着ぐるみパラダイスへようこそ

ロックホッパー

第1章 美少女着ぐるみ

 壁の時計が、カチッ、カチッと時を刻む。

 紺のビジネススーツにショートヘヤー、少し小柄で、いかにもOLといった女性、木隅きすみ留美は小さな会議室の折り畳みテーブルに座り、静かに腕を組んで、目の前に光景に絶句しいていた。

 「これ、どういうこと・・・」

 会議室の片隅に広げられたブルーシートの上には、空になった段ボール箱と、無造作に広げられたピンクのドレス、肌色のタイツのようなもの、そしてなによりも何かのキャラクターのマスク、いわゆる美少女着ぐるみが用意されていた。マスクには金髪の三つ編みのかつらがついていて、アルプスの山村の写真に出てくる少女のようなイメージだ。どこか記憶の片隅にあるキャラクターではあるが、何のキャラクターかまでは思い出せない。

 「これを着ろと・・・なぜ・・・」

 留美の脳裏には、先ほどから答えのない質問が繰り返えされていた。

 つい数分前、「これ着ておいてね。自分じゃ無理だったら後で手伝うから・・・」。

 背の高い、人の良さそうなスーツの女性は明るく言い残して、「ちょっと用を済ませて来るから」と部屋を出ていった。着ておいてねと言われて、はい、そうですか、と素直に着られるような衣装ではない。

 「そもそも、なぜ私が着ぐるみを着る必要があるのか・・・」


 遡ること、先週の金曜日、留美は雑居ビルの1階の雑然とした事務所にいた。あちこちから電話の呼び出し、会話が聞こえ、どの机の上にも書類が雑然と積み上げられ、パソコンがファイルと書類に埋もれている。これでタバコの煙でもあれば、典型的な昭和の事務所の風景だ。

 留美は受話器を肩と頭ではさみ、片手で伝票を押さえたまま、反対の手で書類の山に半ば覆われたキーボードを叩いていた。

 「だからー、注文したのは2000個なんですけど、1000個しか来てないんですよ。話、聞いてますかー。」

 髪はセットした後はあるが、イライラすると髪をかきあげる癖のせいでかなりボサボサになっている。何より、グレーのズボンに、グレーのジャンパーの制服というなんとも地味な格好で、留美は電話口で格闘していた。

 「今月、発送ミス2回目ですよねー。エアーで飛ばしてもらえます。エアーですよ、エアー。空気じゃなくて・・・。そうそう、飛行機。いいですか。じゃ、よろしく!」

 留美は半ば叩きつけるように受話器を置いた。

 「ルミちゃん、どうしたー?また、中国の部品メーカー?」

 向かいの席に座った先輩の岡野は留美に尋ねた。会社に入って5年目の留美と年齢は大差ないが、無精ひげで小太りのため10歳ぐらいは上に見える。留美と同じ上下グレーの作業服のせいか、一層若々しさが削がれている。相変わらずちょっとなれなれしいな、と思いつつも、誰かに愚痴らないと留美は気が済まなかった。

 「そうなんですよ。もう腹が立つ。だいたい日本語もかたことで、おまけに、やるやる詐欺なんで、始末が悪いんですよ。今月2回目ですよ。来週、ちゃんと部品来ますかねー」

 「まあ、大丈夫なんじゃない。今度だめだったら、課長が切るって先方に言ってたから。」

 留美には気休めにしか聞こえなかったが、まあ、ダメな場合はダメだ。


 留美の入社面接の申し込み先は従業員10万人を超す規模のグループ企業だった。留美は、出身大学、他の会社からもらった多数の合格通知から、当然、本社に入れると思い込んでいた。そのおごりからか、外国語科を卒業したくせに英語が苦手だった留美は、苦し紛れにアジアでのビジネスに興味があると言ってしまった。この一言が運悪く尊重されてしまい、本社ではなく、アジアからいろいろな部品や商品を仕入れる小さな子会社に入ることになってしまったのだった。

 予想通りアジアの取引先は、日本語と少し英語が話せれば商談はできた。日本にものを売ろうとする海外会社の営業はかたことの日本語はしゃべれるので、英語、ましてや現地語を話す必要はない。

