第165話、【Others Side】謎の多い特殊モンスター研究所

【Others Side】


 午後8時。


 都心から電車と徒歩を経て、約2時間の距離にある森の中。

 木々に囲まれた洋館は濃密な闇に沈んでいた。空に月はなく、星の光も届かない。


 洋館の石壁には幾重にも蔓が絡みつき、元の姿が判然としない。その周囲にはうめき声のような風の音が絶え間なく響き、辺り一帯には陰鬱な雰囲気が漂っていた。


 ここは『深淵究明会』のクランハウス。


 100年以上前に建てられたその石造りの洋館は、管理下にあるダンジョンを内包している。

 墓地のダンジョンと呼ばれるそこは、かつて多くの犠牲者を生んだ歴史があった。一時期は封印までされた曰くつきの場所だ。


 昔の出来事を知る者も知らない者も、ここを訪れた者には体の奥底から這い上がるような、得体の知れない悪寒に襲われる。そのように噂されるクランが『深淵究明会』だった。


「準備はいかがですか、マスター」


 呼びかけられたのは、フードを深く被った人影だ。ロウソクの炎が揺らめく回廊を滑るように移動している。その足音は絨毯に吸い込まれ、不自然なほどに音を立てない。


「あと少しだ、あと少しで完成する。霧島、お前も覚悟しておけ」

「ついに完成するのですね」


 管理下に置いたダンジョン内にはいくつもの部屋が作られ、上物の古びた洋館とは別に、墓地のダンジョンこそが深淵究明会のクランハウスと化していた。

 到着したダンジョン内の書斎で、クランマスターの黒沼が古い書物を開く。


「今宵こそ、今宵こそ『星魂定着の儀』を完成させる」


 書物に記された中身は、歴代のクランマスターによって記されたものだ。代々引き継いだその研究を、彼らはいよいよ完成させようとしていた。


「最後の工程には生きた魂の……それも若く純粋無垢で、力強いものが必要です」

「案ずるな。今宵の交流会が解決してくれる。愚かな若いハンターどもが、自ら生贄となりに来るのだ」


 黒沼のしゃがれた声は、渇いたようで粘着質な不快な響きを帯びている。その見開かれた目は血走り、暗く淀んでいながらも鋭いを光を放っていた。


「……来訪者は3名の予定です。想定よりも少ないようですが」

「問題ない。永倉葵が来るのだろう? あれは蒼龍が直々に目をかけ、クランハウスまで与えた逸材だ。我らの悲願の成就を叶えるに足る、強い魂を持っている。頭数は少ないが、あれさえいれば事足りる」

「それほどの魂を持つ少女でしたか」

「蒼龍杯などという、見世物を見物しに行った甲斐があったというものよ。しかもあの小娘には蒼龍とのパイプとして利用価値があり、関西の大物九条家との接点にもなる。使えるぞ」

「強き魂に加えて政治的な価値も無視できませんね。事故など起こり得ませんが、より慎重に事を運びましょう」

「そういうことだ。さらに『星魂定着の儀』が成れば、我らの功績は計り知れん」

「長年に渡り、打倒不可能とされたモンスターに対する切り札を獲得できる……ようやくですね」

「ここに来て我らにも運が向いてきたな。さて、最後は陣の確認だ」

「はい、マスター」


 ダンジョン内の別室では、他のクランメンバーである呪術師たちが最終準備を進めていた。

 床に刻まれた巨大な魔法陣は、生贄となった動物の血で描かれている。血は脈動するようにゆっくりと魔法陣に沿って流れ、周囲には鉄と臓腑が混じり合った、むせ返る臭いが充満していた。


 その臭いはダンジョン内の淀んだ空気と混じり合い、猛烈な不快感を伴いながら肌にまとわりつく。

 呪術師たちの苦悶に満ちた表情が、劣悪な環境と儀式の難易度の高さを如実に物語っていた。



 時計の針が午後9時を指す少し前、最初の客が到着した。

 開け放たれた門から雑草が生い茂る庭の敷地内に入り、色あせた玄関扉の前に立つ。


「こ、こんばんは」


 薄く開かれていた扉から中に向かって呼びかけたのは、若い魔法使い風のハンターだった。


「ようこそ。奥の間でお待ちください」


 どこからともなく聞こえた返事と共に、洋館の重厚な扉がギギッと不快な音を立てながら大きく開いた。


 その瞬間、魔法使い風のハンターはこれまでに経験のない悪寒に襲われた。

 本能を刺激する嫌な予感に彼は思わず踵を返しそうになったが、上位クランが主催する交流会への参加は、簡単にキャンセルできるものではない。それも現地に到着しておきながらのとんぼ返りでは、言い訳が立たないと彼は思い直した。


