08. 序章で描くべき要素と、美しい冒頭について

 冒頭の重要性については、あらゆる小説指南書において何度となく説かれてきた。

 私が一番影響を受けている小説指南書『ローレンス・ブロックのベストセラー作家入門』においても、かなり手厚く冒頭の書き方のテクニックについて語られている。


 上述の論説では冒頭の書き方の分類や具体的なテクニックなども書かれており、非常に有用なのでぜひ読んでみていただきたいが、本節では私なりに序章で書くべき要素と、美しい冒頭について語ってみたい。


   ◆


 これもあらゆる小説指南書で言われていることだが、小説の冒頭とは小説の顔である。

 冒頭は小説の第一印象を大きく左右する部分であり、数行の文章で一気に読者の心をつかんで小説の世界に引きずり込まねばならない。

 作品の顔である以上、冒頭は作品の性質をわずか数行で読者に伝えきらなければならない。


 それ故、書くジャンルによって求められる冒頭の質もだいぶ変わってくる。


 悪役貴族・悪役令嬢物においては、最初の一行目で断罪されるのが慣例となっていた時期があった。

 これは一行目で「これはこういう作品ですよ」と読者に紹介するのにわかりやすかったからというのももちろんあるだろうが、最初に追放を言い渡される=主人公が窮地に立たされる場面を描くことで、いきなり事件から物語を始めることができるというのも大きな強みだろう。

 WEB小説で流行ったジャンルでは同様の文化が根づきやすいのか、追放物にも近い文化があるという認識だ。


 また、一時期のライトノベルでは冒頭にエロスかタナトスを持ち込むのがよい、とされている時代があった。

 冒頭でアクシデント的な形で主人公にヒロインの着替えや水浴びをのぞかせて、主人公とヒロインの関係性や因縁を作りつつ、「この作品はラブコメ要素もある作品ですよ」と読者に提示し、更に読者サービスにもなる……という一石三鳥のテクニックではあるが、現在ではあまり見かけなくなった手法でもある。

 だがこの手法があまりにも擦られすぎて、有名ブログなどでも取り上げられ、読者を話に引き込むどころか白けさせるようになってしまったことが衰退の要因としてはあると思う。

 バイオレンスについては、いまだに手法として確立されていると思う。

 冒頭に戦闘シーン、暴力的な事件、死の匂いを持ち込むことによって、作品の雰囲気や世界観、キャラのバックグラウンドなどを提示し、冒頭の事件とどう決着をつけるかをその巻全体のテーマとして読者に強く印象付けられる。


 このように、その作品で描かれるテーマによって「冒頭で何を描くか」は大きく様変わりする。

 だが、前述した例を参考にして冒頭に必要な要素を単純化すると、以下の要素を複数含んでおくのがいい冒頭である、とも考えられる。


  1. 主要人物の背景にある事件や、今置かれた状況などを描く

  2. 主要人物同士の因縁、関係性を描く

  3. 最初から事件・イベントを起こし、読者に物語の本筋を強く意識させる

  4. 作品の雰囲気、世界観を印象付ける


 上記の仮説に基づいて、前述した例を見返してみよう。


 悪役転生・悪役令嬢物のあるあるとして「断罪シーンを冒頭に持ってくる」のは、1と2と3の3つの要素を最低限含んでいる。

 冒頭だけで主人公の今置かれた状況を描き、メインキャラ同士の関係性もわかり、更にこれから物語がどう進んでいくかが明確になる。

 追放物についても、まったく同じ3つの要素を含む冒頭がテンプレ化されていると言えよう。


 ラッキースケベ的なアクシデントを冒頭に持ってくる手法も、2と3と4を含んでいる。

 主人公とヒロインの因縁を作り、ヒロインとの関係性の変化が本筋だと伝えつつ、「この作品はラブコメ色を色濃く含むコメディタッチな作品だ」と提示しているわけである。


 このように、作品の冒頭では様々な重要情報を圧縮した上で、わかりやすく読者に明示する必要があるのだと思う。


   ◆


 ここまでは序章――いわゆるプロローグで書くべき要素について語ってきた。


 それとは別に、冒頭にはという要素もある。

 最初の一文でなにを書くか――これは非常に難しく、個々の作者のスタイルに大きく左右される部分だ。

 絶対の正解などはなく、あなたがどのような小説を書きたいかによって方向性は大きく変わってくるだろう。


 そこで、本項では私が思う美しい冒頭集を語って分析しつつ、その冒頭がなぜ素晴らしいのかについて語ることで、異なる冒頭の異なる効果について理解を深めていきたいと思う。


 まずは不朽の名作、ニコラス・ブレイクの『野獣死すべし』の冒頭を見てみよう。


『一九三七年六月二十日

 わたしは一人の男を殺そうとしている。その男の名前も、住所も、どんな顔立ちかもまるで知らない。だが、きっと捜しだしてそいつを殺す……』

   ――著:ニコラス・ブレイク 訳:永井淳 『野獣死すべし』より引用


 この書き出しだけで、読者は圧縮された情報を一気に受信する。

 これが手記であること。主要人物が揺るぎない殺意を抱いており、そこにはなにか主要人物同士の因縁がありそうであること。『その男』とは一体誰なのかという魅力的な謎と、その男を見つけ出して本当に殺すかどうかが物語の本筋であること。

 この二行の文章だけで序章に必要な要素の1、2、3を一気に凝縮させ、読者を物語の世界に放り込むことに成功している、素晴らしい冒頭だと思う。


 続いて、私が冒頭の魔術師として私淑しているエイドリアン・マッキンティの『ザ・チェーン 連鎖誘拐』と『コールド・コールド・グラウンド』の冒頭も見ていただきたい。


『木曜日、午前七時五十五分

 

 バス停に腰をおろして自分のインスタグラムの”いいね”をチェックしていたので、銃を持った男に気づいたときには、男はもうほとんどカイリーの横まで来ている。』

   ――著:エイドリアン・マッキンティ 訳:鈴木恵 『ザ・チェーン 連鎖誘拐 上』より引用


『暴動は今やそれ自身の美しさをまとっていた。三日月の下でガソリンの炎が描く弧。謎めく放物線のなかの深紅の光跡。プラスティック弾を吐き出す銃身バレルの燐光。魚雷攻撃を受けた囚人輸送船の船倉で男たちがあげる悲鳴にも似た、彼方の叫び声。厳格な地表と交わる火炎瓶モロトフの緋色の響き。見渡すかぎりのヘリ。そのサーチライトが、来世の恋人同士のように、お互いの姿を見つけ出している。』

   ――著:エイドリアン・マッキンティ 訳:武藤陽生 『コールド・コールド・グラウンド』より引用


 前者はインスタグラムという今風のツールを出すことで和やかさ、親近感を出した瞬間に『銃を持った男』を登場させ、弛緩した雰囲気を一気に緊張感あるものに変えている。

「インスタグラムのいいねをチェックする」という部分から連想される若者感や、『銃を持った男』が即座に『カイリー』を殺さなかったこと、更に作品のタイトルである『連続誘拐』という単語の組み合わせによって、読者はこの冒頭が誘拐の場面であることを一気に理解する。

 この冒頭も前述した要素の1と3の要素を含んだ上で、対比で緊張感を一気に引き上げる素晴らしい冒頭だと思う。


 後者の冒頭については、前者と大きく毛色が違っている。

 暴動の様子をある種芸術的に描写することで、この作品が持つ暴力性と知的な雰囲気を表現し、かつ「この暴動は一体なんなのか?」という疑問を読者に抱かせることで、この作品の舞台背景である北アイルランド紛争にしっかりと導線を作っている。

 この冒頭もまた、1、3、4への導線を含んだ素晴らしい冒頭だと思う。


 ライトノベルでも一例挙げておこう。私の原点でもある秋田禎信先生の『エンジェル・ハウリング』の冒頭だ。


『大河の空隙にあるという絶対殺人武器。その刃がいかなる形をしているのか、それは永劫に続くであろう、イムァシアの刀鍛冶たちの抱えた命題だった。重さは、長さは、そしてその使い手は何者か。決して実体化しないその伝説の武器を鋼として現世に具体化するため、彼らは槌を振るうのだという。すべての過去より伝えられた知識、すべての未来に予想される英知。それらをすべてそそぎ込み、年々、彼らの鍛える物は強化されてきた。』

   ――著:秋田禎信 『エンジェル・ハウリング1 獅子序章-from the aspect of MIZU』より引用


 この冒頭を最初に読んだのは20年以上も前のことだが、未だにこの『大河の空隙にある絶対殺人武器』という一文はそらんじることができる。

 秋田禎信先生特有の世界観や、言葉遊びの極地のような作品だったが、それを象徴するような一文と言える。

 これは前述した序章に求められる1と4を満たしつつも、『絶対殺人武器』『イムァシアの刀鍛冶』のような世界観を象徴する造語を用いることによって、ハイファンタジー的な世界観を読者に想起させつつ、強烈に印象に残る冒頭になっていると思う。

 ライトノベルの地の文で永劫に記憶に残る文章というものは稀有だと思っているが、私はおそらくこの書き出しを生涯忘れることはないと思う。


 このように、美しい冒頭というのは文章が美しくインパクトがあるだけでなく、序章に必要な要素を含んでいたり、そこに読者を運ぶための滑走路のような役割を果たしていると思う。

 物語と直結しているからこそ印象に残り、物語と直結しているからこそ読者をスムーズに物語世界に没入させることができる。


 それこそが、私が美しいと感じる冒頭なのだと思う。


   ◆


 以上、序章で描くべき要素と、美しい冒頭についてとりとめもなく語ってきた。


 冒頭についてはどれだけ考えても考えすぎなことはないと思うので、また新しい発見があれば別の節で語ってみたい。


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