第12話 ファナ、王宮住まいになる
「というわけで、ここがお前の部屋だ」
そう言ってエリクが私に案内してくれた部屋は、文句のつけようもないほどに立派な部屋だった。
エリクの住まいである第二王子宮にある一角。
そこに、寝泊まりするための部屋と、魔術の研究用の部屋を用意してくれた。
「……ねえ大丈夫? 私、あなたのコレと勘違いされない?」
品がないとは知りつつも心配になり、あえてエリクに向かって小指を立てる。
「いや大丈夫だろ。ちゃんと客人って言ってるし」
「……そうかなあ」
なんとなく周囲の視線を生ぬるく感じるのは、私が気にしすぎなんだろうか……?
「一応言っておくけど私、玉の輿とかまったく興味ないからね。あなたの婚約者とかに出てこられて、いきなりなんくせつけられたら、怒ってさっさと出ていくからね!」
「わかったわかった」
わかったから少し落ち着けというエリクに、なおも渋い顔をして見せる。
ぬぬぬ……。
本当にわかっているのかなエリク君?
こちとらそもそも、婚約トラブルが原因で家を追い出されているんだぞ!
またメアリみたいな女に出てこられて、わけのわからないことを言われて煩わされるのはまっぴらごめんなんですけど……!
そう内心で荒ぶっていた私の気持ちを、エリクが正しく汲んでくれたかどうかは知らないが。
「俺に婚約者はいないし、ファナを害してくるやつがいたらちゃんと俺が守ってやるから」
だから安心してここに滞在していいとエリクが請け合った。
……いや別に、守って欲しいというわけではないんだけど。
それでも、エリクの言葉は『私のことを尊重する』という意味で言ってくれたのだろうと受け取り、荒ぶった態度をおさめてエリクを見あげた。
「その言葉、信じるからね」
「ああ」
エリクが泰然とした態度でそう言い切ったので、とりあえずはその言葉を信じることにした。
「あとは、何か不便なことや困ったことがあれば部屋付きの使用人に言ってくれ。希望するなら侍女をつけることもできるし――」
「いらない。使用人を置いてくれるだけで十分よ。身の回りのことは大概自分でできるし」
「……そう言うと思った」
私の返事に、エリクがしたり顔でにやりと笑う。
本当は使用人だっていらないくらいなのだが、そうするとそれはそれで彼らの仕事をなくしてしまうことになると思ったので受け入れたのだ。
第二王子宮の責任者であり、この建物の使用人頭であるジェームズという男性から一通り使用人を紹介されながら、とりあえず底意地の悪そうな使用人がいなさそうでよかったと思った。
「そういえば、貴族の生まれだと言っていたが家はどこなんだ? よくよく考えたら苗字も聞いていなかったし」
第二王子宮の使用人たちからの挨拶を一通り受けた後に、私が『ファナ』としか名乗らなかったのを見てエリクが気になったのだろう。
使用人たちが去り再び二人になった後にそんなことを尋ねてきた。
「クレイドル伯爵家よ。でももう死んだことにされてるから戸籍から消されてると思うけど」
私がさらりとそう告げると、エリクが呆れたような顔で口を開く。
「……お前の家、聞けば聞くほど
正確には、下衆なのは我が家ではなくコーネリアスだけどね。
でもまあそれに加担している時点で下衆なのは同類か、と思ったので訂正はせずにおいた。
「でもそうか。戸籍も消されてるってことは無戸籍ってことになるわけか」
それはそれで問題だな……とエリクが顎に手を当てる。
「よし。作るか」
「えっ、そんなに簡単にできるものなの?」
あまりにも気軽な『ちょっと買い物にでも行くか』くらいのノリでエリクが言い出したことに私が驚くと、
「ファナ。俺を誰だと思ってるんだ」
と言ってエリクがふふんと笑う。
「……この国の王子様です」
「だろう? その程度のこと、解決するのに造作もない」
その代わり数日ほど時間はもらうことになるがな、と告げるエリクに、とりあえず戸籍ができるならなんでもいいかと思った私なのだった。
☆ ☆ ☆
実際、王宮での暮らしは申し分のないくらいに快適だった。
朝、起きて朝食を済ませたらすぐに自分の好きなことに取り組めるし、今までみたいに家の事業のための情報収集や資金繰りをしなくてもいい。
自由に使える時間が増えたことが一番ありがたかった。
それだけでなく、毎日お風呂で身を清めることもできるし、夜はふかふかのベッドで眠ることができる。
……うん。
いや、私恵まれすぎじゃない?
