第3話
「今日も、会えないんですか」
人気のない白い廊下。
静かで物音ひとつしない病院のとある病室。
その前で松葉杖をつきながら、僕はそれだけを口にしていた。
「……ええ。ごめんなさい」
そう謝るのは、小さい頃から見知った未姫の母親であるおばさんだ。
いつもなら家に遊びに行くと笑顔を浮かべて僕のことを出迎えてくれてる明るい人なのだけど、少し憔悴しているように見える。
それは多分、僕の気のせいではないだろう。よく見ると目には隈が浮かんでいるし、あまり眠れていないのかもしれない。
「未姫は、怪我をしているわけではないんですよね」
「ええ。優介くんのおかげで、ほとんど外傷はなかったから……その傷も残るようなものじゃないみたい」
言いながら、おばさんは僕を見てきた。いや、正確には僕の足を見ているというべきだろう。
視線はギプスに包まれた右足と両脇を支える松葉杖を行き来しており、徐々に表情も鎮痛なものへと変化していく。
「本当に、優介くんにはなんてお礼を言えばいいのか……なのに、会わせてあげることも出来ないなんて……」
僕と未姫が車に轢かれ、病院へと運び込まれてから既に一週間が経っていた。
不幸中の幸いとでもいうべきか、ふたりとも命に別状はなかった。
ただ、命が助かったからといって無事だったかというとそうでもない。
身体にいつくかの裂傷による出血と、足の骨を折る怪我を僕は負い、数日間は傷が原因の発熱によりうなされ、目を覚ますことはなかった。
僕自身はそのことを覚えておらず、病室で目を覚ました瞬間抱き付いてきた両親の顔が間近にあって驚いたことのほうが印象深いくらいだ。
当初はそんなに寝込んでいただなんて漫画みたいなことがあるんだなとぼんやり考えていたのだが、幾分時間が経って落ち着いた今となっては、随分心配をかけてしまったなと思う。
ただまぁ、僕のことに関しては別にいい。問題は未姫のほうにあった。
未姫は事故の時に頭を打ってしまったらしく、僕同様数日間目を覚まさなかったと聞いている。
だけど今は目覚めており、精密検査を行った結果、特に異常は見つからなかったそうだ。
そのことを聞いた時は心の底から安堵したものだが、現在は別の問題が浮上していた。
それは……
「未姫は事故のことが、トラウマになっちゃってるみたいで……やっぱりまだ、優介くんを会わせてあげられる状態にはなっていないの……」
そう。これこそが、僕が未姫に会えない理由。
事故が引き起こした、未姫の後遺症。事故前後の記憶障害とPTSD。
それに伴い、未姫は僕に関する記憶をほぼ失っていた。
未姫は身体ではなく、心に大きな傷を負っていたのだ。そしてこの話は、これだけでは終わらない。終わって、くれない。
「大きな車の音がするとね、怯えるの。ブレーキ音は特に……それと……」
言葉を区切るおばさんの顔が、明確に曇る。
おばさんの言いたいことは、もう分かっていた。言いたくないことも分かってる。
だから、僕が自分で言わないといけない。認めないといけなかった。
「僕を見ると、記憶がフラッシュバックするんですよね。事故の瞬間のことを、思い出してしまうと」
言った直後、視界がぐらりと歪む。
未姫のトラウマを呼び覚ますトリガー。それは他ならぬ、未姫の恋人である僕自身であったのだから。
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