7月編12話 俺と私のダイアリー ②
〜俺のダイアリー〜
▶︎▶︎ ポスティング事務所
「はいこれ、2日分のバイト代ね。急な欠員で困ってたから助かったよ。引き続きバイト希望なら、また連絡するから」
ポスティング事務所のリーダーの日焼けした笑顔から、キラリと光る白い歯がこぼれる。
足中に消炎湿布を貼りまくった俺は、力なく愛想笑いを返した。
「あ、ハイ……ちょっとまた考えます。ハイ」
しかし、ポスティングのバイトは今日で終わりにしようと思った。平地をスキップするように坂道を軽々上る奴らと一緒に仕事をするにはちょっと……世界が違いすぎる。
「じゃ、失礼します」
俺は事務所を出ると、大きくあくびをし、目を擦りながら歩き出す。昨日は珍しく一睡もしていない……
夜中ずっと、氷の女王のようなアイツの母ちゃんの姿とその言葉が、頭の中でグルグルと回っていたのだ。
あの時突然、アイツのこれまでの転校生活についての話を聞かされた時の気持ち……あれは、何と表現したら良いのだろうか?
そう、一言で言うと……
青天の霹靂? 寝耳に水? 天変地異──??
いやいや違う、どれも俺の気持ちには程遠い。
……今考えれば、時々見せたアイツの世界の終わりのような表情や、冷め切った態度……何もかもに納得がいく。
あの母ちゃん相手に、アイツはたった一人、転校を繰り返しながら、どれだけの孤独感の中で生きて来たのか。
──私の願いは、ささやかなものだよ……
そう話した彼女の、深い海の底を見るような遠い目をした表情が思い浮かぶ。
アイツのささやかな願い。もっとしっかりと深く話を聞いてやれば良かった。
アイツはあの時、何かを言いかけたのだ。それを俺は……
俺はカバンの中から壊れた携帯電話を取り出す。アンテナを立てて上下に大きく振り、電源ボタンを力強く押してみる。
「これで……どうだっ……?!」
何も反応はない。大きなため息が漏れる。
「携帯使うと、番号って覚えないよなぁ……」
考えてみれば、アイツの電話番号はもちろん、住んでいる住所も俺は知らない。
「アイツの笑顔が見たいとか言って……俺はアイツのことを何一つ知らないじゃないか……」
アイツが心の奥深くに抱えた気持ちを、何もわかっていなかった……俺は一体、アイツの何を見ていたのか?
真実を見極めるだって? おい何だよ俺、口だけじゃないか……!
──お前の中で楽しいと思っているのか?
出会った時にアイツに投げかけた言葉だ。アイツの状況を考えたら、そりゃ楽しいわけがないだろう……
──いい?アニは頼り甲斐のあるアニキのアニ。頼れる探偵のボスだよ。
こんなカッコ良いコードネームをつけてくれたというのに……アイツは俺を本当に頼ってくれていただろうか?
「全く……探偵失格だよなぁ……」
俺は寝癖のついた頭を更にくしゃくしゃと搔きむしる。こんな気持ちは、人生で初めてだ。
「……これ以上悩んでもしょうがない、か」
俺はしばし青空を仰ぎ、そして苦労して稼いだアルバイト代の入った封筒を見つめる。
とにかくすべては、今夜の花火大会の席でアイツと会ってからだ。
あの特等席で一緒に花火を見て、そしてもっと深く話せれば……
そして、尺玉が開く時に2人で願えば──
俺は、特等席のチケット代の残りを払うため、封筒をジーンズのポケットに押し込んで歩き出した。
〜私のダイアリー〜
▶︎▶︎ 自宅
窓から差し込む朝の光の眩しさに、私はゆっくりと目を覚ました。
外では小鳥たちが楽しげにさえずり、朝の訪れを知らせている。
私はどうやら、机に伏せたまま寝てしまったらしい。
小鳥たちの声が、寝不足で疲れた私の心に少しだけ温かさを届けてくれる。遠くでポストに新聞を入れるバイクのエンジン音が、徐々に遠ざかる。
ささやかな日常の喧騒が、静かに朝の空気を満たしていく。
昨夜、あれからベッドに入ったもののとても眠れず、机の前に座ってアニからのメールの返信を待っていたのだ。
再び携帯電話のアンテナを立て、アニからの返信がないかメールチェックをする。
