誰がために鐘は鳴る-3-

 桧原は、それまで何度も技術展示会を訪れる機会はあったが、今日ほど気分よく楽しんだことは記憶になかった。オムニで展示されているほとんどのテクノロジーは社内の技術報や業界紙などで見知った内容だったものの、アメリカナイズされた展示ブースや、そこかしこで繰り広げられているカーニバル的な演出が施されたコンテンツにはつい心踊らされていたのである。

 名もない地銀の支店長を務めていた桧原は、キャリオニアの北米事業撤退の事務処理を手際よくサポートしたことで、当時の社長から是非にとスカウトされて途中入社した経緯がある。当の社長が会長になる頃には財務部門のトップにまで引き立てられ、プロパーの上級職員からは羨望ともやっかみとも取れる視線を浴び続けてきた。が、桧原を贔屓にしていた会長が亡くなり、メインバンクから出向していた役員が実権を握った頃から雲行きは怪しくなった。

 プロパー、すなわち新卒採用の技術者上がりでもない、また銀行や系列会社から出向してきたわけでもない桧原の立場は、いつしかどちらに属することもない「仲間はずれ」に押しやられていた。むろん、桧原自身も社内の勢力図を読み違えたつもりもなかったが、現在に至るまで中途半端な立場を脱却することは叶わなかった。

 日本を代表する企業の専務といえば聞こえはいいが、社内の執行役員だけで十指に余るキャリオニアだ。財務分野で存在感の薄れた桧原は「なんにも専務」の誹りを受けるまでの屈辱を味わっていた。いっそこのまま早期退職でも、と頭をよぎったのと買収問題が勃発したのはほぼ同じタイミングだった。

 当初から桧原は客観的な判断として買収やむなしと考え、少しでも有利な条件を引き出すつもりでいた。反対派のプロパー組は桧原を目の敵にしたものの、それは折り込み済みだった。むしろ桧原が腹を据えかねたのは賛成を表明していた出向組を中心とした役員連中だ。それまで、桧原のことなど歯牙にもかけなかった連中が毎日のように執務室にやってきては桧原にすり寄り、媚びへつらってきたことには虫酸が走った。先方企業に少しでも印象を良くしておきたい、買収後の立場を保全したいという姑息な連中には軽蔑しか感じることはなかった。

 とはいえ、桧原とて同じ考えがなかったわけではない。が、プロパー組に対する意地もあればささやかなプライドも残っていたのだろう。結果として、そうした連中を一蹴したことで桧原の孤立はますます加速していくこととなった。

 孤立しきった桧原に、いや役員全員にメガトン級の爆弾が落とされたのはそんな矢先のことだった。新規AIブリッジOS「ミラーボール」流出のニュースはキャリオニア首脳部を震撼させるに十分な威力を発揮した。

 この事案によって買収の白紙化が検討されはじめ、桧原の命運もここまでかと思われたがさにあらず。桧原は意気消沈することもなく、役員会議で「ミラーボール奪回」によってオムニに対する立場を好転させようと猛烈に訴えかけた。はじめは白けた視線を向けられたものの、「ダメ元」とでも判断されたのか買収対応に続いて奪回ミッションの指揮権を手に入れたのだった。

今度こそ失敗すれば進退窮まることは間違いない。だが、桧原は会議室の巨大なテーブルに連なったすべての役員が憮然とした顔を浮かべているのを目にした時、心中密かに快哉を叫んでいた。

---小生意気な事業本部長の慌てた様子といったら見ものだった。したり顔の役員連中にしても最後にはおべんちゃらを使うとはなんと情けないことか……。当時の様子を思い出すと、今でも胸がすく。

 何者かに予定を変更されたことは気になっていたが、エクスポを歩き回るうちに心の曇りはいくらか晴れ始めていた。

---もうじきだ、もうじき私は……。思わず口元が緩みかけた時、行く手から声がかけられ我に返った。

「社長さん、見てってよ! 軍需アルゴリズムなら、オムニの開発ツール一択なんだから」桧原の視線を捉えた未亜がすかさず腕をとった。「ツイードなんか仕立てちゃって、ずいぶん儲かってそうじゃない」

