7月編14話 俺と私のダイアリー ④
~私のダイアリー~
▶︎▶︎ 研究ラボ
会場の空気が、一気にざわめき立った。
「それでは、花火もそろそろクライマックスを迎える中で、
司会の男性の高揚した声とともに、中央の大きなシートがさっと取り払われる。
現れたのは、見たこともない円形の白い装置と、四方に設置された無機質な機械たち。
場違いなまでに近未来的な光景。場内に拍手が溢れた。
「これは、僕らが目指している、空間の
隣にいた浴衣姿の男性が、訊いてもいないのに得意げに語り始める。
腰に手を回そうとするのが気配でわかり、私はさりげなく身をよじってそれをかわす。
母がいつも夕食時に語っていた研究、それはどうやらこの装置を使ったもののことらしい。
死んでしまった父を「取り戻す」ため?
──そんなこと、できるわけないのに。
無意識に、私の手が再びメールをチェックする。しかし、アニからの返信は……ない。
男性が、今度は肩に手を伸ばしてくる。
私は肩を強ばらせながらも、再び始まった彼の得意気な話を、心を無にして聞き流す。
「──全くキミのお母さんの功績は素晴らしい。この研究は絶対に実を結ぶはずだ」
私の心の内などにまるで構わず、男性は一方的に話し続けた。
「実は僕のパパは次に移るラボの所長でね、そこに移れば最新の設備が手に入るってことだ。まぁ、まだ正確な時期は未定だが……」
──え?
彼の話の中で、たった一つの言葉だけがくっきりと光を放って私の心に届いた。
──時期は……未定?
反射的に、私は男性に問い返していた。
「未定──次のラボに移る時期は……まだ決まっていない?」
一瞬、彼は目をしばたたかせる。
「あぁ、まだ準備ができなくてね……でも大丈夫……きっとパパが……」
しかし、言葉の続きはもう耳に入らない。
「未定」という言葉だけが、頭の中で何度もリフレインされる。
母は、「すぐに引っ越す」と言っていた。いつものあの断定的な口調で。
けれど……!!
私は周囲のあちこちに視線をさまよわせる。その視線が……こちらをじっと見ていた母とぶつかった。
母はまるで観察するように、男性と私の様子を見つめていたようだ。
今度は私が、母を観察する番だ──
相変わらず満足げな笑みを浮かべている。
自分のシナリオ通りに進んでいる、そんないつもの顔だ。
私は強い視線をまっすぐに母に向け、じっと見つめた。
すると、母の表情が一瞬怯み、かすかに揺れた。
──引っ越しはいつも突然なんだろう?今回は変じゃないか?
聞いて見て、お母さんの目を見れば、何かわかるだろう──?
担任の
そうだ、目は口ほどに物を言う──
私はじっと静かに、けれど何一つ見逃すまいと目を細め、母の瞳を見つめ続ける。
すると、自信に満ちていた母の表情が、ゆっくりと
わずかに、でも確かに。
母は、戸惑ったように眉をひそめた。その目が、小さく怯えるように揺れ始める。心の内側を見透かされるのが怖くてたまらない、そんな表情。
──母は、気づいたのだ。私の強い視線の意味に。
私がもう、彼女の【嘘】に気づいていることに。
そして。
──母は、視線を……そらした。
「……!!」
私の中のかすかな期待が、確信に変わる。
──近々の引っ越しは、ない──!
その瞬間、脳裏にあの優しい笑顔が浮かぶ。
「……アニ!!」
私に笑いかける、あの柔らかな声と瞳。
「アニに……アニに、会いたい……!!」
掠れ声でそう呟くと、私はその場を離れようと身を
そんな私の手首を、浴衣姿の男が強く掴んだ。まるで、母の焦りの気配を肌で感じ取ったかのように。
──その時。
「うわぁ!」
「すごい……!」
不意に、青白い光が瞬きながら部屋の中を貫いた。まるで稲妻のような鋭い閃光。
空気が沸騰するように熱を帯び、室内の雰囲気が一変する。
「何これ……?!」
私は、思わず立ち尽くす。
目の前の異様な光景に釘付けになったのだ。
目の前には、一つの像が浮かび上がっていた。その姿は、巨大なシダ植物のよう。
古代の森を思わせる、緑の
これが、ホログラム……?
母が語っていた、空間の歪みを利用した映像。
でも、これは何?なぜ、こんな植物が?理解が追いつかない。
ただ、周囲の熱気に飲まれるように私は立ち尽くしていた。
──突如、神職の衣装をまとった女性が叫んだ。
「やっぱりダメだ!! 歪みが暴走する!!」
その瞬間、白い舞台から青白い稲妻が四方へと飛び散り、次々と何かがあふれ出た。
「な、なんなの?!」
歓喜は、瞬く間に悲鳴に変わる。
人々は、機材を止めようとする者と、ラボから逃げ出す者に分かれ、混乱の渦に飲み込まれていく。
「機材をストップさせろ!!」
「 このままだと、ホログラムの影響が周辺に……!」
非常停止ボタンを探して走り出す人、書類を抱き抱えて出口へ向かう人。
──母は一人、その混乱の中心に立ちすくんでいた。
信じられないというように目を見開き、ただ装置を見つめている。
長年の夢が音を立てて崩れていく様を、見守るかのように。
「このままだと、花火の会場まで影響が……!!」
その声に私は、ハッと我に返った。
「──アニ!!」
その場から走りだそうとする私の手を、浴衣姿の男性が再び強く掴む。
「……っ!」
その手には、力がこもっていた。執着と、野心と、手放したくないという濁った欲望。
──私は、もう我慢しなかった。感情が一気に爆発する。
思いきりその手を振り払い、全身の力を込めて彼の頬を叩いた。
パァンッ!
乾いた音が、周囲の騒乱の中でやけに大きく響いた。
男が片手で頬を押さえて後ずさりする。
その一瞬の隙を突いて、私は会場を飛び出した。
~俺のダイアリー~
▶︎▶︎ 花火大会 特等席
「おぉ?!」
大輪の花火が夜空に咲く中。突然、地鳴りのような振動が地面を揺らした。
一瞬の沈黙。周囲の観客たちが不安そうに顔を見合わせる。
俺は両手を広げ、大げさなジェスチャーで周囲へ「花火の音だ」と伝える。
観客たちは安心したように微笑み、また夜空へと目を向ける。
……もう、慣れたもんだ。1人でこの席に座ってるのも、アイツを待つのも。
俺は、手元にある花火大会のプログラムをめくる。
──
クライマックスを迎えようとするその瞬間。俺は隣の空席に目をやる。
「尺玉に、ささやかな夢をアイツと一緒に祈りたかったな……」
呟いた自分の声が、虚しく花火の音に掻き消された。 俺は自嘲気味に笑う。
「ハードボイルドが神頼みかよ、まったく情けねぇ……」
──アイツの【ささやかな願い】、もっと深く聞いておけば良かった……
あの時、キャットウォークでアイツは……何かを言いかけていた。でも俺は、それを聞かずに黙った。
──聞くのが怖かったんだ。
深い海の底を覗くような、あの瞳。あの目を見た時、俺は……自分の限界を知ったのだ。
──真実を聞きたかった?
違うだろう!聞きたくなかったんじゃ?
アイツの抱えている何かは、俺の手には負えないから。彼女を取り巻く環境、それは今の俺の力ではどうしようもないから……
あぁ、いったい何なんだ……昨日、アイツの母ちゃんと話して以来、ずっとこんな調子だ。
ともかく、俺は決めたんだ。アイツがここに来るのを信じて待つ。
そう決めた。
そして今度こそ、彼女の願いを聞こう……アイツが望むなら。
いやいやいや……そうじゃない!
違うだろ!
──俺自身が、アイツの願いを聞きたいのだ──
その時。
「おぃ、何か凄くない?」
隣のカップルの声に、ハッと現実に引き戻される。
2人は空を見上げ、口を開けたまま動かない。
「ん?」
つられて俺も夜空を見上げた。
「おぉ!!」
日がすっかり沈んだはずの空が、なぜか青白く光っている。
そして、星々がまるで近くに降りてきたかのように、異様なほど大きく輝いて見える。
「何か星が、たくさん見えるような……」
「あれって、セントエルモの火?」
「今、目の前を龍が飛んでなかった?」
「とうとうノストラダムスの予言が?」
「恐怖の大王?!」
「やっぱり!!」
「いやいや、花火大会の演出だろう!」
あちこちで起こる不思議な現象に、観客がどよめいている。
俺は、ズレたメガネをかけ直す。
これは……本当に花火大会の演出なのか……?
その時だった。視界の端で、不意に微かな光が揺らめいた。
「なんだ……?」
隣の空席に置かれたリュックが、かすかに青白く光っていた。内側からじわじわと、光が漏れている。
「なんだこれ?」
同時に、どこからか「ピピッ」という電子音。
振り向くと、後ろの人が携帯電話を取り出していた。
それだけじゃない。
何人もの人が、同時に鞄やポケットをまさぐっている。
光っているのは、俺のリュックだけじゃなかった。
周囲で、携帯電話や電子手帳、果ては小さなポケベルまでが、青白い光を帯びて震えるように点滅していた。
まるで、何か見えない信号に一斉に反応しているかのように──
「何なんだ……」
俺はそぉっとリュックのファスナーを開けてみた。
中から、光の源が現れる。
──俺の携帯電話だ。画面が、しっかりと点灯している。
「……?!」
手に取ると、少し冷たいのにどこか……息をしているような感触があった。
「え?……直ってる……?!」
液晶画面には時間が表示され、メール受信のランプがついていた。
「!!」
俺はすぐさまメールをチェックする。
それは──アイツからのメッセージだった。
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