閃耀のくノ一

あきゅう

御所に舞い降りたくノ一 ①

「ぐふふ」


 京の菓子屋「天みつ堂」で、うらという名の少女が菓子を作っていた。


(最高傑作だな)


 うらは自分の作った練り切りを眺め、仄暗い笑みを浮かべる。


 店内で働く他の女中はみな小綺麗に着飾っているというのに、うらだけは質素な着物をまとい、いつも店の奥に引きこもって黙々と菓子を作っていた。他の女中たちはそんなうらのことを気味悪がって、滅多に近づこうとしない。

 けれどうらは、誰にどう思われようと全く気にしていなかった。


「頼まれていた菓子、できました」


 うらは、店の旦那さんと女将さんに出来立ての練り切りを見せる。


うらの作る菓子は本当に見事だなあ」

「ほんとねえ。これなら江戸のお武家さんにも、きっと気に入ってもらえますよ」


 最近、江戸からお偉いさんがやってきたらしく大口の注文が入っていたのである。その注文をうらは一人でさばいてみせた。

 今年十六になるうらは、十三のころからこの店で働いていた。菓子作りの腕も日に日に上がってきている。ただ、うらが菓子屋で働いているのは、何も菓子職人になるためではなかった。

 そう、うらにとって菓子屋の女中は仮の姿。

 日が沈んでからが、うらの本業のはじまりなのである。


 夕刻、天みつ堂での仕事を終えたうらは、とある屋台にやってきた。


「いつものお願い」


 店主にそう告げると出てきたのは稲荷寿司。甘党のうら用に砂糖てんこ盛りで味付けしてあるその稲荷寿司を頬張りながら、うらは皿の下に添えられていた紙を手に取った。

 そこに書かれていたのは、うらの故郷、甲賀にんじゃの里にいる里長からの指令だった。


「今夜決行しろってか。いつもながらほんと急だよね」

「って言いながらお前のことだ。準備は万端なんだろ?」


 店主の茂吉もうらと同じく、甲賀にんじゃの里出身の忍びだった。こうして里からの指令を伝えたり、情報収集を主な任務としている。


「だからって人使いが荒すぎるよ」

「まあそう里長を責めてやんな。里長だって朝廷のおえらさんたちに振り回されてんだよ」


 うらと茂吉の故郷、甲賀の里は主に朝廷からの依頼を受けて活動していた。甲賀衆といえば、かつては天下にその名をとどろかせた忍びであったが、関ヶ原での大戦後、戦のない世では新しく仕える大名こようぬしを探すのも難しく、帝や朝廷から小さな仕事をもらうことでなんとか里を存続させているありさまなのであった。

 

「まあ仕事を選べる立場じゃないってことは、私も分かってますよ」


 うらは激甘稲荷寿司を頬張りながら投げやりに言った。

 いつの時代も末端労働者というのは辛いものである。でもだからこそ、うらは自分の仕事には信念をもって取り組むようにしていた。



 茂吉の店を後にしたうらは、民家の屋根の上に登って街の様子を眺めていた。

 黄昏が遠のき、街も人も全てが夜の闇に沈んでいく。漆黒の髪をなびかせ、真っ黒な衣装に身を包んだうらも、底知れぬ闇へと溶けていく。


(ああ、この瞬間が……)

 たまらなく心地いい。


 闇は全てを、隔たりなく平等に包んでくれる。闇に包まれてしまえば、怖いものなど何もない。


 うらは恍惚とした表情のまましばらく暗い天を見上げていたが、やがてすっと視線を降ろした。彼女の顔にはもう、笑みはない。

 うらは滑るように屋根の上を駆けだした。

 向かうは、御所。帝のおわす、この世で最も高貴な場所。


 ――帝の子を孕んだ女官を暗殺せよ。


 これが今夜の任務だった。

 暗殺、しかも罪のない女官を殺害するなどまったくもって気の進まない任務である。

 とはいえ帝の勅命とあらば拒否することはできない。そんなことをすればうらの首が飛ぶ。

 ただ。

 うらは、気に入らない任務を真面目にこなせるほど、素直な忍びではなかった。



 あっという間に御所を取り囲む白壁までやってきたうらは、周辺を偵察する。御所を警備しているのは近衛兵である。平和ぼけした彼らの警備などざるに等しいが、今日はどうも様子が違った。侍がうろうろしている。


