第14話『甘い匂い』
時は少し遡り、マナとデュオスが王都の
今日も元気に学校へと行ったダイナの方はといえば──。
「くぁ……。」
午前の授業の終了を告げる鐘が鳴ると同時、教室の窓から射す心地よい陽の光に朝から照らされて、眠そうにしていたダイナは大きな欠伸を一つする。
なんとか午前は授業中にも居眠りする事無く乗り越えられたが、恐らくこのまま昼食を取ったら今度こそ本当に眠ってしまうだろう、という確信にも似た感覚がダイナにはあった。
かと言って席を移ろうにも、他の席は大凡女子グループばかりで、そこへ自ら足を運ぶ勇気は無い。
だからこそ、昼休みの僅かな間だけでもどこかで昼寝をしたいな等と考えていると、見覚えのある女子二人組がダイナの座る長椅子の両サイドへ腰を掛けて来た。
「やっほーダイナっち!なんか眠そうだね?寝不足?」
「あ、どうも……ちょうどここ、凄くぽかぽかしてて……。(ダイナっち……?)」
快活な雰囲気を持つ短い金髪でエルフ耳の女子生徒、サーフィがダイナの顔を覗き込んで小さく苦笑する。
彼女は誰に対しても気さくで明るく接し、クラスでもかなり陽側のタイプの人種だ。
その証拠に、先日出会ったばかりのダイナをもうあだ名で呼んでいる。
「それはいけないわね……少し昼寝でもすると良いわ。よかったら私のここ、貸してあげるわ。」
続いてサーフィとは対照的な落ち着いた雰囲気を持つ長い黒髪の女子生徒、ロマリスが自らの膝をぽんぽんと叩きながら声をかけてくる。
一見正反対に見える2人ではあるが、基本的にいつも一緒に行動している所を見るに結構仲が良いらしい。
そしてそんな2人は年下の新入生であるダイナに、何かと気をかけてくれているようなの、だが。
「ロマリス先輩も、どうもです。……えと、それはお気持ちだけ……。」
ダイナは2人に小さく会釈をすると、やんわりとした言葉でロマリスの甘い誘惑を退ける。
昼寝をしたいのは事実だったが、だからといって同じクラスの女子生徒の膝枕で何の抵抗も無く眠れるほど、ダイナの肝は据わっていない。
何と言っても彼は思春期真っ盛りであり、年上のそれも異性の先輩相手の距離感などまだ上手く掴めてはいないのだから。
「先輩って(笑)アタシら同じクラスっしょ?あ、だったらアタシが貸してもらおーっと!」
「なんでそうなるのよ……。」
「えー!いいじゃん!アタシも昼寝したいしぃー!」
「はは……あ、えと僕ちょっと行く所があるので、失礼しますっ!」
空いているのならば自分が、と意気揚々と回り込んでくるサーフィにロマリスは冷静なツッコミを入れる。
そんな仲睦まじい様子の2人を見ながらも、サーフィがロマリス側へ移動した事で逃げ道が出来た事に気がついたダイナは、例のごとく足早に教室を飛び出すのだった。
◆◆◆
場所は移り、昨日と同じ校舎の屋根の上。
屋根の上だけあって教室よりもさらに日当たりは抜群で、少し危険な事を除けば昼寝をするには最高の場所だ。
だがダイナがここに来たメインの目的は、それでは無かった。
「……あ、居た。」
そう小さく呟くダイナの視線の先には、斜めの屋根の上で器用に身体を丸めて眠っているらしい1人の生徒の姿。
ふわふわの灰色ショートヘアに、ダイナと同じように
「ん……ふぁ……。誰かと思ったら、またキミかぁ……えーと、ダ、ダ……ダイアモンドくん?」
「ダイナ、です。……ミナさんは、今日もサボりですか?」
ダイナの気配に気が付いたミナが頭を上げ、眠たげな青い目でダイナの姿を認識すると、かなりうろ覚えな呼び間違いをする。
そんなミナに小さく苦笑しながらも、ダイナはミナの隣へと腰掛けた。
「まぁねー。天気も良いし、こんな日はお昼寝日和だよぉ……。」
「まぁ、天気は良いですけど……、……?(ん……?何か、甘い匂い?)」
伸びをして再び寝転がるミナを横目に、持参したお弁当を開いたダイナだったが、そこでふとどこからか僅かに漂う不思議な甘い匂いに気が付く。
だが今日のお弁当はハムとチーズ、それから卵と野菜をたっぷり挟んだスタンダードなサンドイッチで、フルーツサンドというわけでもない。
「……どしたの?お弁当でも腐ってた?」
