第2話



 イアンは屋敷で着替えると、そのまま再び馬を駆らせて王立劇場に向かった。

 冬の花が控え目に咲く庭で、令嬢が待っていた。


「中で待っていていいのに」


 イアンが駆け寄っていくと、令嬢は安心したように表情を輝かせた。

「中で一人待っていたら、……来ていただけるか不安で」

 そんないじらしいことを言った令嬢に、イアンはすぐ自分の外套を脱ぎ彼女を深く包み込むと、中に入りましょう、とエスコートした。


 舞台は評判通り素晴らしく、異国風の演出も豪華で見事だった。


「イアン様はよく観劇されますの? そう、聞いたのですけれど……」

 幕が下りると、少し感想など言いつつゆっくりしてから桟敷を出た。

 そのまま帰宅する者もいるし、貴族達が集まってお茶やワイン、軽食などを食べれるサロンもある。イアンは令嬢を屋敷まで送るつもりだったので、申し出ると、では屋敷で少しお茶でもいかがでしょうか、という話になった。

「本国では、よく観劇をしました」

「そうなのですか。私もお芝居は子供の頃から好きなのですが……」

「?」

 素晴らしい舞台を楽しんで、令嬢からは当初見せていた遠慮がちな部分が随分無くなり、打ち解けた雰囲気が伝わって来る。

「軍人である父が、芝居嫌いで……」

 笑っている。

「役者は信用できないなんて、酷いことを言いますの……。素晴らしい舞台もありますと説得しても、お友達に誘われて劇場に行くといつも嫌な顔をするんです。困りものですわ」

 イアンは笑った。

「分かります。私の父も、舞台嫌いですよ。作り物の物語を、偽物が演じて何の価値があるんだと」

「まあ!」

 令嬢は自分の父親の舞台嫌いに困っていたようだが、イアンの父親も相当だと思ったことで安心したのか、明るい笑顔を見せた。

「なのに、イアン様は舞台がお好きなのですね。すごいわ。私は父に気を遣って舞台を見に行けなくて……いつも楽しそうに観劇なさるお友達を羨ましいと思って生きて来たんです」

「父は生粋の軍人なので舞台や芸術嫌いなのですが、母が芸術を愛する人なのです。戦のことしか考えないような軍人はダメだと幼い頃から教えられましたよ。その母は『貴方の唯一大嫌いな所だ』と時々父親でさえ引きずって劇場に連れて行ってましたから」

「まあ。勇敢なお母様ですわ」

「劇場に連れて行っても、そんな母の側で父は平気で爆睡してましたから、どっちもどっちですが」

「そんなことないわ。仲がよろしいご夫婦だって、伝わって来ます」

 舞台の中でも幾つもの夫婦の形が描かれていたので、その流れで自然とその話題になった。


「夫婦って不思議ですわ。上流社会では政略結婚もありますけど、今回のお話でも政略結婚をしたあとにもちゃんと愛が芽生えました。恋愛で結婚しても、愛の冷める夫婦もいますわ。それなら一体何を頼りに、誰かを選べばいいのでしょう?」


 イアンが彼女を見ると、彼女は気付いたように顔を伏せた。


「ごめんなさい。変なことを聞いて。私はこういう家の娘ですから、小さい頃から自分では無く、父の気に入った方と結婚するのだろうと思ってきましたわ。

 おとぎ話の本を見ると、自分が不幸に思えました。

 普通は自分の好きな人と結ばれることが出来るんだと知ってからは……。

 でも色んな舞台を見ていると、政略結婚そのものが悪ではないのです。

 出会うべき方に出会えた時は、どんな事情をお互いが抱えていても、結婚のあとに出会いがあったとしても、好きになれることはきっとあるんですわ。

 舞台は色んな人の生き方を教えてくれるから好きです。

 こんな世界もあるのだと思うと、心が安心します」


 令嬢はイアンを、勇気を出して見上げたようだった。


「……と、私は思うのですけれど……」

「私もそう思いますよ」


 イアンが優しく微笑むと、令嬢は安堵のため息をつき、嬉しそうな顔になった。

「色んな世界を舞台で垣間見える。心が躍ります」

「ほんとうに。私もです」

 廊下を歩いていると、令嬢が気付いた。


「あら、バルバロ卿がいらしてますわ。父の友人なのです。少しご挨拶してもよろしいでしょうか?」


「もちろん」

「ムラーノ島の領主を歴任してこられた方なのです。ご存じでしたか?」

「いえ……」

 顔は知らなかったのでイアンは否定したが、ムラーノ島のバルバロと聞いて、確かフェルディナント・アークから聞いた【青のスクオーラ】を構成する家柄の一つではなかったかと思い出す。

