第20話 パーフェクト・リコンストラクション
切れていた神経は五本。
方向と場所から頭側と足側の対応する神経の断端を判別し、縫合していく。
一本に対して0.04ミリの糸を2本から4本ずつかけて繋げなければならない。
羊水と脳脊髄液の入り混じる液体の中で揺れる神経をとらえる。
星来としては神経そのものをつかむことはしたくない。神経外膜と呼ばれる極薄の膜の部分だけを針のようなピンセット――
先ほど神経をやや強くつまんでしまったら、胎児の体がピクリと動いた。
脚につながる神経なのかもしれない。
「胎児心拍、上昇! 操作を少し待ってください」
麻酔科医の声がインカムから聞こえる。
全身麻酔薬は臍帯(へその緒)を通じて胎児にも送られている。が、痛みを感じないわけではないのだ。
胎児手術は麻酔科医にとっても難易度が高い。薬物投与の危険域と安全域、絶妙なバランスを保つために苦労しているようだ。
星来はモニタ・ヘッドセットの中で軽く深呼吸して息を整えた。
やるからには少しでも完全な神経の修復—―再建を行いたい。しかし同時に、少しでも早く手術操作を終える必要がある。
――不安になったら、背筋を伸ばす。そうですよね、彗先生。
確か、「まず姿勢を正せ、手術はそこからだ」と言っていた。
「どうぞ」
麻酔科医の言葉を合図に、再び一斉にコンソール操作を再開した。
だって、バサバサの神経を袋の中に戻すだけなんておかしい。
もしも神さまがいて、この子の体をうっかり作り間違えたとしたら……もう一度作るなら、きっとこうする!
心を指の動きに乗せる。無駄が無くなり、手の動きがどんどん加速していく。
「す、すごい……この手術を、星来ちゃん……研修医がやっているなんて」
「屋島先生、外部には絶対に秘密にしてくれ。もちろん患者にもな」
「……はい、分かりました。ですが、言ったとしても、こんなこと、誰が信じられるんでしょうか!!」
岸は手術用ガウンを脱ぎ、椅子に座って腕を組んだ。今や星来という賽が投げられたのだ。見守るしかない。
第七手術室は水を打ったように静かになっていた。
中でも、トラブル発生時のバックアップ要員として入室していた脳神経外科医の目はモニタに釘付けになっていた。
「いかがですか?
岸の言葉に、益田は夢からさめたような顔で振り向き、一言だけ発した。
「こいつ、化け物ですか……?」
第四手術室では古市と八波がモニタを注視している。
手術支援ロボット『サイコム』は頭からヘッドセットをかぶるようにして操作するので、マイクに向かって話さない限り二人の声は星来には届かない。
「すげえや、セーラちゃん」
「確かに、子宮の中ではフィブリン糊で神経を接着することはできない。羊水で拡散してしまうし、血液由来製剤ですしね。縫合こそが神経を組み立てる唯一の方法、というわけですか。それにしても鉗子のスピードが彼女の操作に追い付いていない気がしますね。反応速度を少し上げましょう」
「了解ッス……ありゃ?」
ボルドーレッドのスクラブを着た男が、関係者以外立ち入り禁止の自動ドアを開けて入ってきた。
「やあ先輩、やはりいらっしゃったのですね」
「やはり、というのはどういうことだ」
「先輩ならきっと愛弟子のことを気にして来られると思ったのです。ほら」
古市は傍にある三脚目の椅子を目で指した。
「……ふん。お前というやつは」
サージョンコクピットに座る星来に一瞬視線を送ってから、彗は座った。集中していてこちらには気づかない。
「何でもお見通しか」
「いいえ。先輩が彼女を指導してくれるかどうかについては、正直、自信がありませんでしたよ」
「どこまで進んだ?」
「星来君は脊髄神経の修復を開始しました」
「なるほど。……俺にはVRゴーグルを貸してくれ」
彗はゴーグルを受け取って被った。これをつけると三次元画像で星来と視野が共有できる。
白いゴーグルをつけた彗は腕を組み、じっと口を閉ざした。
「思わず手を出したくなりますか? サイコムにはセカンド・コクピットから助手も手術に参加できる支援機能がありますが」