「あ、いえ……何でも。(気の所為かな……。)」
茶化すように笑うミナに小さく笑って誤魔化せば、ダイナはサンドイッチをひと齧りして昼食を始める。
青い空と流れ行く白い雲を眺めながらの、ゆったりとした昼休み。
時折、隣で眠るミナの様子を横目で確認するが、どうやら今日のサンドイッチ弁当には興味をそそられないらしい。
それから少しして、昼食を食べ終えたダイナは一度立ち上がって軽く伸びをすると、少し横になる事にした。
「(……気持ちよさそうに寝てるなぁ。)」
すやすやと寝息を立てるミナの姿に感心しながらも、はっきりと分かるほどの眠気を自覚して、ダイナはゆっくりと目を閉じる。
脱いだローブを軽い掛け布団代わりにして、フードの部分で顔を覆って眩しい陽の光を遮れば、屋根が硬い事以外は最高の昼寝セットの出来上がりだ。
そうして程なくして微睡み始めたダイナの意識は、心地よい眠りへと落ちていった。
◆
「──くん……飛び級くん……。」
ゆさゆさと誰かに身体を揺すられ、呼びかけられるような声によって、ダイナの意識は徐々に眠りから覚めていく。
未だ微睡む身体で感じるのは、腕へとかかる何かの重さと、明らかに日光の温かさとはまた違った温もり。
繰り返されるしつこい揺さぶりと呼びかけに、ダイナが薄っすらと目を開けるとそこには、ダイナの腕の中に抱かれながら少し困ったような表情でこちらを見つめるミナの姿があった。
「……あぇ……?(また……甘い、匂い……。)」
「……ボクそろそろ、放してほしいんだけど……?というか、もうお昼休み終わっちゃったよ?」
不可思議な状況に理解が追いつかず、寝ぼけた表情のまま呆然としているダイナに、ミナは小さく溜息をこぼすとそう告げて、ぐいぐいとダイナの腕を押し退ける。
そうして緩んだ拘束からするりとミナが抜け出したのを見て、ダイナはようやく上体を起こした。
昼休みの終わりを告げる鐘は先程鳴り終わり、程なくして午後の授業の開始を告げる鐘が鳴らされようかという頃。
真面目に授業を受ける生徒であるならば、もう既に教室に戻っていなければ不味い時間だ。
「え!あっ!やばっ!えと、ご、ごめんなさい!?僕もう戻りますねっ!?」
「あ、うん……。」
身体に続いてようやく目を覚ました頭が、一気に焦りを感じてさっと血の気が引いていく。
そうしてダイナは何に対して謝っているのか自分でも良くわからないまま、取るものも取らず大慌てで教室へと戻っていった。
そんな慌ただしいダイナを見送った後、ミナはその場に残されたダイナのローブに気が付くと、それをおもむろに拾い上げたかと思えば、まるで無意識に匂いでも確認するようにして自らの顔へと近づけた。
「……、……これはちょっと、マズいかも。」
◆◆◆
あの後なんとか滑り込みセーフで教室へと戻ったダイナはすぐに、ローブを屋根の上へと忘れて来た事に気が付いたものの、取りに戻るタイミングが中々見つからないままに放課後を迎えていた。
「(師匠が迎えに来る前に、回収しに行かない──と!?)──っ!?」
「わっ──!?」
焦る気持ちが堪えきれないダイナが、駆け足で教室から飛び出した、その時。
ちょうど同じタイミングで教室へと入ってこようとした他の生徒とぶつかり、ダイナはその相手を押し倒してしまうような形で大きく体勢を崩した。
「っあ、ご、ごめんなさい!ちゃんと前見て無く──て?」
「……そうみたいだね。」
咄嗟に謝りながらその相手をよく見てみると、それはダイナのローブを小脇に抱えたミナであった。
どうやら中々取りに帰ってこないので、わざわざ4年生の教室まで届けに来てくれたらしい。
だが当のダイナ本人は今、それどころでは無い状態に陥っていた。
「(あ、れ……?何か、ふにふにして……いや、まさか……そんなわけ──。)」
ぶつかり重なった際に不意に自分の掌へと感じた、やけに柔らかで優しい温もりの感触に、ある一つの可能性が頭を過ぎり、
「あれ?ダイナっち、何してんのそんなトコで──?」
「後ろがつかえてるわよ、さっさと出なさ──い?」
そこへ教室から出てきたサーフィとロマリスの2人が現れ、その現場を目撃し同じく言葉を失い硬直。
