第4話 ゲーム・マスター

 二日間の自宅謹慎が明けた。

 待ち合わせ場所の研修医室で麗美が待っていた。自分の机の上には二日分の書類と郵便物が積み重なっている。麗美は笑っているが憂鬱な風景だ。


「セイラ、お勤めご苦労様」

「おつとめ、って刑務所じゃないんだよ」

「目の下にクマができてるよ」

「そりゃそうだよ……」


 二晩ずっと眠れなかった。

 あの出来事の後、大問題になった。専門医の資格どころか研修も修了していない研修医が手術を執刀してしまったのだ。即座帰宅と、処分決定までの間、自宅謹慎することが命じられた。

 大学病院を辞めさせられるとすると、医師の初期研修が中断することになる。手続きをしてまた別の病院を探さなければならないが、そんなことをした同級生はほとんどいない。どうしたらいいのかわからず悶々と考え続けていた。

 ようやく連絡が来たのが昨日の夕方で、今日、麗美と合流して「しかる場所」に「出頭」するように言われている。


「あたしなら遊びに行っちゃうな。二日も平日に休暇がもらえるなんて、研修医の身分でありえないからね」

「全然それどころじゃなかった」

「じゃあ、行こうか」

「どこへ?」

「「臨床研修プログラム策定委員会」ご指定の場所。七番手術室だって」

「手術室?」


 この大学病院には十二番まで手術室がある。四番と九番は縁起が悪いという理由で使われていないのだが、六番が三日前に星来がガレノスシステムを勝手に操作してしまったあの手術室で、その隣である。

 麗美はすたすたと歩いていく。慌てて白衣を羽織り、星来は後を追った。

 ほどなく手術室の女性更衣室に着く。

 非接触型のセンサーにネームカードをかざして電子ロックを外し、中に入った。

 棚から緑色のスクラブを出し、空いているロッカーを探す。


「でも、どうしてだろう? 教授室でも院長室でもないなんて」


 病院に呼び出されたということは、処分が決定したということなのだろうが、こういう場合には普通「偉い人」がいる場所に呼び出されるのではないのか。


「偉い人の考えることなんて、全然見当つかないよ。でも、そっちの方が良かった?」


 麗美はにやりと笑った。


「とんでもない!」


 星来はぶんぶんと頭を振った。自認する極度のあがり症とコミュ障である。そんなところに行ったら緊張で死んでしまう。


「やっぱりあんなことするんじゃなかった……」

「今更後悔したって仕方がないって。セイラがやらなきゃあの患者さんは死んでたんだよ」


 麗美はぐるぐると服を丸め、ロッカーに押し込んだ。何をするのもこの友人は元気がいい。


「でも……」

「今は元気で昨日集中治療室ICUから一般病床に出たし」

「それは良かったけど」

「こんなことで問題にしてクビにするような大学病院、こっちから辞めてやる。マスコミにバンバン情報を流してやるんだ」

「そんなことしたら、どこにも就職できなくなるよ」


 話しながらスクラブに着替え終わり、手術室の廊下に出た。

 一瞬目が合った看護師がさっと目をそらした。


「緘口令が敷かれてるらしいけど、みんなのうわさになってるから」

「うう……やだなあ」


 肩で風を切って歩く麗美の陰に隠れるようにして星来は七番手術室に向かった。

 入口上の「手術中」ランプが赤く点灯している。

 麗美が勢いよくフットスイッチを蹴ると自動扉が開いた。

 部屋の中にいるスタッフ全員の目が自分たちに注がれた。


「安室と眞杉です。呼び出されたので来ました。ここで合ってますか?」

「あわわ、眞杉です。この度はどうもすみません……」


 声が尻すぼみに小さくなった。

 誰からも返す言葉が無い。

 星来から真っ先に目を離したのは麻酔科医だった。再び麻酔器のモニターに目を戻す。全身麻酔の手術管理中なのだ。手術最初の導入部は麻酔科医にとって最も気を使う時間である。

 見たところロボット支援手術がまさに始まろうとしているところで、患者の上には複数のアームを持つ天蓋が覆いかぶさっている。だが、この前のロボット「ガレノス・システム」とは形が違う。ガレノスの腕は四本だったがこのロボットには六本腕がある。