「馬鹿な。奴の手術だ。それに……俺の手は動かんよ」
「それにしても……あの気弱そうな……少女のような娘のどこにこれだけの強い意志が隠れているのでしょうね?」
ゴーグルで顔の半分が隠れたまま彗は笑った。
「奴が弱いと? ふん、とんでもない間違いだ」
「と、言いますと?」
「奴は強いよ。あいつの中には自分でも制御できない熱の塊がある」
「熱?」
「あいつは言ったよ。自分の手で掬える命は全て救いたい、とな」
「それは何とも壮大な……」
「そうだ、 だがそれをあいつは大真面目に口にする。それは、それ自体が実現不可能な、人間には過大な欲だ。掬ってもまだこぼれ落ちる。それが人だ。だがあいつはそれをしたいという。全く呆れるほどの傲慢と強欲、自我の持ち主だよ」
星来はほとんど神経の修復を終了していた。
脊髄神経の末端は腰部付近で円錐状になり、習字の筆の様な神経の枝を出している。
バラバラの糸玉の様だった神経はまさに解剖学的に正しい形に形成されつつあった。
「これで完成だろう、眞杉?」
しばらく黙っていた岸教授が星来に声をかける。
「いいえ、まだです」
「何? もういいだろう?」
「こことここ――壁の内側に垂れ下がっているのは血管です。多分細さと質感からして動脈です。この二本は本当は脊髄にくっついていなければいけないはずです」
「それは、それはそうかもしれないが……おい、何を考えている?」
「つないでおきます!」
「せ、脊髄動脈を再建するだと!? 直径は0.2ミリ以下だぞ!」
「12-0ナイロンをセット」
「12-0? しかし、血管を縫うとなれば何針も管腔を縫わなければならないだろう?」
12-0の糸と言えば、太さは直径0.001から0.009ミリ、針の長さは2.5ミリである。本来、指先の血管や極小のリンパ管縫合に使用する糸だ。
「IVAS《アイバス》っていう方法は使えない……片手で針を引っかけるしかない」
流石の星来も苦労しながら血管の管腔に苦労して針を通す。針さえ通せば縫うことは難しくない。だが、わずかでも強く引っ張れば血管も糸もちぎれてしまう。
「二針しかかけられないけど……これでいいはず」
ゆっくり慎重に糸を結んでいく。正確に百八十度の位置に二つ結び目ができた。血管の『口』がぴったりと合う。
「これは……血液が流れている? 穴が開いているようなものなのに、漏れないのか? どういうことだ?」
岸教授の質問に答えられる知識と時間は星来にはなかった。続けてもう一本の血管に手――アームを伸ばす。
「星来君は忙しそうなので、私が答えますよ」
「古市?」
「あのレベルの微小血管なら、この方法で良い、と彗――西園寺先輩が言っております」
「西園寺先生が?
「物理学で説明しますと、0.5ミリ以下の管腔は血圧や内圧で血液が流れるのではないのです。あの細さなら流体力学――毛管現象で血液が流入します。もっとも、ほぼ完璧に管腔の形を合わせなければなりませんがね」
「それはあくまで理論だ。それを羊水――液体の中に浮かぶ状態で行なうなんて!」
「しかし、見ての通り現実に彼女はやってのけましたね。まったく、我々の想像の上を行く」
星来は最後の血管吻合にとりかかっていた。
だが、血管の位置が難しかった。最初に組み立てた神経の束が操作の邪魔をする。今更バラバラにしてやり直すわけにもいかない。
「――あと一針なのに、届かないっ! このっ! このっ!」
繋いでみせる! 自分にできることがある限り、それをやる。今、自分にできる一番のことを私はやる。
どんなにそう思ってやっても、アームが空しく水を搔くばかりだ。
手術の進行が止まった。つながらない血管からゆるゆると血が流れ出てくる。
「よくやった、眞杉先生。しかし、そこまでだ。これ以上は母子ともに負担がかかりすぎる。その血管を止血して、終了しよう」
「岸先生、あと少しだけ時間を下さい! お願いします」
「先ほどから手術が停滞している。母体と胎児にかかる負担も心配だ。あとは硬膜と皮膚を閉鎖するだけだろう? もう十分だ。君ならそれもさほど時間はかかるまい」
「じゃあ、あと三十分だけ! お願いします」
