第7話 パワー・ゲーム

 統括診療部長室から解放された後も、星来はずっと黙りこくっていた。

 麗美もやはり黙っているが、自分を気遣っているのが分かる。

 ドアの外でしばらく麗美と待たされていたが、何か話を終えた久場と古市が部屋から出てきた。


「……何か深い事情があるようだな。やれやれ、すっかり悪者になってしまったような気分だ」


 久場はやりにくそうに肩をすくめて星来を眺めている。

 麗美は星来の背中をさすりながら久場を睨んでいる。

 古市は興味深そうな目で三人を見ている。彼の場合は何か感情を抱いているというよりも、人を冷静に観察しているような印象がある。


「……いいえ」


 十年経ってもまだ、父が死んだときのあの気持ちを消化しきれていない。心の一部が成長を止め、あの雪の日に大学病院の広場で泣いていた自分のままなのだ。強くならなければならない、といつも思うが出来ないでいる。


「しかし、君の手術はこの一回で終わりではない」

「え?」


 麗美が星来の代わりに尋ねた。


「一介の研修医にまだ何かさせるっていうんですか? 心臓血管外科での問題は――私はあれが何か問題だとは思っていませんけど――これでチャラなんじゃないんですか? そうやって脅してセイラを利用する気なんですか? そんなの卑怯だと思います」

「脅すとは、人聞きが悪い。我々は眞杉君の特殊な才能を評価しているのだよ」


 気を取り直したのか麗美の抗議に腹を立てたのか、久場の語気が荒くなった。


「岸先生は大局を見て今度の件を決断されたのだ」

「うちの大学で外科が内科に負けているって話ですか? 大学の学長も含めて、内科系の先生が要職を押さえているって。セイラに何か実績を上げさせようとしてるんでしょう? しかもセイラの名前は表に出さずに。大学病院の偉い人が考えそうな権力闘争ですね」


 麗美の言葉も、とても一介の研修医が教授にする発言ではなかった。


「そ、そんな小さな話ではない。考えてみろ。日本の外科医数の減少問題は君も知っているだろう。特に消化器外科医は深刻だ。このままいけば二十年後には約半数になると言われている」

「……そ、そうなんですか?」


 少し気持ちが落ち着いてきた。星来は久場の言葉に顔を上げた。


「うむ。そうなると胆嚢摘出や虫垂炎といった、一般的な手術もままならなくなる。ロボット手術が普及すれば、田舎にいても遠隔操作で都市圏の高いレベルの手術を受けることができるのだ」

「遠隔手術……」


 確かにそれならば遠くで患者さんを救うことができる。人に会うのが苦手な自分でも少し役に立てるかもしれない。


「うむ、眞杉君。岸教授はその革新的なマスターケースとして君を考えて……」


 星来が少し話に乗ってきたので、久場の声も一段高くなった。いかにも策士といった見た目だが、根は良い人なのかもしれない。

 だが、麗美が黙っていなかった。


「そんなのオジサンたちが労働条件を改善して来なかったからでしょ。外科と言えば体育会系、下は上の奴隷じゃない。海外みたいに外科系の方が高い給与が保証されてるわけでもない。大学病院なんて給料最低で、看護師と事務員の代わりに大学院生と研修医が採血したり事務仕事してるじゃないですか」

「む、むう。君は言いにくいことをズバズバと……」

「どこの世界に、日中に勤務先を離れてアルバイトしてる仕事の人がいるのよ。しかもアルバイトの方が本当の勤務先より給料がいいなんて、馬鹿なんじゃない」


 確かにその通り、大学病院の医師は生活のために日中大学病院を離れて別の病院でアルバイトをしている。「診療援助」という名目だが、そうでもしないといけないほど給料が安い。


「厚生省は現場のことをちっともわかってない馬鹿集団だし、厚生省の業務をやってる大学病院の人事評価を文部省がしてるし、メチャクチャ。教授が手術しても研修医が手術しても値段が一緒なんて、そもそもおかしいのよ、この国は。旅行に行くとき、お金を出すのにホテルの部屋を少しアップグレードするか、逆にビジネスホテルにしてちょっと美味しいものを食べるか選択できるじゃない。何で医療だけ共産主義なのよ。ロシアや中国より遅れてるわ」