 ガレノスが折り畳み式の洗濯物干しのような形だとすると、こちらは尻尾で立ち上がったザリガニに似ている。全体的に曲線が多かった。


「それの名前はヘルメスだ」


 星来がロボットに気をとられていると、手術用の椅子に座った女性が声をかけてきた。

 一人だけ深紫色のスクラブを着ていて、刺すような鋭い目つきをしている。周りのスタッフの態度から、この中の誰よりも立場が上であることが分かった。


「ガレノスが世界で初めて開発されたアメリカ製のロボットであることは知っていると思うが、これは国産だ。私が君をここに呼んだのだ。眞杉君」

「あの……」


 困ったことに星来にはこの人物がだれかわからなかった。帽子とマスクをしているので仕方がないのだが。


「隣の君はよく覚えているよ。派手なファッションだが成績は良かったな。安室君」

「ありがとうございます。きし先生」


 麗美には星来の考えがお見通しだったらしい。名前のところを少し大きく言ってくれた。

 岸は産婦人科の教授である。学内、それも臨床医学では珍しい女性教授だ。特に婦人科学では国内外でもかなり有名で、次期病院長、あるいは学部長の座をを狙っていると言われている。まあ、この情報も麗美の受け売りなのだが。


「統括診療部長である私が君たちの処遇を預かることになった」

「それはっ」


 早速反論しようとする麗美を手で制し、岸は言葉を継いだ。


「慌てないように。臨床研修プログラムの委員長が来た」


 七番手術室にもう一人医師が入ってきた。水色のスクラブを着たひょろりとした男だ。顔色が悪く暗い眼差しをしている。泌尿器科教授の久場くばだ。


「お待たせしました、岸先生」

「久場先生、わざわざありがとう。この度は随分無理をさせている。すみません」

「いいえ、先生の頼みとあれば」


「えらい人」たちが続々と集まってきたので星来はひどく居心地が悪かった。

 このまま糾弾会でも始まるのだろうか。

 麗美と星来は久場と岸に挟まれて立たねばならなくなった。

 教授二人に挟まれる研修医—―医学部の頂点の間に奴隷がいる。そんな気持ちになる。あるいは捕まった宇宙人か。

 岸の横顔をちらりと覗いてみたが表情の変化はない。じっと患者の横たわる手術台を見ている。


「それでは遠山先生、始めてください」


 岸の声掛けで手術が始まった。

 タイムアウト――患者のデータと手術スタッフの確認を終え、腹部にメスが加えられた。電気メスの電子音が鳴り、瞬時煙が立ち上る。腹に数か所ポータルと呼ばれる穴を開け、そこから手術支援ロボットの鉗子—―内視鏡カメラとロボットアームが挿入されるのである。

 手術—―正確にはロボット手術の準備だが、淡々と進行していく。


「基本的に私は君、君たちを処分するつもりはない。ましてや退職させるなどありえんよ」

「えっ! よかった……」

「ありがとうございますっ」

「心臓血管外科の涌井先生はカンカンに怒っていたがね」

「すみません……」

「安室君が何か言いたそうだが、何にせよ君たち二人が干井先生と患者の命を救ったのは間違いない。甲斐準教授があの場で開胸手術に切り替えていたとしても、救命できたかどうか、非常に危ないタイミングだった」


 ほっと胸をなでおろしている星来を横目で見ながら、岸は言葉を継いだ。


「しかし、全く不問に問うというわけにもいかないのだ」

「それは……?」


 内視鏡が挿入され、医療工学士MEが機械を操作するとモニタに映像が映し出された。丸っこい臓器が現れ、上方斜め三か所からニョッキリと黒い筒が突き出してくる。筒の先には小さなカニのはさみのような金属アームがついている。


「準備できました」


 遠山が振り向いて岸に声をかけた。岸はうなずくと椅子から立ち上がり、マスタースレイブの操作機械—―この機種ではサージョンコクピットと呼ばれる――に近づいた。


「さて、眞杉君」

「……はい?」

「君の出番だ。私が指示を出す。子宮体癌全摘術、やってもらおうじゃないか」

「ええっ!?」

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