何故ならばそれは白昼堂々と、それも教室の入口で男子生徒が推定女子生徒を押し倒しているという、学校という場所にあるまじきとんでもない事件現場だったからだ。
「……そろそろ退いてくれる?」
「あ……はい……。」
「慌ただしいねキミは……はい、これ忘れ物。じゃあね、飛び級くん。」
「あ……はい……、ありがとうございます……。」
硬直者が多発する中で、小さな溜息を皮切りに最初に動き出したのは、覆いかぶさられたままのミナだった。
あまりの衝撃に頭がまともに働いていない
そして唖然としたまま半ば押し付けられるような形で自分のローブを返されると、さっさと去っていくミナの背中としなやかに揺れる細長い尻尾を、呆然と見送るのであった。
「……ウソウソウソ!?ダイナっちってばもしかして意外と肉食系!?」
「肉しょ──えっ?」
「ふぅん……てっきり可愛い子犬系かと思ってたのに、そういう感じなのね。」
「ええっ!?」
現場を目撃した2人からあらぬ誤解を受けるダイナだったが、今はただ困惑する事しかできない。
種族的な見た目も年齢も近くて、これから友達になれそうだと思っていた数少ない男子生徒が、本当は男子では無いかもしれないのだから。
果たしてあの感触は本当にそうだったのか、それともただの勘違いだったのか、そしてあの時もまたミナから微かに感じた、甘い匂いの正体は──。
確かめようも無い悶々とした疑問を胸に抱きながら、ダイナは震える自らの掌を見つめて、その僅かな温もりの残滓に一抹の不安を覚えるのだった。
「(ち、違う……よね?)」
「(違うよね……?!!?)」
◆◆◆
翌日の事。
校門の前には、たった今マナに送られて来たらしいダイナの姿。
しかしその表情はどこか暗く、落ち着かない様子。
昨日、帰ったら自分の部屋にデュオスのベッドが勝手に設置されていて、それについて自分には何の相談も無かった事についカッとなりマナを
もちろんマナ当人は、そんな事はまったく気にしていないのだが。
「ほれ、ついたぞダイナ。……どうかしたか?」
「あ、いえ……えと……っ!行ってきます師匠っ!」
弟子のそんな様子に気が付いて、心配そうに声をかけてくるマナの優しげな目を少しだけ見つめた後、ダイナは逃げるように校内へと駆け出す。
今すぐにここで謝ってしまえば済むという話ではあるのだが、年頃の少年であるダイナには中々難しい事でもあった。
「お。おっはーダイナっち!どしたの?なんか雰囲気暗いじゃ~ん?」
「また寝不足かしら。悩みがあるなら、私が相談に乗るわよ。」
「あ……おはようございます、サーフィ先輩、ロマリス先輩。」
教室へと入るとそこには既にサーフィとロマリスの仲良し女子二人組が席に着いており、朝から暗い顔で登場したダイナが気にかかったのか声をかけてくる。
昨日の現場を目撃した2人には、あの後マナが迎えに来て帰るまでの間しばらくその事でいじられた為、ダイナはほんの少しだけ苦手意識が芽生えていた。
それでも自分を心配して声をかけてくれている事は、ダイナにも理解できる。
だからこそその優しさに甘えて、少しだけ相談をしてみる事にした。
「……ちょっとその、昨日ししょ……家族と喧嘩してしまって……。」
◆
あっという間に時間は過ぎて昼休み。
聞き上手なサーフィ達のおかげでもあって色々と吐き出す事ができ、ダイナは少しだけ気持ちが軽くなっていた。
「──ま、結局謝るなら早いうちのがいい感じって事じゃんねー。」
「やっぱりそうですよね……。(帰ったら師匠にちゃんと謝らなきゃ……。)」
2人との一通りの話を終えてそんな結論に至ったダイナは、ひとり心の中で改めてそう決心する。
確かにデュオスの事は気に入らない所もあるけれど、師匠が客人として彼を置くと決めたのなら自分もそれに従うべきなのだろう、と。
「ってか話変わるんだけどさぁ──昨日のあの1年生の子、ぶっちゃけどういう関係!?もしかしてもしかして!幼馴染……とか!?」
「えっ?」
「バカね。もしそうだったら、わざわざ