エリクの提案に乗ったの、やっぱり正解だったかもね。
人生、嫌なことが起こった後にはいいことが起こるというのは本当なんだなあ……。
などということを、つくづく感じていた。
そんな、穏やかな日を過ごしていたある日のこと。
「ファナ。ちょっといいか」
私が志学のダンジョンから持ち出した魔導書に目を通していると、エリクが声をかけてきた。
「なに?」
「この間話していた、戸籍の話なんだが」
そう言われて開いていた本をぱたんと閉じると、エリクの話を聞く姿勢をとる。
「知り合いの貴族に頼んで養女として戸籍に加えてもらうか、もしくは記憶喪失者と同じ扱いになるが【父母不明】として新しく戸籍を申請するか」
どちらがいいかファナの意見を聞いたほうがいいと思ってきたのだとエリクが言った。
「俺としては正直、どこかの貴族の養子になったほうが安心だしメリットも多いと思うが……」
「そんなわけないでしょ。いいわよ、新しく戸籍を申請するので」
エリクの言葉を、すぱっと両断する。
「まあ、ファナはそう言うだろうと思った」
どうやら私の答えが彼の予想通りだったらしく、エリクが苦笑しながらそう言った。
――いやいや。
だってね、よく考えてごらんなさいよ。
確かに、貴族の養子に入ったほうがメリットが大きいという理屈はわかるけど。
でも全く知らない人の家に養子に入るのとか、不安しかないわけで。
もちろん、エリクのことだから素性も人格もちゃんとした人を選んでくれるだろうとは思うけれども――、それでもだ。
私はあくまでも、自分の足で立って生きたい。
前世でも今世でも、これまでさんざんしがらみに縛られて生きてきた。
だからこれからの私は、誰にも何にも縛られずに自由に生きていたい。
好きなことを好きなだけ。
やりたいようにやる。
その最初の第一歩は、誰かの養子に入って、知らない人の庇護を受けるところから始めたくなかった。
「せっかくの気遣い、申し訳ないけど」
「いやいいさ。なんとなくファナはそういうのを望まないだろうと思ってたし」
言いながら、すっとエリクが一枚の紙を差し出してくる。
「これが申請用紙だ。名前と苗字。苗字は好きな姓を書くといい」
そう言われて、私は差し出された申請用紙をじっと見る。
――新しい名前。
クレイドルの名前は、もう使う気がなかった。
あの名前に未練はないし、所詮捨てられた家だ。
じゃあ前世の苗字を使うか――?
というと、これもちょっと違うと思った。
――ふむ。
ふと脳裏におりてきた名前があり、それをさらさらと申請用紙に書き付ける。
そうして、書き上がった紙を持ち上げ、エリクに向かって差し出した。
「――ファナ・ノーワン」
記名欄に書かれた名前を、エリクが口に出して読み上げる。
それは古代語で『誰でもない』という意味。
いまや、その意味を知るものなど、ほとんどいないけれど。
名前や家柄によらず、私は私であることに誇りを持って生きる。
自らの戒めとして、この名前をつけるのがいいと思った。
「……いい名前じゃないか」
そう言って、エリクが渡した紙を懐にしまった。
私の新しい名前。
ファナ・ノーワン。
新しい人生の切り出しには、ふさわしい名前なのではないかと思った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます