第20話

 ヒースは横に転がると、間一髪のところで男の攻撃から逃れた。それまで余裕の笑みを浮かべていた男の瞳に、はっきりと驚愕の色が浮かんだ。男は慌てたようすで新たな攻撃を仕掛けるが、ヒースは男の行動をすでに予測していた。昔からヒースは誰かと戦うときに、決まって心の一部がしんと静まる気がした。神経が研ぎ澄まされ、周りのようすがはっきりとわかる。相手の動きがスローモーションのようにありありと見える。


 俺はシュイを守ると決めたんだ。たとえ当のシュイが、自分の助けを必要としていなくても――。


「あ……っ!」


 男の剣が飛び、地面に転がる。男は戦意喪失したように茫然とその場に立ち尽くした。


「そこまで!」


 審判の声に、ヒースは構えていたナイフを下ろした。こちらをじっと見つめているシュイを見つめ返すと、顔を背けそのまま試合場から出ようとする。そのときだった。男は地面に落ちた剣を拾うと、無防備な背中を見せるヒースに向かって突進してきた。


 観覧席から悲鳴が上がった。しかし男の全身から発せられる紛れもない殺意を、ヒースはすでに感じ取っていた。


 男の剣の刃先が突き出される瞬間、ヒースは軽業師のようにくるりと宙に浮かび上がった。あっと息を呑む男の背中に片手を突くと、背後から男の首筋にナイフの刃先をぴたりと当てた。それは幼なじみの少年たちを相手にしていたとき、ヒースがよく使っていたわざでもあった。


 男が身動きしたとたん刃先が突き刺さり、首筋から血液の玉がぷくりと盛り上がった。男は金縛りにあったように一歩も動くことができない。


「この先も続けるか」


 ヒースの言葉に、男はがっくりと肩を落とした。固唾を呑んで成り行きを見守っていた聴衆からわっと歓声が上がった。声援に応えることなく、ヒースはすたすたと試合場から出る。会場から戻ると、アルドが待っていたとばかりにヒースの肩を馴れ馴れしく組んだ。


「せっかくの声援応えてやったらいいのに。番狂わせの展開に、あいつら大騒ぎじゃないか。ほら見ろよ、はじめはお前をばかにしていたやつらも、いまのですっかりお前を見る目が変わったぜ」

「俺には関係ない」


 腕を離し、無視していこうとするヒースの後を、アルドは懲りずについてくる。


「だけどあいつも愚かだよな。自分がばかにしていた相手に、まさか負けるとは思っていなかったんじゃないか」


 止めどなく話し続けるアルドの声を聞き流して、ヒースは出場者用に用意された食事や飲み物の中から、コップに注いだ水を飲む。


 あのとき、ヒースは確かにシュイと目が合った気がした。幼なじみの少年に何があったのだろうという疑問が、ヒースの胸を塞ぐ。


「なあ、試合の最中、何かよけいなことを考えていなかったか? ほかのやつらは全く気づいていないようだったが、お前一瞬だけ勝負を諦めただろう? いったいあんとき何を考えた?」


 アルドの言葉に、ヒースはぎくりと動きを止めた。そんなヒースの心の内を見透かしたように、アルドは薄く笑った。


「案の定か? その調子じゃ大会で優勝するなんて到底無理だ。石さまを助けることなど諦めたほうがいい。――それとも、その前に俺が殺してやろうか?」


 瞬間、ぶわりと肌が粟立つような感覚を覚え、ヒースは飛び退るように後ろに下がっていた。さっきまで晴れていた日が陰り、あたりが暗くなる。口元に淡く笑みを浮かべて立つ男が一歩前に踏み出したとたん、これまで感じたことのないほどの恐怖を感じた。そのときヒースは、男の瞳が深い森のような色をしていることに気がついた。


 この男の望みは何だ? なぜ自分に構う? 何が目的だ?


「お前はいったい……」


 アルドはそんなヒースの反応を面白がるように、片方の眉を上げた。雲の隙間から再び日が差して、さっき感じた殺気は気のせいかと思うくらい、それまで重く沈んでいた空気がふっと軽くなった。


「やだな。そんなん冗談に決まってるだろ。本気にするやつがあるかよ」


 試合場のほうからわっと歓声が上がった。勝者が決まったのだ。


「それじゃ俺もがんばりますかね」


 アルドはヒースの肩を叩くと、にっと笑った。まだ全身に鳥肌が立っている。アルドがいなくなっても、ヒースはしばらくその場から動けずにいた。

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