたところで不穏な動きありとの報せを受け、様子をみていたのだ」

 なぜか周囲にいる兵が俺を警戒している。俺は気づいた。俺が抜身の剣を握ったままでいるからだ。慌てて剣を地面において、あらためて俺は馬からおりた王の前に進み出た。

「マクセンス王。南国臨時特務大使であるイグナツィオさまは、アリステラ姫が偽物だと訴えておられます」

「それでこの騒ぎか」

「騙されたとお考えのようです」

「南国臨時特務大使をこれに呼べ」

 北の国の王は御召艦の上甲板から港に現れたマクセンス王を睨んでいるし、イグナツィオの家来と弓矢海軍と海神の兵は、まだ一触即発状態で互いに剣をちらつかせている。煮えたぎっている港を振り返った俺はマクセンス王にまた向き直った。

「マクセンス王。まずはこの事態を止めたいと考えます」

「何とかしてくれ。そんな他力本願ではない云い方が気に入ったぞ、スカイ。さすがはカルティウスシアの従者だ」

 そんなこと云ってる場合かよ。

「王、この場は危険なので、アリステラさまは天幕からあの建物の中にお下がり頂いております。アリステラさまのお姿を北の国の王の前に。それで騒ぎは鎮まるかと」

「そうしよう」

 マクセンス王はすぐに近侍を建物に向かわせた。それから、

「カルティウスシア」

 兄王は『ギマド』号にいる妹に呼び掛けた。

「しばし、そこまで待て」

「兄上、こちらはお構いなく」

『ギマド』号の上からカティアは元気な笑顔で手を振った。

 ざわついていた兵がしんと静かになった。港の中の建物に避難していたアリステラさまが外に出て来たのだ。

 不安になった俺は近寄って凝視した。大丈夫だ。頭からヴェールを被っておられるが、俺の見慣れたアリステラさまだ。

 兵が二手に分かれて道を空ける。その合間を静かにアリステラさまは進まれた。そして第一埠頭の御召艦の前までくると、侍女頭のウーラさんが姫の頭から薄布を取り払った。姫の長い髪が海風に揺れる。アリステラさまはその顔を上げた。

「父上。お久しゅうございます」

 帆船にいる父王を見上げるアリステラさまの声は感涙でふるえていた。

「わたくしの為に化石の国まで父上がお越しになっているときいた時には、このアリステラ、夢かと想いました」

「アリステラ」

 側近が止める間もなく、北の国の王は移動階段を駈け下りて船から降りてきた。ほとんど滑り落ちるようにして地上に降り立つと、王は王女を抱きしめた。

「なんとながきに渡ってお前の顔を見ることが出来なかったことか。生きておったのだな。アリステラ」

「父上」

「国を出た時にはほんの少女であったものが、もうすっかり大人ではないか」

 再会した親子は互いの顔を見つめ、はらはらと涙を流した。それは感動的な場面だった。居合わせた兵士たちは申し合わせたように剣を次々と納めて、静かに彼らを見守った。ただひとりを除いて。

「あれが本物のアリステラ姫だと」

 俺の背後でイグナツィオが立ち尽くしていた。




》Ⅴと終章は同時更新

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