【短編】鳳凰の影 ~孤高の女帝と命を賭けた女性護衛の物語~
月詠 透音(つくよみとおね)
第1話 出会い・命(こころ)を繋いだ一夜
焰が跳ねるたび、夜空は赤く染まり、煙の匂いが冷たい風に乗って広がった。
辺りの村は死者の匂いと焦げた土の香りに包まれ、【麗凰(れいおう)】の胸は恐怖で締めつけられていた。
まだ幼いその皇族の姿には、将来の気品を感じさせる端正な顔立ちと、月の光に照らされた黒銀色の髪が揺れている。しかし、その美しさを覆い隠すように震える手と白い肌は、恐怖に震えていた。
足元で濡れた地面が、麗凰の靴を引きずり込む。
凍えるような風が頬を撫で、枝がざわざわと音を立てて顔に触れるたび、彼女の心はますます乱れた。
樹々の隙間から漏れる月光が頼りなく彼女の道を照らす。だが、その光もまた、消えかけていく。
突然、鋭い音が耳を突き刺し、矢が地面に突き刺さる。
麗凰はその音に反応し、慌てて足を止めた。心臓が激しく脈打ち、足元がもつれ、ついには深い水たまりに転んでしまった。
冷たい水が衣服に染み込む。やがて迫る足音が近づいてきて、恐怖で体が動かなくなったその瞬間、茂みの中から現れたのは麗凰と似たような年齢と思われる村娘【春蓮(しゅんれん)】だった。
春蓮。
体形こそまだ幼い少女に見えるが、その顔立ちには、強い意志と清らかさが混じり、麗凰とはまるで違う無邪気な魅力があった。
黒い瞳は星のように深く、見つめるだけで心の中まで届くようだった。
黒髪は長く、湿った夜風に揺れている。
麗凰の目には、わずかな明かりの中で彼女の存在がどこか神々しく映った。
春蓮はたいまつを一つ握りしめ、迷いのない視線で震える麗凰を見つめた。
「皇女様、ここに隠れて」
春蓮の声は低く、強く、麗凰の心にすっと染み渡った。
麗凰は手を引かれ、春蓮の背後に押し込まれる。その小さな身体を盾に、春蓮は静かに兵士たちを迎え撃つ決意を固めた。
薄汚れた服を着た彼女の姿は、まるで無防備な子供のように見えたが、黒い瞳に宿る意志は揺るがなかった。彼女の手からは微かな土の匂いが漂い、麗凰の顔にそれが触れるたびに、どこか安心感を覚えた。
「兵士様、村の外れには誰もいませんでした! この森も大人たちと探しているところです!」
春蓮の言葉は、震えているようでいて、どこか毅然としていた。
その声が夜空に響くと、兵士たちは一瞬立ち止まり、警戒しながら彼女を見つめたが、貧しげな姿に興味を失い、やがてその場を離れていった。
静けさが戻ると、春蓮は息を整え、麗凰を振り返った。
麗凰の顔には疲労の色が見えている。
泥まみれになった手が優しく麗凰の頬を拭う。冷たい指先が麗凰の肌に触れるたび、麗凰はひどく震えた。
暖かさを求めて、無意識にその手を握りしめる。
「皇女さま、大丈夫、もう大丈夫よ」
その言葉に、麗凰は思わず泣き崩れた。誰かに守られることが、こんなにも心を温めるものだなんて知らなかった。
「あなたの名前は?」
麗凰は涙で霞んだ視線を春蓮に向け、かすかな声で尋ねる。春蓮は微笑み、自身の名を告げた。
「春蓮――しゅんれん――ただの村娘です」
「ただの村娘なんかじゃない。あなたは私の命の恩人よ」
その言葉に、春蓮は微笑みを浮かべただけだった。
だが、その微笑みの中に、麗凰は強く引き寄せられるような感情を感じていた。それは、どこか不思議で、でも確かなものだった。
やがて夜が明け、麗凰は春蓮の手をしっかりと握り、ゆっくりと顔を上げた。
「私は麗凰――れいおう――、私と来て。この命、あなたに返すわ……」
春蓮はその言葉に、邪気の無い笑みを浮かべ、何も言わずに頷いた。
――― こうして、幼き皇女と村娘の運命が交差し、その絆は、二人の心をつなぎながらも、永遠のものへと動き出すのだった
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