(所司代のやつらか)


 所司代とは、幕府が京のまちの治安を守るために置いた職である。名目は治安維持だが、その実、朝廷や公家たちの動きを監視する役割もあった。

 今夜、宮中では歌詠み会が開かれている。もしかするとその会を監視するために来たのかもしれない。


(だけと、おかしいな)


 今の所司代はやる気のない男で、これくらいの歌会で出張ってくることはこれまでなかった。

 急に張りきりだした理由が気にはなるところではあるが、こちらも予定を変えるわけにはいかない。

 うらは細心の注意を払い、するりと御所内に忍び込んだ。


 うらは御所内に潜入すると、木の陰を移動し、歌詠み会が開かれている御殿へ向かう。

 目的の御殿は、大きな池の見える場所にあった。遠くからでも賑やかな声が聞こえてくる。

 うらは物陰に身をひそめ、御殿の中を観察した。


 どうやら月を見ながら歌詠みをしているようで、表の御簾が上げられている。やんごとない趣向のおかげで室内の様子がよく見えてありがたい。


(けっこうたくさんいるな)


 部屋の中には、公家の男や女官たちが大勢集まっていた。奥の御簾の向こうにいるのは帝だろう。そして部屋の端に、うらの探している女がいた。唇の右下に黒子のある女官。彼女が今回の標的ターゲットだ。


(徳川の縁者でさえなければねえ)


 本来、帝の子を身ごったとなれば、女官としては大出世である。それが一転、暗殺の対象になったのは、彼女が徳川の縁者であったことが理由だった。


 端的に言って、今の朝廷と徳川幕府はあまり仲がよろしくない。というより朝廷の人間が一方的に徳川を嫌っている風潮があった。そんななか、徳川にゆかりのある女が帝の子を孕んだものだから、徳川の間者スパイと勘違いされてしまったのだ。

 まあ、夜伽に呼ぶ前に身辺調査をしておけと言いたいところだが、今さら愚痴っても勅命は覆らない。


 うらはひそかに御殿から離れると、御所の端にある小屋に持ってきた荷物を置き、その後女官たちの詰め所へ向かった。


 詰め所に着くと、棚にしまってある下級女官の衣装をこっそり拝借して身に着け、何食わぬ顔できっちんに入る。

 きっちんでは、下女たちが歌詠会で出される茶を用意しているところだった。


「あなたも早く茶を運んでちょうだい」


 他の下級女官に促され、うらは茶を運ぶ列に混じって、先ほどの御殿へと向かった。


「茶をお持ちしました」


 うらは標的の女官の前に茶を出すと、誰にも悟られぬようこっそり、その茶に薬を入れる。

 退室したうらは部屋の外にある廊下で控え、やんごとなき方々が茶を飲み終わるのを待っていた。


 すると突然、室内から悲鳴が上がる。


「女官が倒れたぞ!」

 室内は騒然となっている。

「毒だ! 茶に毒が盛られておったのだ! 誰ぞ、医官を呼べ!」


 その声に、うらはさっと立ち上がった。部屋に入ると、すぐさま床に平伏し申し上げる。


「恐れながら、そこもとのお方は医官では治せません」


 淡々と言い放ったうらに、公家の一人が問う。


「どういうことだ。そなた何か知っておるのか」

「はい。おそらく彼女は呪われているのです。近くにこれが落ちておりました」


 うらは、懐から人形を取り出した。何本も釘が打たれた藁の人形である。

 それを見た公家や女御たちの顔からさっと血の気が失せた。みな一斉に、倒れている女官から離れる。 


「の、呪いじゃ。このおなご、呪われておるのじゃ!」

「医官ではだめだ。陰陽師を読んで来い! 早う!」


 怒号が飛びかうなか、うらはそっと倒れている女官に近づいた。


「ここでは皆様に呪いがうつるやもしれません。離れ小屋に移し、わたくしが見張ります」


 うらは駆けつけた下女の手を借りて、倒れていた女官の身体を起こす。そして彼女を抱えて部屋を出ようとしたとき、ある男の顔が目の端に映った。

 騒然とした室内にいながら、一人涼しい微笑を浮かべ鎮座している男。


(あれは確か、申泉しんせん成親……)


