愛弟子が可愛すぎてつらい!
上羽みこと
プロローグ『面倒事』
◆プロローグ『面倒事』
とあるエルフの国に存在するとある森の中。
そこにはもう200年以上もひとりでそこに住んでいるという、少し変わった女性が暮らしていた。
近隣の街の住民たちは強大な魔術を使う彼女の事を、敬意を込めて『魔女様』と呼び、時折その力を頼って彼女の住む森の小屋まで頼み事をしにやってくる事もあった。
だが彼女は基本的には人付き合いを嫌っており、滅多に街へは現れない。
なので住民たちは頼み事をする時、森では手に入らないような食べ物や本等を、依頼料として必ず持っていくのだ。
そんな、ある日。
その日は朝から酷い雨で、1日中ひっきりなしに雷鳴が轟くような荒れた天候だった。
こんな日に外に出ようなどと思う者は居る筈もなく、ましてやこんな森の奥の小さな小屋へと訪ねてくる者などいない、筈だった。
「今日は良く降るな……。」
森の中にぽつんと建つ、2階建ての
程なくしてまるで興味を失ったように窓辺から離れ、元いたソファへと腰掛け直すと、彼女はその紫がかった白く長い髪を、手遊びのように自らの指へと巻き付ける。
20年近く前に仕事の報酬として貰ったらしい、使い古され色褪せた赤いソファの上には、栞代わりに鳥の羽を挟んだ読みかけの本が置かれていた。
「さて……。」
本の続きでも読もうかと、彼女が傍らの青い表紙の本へと手を伸ばしたその時。
玄関の方から確かに2回、扉を叩くような音が鳴り響いた。
すぐに音のした玄関扉の方へと目を向ける彼女だが、その表情はどこか
ここへ、それもこんな荒れた天気の日にわざわざ訪ねてくる者など、絶対に碌な用件では無いからだ。
もしかしたら風で飛ばされた木の枝か何かが偶然ぶつかって、たまたま扉をノックしたように聞こえただけなのかも知れない。
彼女はひとりで勝手にそう納得しようとしたのだが、再び鳴り響いたノックの音がそれを許さなかった。
「はぁ……全く、誰じゃこんな日に……。」
深い溜め息をつくと気怠げな様子で立ち上がり、軽く頭など掻きながら玄関へと向かう。
近づくにつれ外から吹き込む冷たい隙間風に小さく身震いしながらも、彼女はその古びた木製のドアを開く。
だが、そこには誰も居なかった。
ついさっきまで誰かが立っていたであろう足跡が残されているだけだった。
「……。」
激しく眉を
2回目のノックが聞こえてから扉を開けるまでは、20秒もかかっていなかった筈だ。
にも関わらず周囲にはそれらしい人影は無い。
さらに不思議な事に、雨でぬかるんだ地面には小屋へと向かってくる足跡はあっても、小屋から離れて行く足跡が1つも無かったのだ。
それはつまり先程扉を叩いた謎の訪問者が、小屋の扉の前まで来て忽然と消えた事を意味していた。
不可解な気味の悪さを感じながらも、彼女が扉を閉めようとしたその時、その視界の端にふと何かの影が映り込んだ。
「な、に……?!」
目を見開き驚いたような表情で固まる彼女の視線の先には、雨を凌ぐように屋根の下へと置かれた木製の
しかもその中にはまだ生まれて間もないであろう、布に包まれた赤子の姿があったのだ。
慌てて再度周囲を注意深く観察する彼女。
だがやはり他に人影は無く、不審な足跡があるのみだ。
「っ……はぁ……。」
やがて彼女は何かをこらえるように額に手を当て、深い溜め息をついた。
雨は未だ止む気配は無く、気温はこれから夜に向かってさらに下がっていく。
そんな状況下の屋外へこの小さな命を放置しておく事は、如何にものぐさな彼女でも
「どこの誰かは知らんが、勘弁してくれんか……。」
誰にでも無くぼやくように言いながら、彼女はその籠を仕方なしに小屋の中へと運び入れる。
籠の底面へと付着した泥を軽く拭き取ると再びソファへと腰掛け、彼女はその小さな膝の上に籠を乗せる。
それから改めて中を確認するが、中身はやはり赤子。
それも頭部に獣のような耳を持つ赤子だった。
「獣の耳……となると、思い当たるのは
人間に比べ少し長く尖った、俗にエルフ耳などと呼ばれる自らの耳を触りながら、少しでも謎の訪問者の情報を得ようと彼女は注意深く観察を続ける。
やがて彼女の細い指先が赤子の柔らかな頬へとそっと触れると、彼女はその頬の柔らかさに少しだけ驚いたような表情をした後で、静かに笑った。
「噂に聞く混合種……
まじまじと見つめながら彼女が赤子の頬をぷにぷにし続けていた所、頬をくすぐられるような感覚に目を覚ましたらしい赤子の、その赤い瞳とふと目があった。
名も知れぬ赤子は眠たげに数回の瞬きをした後で、無垢で真っ直ぐな瞳を彼女へと向ける。
「くふ……起きたか?お前は何故あのような所に置いていかれたのじゃ……?まぁ、答えられるワケも無いが……。」
