6月編4話 私のダイアリー ②


 アニはじっと私の顔を見つめたまま、何か言いかけて口をつぐむ。


 一瞬、真っ直ぐな彼の瞳が揺れたように見えた。


「……アニ?」


 気づけば、私は口を開いていた。


「……アニのご両親は、テストの結果に興味ないの?」


「あ、ああ、俺の親か……」


 アニは一瞬視線を泳がせてから再び私を見る。


「俺の所は共働きだからね、テストがあることも知らないと思うけどさ」


「そうなんだ、多分温かい目で見てくれているのね……」


「うん、いや……どちらかというと……」


「なに?」


「あれは温かいというより、生温かぁーい目だな」


──プッ!


 アニの言葉に思わず吹き出した。彼は私の様子を見ると、眼鏡を掛け直しニコリと笑う。


「そうそう……そう言えばさ、やっと見つけたよ、オマエが言ってた名探偵の7つ道具の1つ」


 彼は紅潮した顔でいそいそとカバンの中を探る。


「えっと……これこれ!」


 そう叫び、黒く光るフィルムカメラをおごそかに取り出す。


──そう、名案。カメラとか持ってると便利じゃない?──


 先日の消えたダビデ像探しにカメラは必要だと言ったのを思い出す。


 美術部の部員たちが、私たちが勝手に部屋に入るのを快く思っていないことは肌で感じていた。胡散臭うさんくさい目で見てくるのも当然だと思う。


 アニはそういう所は鈍感なのだろうか?


 私は、なるべく人とトラブルを起こしたくない……と言うよりは人と関わりたくない……ううん、そう……うん。


 度々美術室に行き、その度に嫌な目で見られるよりは、1回現場の写真を撮るほうが良い。カメラを使うことを思いついたのは、アニには悪いがそんな個人的な理由からだ。


「あ、カメラ。見つからないって言ってたけど、結局どこにあったの?」


「それがさ、参ったよ。灯台下暗しって言葉を今回の捜索で思い知ってさ」


「じゃ、やっぱりアニの部屋にあったの?」


「まぁ、謎は残るけど、何度も探したはずの押入れのダンボール箱の中からね」


「謎って……確か、1番最初に探した所でしょ?」


「そうだけどな……まぁいいや、見つかったワケだから。これからが楽しみだよな!」


 そう言うと彼は目を輝かせ、身振り手振りを加えて笑顔で話し続ける。私はその姿を目を細めて眺めながら、彼の声を心地よく聞いていた。


──これからが楽しみ……か。


 そう心の中で呟く。


 アニとこうして話している間だけは、テストの結果、母のこと、そして……毎日の定時連絡の恐怖を忘れていられる。


 この先……1ヶ月後も半年後も……1年経っても、ここで毎日を積み重ね、そう、卒業まで過ごせる……そんな錯覚を抱かせてくれる。


 それが出来たら……どんなに良いか。


 ふくらむ妄想は限りない。


 いつも想うこの気持ち。


 彼の笑顔を眺めながら、気づくと心地良い想いを積み重ねていく毎日。先月よりも先週よりも、この気持ちは日々私の中で強くなる。


──でも。


 今まで繰り返してきた転校生活……この流れがここで終わるなんて、あるわけがない。卒業までここには……いられないだろう。


──痛っ……!