 しかし、英語がいらないとは言え、なによりアジア特有の、責任感のない、いいかげんな約束をする取引先にも、また、この会社の社員のレベルの低さにも、留美はうんざりしていた。グループ企業としてはなかなかの規模だし、面接会場や、面接官もきちんとしたものだった。しかし、子会社に配属された途端、その雰囲気は全く異なっていた。そのあたりの個人企業と変わらないのではないかと思えてしまう。上から下までみんなどこかいい加減。口調はなれなれしいし、体に触ったりこそないもののセクハラ発言は普通だし、全体にゆるーい空気が流れている、ぬるま湯のような事務所だった。本来なら、グループ企業の本社の摩天楼の、天井から床までガラス張りの会議室で、かっちりしたスーツに身を包み、自分で世界中から情報を集めて市場調査を行い、緻密に企画したプロジェクトの資料を、100インチのディスプレイに表示して、一流大学を卒業した全員やり手の社員に向かって説明し、プレゼンを展開する、これが自分のあるべき姿だといつも夢見ていたのだった。


 留美が何度繰り返したかわからない思いをまた繰り返していたところ、窓を背にして座った課長が声を掛けてきた。

 「ルミちゃん、ちょっといいかなー」

 「なんですかー」

 もう、忙しいのにー、という言葉は飲み込んで留美は席を立った。そもそも、みんな「ちゃん」づけはいかがなものか、「木隅きすみさん」だろ。まあ、入社当初は「キスミー、ルミ!」が酒の席での定番になっていたので、だいぶましにはなったが・・・。さすがこの会社。いい加減。まあまあ慣れたとはいうものの、いつまでもこの違和感にはついていけなかった。


 「ルミちゃん、プランニングに行きたいって希望してたろー。来週からGBプランニングっていう本社の部署に転勤になったから。良かったねー、希望がかなって。事務所は本社だけど、初日にはどっかのホテルでプレゼンがあるから直行してって。」と、みんなにも聞こえるように大きめの声で話して、課長は留美に転勤先が書かれたメモを渡した。

 「送別会は月末の締めが終わってからやるから、そのときはまた来てね。みんなもいいね。それと、今日中に引継ぎよろしくねー。それと辞令は後で送るから・・」

 事務所からはパチパチパチとまばらな拍手が沸いたが、月末で手が離せないのと、このような転勤はしょっちゅうなので、みんなの興味はその程度だった。本社は隣町にあり、転勤というほど大袈裟なものでもない。しかし、辞令を後で送るからーって、いったいどういう神経をしているのだろうか。そもそも、誰に引き継げばいいんだ。まあ、そういうことはいい。とりあえず、この昭和の職場から脱出はできるようだ。

 「わかりましたー。今までありがとうございましたー。」

 課長のしゃべりがあまりにあっさりしていたせいか、同じのりで返事をしてしまったが、留美は、あこがれの本社の、しかも企画部門への転籍という願いがかなったことが徐々に実感できてきて、席に戻るときは小さくガッツポーズをしてしまっていた。

 あっけなく希望が叶ってしまった。希望も出してみるものだ。これで、このぬるま湯のような事務所から逃れて、来週からは天空のオフィスなのだ。留美は、にやにやしているのが周りにさとられないよう、うつむいて定時までの事務所での最後の時間を過ごした。もちろん、引継ぎなどやっていない・・・・。後は野となれ山となれだ。


 そして、わくわくして眠れなかった週末が明けた月曜日の昼下がり、メモに書かれた会場に着いて案内されたのがこの控室だった。入り口には「GBプランニング 様」という張り紙があった。課長から渡されたメモにはグローバルビジネスプランニング課と書いてあったので、間違いはなさそうだった。今日はいったい何のプレゼンがあるのだろうか、留美は初のプロジェクトの仕事に胸を躍らせて部屋に入っていった。


 そして今、この着ぐるみが広げられた部屋の中で一人固まっているのだった。


 ドアをノックする音で、留美の堂々巡りは中断した。

 「やっぱり一人じゃ無理よねー。こんなの着たことないでしょ、普通。」

 返事もしていないのに入ってきたのは、先ほどの女性だった。

 「自己紹介が先だったわね。私は同じ課の川島です。課の経理とか総務全般をやってるの。といっても、課長入れて5人しかいない課なんで、何でも屋かしら。あなた6人目ね。えーっと、そこのTシャツとスパッツに着替えてから、タイツ着て。背中のチャックは上げてあげるから・・・」