優しげな表情で赤子へと彼女はそっと問いかけるが、無論赤子にはその言葉をまだ理解できる筈も無く、ただその頬を撫でる彼女の指先を小さな手で力強く掴むばかり。
「む……こんなに小さいのに、意外と力が強いのじゃな……?」
強く握られた指先を離してもらおうと手を動かすが、全く離して貰える気配がなく少し困ったように彼女は笑う。
かと言って無理やり振り払うわけにもいかず、一旦彼女は指の解放を諦める事にした。
「さてはて……これは?……お前の替えの
赤子によって片手を封じられたままに、彼女はがさごそと籠の中を物色し始める。
一緒に入っていたおむつらしき物に続いて出てきたのは、封のされた手紙らしき物。
封筒の両面を確認するが、宛先も差出人も何も書かれてはいないようだ。
「……もしワシ宛てでなかったとしても、悪く思わんでくれ。」
誰にでもなく言い訳するように小さく呟くと、彼女は空いている手で軽く手紙を放り投げて、素早く指を鳴らす。
すると放り投げられたまま宙へと留まった手紙がひとりでにその封を切り、中の手紙を吐き出した。
「さぁて……む?」
広げられた手紙の文面へと目を通そうとした彼女だったが、その文面は何故か白紙で、文章どころか文字の1つもさえも書かれてはいなかった。
わざわざ白紙の手紙を封筒に入れて同梱するという奇妙な行為に、彼女は少し考える。
「……
「じゃが、この程度の魔術……ワシの敵では無い。」
不敵な笑みを浮かべた彼女が、口元に手を添え白紙の文面へと軽く息を吹きかける。
すると何も描かれていなかったはずの紙の表面へ、それまで姿を隠していた文字達が次々と浮かび上がり、文章を形成していく。
その文面へと一通り軽く目を通した後で、彼女は怪訝そうな表情を浮かべながら再度手紙を頭から読み直し始める。
「……『マナ・アスター様。突然このような手紙を送るご無礼をお許しください。私は──』」
口に出して読み上げ、ゆっくりと再確認するようにしながら
『──私は遥か昔、この大陸に存在していた
これまで同じ幻魔族の夫と2人で、人目を忍びながらひっそりと生きて来ました。
しかし夫は、去年の暮に
その時既に私は妊娠しており、その5ヶ月後にひとりでこの子を産みました。
ですが少しして私に病気が見つかり、自分の命がもう長く無い事を知りました。
あまりに唐突で身勝手なお願いである事は重々承知の上なのですが、どうかこの子が、ダイナが独り立ち出来るようになるまで、アスター様の所で守っては頂けないでしょうか。
この子はきっと私達幻魔族の最後の生き残りとなるでしょうから、どうか少しでも長く、できれば幸せな人生を送ってほしいのです。
この隠されたメッセージを読んでいるのがアスター様である事を願います。
追伸
国の貴族や王家の者達に気をつけてください。
彼らは私達、幻魔族に関する事を何か隠しています。』
手紙の内容を一通り音読し終えた後で、マナは自らの下唇を噛みながらまた怪訝そうな表情を浮かべていた。
その理由は明確で、それは何よりマナは面倒事が嫌いなものぐさな性格だからだ。
齢400を越えるハイエルフであるマナは、300年程前に故郷の森を飛び出した後、100年程の間とある国の王都で王宮直属の魔術研究者として働いてきた。
ある理由で研究所を退職した後は、研究者時代に稼いだお金で森ごと土地を買い、その奥で嫌いな人付き合いやらを極端に避けながら、200年以上も気ままな読書生活を送って来たのである。
当然、そんな性格が為に伴侶はおろか恋人のひとりさえ作った事の無い彼女が子育てなどをした事があるはずも無く。
ましてや明日になったら近くの街にこの赤子を置いてこようとまで考えていた所へ、この自分への名指しの手紙を見つけてしまったのだ。
「……はぁー……見なければ良かったかの。」
度を越した面倒くさがりで、自分の食事さえも必要なときにしか取らないマナにとってそれは、あまりにも無理難題であった。
マナは読み終えた手紙を再び封筒へと戻し、ソファの上へと雑に放り投げる。
それからいつの間にか自分の指先を握ったまま、静かに寝息を立てている
秘匿されていた自分宛てのメッセージを見なかった事にして、当初の予定通り
だけどそうした場合、この先まだ何百年も生きる自分の心に一生消えない、罪悪感のような物が残るのでは無いかと考えてしまうのだ。
「呑気に寝ておるわ……ワシの気も知らず。」
鬱憤を晴らすように、マナは空いている方の手で再びダイナの柔らかな頬をぷにぷにと突付く。
その感触がくすぐったいのか寝ながらに笑みを浮かべるようなダイナの姿に、マナは釣られて笑いそうになるが、すぐにきゅっと口元を固く結び誤魔化した。
「はーぁ……とんでもない面倒事を拾ってしまったのう……?」
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