第8話

 神宮寺怜子―祓戸神社の娘にして、逢坂さんの幼馴染。貼り付けられたレッテルの裏に、時たま見せる優しさをもつ人。


 杵村舞夏―クラス委員長を務める優等生。社交的に見えて、実は独りが好きという、ミステリアスな一面をもつ。創作で悩む俺に、欲しかった言葉をはじめてくれた人。


 星ノ原菜摘―引っ込み思案で照れ屋だけど、他人思いの優しさと、一歩を踏み出そうとする勇気を秘めた人。


 逢坂音羽―俺の、相沢万里の、好きな人。


 この四人の少女から、一人、神への生贄が選ばれる。


 「そんな…嘘、だろ…」

 突き付けられた現実を、俺は受け止め切れずにいた。なぜ、どうして、よりによって彼女たちが?


 取り留めのない思考が、頭の中を飛び回る。まるで、そうした困惑で頭を埋め尽くすことで、「絶望」の二文字が表出することを、必死で抑えているかのように。


 「相沢」


 蒸し暑い空気に一閃、涼やかな声がした。


 「私は、杵村舞夏と星ノ原菜摘という少女を知らない。しかし君の反応を見るに、この二人はウチの高校の生徒かね?」

 先輩の冷静な分析に、俺はこくり、と頷いた。

 「はい…。二人とも、俺と逢坂さんと同じクラスです」

 「そうか。では、接触の機会を持つのは難しくないな」

 そう言って、腕を組んだ先輩が満足そうに頷いた。それを見た俺は、言い表しようのない激情を胸に覚えた。

 「神宮寺先輩は、なんでそんなに淡々としていられるんですか…っ!逢坂さんや、杵村さんたちもそうだけど、先輩自身も、生贄の対象なんですよ⁉」


 思いのままに言葉を吐いた。すると先輩の目つきが、一気に鋭さを帯びたものとなった。


 「そんなこと、君に言われなくとも分かっている。だからこそ、私は冷静でいなくちゃいけない。私が焦れば最後、君も音羽たちも、神に殺されるその時を、黙って待つしかなくなる」

 「…っ」


 たしかにそうだ。神宮寺先輩が夢でお告げを受けなければ、そして俺にそれを話さなければ、逢坂さんたちが死の運命にあることなど、知る由もなかった。


 いわば、神宮寺先輩はキーパーソン。彼女なしに、救いはあり得ない。


 「いま私たちにできることは、嘆きでも祈りでもない。考えるしかないんだ。この運命から、逃れる方法を。…行くぞ相沢、ついてきたまえ」

 「…はい」


 力強く歩き出した、先輩の背中を追って、俺は一歩を踏み出した。


 大きな石垣と、その上に茂る山々に囲まれた道を歩く。木の葉のざわめきと、しきりに鳴く虫の声が辺り一帯を包んでいる。眼下には、国道沿いに立ち並ぶ住宅街やコンビニの、ほの明るい光が見えた。


 視線を戻す。俺の前を歩く先輩の背中は、すうっと綺麗に伸びていた。夕焼けの光を乗せた長い髪が、さあっと吹いた風に美しくなびいた。風の行く先に目をやる。昔ながらの木造家屋が、静かに佇んでいた。そして、前を向いたその時。