 私の胸にズキンと痛みが走る。この痛みは、過去に味わったことがある。繋がり絆に変わると信じていたものが、突然ぷつんと千切れた時の痛み。もう傷付きたくはない。


──誰かを信じるって、怖くないか? もし信じていた人がそうでなかったら、何も残らないだろ。虚しいだろ?傷つくよ……だからもう、誰かを信じることはやめていたんだ。


 先日の美術部部長の立花先輩の言葉だ……


……それって、私と……同じだ…… 


 私はその時、彼の想いに共感できた。


 しかし先輩は、笑って続けた。


──でも俺は、考え直したんだ。身近に本当に信じてくれる人がいたからな。


 誰かを信じる……その先輩の言葉に再び胸が苦しくなり私は思わず目を閉じた。


 私はまだ……そんな勇気なんて……


──カシャ。


 カメラのシャッター音が聞こえた。


「?」


 我に返って見ると、アニが楽しそうにカメラをこちらへ向けていた。


「うん、良いね!ナイスショットだ」


「ナイスショットって……?」


「よく撮れた♪」


「えっ?今、私を撮ったの?」


「タイトルは、梅雨空の窓際で、1人何に想いを馳せる……かな?」


「ちょっと、やだ。今撮ったの見せて」


「コンデジなんて高価なカメラじゃないからさ、今すぐは無理だよ」


「変な顔してたよね?絶対……」


「良い顔してたよ、シャッターチャンスを逃さない俺ってカメラのセンスあるかも」


 得意げな彼の顔が輝いて見えて、思わず私は微笑んでしまった。気づけば、あの痛みもどこかへ消えかかっていた。


「ちゃんと撮るよって言ってよ、もう」


「わかったよ、写真屋で出来上がったら見せるからさ」


 そう言うと、アニは私に向けて再びシャッターを切る。


「ちょっと、アニ」


 彼の楽しそうな笑顔。


 アニと出会ってまだ少し。ただ、私は彼の無邪気な笑顔にいやされ、助けられていた。この笑顔が今の私の救いなのだ……


「前に言ったけどさ、お前もカメラは家にないの?」


「え?カメラ??……やっぱり、私もあった方が良い?」


「んと……」


「必要ない?」


「──ない?って、お前も探偵部だろ?ほんとに自覚あるのか?」


「あるよ、一応……」


「いや、形から入ったらさ、気分も上がるんじゃないかってさ」


「──形からって……気分上がるもの?」


「そりゃ、上がるよ絶対!」


 そうだ、私もカメラを探すはずだった。ダビデ像事件もそうだけど、テストの結果ばかり気にして忘れていたが……


 私は目の前のまるで小学生のように頬を火照らせてカメラを構えたアニを眺める。


 うん、私の気分が上がるなら。そして、この無邪気な笑顔がまた見られるなら──


「……じゃ、ちょっと持ってくるね」


 私の胸に、ズキンと痛みが走る。


「ん、どうした?」


「あ、うん。なんでもないよ」


 過去の苦い想いが、再び私に警告音を鳴らしてくる。人を信じる……いや、傷つきたくない。


 でも……今は。今だけは……


 私の言葉にアニは満足そうに大きく頷くと、テンションが上がったのか、突然こちらに身を乗り出した。


 あ…顔近っ……


 私は一瞬固まり、さりげなく椅子を後ろにずらすと眼鏡を掛け直す。


「──お、何聴いていたんだ?」


 アニは、机の上のMDプレイヤーを興味深そうに見つめている。


「これ?……いつも聴いているの……その、私の気分が上がる曲」


「おぉ、お前の気分が上がる曲?」


「そう、時々聴くの」


 彼はちょっとの間私の顔を見つめてから、したり顔でゆっくりと頷いた。


「そうか、お前の、心地よい世界ってやつか……」


「……!」


 その言葉にハッとする。


 お前の心地よい世界……私の世界……?



──ねえ、どんなに無関心なふりをしてても、本当は誰かに見ていてほしい……自分をわかって欲しい。そういう気持ち、あなたにはない?


 美術部の綾乃あやの先輩の言葉だ。


 そんなこと──あるわけない。あの時は即座にそう思った。


 しかし……


 私はアニをじっと見つめた。彼の無邪気な笑顔に、少しだけ胸が痛む。


 ──「つばめちゃんは……悠真ゆうまと似ているな」


 綾乃先輩の言葉が、さらに胸の奥で揺れた。


 本当は、先輩と同じように誰かに見ていてほしいのかもしれない。けれど、それはきっと叶わない。信じて、裏切られて、傷つくくらいなら……最初から何も渡さないほうがいい。


 そう思っていたはずなのに。


 気づけば、私はイヤホンのコードを指でなぞっていた。その細い線の先に、淡い希望を繋げるかのように。ふと、その仕草に自分で気づいて、思わず指を止める。


……なにしてるんだろう、私。


 そう思った瞬間、自然と言葉がこぼれ出た。


「アニ。……聞いてみる?私の世界」


「え?」


 そう口にした自分に、ほんの少し驚く。けれどもう引っ込みがつかない。私はそっとイヤホンを差し出し、もう一方を自身の片耳にはめる。


 突然差し出されたイヤホンに彼もまた少し驚いたようだが、頬を緩めて頷き、片耳にそれを差し込む。


 イヤホンのコードに引っ張られ、少しだけ私たちの距離が縮まる。


 片肘をついてMDプレイヤーの再生ボタンを押す。微かな起動音、そしていつもの曲が始まった。


 お気に入りの曲、私の気分が上がる音。

 

 私の音……私の世界。


「ん、これ、良い曲だよな。センス良い」


 彼の指がリズムに導かれるように、軽やかに動き出し、机の上をタップし始める。私も無意識に曲のリズムに合わせて指を踊らせた。


 タップする2つの音は、いつの間にか1つの世界を作る。


 外は相変わらずの雨。窓には、雨のしずくが星のように一つ一つ輝きながら弾けて流れていく。


 私たちは短い間ではあったが、同じ世界のリズムを刻み、優しく穏やかな調和をかなでていた。



 俺のダイアリー 6月編5話へ続く。

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