 魔法使い風のハンターは、自らの気を奮い立たせるように、開かれた扉から中に向かって歩き出した。



 簡素な案内板に従って歩き到着したのは、ダンジョンの大きな階段を下った先に作られた殺風景な部屋だった。

 ダンジョン内部に作られた部屋というのは珍しい。これこそ上位クランでしか体験できない貴重な機会だ。


 部屋の中は何本ものロウソクによって明かりが確保されている。しかし、全体的に薄暗く不気味な印象は受ける。床には毛足の長い絨毯が敷かれ、足音がまったくしない。

 高価そうな絨毯を土足で踏むことに、彼は若干の抵抗感を覚えたが、親切な案内板には靴を脱ぐ必要はないと書いてあった。


「……どこだ? なんの音?」


 部屋に入った彼の耳には時折、どこか近くで「ずずずう……」と何かを引きずるような音が微かに聞こえていた。

 ハンターらしくモンスターを警戒したが、事前の案内ではモンスターに対する警戒や心配は不要と書かれていたことを思い出し不審に思った。


 彼は念のためと部屋を出て通路の確認までしたが、異変は認められず部屋に戻り椅子に座ることにした。招待された上位クラン、それもダンジョン内での勝手な行動は厳に慎まなければならない。


「え、いまのは……いや、気のせいか」


 落ち着かない気持ちで待機してると、視界の端の影が薄く揺らめき、影が一瞬だけ現れては消えるような錯覚を覚えた。

 どこからか聞こえる「ずずずう……」という気味の悪い音と、影の揺らめくような錯覚が続き、彼の精神を徐々に蝕んでいく。

 ロウソクの揺らめきよるものと決めつけたが、彼はどうにも気になって仕方がない。


 そんな時、新たに到着したのは研究者風のハンターだった。

 新たな参加者がやって来たことに、魔法使い風のハンターは大きな安堵を覚えていた。

 しかし研究者風の彼女もまた、この部屋の異様な雰囲気に呑まれ、早くも顔色を変えていた。


「なんですか、ここ。変な感じ、しませんか……?」


 研究風の彼女の声は、恐怖でかすれてしまっている。その目はせわしなくあちこちを見回し、目には見えないものに怯えていた。


 話しかけられた魔法使い風のハンターも、得体の知れない音と影、そして全体的に不穏な影を落とす雰囲気に脅えて、他人のことには構っていられなかった。

 彼は首が締めつけられるような異常な錯覚をも感じていて、早くこの場から逃げ出したいと願うばかりだった。



 午後9時過ぎ。


 到着が遅れている最後の客を待つ間、ふたりはあまりに不気味な部屋に我慢ができず、何度も帰ろうとした。しかし、なぜか椅子に張り付いたように体が動かず、ただ時が過ぎるのを待つことしかできなかった。


 そうして我慢を重ねながら待っていると、更なる異変が起こり始めた。


「あ、あの、この音って、なんなんですか? ずっと何か引きずっているような、そんな音がしますよね?」


 研究者風のハンターの疑問に、魔法使い風のハンターは答えない。室内は寒くないにもかかわらず、彼の顔は青ざめ体は震えていた。その視線は、何もないはずの空間に釘付けになり焦点が合っていない。その様子を見た彼女もまた、首の締まるような強烈な息苦しさを覚え、新たな恐怖に震えることとなった。


「あが……あ、あ……」

「うぐ、がは……が……」


 ふたりのハンターは、首の締まるような錯覚が少しずつ強くなっているような気がしていた。気のせいと思いたかったが、まるで冷たく湿った指で首をつかまれるような感覚に陥っていた。

 しかし首元を自らの手で触ってみても、そこには何もない。ふたりは正体不明の感覚に、うめき声を上げ身震いすることしかできなかった。


 その時だった。


 どこからか微かに聞こえていた「ずずずう……」という引きずる音が、唐突に止んだ。

 耳にこびりつく音が消え、完全な静寂に包まれる。

 ふたりのハンターは不気味な音が消え去ったことに安堵を覚え、少しばかり緊張がほどけたような気持ちになった。


 だが、ほんの数秒程度の静寂を打ち破り、また引きずるような音が聞こえ始めた。


 ずずずう…………ずずずう…………


 微かに聞こえる音が、徐々に大きくなっていく。


 ずずず……ずずず……ずずずう……


 部屋の外からと思われた遠く微かな音が、いまでは明らかに部屋の中で響いている。

 音から感じる距離感は、同じ部屋の中で何かが引きずられているとしか考えられない。しかもそれは、絨毯に吸い込まれるはずの音を無視して、ふたりの聴覚を刺激した。


 ずず、ずずず……ずずず、ずず……ずずず……


 近い。明らかにすぐそばにまで迫っている。

 音が近くに迫っている。


 ふたりのハンターはせわしなく辺りを見回すが、異常は何も見当たらない。ただ引きずるような音が、そして首を絞めつけるような感覚だけが、強まっていく。


「ひっ……ひっ……」

「ぐ、ぐがっ……あがっ」


 彼と彼女の心臓は、恐怖で大きく脈打ち破裂しそうだった。叫び声を上げようにも、喉は凍りついてしまったかのように機能しない。石のように椅子に座ったまま、ただ自身を強く抱きしめ続けた。


 ロウソクに照らされた薄暗い部屋。

 ダンジョン内という特異な環境。

 ずっと聞こえ続ける不審な音、そして気のせいだとは思えない息苦しさ。


 部屋を覆う重苦しい空気が、張り詰めた弦のように限界に達しようとしていた――



 同時刻。

 洋館の重厚な扉が、軋んだ音を立てて勢いよく開け放たれた。


「おいすー! 遅くなってすんません! うおー、やっべー。遅刻しちまったよ。まったくもう、道がわかりにくいわー」

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