昨晩からこの作業をどれくらい繰り返しただろう?液晶画面には、見飽きるほど見た、「新着メールはありません」の文字──
「やっぱり……頼られたら迷惑だよね……」
思わず言葉が漏れる。
昨日アニは、学校を訪れた母から私の転校生活のことを聞かされたはずだ。
そして私からのメールを読み──きっと、重荷に思っているに違いない。何も話さなかった私に、失望しているのかもしれない。
メールの返事が来ないのは、そう言うことだろう。
今夜の花火大会も……もう行く理由なんてない。アニからの返事が来るはずもなく、こんな状況で私が花火を見に行けるわけがない。
私は、たまらず両手で顔を覆う。
当たり前だ……もうすぐに引っ越しが決まり、私はここからいなくなるのだ。
根拠のない奇跡を信じてすがろうとした。願い事が叶うと言われる帆船の花火。けれど…… 夢は一瞬で崩れ去った。
今までの繰り返しで学んだことを思い出さないと。そして現実を受け止めなければ……
「大丈夫。私は大丈夫……」
私は頬に伝わる涙を手で拭いながら目を閉じる。
この場所での特別な時間も、特別な思い出も、もうすぐ終わる。全てが、また一つの過去になってしまう。
痛い……この胸の痛みは何だろう…?
——もう、仕方ない。何も変わらない。
自分にそう言い聞かせる。
──でも、でももし、アニから返事が来たなら……?
ふと、携帯が震えた気がして、勢いよく手に取り……目を閉じて、そのまま机に伏せた。
──胸の奥に小さく残っていた僅かな希望が、静かに砕かれていく音がした。
〜俺のダイアリー〜
▶︎▶︎
「ですからお客様、お調べしました所、水没された携帯をそのまま使われていたと言うことで、これがまた故障の原因にですね……」
カウンターの茶髪のお姉さんは、身振り手振りで俺の携帯の状況を説明している。
総合すると、どうやら俺に新規契約を熱心に勧めているようだ。しかし、花火大会の特等席の代金で全財産を使い果たした俺に、その話は時間のムダでしかない。
そもそも浴衣姿の俺を見て、時間がないのがわからないのだろうか?俺は店内の時計をチラリと見る。花火大会の開始時間まで、あと1時間しかない。
俺はカウンターにぐいと身を乗り出し、壊れた携帯電話を取り上げる。
「で、お姉さん。結局、携帯電話のデータ復旧は絶望的ってことですか?」
「は、ハイ。残念ながら、お調べしたところ今日明日にどうこうできる状態では……それで、来月発売の新製品なんですけど……」
「ありがとう!お姉さんの熱意は十分伝わったよ」
俺は笑顔を作って見せ、携帯電話を持って勢いよく席を立つ。
──その時。
「お、ハンパボイルド!」
聞き慣れた声が聞こえた。野太い声と軽薄なそのセリフは……
「誰がハンパボイルドだ!って……えー?!
」
振り向くと逆三角形男の
俺は目を丸くして、満面の笑顔の嶋咲と水口を交互に見る。
「え?ちょっと」
「こんな所で奇遇じゃないか。もう、眼鏡の彼女と高額VIP席で仲良くしてるのかと思ったぞ。まさか振られたか?」
俺は嶋咲の丸太のように太い首に腕をかけると、水口に聞こえないように囁く。
「携帯電話が壊れただけだよ!ってお前いつの間に!」
「ははは、携帯が壊れたって不吉だな。ボクらの幸せパワーで浄化してやろうか」
「怖いこと言うなよ。心配すんな、これから特等席で待ち合わせだよ。お前らはなんでここに?」
嶋咲は俺の手を振り解くと、水口の腰に手を回して鼻を伸ばし白い歯を見せる。
「ボクらはお揃いのストラップを買いに来たんだもんねー♩」
「ねー♩」
「花火大会が終わったら、2人で小さい花火もやるんだよねー♩」
「ねー♩」
むず痒くなってきた俺は眼鏡を掛け直し、イチャつく2人に背を向けてさっさと店を出た。
懐から2枚の特等席チケットを取り出してしばらく眺め、そして花火の会場へ向かって歩き出す。
見上げた空は茜色に滲み、ひとすじの飛行機雲が長く延びていく。
──今夜、アイツの……笑顔に会えるだろうか……?
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