「……分かった。しかし、君にあげられる時間は十五分だ。それで終了する」
「……!」
もう一つ腕があれば、あの神経の束を横に避けられる。これでは縫合のための針の回転半径がかせげない。ひっかかってしまう。
「ロボットならそのへん、何とかなってよ! もう一本腕があれば!」
叫んだ瞬間、今まで動きを止めていた二本の鉗子が動き始めた。
一本は邪魔になっていた神経束をそっと横に避ける。
もう一本の鉗子は小さな糸付き針を持っている。極小の縫合針だ。針の全長は三ミリに満たないだろう。ただ、妙な形をしている。通常の縫合針が半円形をしているのに、その針は平仮名の『し』の様な形をしている。
「星来」
インカムから――いや、もっと近いところから彗の声がした。
ヘッドセットのせいで彼の姿は見えないが、すぐそばだ。
「彗先生!? 彗先生ですかっ!?」
「ああ」
「 すみません、ごめんなさい…… 私、あんなに練習したのに……うまくいかない」
「こちらの針を使え」
「は……はい! これは?」
「『クロソイド針』だ」
「くろ?」
「クロソイド曲線の説明をしている時間はない。こちらのアームに切り替えろ」
「わ、わかりました」
「神経束は俺が牽引しておく。三分でやれ」
「三分!?」
「見せてもらおうか。お前の練習の成果とやらを」
「はいっ!」
来てくれた。
それだけで火がともった様に胸が熱くなる。
フットペダルを蹴り、アームを切り替え指先に集中した。
「先輩、これは?」
「微小血管吻合では、血管を針が貫く瞬間、血管同士を引き寄せる瞬間など運針のスピードを各々絶妙に変化させる必要がある。しかし、この針はそれが必要ない」
「なるほど、クロソイド曲線か」
古市がひげを撫でて唸った。
「高速道路のカーブにも応用されている、最も効率的に物体が進む曲線だ。クロソイドなら常に等速で動かせば針が進む……より簡単に縫えると、そういうことですね」
「流石、医用工学者だな、理解が早い」
「それにしても、運命を紡ぐ女神、クローソーの名を冠した針が胎児を救うとは……実に文学的ですね」
そんな二人の言葉がずっと遠くに聞こえる。星来は極限に集中していた。
微小血管――極小の筒を完全な円形に合わせる。
「通った!」
繋がれた血管が赤紫色に染まった。
そこから毛細血管が広がり、修復した脊髄神経の表面がほんのり桃色に染まる。
幻想的な光景だった。
星来は長い長いため息をついた。
いつの間にか息をするのを忘れていた。
目の前には――形だけではあるが――脊髄そのものとなった神経の塊が浮かんでいる。
まるで元からそうあったように見えた。
「あとは硬膜と皮膚を閉鎖します! ありがとうございました!」
「独断と暴走は看過できないが――眞杉、よくやった」
満足そうな岸教授の声の向こうに、七番手術室の歓声が聞こえる様な気がする。
だが、最後まで油断なく――それが彗の教えだ。
皮膚もできるだけ丁寧に、傷が目立たないように縫い合わせていく。
「あっ!」
皮膚を縫い終わった瞬間、視界が大きく揺れた。
麻酔薬の濃度が浅くなってきたので、胎児が体を動かしたのだ。
寝返りをうち、ぐるりと大きく体がひっくり返る。星来が縫った傷跡が子宮の奥の方に隠れていく。
代わりに内視鏡の視野に現れたのは、子供の顔だった。
目をつむって眠っている。目元は父親に、ふっくらした口元と頬は美晴に似ているような気がした。
かすかに笑っているように見える。
「まだ名前のない君、よく頑張ったね」
聞こえるはずはないのだが――星来は小さく声をかけると、内視鏡を引き抜いていった。画面の中の顔がどんどん小さくなっていく。
子宮壁を修復すれば母体側の手術は岸教授たちの仕事になる。
暗転したモニタ・ヘッドセットを上にあげ、星来はコクピットから降りた。
古市と八波が拍手で出迎える。
「彗先生!」
真っ先に姿を探したが、いつかの時と同じ様に、彗はVRゴーグルを残していなくなっていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます