04. 新人賞応募作品とはどうあるべきか

 私はかつて、様々な新人賞に応募しまくっていた時期がある。

 その時期に賞をいただくことができなかったので、いまだにこうしてネットの片隅で散文を書き散らしているわけだが、その時間も決して時間の無駄ではなかったと思っている。


 あの時期、私は「新人賞応募作品とはどうあるべきか」についてかなり真剣に考え、自分なりの結論を下した。

 本節では、その自分なりの「新人賞応募作品とはどうあるべきか」について語ろうと思う。


   ◆


 まず大前提として、小説の新人賞応募作品は漫画のそれとは根本的に異なっていることを明示しておく。

 漫画の新人賞応募作品がそのまま単品で製本されて書店に並ぶことは非常に稀だと思うが、小説の場合は新人賞応募作品に多少手直しを加えた上で書店に並ぶことが多い。

 また漫画業界の売上部数については詳しくないが、小説が年々出版不況の度合いを増しているのは、業界の片隅にいる人間なら少なからず認知しているだろう。

 この二点は、非常に大きな違いである。


   ◆


 新人賞受賞作が書店に並ぶということは、出版社にはその本を宣伝し、販売のためにそれなりのコストが生じるということだ。

 新人賞応募作品には、そのコストに見合うだけの価値がなくてはならない。


 そもそもの話、新人賞の運営自体にも多大なコストがかかっている。

 何百何千もの作品を仕分けし、下読みに分配し、下読みからのフィードバックを評価し、二次から最終審査までの過程で編集部だけでなく作家の労力まで奪っていく。

 これだけのコストを払うのだから、それに見合う利益のある作品を選出しなければならないと思うのは至極当然だ。

 中山七里先生はエッセイ『中山七転八倒』でこう書いている。


『賞の存続を決めるのはそこからスターを何人輩出できるかにかかっています。このレーベルからデビューしたからには、スターになる義務があるのです。賞金もらった。出版してもらった。はいサヨナラでは、やらずぼったくりと同じなので、皆さんスターを目指してください。』

   ―――著:中山七里 『中山七転八倒』『一月十六日』より引用


 これは新人作家なら耳を塞ぎたくなるような言葉なのかもしれないが、厳然たる事実だろう。


 これらのコストや期待値を踏まえると、新人賞で「該当作なし」を選択できる新人賞は、かなり読者や賞に対して誠実な新人賞と言えるだろう。

 なぜなら、これだけのコストをかけながらそのコストを無理に回収しようとせず、賞の権威を守るという決断ができているからだ。

 多大なコストという痛みを伴いながら、それでも賞の権威を保ち続けることで、次の受賞者こそは本物のスターなのではないかと読者も信じることができるのだ。


   ◆


 出版不況もまた重要な点だ。

 出版社が電子書籍の売上データをあまり参照していないというのはよく聞かれる話だが、それも当然と言える。

 出版社は古くから数多くの書店と取引をし続けてきており、そこには商業的な繋がりだけでなく、「本を売る」という共通のミッションでつながった強い絆があると思う。

 電子書籍販売業者がそうではない、とは言わないが――数多くの事業を展開しているAmazonやApple、DMMなどの大企業が、出版社とともに死ぬ覚悟をもって本を売ってくれるかは甚だ疑問だ。


 小説というエンタメを脅かす新たなエンタメは、日々増え続けている。

 動画サブスクサービス、youtube、ショート動画、SNSドラマ、X(旧Twitter)漫画、スマホアプリ……などなど、それこそ数え切れないほどに新しいエンタメが増えている。

 そんな中で小説を売るためには、当然相当な努力を強いられる。

 ネット小説(いわゆるフリーミアムモデル)もそんな新たなエンタメに対抗するための手段の一環だと思っているのだが、なぜかいまだにネット小説を毛嫌いする層が出版社や作家内にもまだまだ多い印象がある。

 そんな身内でのつぶしあいは不毛だと思うが――だからこそと言うべきか、出版社は新人賞に力を入れているのだ。

 XX賞受賞という肩書は、賞に権威があればあるほど売上につながるからだ。


 出版社はスターやベストセラー本を輩出し、書店の売上を支える義務――使命と言い換えてもいい――がある。

 それができなければ、書店でのその出版社のスペースは日に日に狭くなり、いずれは消えてしまうか――あるいは、書店自体は潰れてしまうだろう。


   ◆


 これらを踏まえると、「新人賞応募作品とはどうあるべきか」については自然とひとつの結論が出る。


 つまり――新人賞応募作品とは、、ということだ。


 大抵の場合、ヒット(損益分岐点でそこそこ利益に倒せるくらいの売上)を打てる作家はそこまで強く求められていない。

 そういったヒットを打てる作家ならすでに市場にいるし、出版社からの依頼でその作家にヒット級の作品を書いてもらうことも可能だからだ。


 故に、新人賞作品に求められるのはヒットではなく、大ヒット、ホームランだ。

 これは実際に大ヒットやホームランを打てなければならない、と言っているのではない。そのくらい「大きく新規読者層を開拓できる」と出版社が信じられるかどうかが大事、ということだ。

 実際、既存の「明らかにヒット狙い」の作品を参考にして新人賞に応募しても、選考で箸にも棒にも引っかからないことが以前よりも増えたという気がしている。


 これは新人賞に限らず、あらゆるエンタメ系の小説賞で言えると思う。

 いくつか例を出そう。


 江戸川乱歩賞は数多のスターを輩出してきたが、銀行、経済物でベストセラーを何冊も上梓してきた池井戸潤先生などは、そのモデルケースと言えるだろう。

 池井戸先生が乱歩賞を受賞してデビューした『果つる底なき』もまた、銀行を題材にした作品だった。

 その後も池井戸先生は有名な『半沢直樹シリーズ』、『下町ロケット』など数多くの作品でホームラン級の売上を叩き出してきたが、その多くの作品が銀行物や経済物をベースとしていた。

 サラリーマンとして働いていると、「小説は基本読まないけど、経済には興味があるので池井戸潤は読む」という人と出会うことは非常に多い。

 これはまさしく、新人賞が新しい読者層を開拓したモデルケースと言えるだろう。


 宮島未奈先生の『成瀬は天下を取りにいく』もとんでもない大ヒットを続けている。

 成瀬あかりという強烈なキャラクターが巻き起こす嵐のような出来事を短編連作形式で綴った作品で、多くの読者が成瀬に魅了されたことは記憶に新しい。


 ライトノベルで言えば、電撃小説大賞は常に意欲的にスターを輩出しようと努力してきた。

 当時まだ珍しかったライト文芸的作風の『塩の街』でデビューした有川ひろ先生は今や押しも押されぬベストセラー作家だし、上遠野浩平先生の『ブギーポップは笑わない』はあの世代の多くの作家や作家志望に影響を与えた。

 成田良悟先生の『バッカーノ!』はイタリアのカモッラ(反社会組織)を題材にした海外映画のような作品で、今までのライトノベル読者層とは違う層を取り込んだと思う。


 ネットの小説賞や拾い上げも同じ理屈だ。

 小説家になろうやカクヨムなどで実施されるネット小説賞では、大抵読者の評価数などで足切りされた上で審査の俎上にのる――というのがまことしやかに信じられているが、自分もそうであってもなにも不思議ではないと思う。

 多くの読者に読まれているということは、それだけ書籍化した際に「新たな読者層を開拓できる」ということだ。

 一時期ライトノベルでネット小説からの拾い上げが増えていたのも、この「新たな読者層」を作品ごと一本釣りすることが目的だとするのが一般的な見解だろう。


   ◆


 では、とはどんなものなのか。

 これはいくつもの可能性がある。


 ひとつはキャラクターだ。

 今まで見たことのない強烈なキャラクター。これは否応なく読者の心を引き付け、今まで小説に触れてこなかった人々を小説に駆り立てる。

『成瀬は天下を取りにいく』がその典型だが、他にも『氷菓』でデビューした米澤穂信先生の無気力探偵・折木奉太郎とヒロイン・千反田える、『体育館の殺人』でデビューした青崎有吾先生のアニメオタク探偵・裏染天馬など、強烈なキャラクターはどのジャンルでも強く求められているものだろう。


 もうひとつは、新ジャンル開拓だ。

 新しいジャンルを開拓することで、今まで小説に興味のなかった読者層を取り込むことが期待できる。

 例えば、中山七里先生は音楽を題材にしたデビュー作『さよならドビュッシー』について聞かれたインタビューで「物語に音楽ががっつり絡んでくるミステリーはあまりない」「ならば音楽とミステリーのハイブリッドは、新しくて有利かなと思った」と語っている。

 他にもライト文芸の走りを生み出した有川ひろ先生は言うまでもなく、第二次世界大戦下のロシア軍を題材とした『同志少女よ敵を撃て』などがこれに該当する。

 新人賞ではないが直木賞を取ったものだと、荒木村重を主人公とした歴史ミステリ『黒牢城』、ピアノコンクールだけで上下巻の大分量を読ませ音楽描写の美しさに圧倒させられた恩田陸先生の『蜜蜂と遠雷』などもここに含まれるだろう。


 更にひとつ上げるなら、世界観だ。

 特異な世界観を構築することは、ライトノベルでもミステリでも大きなオリジナリティにつながる。

 大なり小なり「こんな世界観見たことがない!」と思わせられれば、それに惹かれて新たな読者層を開拓することが期待できる。

 鴨崎暖炉先生の『密室黄金時代の殺人』は解明されない密室殺人が罪に問われないという世界観設定により、密室殺人や密室を解き明かす探偵の需要が高まっているという奇妙な日本での本格ミステリものだ。一冊の間にいくつもの密室殺人が飛び出し、トリックの嵐で溺れ死ぬほど密室を堪能できる。

 倉井眉介先生の『怪物の木こり』もまた、日本を題材にしながらサイコパスや連続殺人鬼が日常に跋扈する奇妙な世界観を舞台にしたミステリ作品だ。連続殺人鬼が多い理由も含めて、しっかり理由付けのされた挑戦作だったように思う。


 当然、物語の特異性も重要だが、物語の特異性だけで新たな読者層を開拓できるケースは非常にレアケースだと思う。

 なぜなら、想像しうる大抵の物語はすでにこの世に存在しているため、上記のような工夫なしに創作しようとすると、どうしても既存の作品と似通ったものになってしまうからだ。

 それでもあえて例を上げるなら、どんでん返しの連続に翻弄されるくわがきあゆ先生の『レモンと殺人鬼』、茨城の田舎町を抜け出すことを夢見て大麻栽培を行う女子高生達を描いた波木銅先生の『万事快調オール・グリーンズ』などはこの例に加えてもいいのかもしれない。

 新人賞以外だと、銃乱射事件の裏で起きていた真実を調査する様子を描いた呉勝浩先生の『スワン』も、銃乱射事件を前フリにして、信用できない語り手達の証言から真実を探すという目新しい着眼点の物語だった。


 新人賞を獲りたいのなら、このような様々な工夫をして賞に挑まねばならない。

 新人賞を獲るということは、出版社や書店の売上を担うということでもあるのだから。

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