自らの鞄から昼食のお弁当を取り出そうとしていたサーフィが、突然思い出したように昨日のミナの事を質問してくる。
無論ミナとダイナはそのような関係ではないし、なんならまだ出会って今日で3日目の知り合いたても良いところだ。
だがそれでもダイナは、どこか心に仄暗さのような物を感じるミナを放って置く事はできないと感じていた。
「ミナさんとは、ええと……入学してから偶然出会ったというかですね……。」
「(そうだ、ミナさんにも改めて昨日の事ちゃんと謝らないと……。)」
「そっかそっか!それで!?今日も会いに行く感じ~?!アタシもついて行っていい!?」
「やめなさい、おバカ。……でももしそうなら私達の事は気にしないでいいわよ。(きっと、歳の近い相手のほうが話しやすい事もあるでしょうし……。)」
遠慮など知らぬとばかりに興奮気味にぐいぐい来るサーフィの額を、ロマリスが押し退け下がらせる。
ダイナからしてみればこのクラスのメンバーは皆3つか4つばかり歳上であり、萎縮してしまっても不思議ではないと、ロマリスは考えていたのだ。
「は、はい……ありがとうございます。じゃあ、お言葉に甘えて……。」
「あっ!でも明日!明日はお昼、ご一緒しますから!(もしミナさんが良ければ先輩達と一緒に……。)」
真剣な様子でそう宣言するダイナの姿に、2人は一瞬驚いたように固まった後、口元を抑えて身体を震わせ始める。
「明日って……ぷふっ!ダイナっちマジぃ?ヤバ、ウケるんですけど!」
「……明日と明後日は休日だから、学校はお休みよ。」
「あっ。」
◆◆◆
週明けの昼休みは一緒に食べようと改めて約束をしたダイナは、ミナへの謝罪の言葉などを考えながら、もはや定番になりつつある校舎の屋根の上へと登る。
すると例のごとくそこにはミナが居たのだが、今日は珍しく起きているようだった。
「……キミか。」
「こ、こんにちはミナさん……!(あれ……?なんか警戒されてる……?)」
耳をぴくりと反応させたミナが、鋭く睨むような目でダイナの方へと目を向ける。
その雰囲気はどこかピリついていて、気が立っているようにさえ感じられた。
「えっと、その……昨日は……ごめんなさい!それと、届けてくれてありがとうございました!」
「……良いよ別に。気にしてないし、大したこともしてない。」
少し躊躇いつつも深々と頭を下げるダイナの姿に、ミナは少し驚きながらもふいっと目をそらす。
その尻尾はそわそわと揺れていて、やはりどこか落ち着かない様子だ。
「……。(一応許しては貰えたみたいだけど……聞いても、いいのかな?どっちなのか……。)」
「……何?ボクの顔に何かついてる?」
「っ……あっ、いやえっと……!(聞く……!?いや、でも……!)」
恐る恐る顔色を伺うように上げるなり、じっと見つめてくるダイナの視線が気になったのか、ミナが小さく苦笑する。
それに対しダイナは聞くべきかどうかを激しく迷いながらも、あたふたするばかりで結局答えを出すことが出来ないでいた、そんな時。
「……甘い匂い……。」
「──え?」
ふとダイナの鼻をくすぐったのは昨日よりも強く感じられるような気がする、あの匂い。
思わずその事を口に出したダイナの声に、ミナの表情がほんの一瞬だけ強張る。
「あ、いえ……その、昨日くらいから……ミナさんから何だか甘い良い匂いがする気がして……。」
「ッ──!」
ダイナが気恥ずかしそうにそう答えた瞬間、ミナの表情が明確に驚愕と焦りの色を帯び、その
そんなミナの反応に、流石のダイナも自分が今とても何か不味い事を聞いてしまったのだと瞬時に理解した。
「っご、ごめんなさ──!」
「ごめん……ボク、今日はもう帰るね。」
「あ……。」
咄嗟に謝罪をしようとするダイナの言葉を遮るように、先に謝罪の言葉を述べたミナは、まるで逃げるようにその場を後にする。
自らの不用意な発言によって、ミナを傷つけてしまったかもしれない。
そう考えた途端、全身から嫌な汗がどっと吹き出すような感覚と共に足の力が抜けて、ダイナは屋根へとへたり込んでしまうのであった。
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