 「一年ぶりだ…」


 俺は声を漏らした。ようやく、祓戸神社の鳥居が目に入った。


 「相沢は、去年の祭りには行ったのか?」

 神宮寺先輩が振り返った。

 「はい、友達と。先輩は、逢坂さんと屋台を回ったんでしたっけ」

 俺の言葉に、先輩はむっとした表情を作った。

 「なぜ君が、それを知っているのかね」

 「逢坂さんから聞きました」


 俺が答えると、先輩は「そうか」とだけ言って、また前を向いた。


 「でも、私の家に入るのは初めてだろう?」

 石造りの階段を昇り、鳥居をくぐった先輩が言った。

 「そりゃもちろん。先輩の家に用事なんてあるわけないですし。大体俺たち、昨日まで一度も話したことなかったんですから」

 「たしかにそうだな。まあ私は、昨日よりもずっと以前から、君のことを知っていたがね」

 「は…?」


 意味深な発言だ。知っているか否かなら、俺だって先輩のことは知っていた。ただ、それは先輩が有名人だからだ。反対に、周囲から見た俺という人間は、影の薄い一人の高校生にすぎない。そんな俺を、どうして先輩は知っていたのだろう。そういえば、神隠しの件を俺に話したのも、「君にしか果たせない役目と判断した」からだと言っていた。


 …先輩の中で、俺という存在は、一体なんなのだろう?


 「おい、どうした」

 「あっ、いえ!なんでもないです」


 俺は慌てて背筋を正した。気づけば、目の前に大きな家が佇んでいた。二階建ての木造家屋。田舎のおばあちゃん家みたいな、古めかしくもノスタルジックな雰囲気を放っている。


 「……」


 俺は、神宮司家の玄関ではなく、境内の奥に鎮座する本殿を、無言で見つめた。

あの場所に宿るのが、祓戸神。つまり、逢坂さんたちの命を奪おうとする者が、今、視線の先にいる。…神じゃなくて人間だったら、この場でブン殴ってやるのに。


 歯がゆい思いを噛み締め、前に向き直る。先輩が、からからと音を立てて、扉を開けた。


 「お邪魔します」

 先輩の後に続いて、軽く会釈してから中に入る。玄関は広く、靴を脱いで床に上がると、懐かしいヒノキの香りが鼻腔をくすぐった。

 「そこの部屋で待っててくれ。私は飲み物を用意しよう」

 「あっ、ありがとうございます」

 先輩は奥の廊下に消えていった。俺は、先輩が指し示した襖を、がらりと開けた。

 「すげえ…」


 そこには、畳が広がっていた。やたらと広い空間の真ん中に、長机がぽつんと置かれている。開いた障子からは、夏の斜陽が伸びていた。


 「写真撮っていいかな…」

 作家志望として、ぜひともこの、和の美しさが詰まった光景を、カメラに収めたかった。右手が勝手に、ポケットの中のスマホに伸びる。

 「なんだ、まだ突っ立ってたのか。そこに座ってくれよ」

 「え⁉あ、ハイ!スミマセン!座ります!」


 いつの間にか背後にいた先輩に、俺は全力でビビり散らかした。「…?」と訝しげに目を細める先輩。俺は「えへへ」と誤魔化して、長机の前に腰をおろした。


 「君はなんだ、わりとアレだな」

 お盆から机上に湯呑を移しながら、先輩が口を開いた。

 「挙動不審、ですか?」

 「…わざわざ濁してやったのに」

 「先日、他の人にも言われたものでして」

 杵村さんとの会話を思い出す。盗撮と創作、どっちが奇行かな?


 「では、本題に入ろうか」


 先輩が言い放った。座布団に座り直した俺の背筋に、ぴんと力が張った。


 「神隠しに遭うかもしれない少女たち、全員の正体が掴めたところだが…昨日私が話した、『キラめき』のことは覚えているかね」

 「もちろんです。命の燃料のことですよね。神はそれを欲して、逢坂さんたち四人の中から、誰かを…」


 自然と俺の声が落ちた。すると、小さく咳払いをした先輩が、代わりに口を開いた。


 「その通りだ。つまるところ、神は私たちの『キラめき』を求めているのであって、私たちの肉体や、命そのものを奪おうとはしていない」

 「…どういうことですか?」


 今の先輩の物言いは、どこか妙だった。俺はそれに眉をひそめた。


 「普通、キラめきを全て失うと、私たち人間は死ぬしかなくなる。ガソリン切れの車が動かなくなるのと、同じ理屈でな。仮に四人の中から、私が生贄に選ばれたとしよう。神にキラめきを根こそぎ奪われた私の身体は、生命活動を停止して、やがて死に至る。…だがもし、命を維持するだけのキラめきが、私に残されたとしたら?」

