歓迎されたスパイ-4-
渋谷に詳しくないという美紗子のために、駅前のツタヤを待ち合わせ場所にしていた。
早めに着いて最新のCDチャートでも冷やかしていればいいと考えていたが、店内に入ると甘かったことに気づいた。金曜の晩飯時だ。公平と同じく待ち合わせの暇つぶしと思しき客で足の踏み場もない。仕方なく表に出てスクランブル交差点に向いた辺りで待とうとしたが、ハチ公前に次ぐ待ち合わせの定番だけあって、人混みのうねりが勢いよく襲ってくる。
後悔し始めた頃、美紗子からのメッセージが届いた。
〈着いた。どこ?〉
表示を見て、あたりを見回したもののそれらしき姿は見当たらない。店内に戻り、ひと通り歩いてみても美紗子を見つけることができない。すると、再び美紗子からライン。
〈いないの? 帰っちゃうよ〉
慌てて返信を打とうとした時、背後から緩やかな囁き声。
「ハーイ! DJ」
振り向けば、輝くばかりの笑顔を浮かべた美紗子。金曜の夜のスタートに、これ以上ふさわしいものはなかった。
「アルバート・ブロッコリってプロデューサー、知ってる?」
カジュアルなイタリアンレストランで、サラダを取り分けながら公平が言った。
「聞いたことあるわ。たしか、007シリーズのプロデュースじゃなかった?」
「さすが! じゃ、彼の一族がこのブロッコリをアメリカに輸入したってことは?」
「アナタ、かなりのオタクなのね」
「アメリカじゃそういう扱いなのか。日本では、こういうの教養っていうんだけど」
「じゃあ、ブロッコリの原産地、リトアニアがどこにあるか地図を示せる?」
「……美紗子さんは負けず嫌いだよね。バルサミコ、自分でかけて」
「ありがとう。でも、これくらいで負けず嫌いなんて言われるのは心外ね。アメリカだったら、普通の会話よ。ディベートにも届かない」
挑戦的な目つきのまま白ワインを飲み干してみせる美紗子。
「スタートの笑顔は可愛かったのに、今の顔はライバル書店のトム・ハンクスに指を突きつけるメグ・ライアンみたいだよ」
「アハハ。ユー・ガッタ・メイルだ」
「そうそう、やっぱり女の人は朗らかでなくちゃね。ステキですよ、美紗子さんの笑顔」
「アイ・ノウ。まったく、ワインと同じで甘口なんだから。そうやって……」
「皆まで言うな。そうやって何人も泣かしてきたんでしょ、と言いたいんだろ」
「DJはモテるでしょ」
「モテるという定義にもよるね。ただ、持論を言わせてもらうとDJだろうとなかろうと、モテるやつはモテる。DJだからモテるなんて思ったことは一度もない」
「あら、自信たっぷりじゃない。逆に感じ悪く聞こえたわよ」
言葉とは裏腹に、柔らかな笑みがこぼれている。
「ところで、美紗子さんはオムニで働いて長いの?」
「5年くらいかな。どうして?」
「支社長のチーフアシスタントって、日本で言ったら社長室長って聞いたからさ。そんなポジションにつくのって楽ではないだろうな、と思って」
「……運が良かっただけよ」
「ふむ。ずっと極東支社? それとも、どこかよその国もいたことあるとか?」
「日本はまだ1年目、その前は香港に1年で、スタートはテキサス本社。……ねぇ、ここってキャリア相談室のテーブルだったかしら?」
「ごめん、ごめん。やめますよ。仕事の話なんて昼間でたくさんだもんね」
「そうでなくても、出がけにミスター二度手間が厄介なメール出してきて疲れてんだから、やめてよ、もう」
「それは、それは、ご苦労さまでした。鳥居さんは、社内の各方面で話題の的だもんな」
冗談めかして言ったつもりでも、美紗子は眉をひそめていた。
「やっぱり、そうか。クレームまではいかないんだけど、挙動不審ていうのかしら、目につく行動が多くなってるの」
「こう言ってはなんだけど、鳥居さんてマーコムのスペシャリストって感じでもないもんね」
「そもそもは、ウチの提携先からリーガル部門に出向してきたスタッフなのよ。ところが、任せられる仕事がひとつもなくて、仕方なしにマーコム預かりになってるってわけ」
「出向元に送り返すってのはできないの?」
「んー、事情がややこしいみたい。提携先って聞こえはいいけど、ウチの大口クライアントらしくて、体良くお荷物を預けられたってことなんじゃないかな」
「いつからオムニに出向してきたんですか?」
「最近よ。三ヶ月経ってないと思う……ん、オッソブッコ美味しいじゃない!」
頭のどこかが、三ヶ月という言葉にピリリと反応していた。美紗子の笑みに見惚れていなければ、何かが閃いたかもしれない。
だが、本能は目の前の艶然とした美紗子を優先してしまった。
「腹いっぱいになった?」
満面の笑みを浮かべる美紗子を見やると、公平はウェイターにチェックの合図を送った。
「ご満足いただけましたか」色黒でオールバックに髪をなでつけたウエィターが現れた。