「ぐぬぬ」

「はっはっは、このお嬢さんには形無しですね、久場先生」


 古市が愉快そうに笑っていた。


「……まあ、実家の父の受け売りなんですけどね。うちは美容外科なんで」

「なんだ、美容外科か」


 久場の言葉には軽い侮蔑の色が混ざっていた。美容外科は自由診療で、保険診療ではない。治療対象が「病気でない」ということから低く評価する医師は少なくないのだ。救急診療がなく、勤務形態が比較的楽な割に高収入が保証されることなどにも、嫉妬と軽蔑が入り混じった複雑な感情を抱く医師は少なくない。


「ま、そういう反応ですよね。大体の先生は」

「あの……麗美のことを馬鹿にしないでください」

「ば、馬鹿にしてなどおらん。だが、二年の臨床研修を終えて、高収入目当てで美容外科に進む、安直な若手医師が最近増えているのは、実に嘆かわしい」

「資本主義なんだから仕方がないじゃない。早く対策を打たないからよ。医者は聖職者じゃないんだから。みんながみんな高い理想で医者になるわけじゃないんだもん。高校で成績が良かったら、進路指導の馬鹿教師がホイホイ医学部に行くのを勧めるし」

「ぐぬぬ」

「やれやれ、なかなか話が進みませんね。久場先生」

「とにかく、うちのセイラを権力闘争に利用するのは許せません」

「うちの?」


 これではまるで麗美の妹か娘だ。星来は目を丸くした。


「ふう」久場はため息をついた。「分かった。安室君。君の言う通り、外科系と内科系の業績争いがあるのは事実だ。確かにここ数年、内科系の増長は許せん。図に乗せないために倒さねばならん。しかし、学問の世界で争うのは決して悪いことではないと思わないか? 我々も負けたくないのでな。……これは駆け引きなのだよ。ロボット支援内視鏡手術は、我々泌尿器科で最も進歩したのは知っているな?」

「先生は腹腔鏡の名医だって聞いたことがあります」


 星来がそう言うと、久場の機嫌は少し良くなった。


「まあ、日本では少し名が通っている方だ。……我々の領域では、現在技術的に確立したものだと言っていい。しかし逆に言えばそれは頭打ちで進化を止めている状態ともいえる。私はそれを突破、ブレイクスルーを得てさらに進歩させたいのだ。そこで眞杉君を引き入れたい。古市君、それでいいな?」

「ええ、私が一番不謹慎かもしれませんが」

「不謹慎?」

「私は皆さんのように医師ではない。人間の能力を機械的に拡張する研究をずっとやってましてね。—―まあ、単純に眞杉さんの特殊な能力をさらに拡張してどこまでできるのか見てみたいという好奇心が一番というか」


 古市はニコニコ笑っている。口調は穏やかだが、要は実験台、観察対象ということなのだろうか。


「好奇心……」

「……やばい奴だ」

「岸先生や久場先生の深いお考えは、私にはわかりません。分かる努力はしますがね」

「古市先生にVRシミュレーションを組んでもらうことになった。この領域の医用工学にかけては第一人者ということだ。彼に協力してもらって、泌尿器科の手術を練習しておいてほしい」

「え、産婦人科の研修を回るんじゃないんですか?」

「君には内視鏡手術全体を重点的に研修してもらうことにしようと、岸先生の意向だ。各講座のスタッフと一緒に難手術や希少な症例に挑むことになるかもしれない。……あとは整形外科の鳥栖とす先生の協力も得たいのだが、それはまたこれから策を考えなければならないだろうな」

「……私だけ別なんですか……?」

「いや、安室君と一緒に研修できるようになるべく配慮はしよう。あと、研修医室に今、机があると思うが、先端医療講座にも君の練習できる場所を設ける」


 それを聞いて星来は少し安心した。麗美も横で頷いているが、これではほとんど保護者だ。


「とりあえず三日後には泌尿器科で執刀してもらうから、そのつもりで練習に励みたまえ。三日で十分でないとは言わないだろうな? 泌尿器科の手術は分かるか?」

「えーと、その、男の人の……せ、性器の手術ですよね……?」


 顔が赤くなる。言っていて少し恥ずかしくなった。


「そ、その程度の認識か……」


 久場は頭を抱えた。今までで一番困った顔をしたので、麗美が大笑いしている。


「腎臓移植や前立腺、膀胱が手術的治療の対象だ! しーっかり、勉強したまえ!」

「す、すみません。……分かりました、勉強します」

「なんだか今日はひどく疲れた。……私は自室に戻って北宋の壺でも眺めることにする。あれは良いものなんだ……」


 久場は大きなため息をついた後、星来と麗美、そして古市を残して去って行った。













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