 「神が食べ残しをした時ってことですか?でも、そんな都合良く、致死量にならない程度のキラめきしか奪わないなんてこと、あり得ますか?」


 そもそも神は、少女一人の命をもってして得られるだけのキラめきを欲しているから、「神隠し」によって、まるごと少女をさらっているのではないか。


 「いや、おそらくあり得ない。少女一人の命と等価分のキラめきを得て初めて、神は満足するだろう」

 「じゃあ、どっちみち死を免れるのは…」

 「不可能、ではないぞ。いいか相沢、人生において大切なのは、『不可能を可能にする』ことではなく、『可能を不可能と思い込まない』ことだ」


 先輩が、ぴん、と長くて綺麗な人差し指を立てた。


 「でも、それじゃ一体…」

 「簡単なことだ。私たち四人から、それぞれ、少しずつキラめきを集めればいい。一人分のキラめきを、四人で出し合えばいい」

 先輩が言った。その顔は、ほんの少し得意気だった。

 「なるほど…。それはたしかに、名案ですね」

 「だろ?神はわざわざ、候補を四人に広げてくれた。そしておそらく、この四人は常人よりも多くのキラめきを有している。四等分すれば、誰も死なせることなく、神を満腹にさせるだけの量は集まる。私たちのやるべきことは、神が生贄を確定させてしまう前に、集めたキラめきを差し出すことだ」


 そこまで言って、先輩は、包むようにして湯呑に触れた。くいっ、とお茶を仰ぎ、静かに机に降ろした。


 「流石っすね、神宮寺先輩」

 俺は、細く息を吐き出した。噂に違わぬ頭脳に、素直に驚いた。

 「だけど、キラめきを集めるって、具体的にどうやるんですか」

 お茶に手をつけるでもなく、俺は、先輩の顔を真剣に見つめた。すると、先輩の瞳が、ほんの一瞬だけ、小さく揺れた。

 「キラめきを発現させるには、『生』に対して強い想いを抱かなければならない。当人にとっての生きがいや、希望を見つけて、心の底から『生きたい』と思った時にしか、キラめきは現れない」

 「それを俺が、逢坂さんや神宮寺先輩たちに…」


 俺は、力のない声で呟いた。正直に言って、自信がなかった。そもそも俺は、誰かを𠮟咤激励できるほど、立派な人間ではない。だからと言って、他人の人生に干渉したくないわけでもない。実際俺が小説を書くのも、物語を通して誰かに、ささやかな勇気や希望を与えて、一瞬でも前を向こうと思わせてみたい、と願ったからだ。かつての俺が、そうだったように。


だけど俺は、そんな風にして全力で作った小説でも、まだ誰の背中も押せてあげられていない。地面を這いつくばって、今も、孤独と焦燥に苦しんでいるだけだ。そんな俺に、果たして何ができるだろう。


 「不安か?」

 先輩が尋ねた。

 「はい、正直…」

 本音を漏らした俺に、先輩は優しい言葉を掛けてはくれなかった。

 「頼み込む立場とはいえ、これだけは言わせてもらう。やる前から諦めるなんて、それでも男か。世の中にはな、挑戦する機会にすら恵まれない人もいるんだぞ。踏み出したくても、進む道すら用意されていない人は…どうなる?」


 厳しい言葉だった。そして、すごく実感のこもった言葉だった。先輩を見る。なぜだろう。言われた俺より、言った先輩のほうが、辛そうに顔を歪めていた。


 「すみません…俺が馬鹿でした」

 「謝る必要はない。ただ、そういう存在もあることを、知って欲しかっただけだ」

 先輩が首を振った。そして、おもむろに立ち上がった。

 「あの、どこ行くんですか?」

 「少し待ってろ。君に、力を授ける準備をしてくる」


 意味不明な言葉を残して、先輩は畳を後にした。力を授けるって、一体どういうことだろう。

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