 川島は、留美が混乱していることには気が付かないらしく、まくしたてた。留美はかろうじて質問を返した。

 「今日は何かプレゼンがあるって聞いたんですけど、何のプレゼンなんですか。この衣装との関係が分らないんですけど。」

 「あー、今日は、なんか、新しい乳酸菌で作ったヨーグルトのプレゼンがあるって課長言ってたなー。この娘はそのイメージキャラクターなのよ。アルプスの少女って感じでしょ。いつも思うけど、なんかのパクリよね。」

 「いや、あのー。で、なんで私がこれ着ることになっているんですか。」

 「あら、抵抗ある。顔見えないし、プレゼンターの後ろで商品の入ったかごを持って立っとくだけだから、簡単よ。ちょっとマスクが息苦しいかもしれないけどね。まさか、閉所恐怖症じゃないよね。」

 「そんなことないですけど・・・」

 で、なぜ留美が着ることになったのか、もう一度聞くかどうかためらっていたら、川島が続けた。

 「こういうのね。身長と、体形が重要なのよ。ほら、私みたいにでかいと圧迫感あるでしょ。あなたみたいに、小柄でスリムなじゃないとだめなのよね。前任者が交通事故にあってね、足折っちゃって、欠員ができたところで、ちょうどあなたがうちを希望していたから、渡りに船だったってわけ。」

 あー、それで、あっさり決まったのかと、留美はスーツを脱ぎ、スパッツとTシャツに着替えながら、少し納得した。いやいや、待て!身長と体形?そんな理由なのか。学歴とか、業務実績とか、勤務態度とかではないのか。そんなので転勤になるなんて・・・。留美は何か嫌な違和感を感じながら、タイツに挑んでいた。タイツは肌色でやや厚手のジャージのような素材だ。部屋にはエアコンが入っていて快適ではあるが、このタイツを着て、ドレスを重ね着するとさすがに暑そうだ。

 「あ、先に頭にこれ被って。」

 川島は、背中のチャックを上げながら、肌色の頭巾のようなものを手渡してきた。

 「これ、面下って言うのよ。髪の毛見えたら幻滅だし、チャックで髪挟むと面倒だから・・」

 留美が面下を被ると顔だけが露出したもじもじ君のようになった。当たり前だが、体の線がもろに出る。

 「木隅さん、体引き締まってていいわねー。あー、そういえば空手やってるって、異動願いに書いてたわね。こんなになるんだ。うらやましいな。年取ると脂肪が回るのよね。毎日、お酒もおいしいし・・。あー、それと呼び名はルミちゃんでいいかな。キスミさんって言いにくいしね。あ、続けて読んだら、キスミールミ!か。なんか、楽しいわね。」

 川島は、半笑いで、肌色のもじもじ君になった留美を、上から下になめ回すように眺めていた。

 「えー、空手じゃなくて、空手エクササイズなんで、戦ったりはしないんですけどね。」

 留美は、週末に1、2日運動不足解消、いや、ストレス発散のために空手エクササイズに通っていたのだ。戦ってはいないと言ったものの、サンドバック相手に正拳付きや蹴りを入れると、日常のぬるま湯事務所のもやもやが払拭されるのだった。しかし、本社に来た以上、もう空手エクササイズに通う必要はなくなるのかもしれない。なんといってもあこがれのプランニングなのだ。留美は、若干の違和感を払拭するためにも自分に言い聞かせた。

 川島はピンクのドレスを取って、留美に着せてくれた。思った通りやや暑い。そして、真っ赤なエナメルのヒール、最後にマスクだ。留美はマスクをしげしげと眺めた。正面から見ると、アニメに出てきそうな美少女なのだが、裏側をのぞくとスポンジだの、ストラップだの、補強のためか何か網のようなものを張り付けた後などがあり、いかにも張りぼてといった感じだ。

 「ちゃんと手入れして、消臭剤かけてるから大丈夫よ。それ被ったら、ストラップ付けてあげるから、ちょっとあご上げてね・・」

 消臭剤って・・・、なにか臭いのか。留美はにおいを嗅いでみたが確かに消臭剤の効果は出ているようだった。留美はマスクに一体化している髪の毛を避けながら、慎重にマスクを被った。そして、マスクを被り終わって、目の位置を合わせようとした、まさにその時、それはやってきた。