まくしたてる陽性の声に悪い気はしなかった。桧原はその積極性と女がかけていたサイズが大きすぎてコミカルにさえ見えるメガネを微笑ましく思い、気安く応えた。

「それほどでもないさ。エクスポにお邪魔してる企業の中では、ね」

「あら、それほどでもないなら、今すぐオムニの暗号開発ツールを導入すべきじゃないかしら。実装レベル次第で、すぐさまホワイトハウスから受注できちゃうかもしれないわよ」

「ずいぶんと景気のいい話だけど……」桧原は女の人懐っこい様子にますます気を良くした。「運用環境を整えるだけでも数十億億単位の投資が必要ではないかね」

「フフン、よくご存知だこと。けど、よそさんが軍需アルゴリズムでボロ儲けしてるの指をくわえて見てるだけってのもいただけないじゃない」

「だからといって、当社が横にならうこともあるまい。むしろ、オムニのツールに負けないアプリケーションを開発するほうが日本人の気質に適っている気がするがね」

「先刻ご承知でしょうけど、オムニは米国政府とズブズブな関係なの。対抗馬はどんな手を使っても潰されるって、ミスターツイードなら私の言ってる意味、よくわかるでしょう」

「ハハハ、ずいぶんと率直なお嬢さんだ」ここで油断が出た。「たしかにゴールデンアイは良く出来たツールだそうだが……」

「え? どうしてゴールデンアイのコードネームを知ってるの? まだ社内でもブルーハーベストで通しているのに」

---しまった! 後悔が桧原の顔に浮かんだ。

 その刹那“ガチーン”と、ふたりの対峙をつん裂くような金属音が鳴り響いた。耳障りな大音響にあたりも静まり返ると、この機に乗じて桧原は逃げるようにしてその場を立ち去った。

 女狐のような目つきで後ろ姿を追う未亜。その背後、少し離れたところでは周りの介抱でようやく立ち上がったオムニパイのカメラが作動していた。

「あのさぁ、ガチーンてやるとすごい音が伝わってくるの。キャンモニって骨伝導だから頭蓋骨にバチバチくるんだ! ほんとコケるの勘弁してくれよな」

 オムニパイ経由で桧原と未亜の様子をモニターしていた公平は苦い声をあげた。久太郎との通信は未亜によってハッキングされている恐れがあったため、離れた場所からオムニパイのマイクによる盗聴を余儀なくされていた。それゆえ、より一層注意深く耳を凝らしているところに例の金属ノイズだからたまらない。

〈ゴメン、ゴメン。じっと立ってたら血糖値下がってきちゃってさ、ついフラフラと……〉

「糖尿か! ていうか、これで未亜が専務とグルって線は消えたな」

〈え? そんな可能性あったの?〉

「オレの頭の片隅に。最初に未亜のこと報告した時、専務からあっさり『やめろ』って言われたじゃん」

〈根拠が薄いなぁ。専務とツルんで得することもない気がする〉

「まあな。それにしても、間抜けというか油断というか、ヤバかったね、さっきの専務。だいたい『暗号ブースにいる金髪』ってだけでピンとこないもんかなぁ」

〈いやいやいや、エクスポは思い切りアメリカンな会場だからねぇ。金髪ってだけじゃ、無理がある。それより、ゴールデンアイだっけ? これも彼女から聞きつけたのかね?〉

「そうだろうよ。ベッドサイドで『今夜アタシもゴールデンアイ』かなんか言っちゃってな」

〈なるほどね。ていうか、そろそろステージじゃないの? メタリカのティシャツ、忘れずにもってきたかな?〉

「惜しいな! 今日はデスメタルでなく、映画ティシャツでしょ。やっぱり、オムニだけに……」

〈「ロボコップ!」〉

 耳にした者はいなかったが、ふたりの声は美しいハーモニーを奏でていた。


 オムニタワーの正面玄関に寄せられた黒塗りのセドリックに、統合幕僚監部参事官が乗り込むと、マチルダはその日最高の笑顔で見送った。なにしろ、下半期最大の契約を締結したのだ。彼女でなくとも、満面の笑みが浮かぶのは当然のことだろう。