 ただ単に肝がすわっているだけともとれるが、うらはその男の笑みに違和感を覚えた。落ち着いた彼の向こうに、どす暗い何かが透けて見える気がする。


(そうか。女官暗殺を進言したのは奴か) 


 申泉家は昔から反幕思想を強くいだいている家だ。今回のことも成親が帝に進言したと考えれば納得がいく。


(まったく余計なことをしてくれたな)


 彼が帝をそそのかしたりしなければ、この女官が命を狙われることはなかった。自分もこんな胸くそ悪い任務を命じられることもなかったのに。

 うらは舌打ちしたい気持ちをぐっとこらえ、部屋の外に目を向けた。


(分かっている)


 彼ら天上人にとって女官一人の命など些末なこと。ましてや忍びなど、人間とも思われていないだろう。使い勝手のいい、ただの駒でしかないのだ。



 小屋に女官を運んだうらは一人、彼女のそばにひかえていた。

 さて、ここまでは予定通り。この後、彼女にはこの世から消えてもらわねばならない。


 うらは女官の身体を軽くゆすった。女官はすぐに目を覚まし、うらの姿を認めるやいなや飛び起きた。悲鳴こそあげなかったものの、その目はうらを映したまま小刻みに揺れている。


「こ……ここは。私はどうしてこんなところに……」

「あなたの茶に眠り薬を仕込ませてもらったのです。ご気分はいかがですか」

「眠り薬? あなたは一体誰なのです。もしかして……私を殺しに……?」


 察しのよいことで何よりだ。おそらく身ごもった時点で、命を狙われることはある程度覚悟していたのだろう。愛憎うず巻く宮中ではよくあることだ。


「あなたのご想像どおり、私は暗殺者です。帝の命により、あなたの御命を頂戴しに参りました」


 うらの言葉を聞いて、女官は先ほどより明らかに動揺した。他の女に命を狙われることはあっても、まさか帝に命を奪われるとは思っていなかったようだ。

 しかし彼女は案外と、すぐに冷静さを取り戻した。一呼吸おいて、うらに尋ねる。


「でもおかしいわ。あなたが暗殺者なら、どうして先ほどの茶で一思いに殺さなかったの」


 この場でこの切り替えしができるとは、よほど肝のすわった女とみえる。これなら一人でも大丈夫だろう。


「あなたには、ここから自分の足で逃げてもらいたいからです」


 うらは懐から地図を取り出した。


「この地図に描いてある道をたどった先、東山を越えたところの寺で住職があなたを匿ってくれます。山道の途中、関所に口の悪い『改めばばあ』がいますが、まあ口が悪いだけなので怖がらずにこの地図を見せれば――」

「ちょ、ちょっとお待ちなさい。わたくしを助けてくれるというの? あなた暗殺者ではなかったの」


 女官は怪訝な顔をする。

 うらは目を伏せた。


「ええ、あなたの暗殺を命じられて私はここへ来ました。でも正直言いますと、今回の任務、全くやる気が出ないのです。私はこんな任務のために血反吐へどを吐く思いで修行してきたのか。とか思いだしたら布団から出られなくなって」

「そう……ですか」


 女官は引き気味に相槌をうつ。うらはそんな彼女に構わず続ける。


「でも任務を放棄したら殺されるのは私です。だったら少しばかり遊んでやろうと思ったのです。ああでも、もし死にたいとお望みでしたら、苦しまずに殺して差し上げることも可能です。痛みを感じる暇なく、あの世へいかせて差し上げます」


 女官は驚いたように目をぱちくりしていたが、やがて静かに微笑んだ。


「わたくしは運がいいわね……。その遊び、のらせてもらうわ」


 うらはうなずくと、小屋の隅に置いておいた袋から中身を取り出して畳の上にばらまいた。


「これは……人の骨!?」

「ええ。処刑された罪人の骨です。このあと、この小屋に火を放ちますので、これで女官として生きたあなたはこの世から消えたことになります」


 女官は神妙な面持ちで頷いた。


「火が上がれば、すぐに人が集まってくるでしょう。その前に、先ほど説明した寺へ逃げてください」

「あなたは一緒に逃げないの?」

「私はまだこれから、御所でやることがありますので」


 うらはそう言って、不敵に微笑んでみせた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る