 留美は、一瞬気が遠のいたように感じた。マスクを被った後はのぞき穴から外が見えるはずだったが、その光景は全く違うものだった。マスクの感覚はなく、留美は控室の全体を見渡していた。全体的に、もやがかかったような感じだが、そこには、まさに留美が今着ているアルプスの少女の着ぐるみと川島が立っていた。そして、さらにそのすぐ横には見知らない男性が着ぐるみに対面して立っていた。60歳くらいだろうか、恰幅がよく、スリーピースで、髪の毛はポマードで固めているのかギトギトしてる。どこかの社長といった感じだ。金縁メガネがいかにもお金持ちといった様子だった。

 金縁メガネの男性は着ぐるみの両肩から腕を両手で触りながら、話し始めた。

 「いやー、やはりこういう体形の女の子が着てくれるとキャラクターが映えるねー。商品も引き立つというものだよ。はっ、はっ、はっ・・・」

 「はい。私なんかが着ると、逆に怖いですからねー。」

 川島は笑顔で答えていた。一方、川島から見えない位置で男性の手はあろうことか着ぐるみの背中側に移動して、さらに尻をなで始めていた。着ぐるみは何も言わずに、居心地が悪そうもぞもぞしている。何やってんの、やめて、留美は声にならない声を上げた。いや、しかし、自分が触られている感じはしない。いったい何が起こっているのだろうか。


 「大丈夫?」

 気が付くと、マスクの視界の悪いのぞき穴から、川島の心配そうな顔が見えていた。

 「一瞬、反応がなかったけど、もしかして臭かった。ちゃんと消臭してたんだけどね。ストラップ締めるから、あご上げて。」

 「あ、すいません、大丈夫。臭くないです。」

 留美は答えながらあごを上げた。先ほどの光景は一体何だったのだろうか。着ぐるみは間違いなく、今着ているものだった。だが、この部屋には川島とふたりっきりで男性などいない。いわゆる白昼夢というやつだろうか。川島は、一瞬と言っていたので、何かのドラマの記憶とごちゃごちゃになって幻想が湧いたのかもしれない。それにしては鮮烈な幻想だった。あのいやらしいおじさんは誰だろう。何かえらそうにしていたが・・・。

 ただの社員の留美にとっては、グループ企業は大きすぎて、どんな部門があるのか、何をやっているのかさえ、すべて把握することは難しかった。ましてや、数多ある部門のえらいさんの顔は知ろうはずもない。


 着替えが終わり、マスクの狭い視界にも、息苦しさにも慣れてきたとき、ドアがノックされた。

 「はい、どうぞ。」

 川島が明るく答えると、ドアが開き、恰幅が良い、背広の男性が入ってきた。

 「あっ!」

 留美は思わず小さく声を上げた、ドアには先ほど見た幻想の金縁メガネの男性が立っていた。男性は留美の声には気づかず、川島に話しかけた。

 「いやー、川島さん、今年も頼むねー。毎年、好評なんだよ、この発表会。バイヤーからも着ぐるみがかわいいって評判だしね。まあ、商品じゃなくて、そっちかー!って、突っ込むところだけど。うーん、今年もかわいいね。なんか前の人が事故にあったんだって。大丈夫だった。」

 「はい、命に別状はないんですけど今は入院中です。足首を骨折してて、当分はびっこひくらしいんで、この仕事は難しいかなー、って言ってました。」

 「そう、大変だねー。今までお世話になったから、お大事にって言っといて。でも、今年も大丈夫そうだね。後釜、よく探せたねー。」

 「はい、たまたま、希望者がいて。」

 会話の流れからは、それほど悪い人ではなさそうだった。多分、偉い人だろうから、ここで自分を売り込んでおかないと、と留美は思い、割り込んだ。

 「私、木隅留美と言います。今日からこちらに配属されました。今後ともよろしくお願いします。」

 マスクの中で普通にしゃべったため、音が反響してうるさい。男性は留美の前に近寄ってきた。来るか、留美は身構えたが、肩や腕、ましてやお尻を触られることなく、視界の外で手が握られているのが感じられた。男性は握手をしたかったらしい。

 「こちらこそよろしくね。毎年お世話になっているからね。顔も見たかったけど、また、マスクを外した時にちゃんとあいさつするからね。それじゃ、ステージで。」

 男性は、握手をしたら、さっさと出ていった。デジャブなのか。いや、マスクを被ったときに確かに幻想を見た。デジャブではない。そして、さっき見た幻想とは違って、お尻を触られることもなく、握手だけで去っていった。なぜ、違うのか・・・。一体なんだったのだろう。疑問は残ったが、留美にはそれを考え続ける余裕がなかった。


 「そろそろ、行くわよ。」

 川島に手を引かれ、留美は廊下に出た。そして何分か歩いたところで、大きなホールのステージの片隅に立たされた。手には、ヨーグルトが何個か入った、木で編んだかごを持たされた。

 マスクの狭い視界からは、先ほどの男性が入って来るのが見えた。やはり、どこかの偉いさんなのだろう。男性は、ホールに座った大勢の人に対して、乳酸菌がどうのこうの、売り上げがどうのこうのと、新製品のアピールを始めた。留美は、ステージの隅に立っているだけで、何かの動きを要求されるわけでもなく、確かに簡単な仕事ではあった。どうもこれがプレゼンのようだが、留美が異動前にイメージしていたものとはだいぶかけ離れたものであった。


 プレゼンは15分程度で終わり、質疑応答の後、留美はまた川島に手を引かれて控室に戻っていった。

 「さっきの人はどこの部門の人ですか」

 留美は、ようやくマスクを脱がされて、汗びっしょりとなった顔を渡されたタオルで拭きながら川島に尋ねた。

 「うちの部門じゃなくって、うちにいつも依頼してくれる乳製品の会社の社長さんよ。」

 「え、グループ会社の人ですか。」

 「違うわ、まったくの別の会社の人よ。」

 留美は今一つ状況が理解できず、続けた。

 「じゃ、うちって他社の企画までやるんですか。」

 今度は川島が不思議そうな顔で聞き返してきた。

 「いや、企画はあっちの会社が自分でやっているわよ。うちはそんな能力ないし・・」

 留美は、どうも話が食い違っているようが気がして続けた。

 「え、うちってプランニング部門ですよね。社内のビッグプロジェクトの企画とかするんですよね。」

 「そうよ。今回のような製品の発表会とか、イベントとか、大きなコンサートのプロジェクトの企画とかするわよ。まあ、社内のビッグイベントはだいたいうちが仕切ってるわね。」

 「ん、仕切ってる?・・・」

 留美は、言葉の意味が理解できなかった。「仕切る?」やはり、何か話が嚙み合っていない。企画ではないのか。川島が続けた。

 「ま、うちはイベントプランナーだからね。」

 「え?」

 なんだと!留美は言葉を飲み込んだ。留美は大きな勘違いをしていたことに気がついた。どうやら、ここは摩天楼で会社のビッグプロジェクトを企画する部署ではなく、あちこちの会社のイベントの企画をする部署なのだ。

 「この会社はお得意さんで、今回も、会場押さえから、司会、会場の飾りつけ、ホテルとの打ち合わせ、うちが一手に引き受けたの。うちは大きな部署じゃないから、貴重なお得意さんなのよ。」

 やられたー、プランニング希望と書いたのは自分だ。確かにプロジェクトのプランニングも、イベントのプランニングも、プランニングには違いない。しかし・・・。

 留美は心の中の摩天楼ががらがらと崩れ去っていくのを感じた。


 「お疲れさん。はじめまして、木隅さんだね。ようこそ、GBプランニングへ。いきなり現場ですみませんでした。課長の豊田です。これからもよろしくお願いします。」

 いきなりドアが開いて、40歳くらいの男性が入ってきた。背広は着ているが、なんとなくラフで、さっぱりとした感じだった。

 「課長、いきなりドア開けたらだめですよ。あわよくば、留美さんの下着姿を見ようと思っていたでしょう。セクハラで訴えますよ。」

 川島が間髪を入れず、切り返す。

 「あー、すまん、すまん。その気が全くないことはないが、終了直後だから大丈夫かなーって思って。」

 「だから、そういうギリギリの線を狙ったらだめですって。営業2課の課長さん、懲戒喰らったらしいですよ。課長も気を付けないと・・・」

 「え、そうなの。やばいねー。わかった、わかった。木隅さん、初仕事どうでした、うちってこういう仕事が多いんですよ。特に、木隅さんの場合、結構着ぐるみの仕事があると思います。ちょっと、思っていたのと違いましたか。でも、すぐ慣れますから。」

 「はあ、よろしくお願いします。」

 留美は、現状の理解についていくのがやっとで、辛うじて挨拶だけは返すことができた。いや?着ぐるみの仕事だって、この人は何を言ってるんだ、留美にはますます疑問しか残らなかった。しかし客観的にみると、やはり本社は本社のようだ。とっさに留美の怪訝な表情を読んで言葉を掛けることができる、切り返しが早い。課長の豊田はどことなく鋭い感じがする。前の子会社のようなゆるい感じはしない。

 いやいや、そこじゃなくて仕事のほうだろう、留美は豊田の紳士な態度で仕事のことを忘れかけていた。

 「うちは派遣の資格も取ってるので、木隅さんは何日間かは別の会社できっちり着ぐるみアクトレスとして働いてもらうこともあります。でも、木隅さん、空手やってたんでしょう。すごいですね。体力自信ありますか。うちにはもってこいですね。是非、木隅さんの能力を発揮してください。」

 能力を発揮、着ぐるみで・・・?、留美は心の中で続けた。

「じゃ、それ脱いでもらったら、早いですけど今日はおしまいですから。明日は9時に事務所へ来てください。川島さんが付いて指導しますから。じゃ。お疲れさまでした。」

 といって、豊田は必要なことは告げ終わったようで、さっさと部屋を出ていった。

 まさかの展開。まあ、課長があれなら、職場の雰囲気は良さそうなので、少し様子を見るしかないか、などと高飛車に構えられる状況でもなかったが。留美は、入社以来、2度目の大失態を呪いつつ、また、上司へのあいさつがいきなりすっぴんだったことを悔いつつ、着ぐるみを脱ぎに掛かっていた。


 翌日からは、事務所での仕事となった。事務所は、ちゃんと本社ビルにあった。ただし、上層の階ではなく、なんと地下1階にだった。地下1階に倉庫があると、搬入、搬出の車が横付けできるので便利らしい。雨の心配もない。事務所の窓からは、地下駐車場と駐車場係のブースが見える。駐車場係のリタイヤ組らしいおじさんとは仲良くなりそうな場所だった。

 事務所は、前の会社のグレーの制服ではなく、ビジネスカジュアルで良かったが、逆に留美は制服生活が長かったため、仕事で使えるような服の持ち合わせがなく、少し服代にお金がかかりそうという新たな心配もでてきた。

 しかし、留美にとって新鮮だったのは、みんなの机の上に書類が全くないことだった。いや、書類どころか、電話もなければ、パソコンも何もない。ただ、机があるだけだ。前の会社とは全く違う。もちろん、前の会社は購買だったので伝票や台帳がないとできないという仕事でないせいもあるだろうが、それにしても、この部署は何もなくて仕事ができるのか。いや、そもそも人がいない。見渡すと、川島とあと1人いれば多いほうだ。豊田課長もほとんど事務所にいない。川島によると、川島と留美以外のメンバーは外回りが多いので、結局、全員、会社貸与のスマホとノートパソコンを支給されていて、作業はすべてオンラインで紙は廃止したとのこと。直行、直帰、会議はオンラインらしく、会社に来る必要はほとんどないらしい。イベントのときに全員顔を合わせる程度だそうだ。地下っていうのがいまひとつだが、さすが本社ということだろう。

 日々の仕事は、結構ルーチン化されていて退屈なものだった。イベントの注文が入ると、ひな形を使ってスケジュールを引き、会場、司会、音響、照明、内装、キャストなど手配していく。もちろん、イベントが近くなると、間に合わないとか、代わりを探すとか、結構戦場のようになってくるが、それまでは冷静に淡々と電話とメールで進行状況を確認していくだけだ。

 留美にとって、何より不思議だったのは、進捗会議以外、ほとんど職場に無駄な会話がないことだった。メンバーがいるときも、それぞれ黙々と自分の仕事を片付けている。プロ集団といった雰囲気だ。

 「さすが本社、一味違う・・」

 留美はいつも感心して周りを見回していた。摩天楼での上層でのハイブローな仕事は夢と消えたが、何かときちんとしている職場で少し期待が持てた。

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