 青山通りにセドリックが流れ込んでいくと、マチルダは踵を返してタワーに駆け戻った。

「次は誰?」歩きながら傍のスタッフに声をかけた。

「キャリオニア社、専務のミスター・ヒノハラ……ですが、メインステージのショーが始まってしまうので、しばらくお待ちいただきますか?」

 好色な参事官の執拗なプライベートトークのせいでスケジュールがずれ込んだか。マチルダは、ハリー・ウィンストン製の腕時計を一瞥してスタッフに告げた。

「ミスター・ヒノハラに差し支えなかったら一緒にショーを観ようと伝えて」

想像していた返答と違っていたことに、スタッフ同士が目配せをした。

「承知しました。では、お迎えに上がりますので、こちらのお部屋でお待ちください。あ、ちなみにドレスルームはこの廊下の先、突き当たりを左に曲がるとございます」

スタッフは一礼すると指示を実行に移すべく離れていった。

「断るはずもないけどね……」

ひと気のなくなった廊下を歩き始めると、マチルダの口が動いていた。そうして口角をわずかに上げて目を伏せた様は、見ようによっては少女のはにかみに見えなくもなかった。

化粧室に向かおうとすると、その曲がり角から人影が現れた。

「ハーイ、DJブッチ」

 公平の姿にマチルダは気安い声をかけていた。

「ハーイ、マチルダ! ワサップ」

 ハンカチで手を拭いながら公平は必要以上に大きな声。

「ワサップはやめなさい! ずいぶん馴れ馴れしくなったわね」

「オー、アイムソーリー、ヒゲソーリー」

「ねぇ、もしかしてDJプレイの直前でハイになってるの?」

「ハハハ、悪ノリしちゃってゴメンなさい。今日でオムニに来るのも最後になるので、少しエモーショナルになっているのかもしれません」

「ああ……そうだったわね」ここでマチルダの目付きに粘り気が出た。

「……ブッチ最後のプレイ、楽しみにしているわ」

「いえいえ、引退するわけじゃありませんから。もっとも、マチルダさんに聞いてもらえるのは最後かもしれませんがね」

ふたりが交わした視線、火花散るようなものではなかったが、互いの強い思いがみなぎっていたのは確かだろう。

「それじゃ、ステージの準備がありますので失礼します」

「ええ、期待してるわよ」

それだけ言うとマチルダは笑顔を見せるでもなく、背中を向けて化粧室へと入っていった。

「フム、よほど我慢していたとみえる。お引きとめしちゃったみたいでソーリー」

独り言を呟いたつもりだろうが、ステージ前のハイな気分は満更でもなかったようで、これも大きな声になっていた。

「さっきからソーリー、ソーリーってデカい声でなに謝ってんのよ」

すぐ脇のスタッフ休憩室から出てきた美紗子だった。

「これくらいデカい声じゃないとラップやっても迫力ないんだよ」

「は? ラップ? そんなのシナリオにあったっけ?」

「ハハハ、気にしないでいいよ。でっかい独り言みたいなもんだから」

「ふーん、そういうものなのね。それより、そのティシャツってオムニのステージ向けに選んだのかしら」

「お! さすが美紗子さん、お目が高い! やっぱり、オムニといえばテキサスだろうと、シカゴだろうとロボコップでしょ」

「うーん、それほどクールには見えないんだけど……」

「それは残念。ロボコップじゃなくて、あなたのセンスが残念てことですからね、念のため」

「ひどーい……」

笑い出したふたりは見つめ合い、ためらいがちにも公平の腕が美紗子を抱き寄せた。そして、軽く唇を重ねるだけのキス。

「せっかくキスできたのに、そんなシリアスな顔しなくたっていいのに」口を尖らせて愛くるしい顔を浮かべた美紗子。

「トイレから戻ったマチルダが、こっちガン見してるもんだから」

「オーマイガー!」

「なんちゃって、キャハハハ」

またしても、耳たぶをつねられた公平だった。

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