閃耀のくノ一
あきゅう
御所に舞い降りたくノ一 ①
「ぐふふ」
京の菓子屋「天みつ堂」で、
(最高傑作だな)
店内で働く他の女中はみな小綺麗に着飾っているというのに、
けれど
「頼まれていた菓子、できました」
「
「ほんとねえ。これなら江戸のお武家さんにも、きっと気に入ってもらえますよ」
最近、江戸からお偉いさんがやってきたらしく大口の注文が入っていたのである。その注文を
今年十六になる
そう、
日が沈んでからが、
夕刻、天みつ堂での仕事を終えた
「いつものお願い」
店主にそう告げると出てきたのは稲荷寿司。甘党の
そこに書かれていたのは、
「今夜決行しろってか。いつもながらほんと急だよね」
「って言いながらお前のことだ。準備は万端なんだろ?」
店主の茂吉も
「だからって人使いが荒すぎるよ」
「まあそう里長を責めてやんな。里長だって朝廷のおえらさんたちに振り回されてんだよ」
「まあ仕事を選べる立場じゃないってことは、私も分かってますよ」
いつの時代も末端労働者というのは辛いものである。でもだからこそ、
茂吉の店を後にした
黄昏が遠のき、街も人も全てが夜の闇に沈んでいく。漆黒の髪をなびかせ、真っ黒な衣装に身を包んだ
(ああ、この瞬間が……)
たまらなく心地いい。
闇は全てを、隔たりなく平等に包んでくれる。闇に包まれてしまえば、怖いものなど何もない。
向かうは、御所。帝のおわす、この世で最も高貴な場所。
――帝の子を孕んだ女官を暗殺せよ。
これが今夜の任務だった。
暗殺、しかも罪のない女官を殺害するなどまったくもって気の進まない任務である。
とはいえ帝の勅命とあらば拒否することはできない。そんなことをすれば
ただ。
あっという間に御所を取り囲む白壁までやってきた
(所司代のやつらか)
所司代とは、幕府が京のまちの治安を守るために置いた職である。名目は治安維持だが、その実、朝廷や公家たちの動きを監視する役割もあった。
今夜、宮中では歌詠み会が開かれている。もしかするとその会を監視するために来たのかもしれない。
(だけと、おかしいな)
今の所司代はやる気のない男で、これくらいの歌会で出張ってくることはこれまでなかった。
急に張りきりだした理由が気にはなるところではあるが、こちらも予定を変えるわけにはいかない。
目的の御殿は、大きな池の見える場所にあった。遠くからでも賑やかな声が聞こえてくる。
どうやら月を見ながら歌詠みをしているようで、表の御簾が上げられている。やんごとない趣向のおかげで室内の様子がよく見えてありがたい。
(けっこうたくさんいるな)
部屋の中には、公家の男や女官たちが大勢集まっていた。奥の御簾の向こうにいるのは帝だろう。そして部屋の端に、
(徳川の縁者でさえなければねえ)
本来、帝の子を身ごったとなれば、女官としては大出世である。それが一転、暗殺の対象になったのは、彼女が徳川の縁者であったことが理由だった。
端的に言って、今の朝廷と徳川幕府はあまり仲がよろしくない。というより朝廷の人間が一方的に徳川を嫌っている風潮があった。そんななか、徳川にゆかりのある女が帝の子を孕んだものだから、徳川の
まあ、夜伽に呼ぶ前に身辺調査をしておけと言いたいところだが、今さら愚痴っても勅命は覆らない。
詰め所に着くと、棚にしまってある下級女官の衣装をこっそり拝借して身に着け、何食わぬ顔で
「あなたも早く茶を運んでちょうだい」
他の下級女官に促され、
「茶をお持ちしました」
退室した
すると突然、室内から悲鳴が上がる。
「女官が倒れたぞ!」
室内は騒然となっている。
「毒だ! 茶に毒が盛られておったのだ! 誰ぞ、医官を呼べ!」
その声に、
「恐れながら、そこもとのお方は医官では治せません」
淡々と言い放った
「どういうことだ。そなた何か知っておるのか」
「はい。おそらく彼女は呪われているのです。近くにこれが落ちておりました」
それを見た公家や女御たちの顔からさっと血の気が失せた。みな一斉に、倒れている女官から離れる。
「の、呪いじゃ。この
「医官ではだめだ。陰陽師を読んで来い! 早う!」
怒号が飛びかうなか、
「ここでは皆様に呪いがうつるやもしれません。離れ小屋に移し、わたくしが見張ります」
騒然とした室内にいながら、一人涼しい微笑を浮かべ鎮座している男。
(あれは確か、
ただ単に肝がすわっているだけともとれるが、
(そうか。女官暗殺を進言したのは奴か)
申泉家は昔から反幕思想を強くいだいている家だ。今回のことも成親が帝に進言したと考えれば納得がいく。
(まったく余計なことをしてくれたな)
彼が帝をそそのかしたりしなければ、この女官が命を狙われることはなかった。自分もこんな胸くそ悪い任務を命じられることもなかったのに。
(分かっている)
彼ら天上人にとって女官一人の命など些末なこと。ましてや忍びなど、人間とも思われていないだろう。使い勝手のいい、ただの駒でしかないのだ。
小屋に女官を運んだ
さて、ここまでは予定通り。この後、彼女にはこの世から消えてもらわねばならない。
「こ……ここは。私はどうしてこんなところに……」
「あなたの茶に眠り薬を仕込ませてもらったのです。ご気分はいかがですか」
「眠り薬? あなたは一体誰なのです。もしかして……私を殺しに……?」
察しのよいことで何よりだ。おそらく身ごもった時点で、命を狙われることはある程度覚悟していたのだろう。愛憎うず巻く宮中ではよくあることだ。
「あなたのご想像どおり、私は暗殺者です。帝の命により、あなたの御命を頂戴しに参りました」
しかし彼女は案外と、すぐに冷静さを取り戻した。一呼吸おいて、
「でもおかしいわ。あなたが暗殺者なら、どうして先ほどの茶で一思いに殺さなかったの」
この場でこの切り替えしができるとは、よほど肝のすわった女とみえる。これなら一人でも大丈夫だろう。
「あなたには、ここから自分の足で逃げてもらいたいからです」
「この地図に描いてある道をたどった先、東山を越えたところの寺で住職があなたを匿ってくれます。山道の途中、関所に口の悪い『改め
「ちょ、ちょっとお待ちなさい。わたくしを助けてくれるというの? あなた暗殺者ではなかったの」
女官は怪訝な顔をする。
「ええ、あなたの暗殺を命じられて私はここへ来ました。でも正直言いますと、今回の任務、全くやる気が出ないのです。私はこんな任務のために血
「そう……ですか」
女官は引き気味に相槌をうつ。
「でも任務を放棄したら殺されるのは私です。だったら少しばかり遊んでやろうと思ったのです。ああでも、もし死にたいとお望みでしたら、苦しまずに殺して差し上げることも可能です。痛みを感じる暇なく、あの世へいかせて差し上げます」
女官は驚いたように目をぱちくりしていたが、やがて静かに微笑んだ。
「わたくしは運がいいわね……。その遊び、のらせてもらうわ」
「これは……人の骨!?」
「ええ。処刑された罪人の骨です。このあと、この小屋に火を放ちますので、これで女官として生きたあなたはこの世から消えたことになります」
女官は神妙な面持ちで頷いた。
「火が上がれば、すぐに人が集まってくるでしょう。その前に、先ほど説明した寺へ逃げてください」
「あなたは一緒に逃げないの?」
「私はまだこれから、御所でやることがありますので」
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