 話では【青のスクオーラ】はヴェネツィアの市民も周知の会合であり、別に秘密組織のようなものではないようだったが、立場上あまり口には出さない方がいいとフェルディナントからも言われていたので、イアンは黙っていた。

「確か、ヴェネトの六大貴族の……?」

 それは言っても構わないだろう。

 令嬢はええ、と微笑んで頷く。

「そうですわ。うちの家柄など足下にも及ばないほどヴェネトでは格の高い家柄の方ですけど、ご当主のマッティーア・バルバロ様も奥様もとても気さくで良い方ですわ。――バルバロ卿」

 貴族と話していたバルバロが振り返る。


「やあ、ヴィットリア。こんなところで会うとは」


 令嬢が言うとおり、バルバロは明るい表情で笑いかけてきた。

「珍しいな。マルロも来ているのか?」

 父親の舞台嫌いも知っているらしく、かなり親しい家ぐるみの付き合いのように見えた。

「まさか。天地がひっくり返っても父は劇場には来ませんわ」

「やれやれマルロにも困ったものだな。……おや……」

 バルバロは少し後方にいたイアンに目を向ける。


「君に恋人が出来たなら私がマルロからすでに愚痴を聞いているはずなんだが……。

 いや、違うな。貴方の顔は王宮で見かけたことがある。

 ――いつもの出で立ちと違ったからすぐに分からなかった。

 失礼。貴方のことは知っていますよ。

 スペイン艦隊総司令官、イアン・エルスバト将軍ですね」


「初めまして」


 イアンはにこやかに挨拶を行う。彼は軍式の挨拶も出来たが、今は貴族式の挨拶をした。

 これは相手や場所によって使い分ける。相手がどっちを求めているかを感じ取って、選ぶ場合もある。ここは王立劇場であるし、バルバロの態度は柔和で貴族的だったので、彼に合わせた。

「ヴェネトにやって来てから多忙で時間が取れず。バルバロ家のご当主に挨拶が遅れて、申し訳ありません」


「いや。貴方の働きぶりはよく聞き及んでおりますよ。

 異国に来られて、立派に努めていらっしゃる。

 特に聖騎士団の母体となる近衛団の編成は、さすがの手腕であられる。

 王太子の剣術指南役も妃殿下が任せられたのは驚きました。

 余程のご信任ですね。

 私も武門として、これから親しみを感じていただけると光栄です」


「こちらこそ」

「しかしお二人が一緒に観劇なさる仲とは知らなかった」

「嫌ですわ、バルバロ卿、変な噂を流すとイアン様の迷惑になりますから絶対にやめて下さいませね。私がぜひにとお誘いしたのです。この舞台のチケットが偶然手に入ったものですから。急にお声がけをしたのに付き合って下さって、一人で寂しく舞台を見ずに済んだのです」

「なるほど。偶然、可憐な令嬢とこんな素晴らしい舞台を見ることが出来るとは、貴方は余程幸運な方らしい、イアン殿」

「名高いヴェネト王立劇場の舞台、堪能させていただきました」

「もうお帰りかな?」

「はい。フェレイラ邸にご令嬢を送って帰宅します」

「そうか。貴方ほどの騎士が一緒なら護衛などは不要だね。ヴィットリア、マルロによろしく伝えてくれ」

「はい」

 挨拶を終えると、二人は歩き出す。

「気さくな方ですね」

「ええ」

 ヴィットリアは微笑んだ。

「立派なヴェネトでも有名な武門ですけれど、バルバロ家は皆さん優しい方で。

 奥様もとても穏やかな方で、ご夫婦仲もよろしいんですのよ。

 お嬢様も溺愛してらっしゃいますけど、未だにバルバロ卿は奥様のために素敵な贈り物をなさったりして……この前オークションで競り落とされた薔薇真珠の首飾り、本当に素敵でした」

【青のスクオーラ】は内情が分からないので、警戒すべき相手だとは思っていたが、バルバロの印象は悪くなかった。

 イアンはもう一度、振り返る。

 バルバロは階段を上がった所の通路で、今度は背の高い貴族風の男と話をしているところだった。やはり人脈は相当広そうだ。


「あら、シャルタナ卿もいらしていたのですね」


 ヴィットリアが言った。

「シャルタナ?」

 イアンはヴィットリアが馬車に乗り込むのを助けてから、自身も馬車に乗り込む。

「同じくヴェネト六大貴族のシャルタナ卿ですか?」

「ええ。バルバロ卿とは親しい友人なのですよ。今はヴェネトの軍務大臣といえばバルバロ家ですけれど、少し前まではシャルタナ家もこれに劣らぬ、有名な武門でしたから」


(そんな感じやったかな? 確か道楽貴族みたいに聞いたんやけど)


 イアンがそこからまだ見ていると、ヴィットリアが声を掛ける。

「分かりますわ。そんな感じ、なさらないでしょう? 軍人じみたうちの父に比べれば、あのお二人は余程社交的で貴族らしいですわ。ああして芸術にもとても興味がおありになりますし。共にヴェネトの軍務に関わってこられたお家柄なので、あのお二人、六大貴族の中でも仲良しでいらっしゃいますのよ」


 まだ捜査の途上だが、シャルタナには黒い疑惑が掛かっている。

 ネーリ・バルネチアのこちらを真っ直ぐに見つめてくるヘリオドールのような瞳を思い出した。

 バルバロと談笑する貴族は貫禄があった。

 華やかな衣装に身を包み、何かを親しげに話している。

 人身売買に密かに関わるような男には、見えなかった。

 だが重要なのはあの死のリストが実在し、実際にそこに名を書かれた多くの若い命が失われ、行方不明になっているという事実だ。

 そしてそのリストに、ネーリ・バルネチアの名前が刻まれていることなのである。


(ネーリのことに、あの男が関わってるかは今のところ推察に留まる。もしかしたらそこはフェルディナントの見当違いで、あいつは関わってないのかもしれんけど)


 それならシャルタナが別に見るからに怪しい男でなくとも、おかしくはない。

(こういうことを、フェルディナントの奴は早く調べてはっきりさせたいんやろうな……)

 今は騒ぎを起こすなと言った時の、強く拒絶するような横顔を思い出す。

(あいつは一度決めたら頑として譲らん所がある奴やからな)

 かといって、気持ちを切り替えて自分が社交的になりヴェネト貴族の内情を調べられるような、そんな器用な性格でも無い。

 フェルディナントは生粋の騎士なのだ。


(あいつに出来ることは、側にいて、守ることだけ)


 これが普通なら、とっととネーリを神聖ローマ帝国に連れて行かせてる。

 だがヴェネトに【シビュラの塔】がある限り、フェルディナントは戦うことをやめないだろう。


 彼はヴェネトに滅ぼされた【エルスタル】の王子……。


 ネーリもヴェネトの不穏を知っていて、貴族の寵愛を受けていても「早く自分を無事な国に連れて行って欲しい。そこで命の心配もなく、好きな絵を描いて暮らしたい」などと願わない青年なのだ。

 フェルディナントがヴェネトにやって来ると聞いた時、イアンは嫌な予感がした。

 生真面目な男だったから、祖国の敵討ちだなどと自分の命くらい、簡単に犠牲にするだろうと思っていたからだ。

 しかしフェルディナントはヴェネツィアで希望を見つけた。

 芸術に全く興味を持てない男だった彼を、夢中にさせる絵を描く、画家。

 フェルディナントの中にある破壊衝動や憎しみを、ネーリの絵は浄化する。

 描き手のその、人柄も。

 ネーリ・バルネチアが何者かの邪心で命を失うようなことがあれば、今度こそフェルディナントの心は狂うかもしれない。

 一方でネーリも【エルスタル】の事情を知り、心を痛めていた。美しいものを描き出す彼は、祖国が何の罪も無い三国を消滅させた罪を恥じ、悔いている。

 フェルディナントがヴェネトで死ぬようなことがあれば、彼は……あの美しい絵を二度と描けなくなるかもしれない。


(どっちも嫌や)


 あの二人のどちらかが失われること。

 そうなった、残された一人を見るなど。

 イアンは嫌だった。耐えられなかった。

 あの二人の為に何かをしてやりたいと、心から思う。


(あの化け物さえ、黙らせられたらな)


 遠くに今日も、時折瞬く、雲の中の存在が見えた。

 闇の中の遠くに立っても、あの塔がそこにあることが分かる。


(あいつさえ潰せれば、あとはまともな軍も持たへんヴェネトの攻略なんぞ、それこそ俺とフェルディナントがいれば簡単なんや。俺らは街に手を出す気なんか全く無いんやから、フェルディナントの竜騎兵団が味方につけば、街の連中に傷一つ付けず、王宮を制圧だって絶対出来る)


 今、王妃は王宮にはいない。

 外遊をしているという。

 久しぶりのもので、場合によっては戴冠式前最後の外遊になるかもしれないため、当初の予定より大幅に、各方面へ足を伸ばして滞在が延びている。

 ラファエル・イーシャが同行を許されたらしく、異国の人間を嫌うあの王妃が、極めて異例の扱いだと言われていた。


(ラファエルの奴は、俺とフェルディナント、スペインと・神聖ローマ帝国が手を結ぶなんてのは絶対に嫌がるやろうな)


 神聖ローマ帝国とスペイン王国も戦をした経験はあるが、神聖ローマ帝国の王家にスペイン王家の姫が嫁いでから、同盟関係が長く続いている。

 フランスはそれ以後、その同盟関係には苦心していた。

 フランスはスペインを牽制するため、かつて海洋国として名高かったイタリアを同盟国として迎える動きがあったのだが、その動きを見越して、イタリアは神聖ローマ帝国の竜騎兵団に攻撃され、事実上すでに占領下に入り、国としては瓦解している。

 まだ辛うじて王都ローマが機能しているが、完全に、以前の生活を保障し、必要とあらば神聖ローマ帝国からの支援も行う形で各都市の自治を認めるという条件を前に、イタリア全域は神聖ローマ帝国への帰順を選んだ。

 今の皇帝はその約束を守り、一番最初の総攻撃以来、一切イタリアの各都市には攻撃を行っていないし、神聖ローマ帝国から役人や軍隊も送り込んではいない。

 イタリアは元々、小さい都市が自治をしていたので、イタリア王国としての形を保てなくなっても、さほどそこに暮らす人々の中に混乱と抵抗は生まれなかった。

 神聖ローマ帝国はイタリアが抵抗を見せない限りは、彼らの文化や生活には、少しも手を触れていない。


(竜騎兵団には、そういう支配の仕方が出来る)


 普通は国境沿いから各都市を陥落、占領して行き、王都に迫る。

 抵抗があれば、どうしても攻撃は加えなければいけない。

 しかし空を駆る竜騎兵団は一番最初に国の中枢に攻撃を仕掛けられる。

 周辺国には何の被害ももたらさずだ。

 神聖ローマ帝国はイタリア王家の人間も、監視下には入れているが、王都ローマの大聖堂で、裕福な暮らしを許している。だから周辺の都市からも、一切不満が出ていない。

 自分達の生活が何ら変わらず保証され、王家の者さえ生きている。

 ただ、反乱を行えばいつだって再び王都から攻撃できるのだという事実さえ、認識させれば。


(それが竜騎兵団の一番恐ろしいとこや)


 都市を一切破壊しなくても、国の中枢を骨抜きにする。

 だけど。

 イアンは自分の父と母、スペインの王と王妃を思い浮かべた。


(あの二人なら、神聖ローマ帝国の許しを得て、空虚な王権なんて欲しいと思わんやろな)


 周辺都市に攻撃を加えられないなら、尚更喜んでマドリッド宮に立て籠もって、どれだけ城が破壊されても、例え最後の一兵になっても竜騎兵団と戦うだろう。それがスペインの国の誇りだ。

 あの王と王妃が竜騎兵団をけしかけられたくらいで無血開城などしたら、国民は怒りを覚え、例え命が助かったとしても二度とアラゴン家を玉座に座る者としては認めないだろう。

 イタリア王家は寛容に支配を許した。

 自治領を各都市に認め、王家の人間は大聖堂で僧侶のような暮らしになっても、事を構えないことを選んだ。

 今、竜騎兵団とスペイン艦隊がヴェネト王宮を狙って、一体どれほどの市民が、王家の人間の名誉を慮って蜂起するだろう?

 先代のユリウス・ガンディノは、外敵が攻めてきたら最前線で戦う王だった。

 彼は治世五十年の偉大な王であり、彼のその魂が、ヴェネトの戦う魂となった。


 ……その王が失われた時、ヴェネトの戦う魂も死んだのだ。


(もしお前が、その他国を消滅させても平然としてる女と手を組んで、そいつを守るつもりなら、覚悟しとけラファエル。俺は喜んでスペイン艦隊の最前線に立ってお前のこと、この手でぶち殺したるわ)


 本当に、音楽も素晴らしかったですわね。

 向かいで微笑んだ令嬢に、優しい表情で頷いてやりながら、イアンは強く心に思った。



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