「彼女には白ワインが甘かったようだ」
「でも、グラッパの大盛りは嬉しかったわ」
「なら良かった。あ、こいつはトシキって、この店のソムリエなんだけど、実はDJなんだ」
「トシキです。ブッチさんには、いつもお世話になってます」オールバックの頭を深々と下げる。
「なるほど、それでアナタが先輩風を吹かせてるってわけね」
「おいおい、どこにそんな風吹いてたよ? オレがマジで吹かせたら渋谷の街ごと飛んでっちゃうよ、なあトシキ」
トシキの苦笑いに見送られ、ふたりはレストランを出た。
「やっぱりDJのギャラだけで暮らしていくのは難しいのかな?」
手を振るトシキが見えなくなると、美紗子がポツリとつぶやいた。
「なんとも言えないね。レジデントは給料もらえるからいいけど、ショットで回してるだけなら、よほどメジャーな地位でないと……」
「それで、ソムリエやったりサラリーマンやりながら……」
「でも好きなことだから頑張れるんだよ。やってみればわかるけど、楽しいもんだぜ」
「うん、楽しそうだよね。お客さんと一緒に盛り上がれるなんて最高だと思う」
「自分で回して楽しい、盛り上がるって曲でフロアもアゲられたら本当に楽しいよ……」
「でも……、って続きそうね」
「そう、自分の好みだけで回せないのがこの商売でね。苦心することもたまにはある」
「たまに?」
「正直に言えば、エニタイム、しょっちゅうね」
「私の真似したでしょ」
「フフフ。また、耳をつねって欲しかったからだ」
東急本店あたりから代々木方面に向かうと、松濤、神山町、富ヶ谷といったエリアに達する。
ここらで〈奥渋〉なるフラッグが街路灯に下げられているのは、渋谷の奥という意味あいだ。
昔ながらの精米店や酒屋に混じって、こぢんまりとしたバーやレストランが散在している。
公平が美紗子を誘ったのは、奥渋でもだいぶ入り込んだ路地にある店だった。古い喫茶店でも改装したのか、表には古めかしく装飾的な窓が張り出している。ガラスの扉についた丸くて大きな把手も最近ではあまり目にしないデザインだ。店内は停電と見紛うほど暗い。照明と呼べるものはカウンターの上にキャンドルが数本と、ぼんやり照らされた酒棚だけ。
それでも、目が慣れてくればもう一方の壁面すべてを使ったレコードラックに驚くはずだ。
「一体、何枚あるの?」
美紗子が目を丸くしていた。
「三千だか五千枚、でしたよね」
公平が声をかけると、カウンターの中でヒゲ面の男が小さく頷いた。
「先輩のガモウさん。無口なんだけど、超一流のターンテーブリスト兼バーテンダー」
DJバーの週末としては早い時間だったにもかかわらず、十人ほどが座れる店は八分の入りだった。
カウンターの隅に陣取ると、公平はブラントンのロックを注文した。すると、美紗子も「それ、もうひとつ」と従った。
「意外だね。透明な酒ばっかりかと思ってた」
「あいにく、朝からバーボン飲んでも怒られないテキサスにいましたから。ウフフ」
ふたりにグラスを差し出すと、ガモウはカウンターの端にあるプレイヤーのレコードを替えた。
いつから始まったことか互いに覚えていないが、公平がガモウの店を訪れると最初にかける曲はオルネラ・ヴァノーニの「ラ・プンタメント」と決まっていた。
「ん? イタリア語? でも、聞いたことあるわ」
「だろうね。けど、さすがに歌詞は知らないでしょ。メロディどおり、切ないラブストーリーで……」
そこまで言ったところで、美紗子に背中を叩かれた。
「トゥーマッチ、コーヘイ! そこまでしなくても、おいしいごはんの後に、こんなにいい雰囲気のバーに連れてこられたら、女の子は絶対にうっとりするって! そこに、クンタキンテなんて鳴らして『切ないラブストーリー』がどうしたこうしたって、やりすぎだと思わない?」
これには無口なはずのガモウまでが腹を抱えて笑っていた。
屈託なく笑う美紗子の横で、公平は暗い照明でもわかるほど顔を赤くしていた。
「……奴隷解放みたいに言うな。……ラ・プンタメントだよ」
消え入るような声は、JBLから流れ出た歌声に溶けていった。
「コーヘイもいつかはこんな店、やってみたいんじゃないの?」
酒豪の美紗子も、グラスを重ねるうちに目元がほんのり赤みを帯びてきた。
「ああ、やってみたい。けど、毎晩酒に囲まれてる中で商売ってのは辛そうだ」
公平にしても同様で、呂律が怪しくなっていた。
「マクルーハンで、五年後のビジョンて口頭試問あるらしいじゃない。なんて答えたの?」
「ぶっちゃけなんもないって正直に答えてみた。ゲラゲラ笑われたけどね。むしろ、美紗子さんのビジョン聞いてみたい」
「そうね、……変わっていたいな。今の自分でなく、もっと、こう……」
「グラマーになりたいとか」
「眼力ないわね。こう見えても、ビーチパーティでビキニクイーンになったことあんのよ。そういうことじゃなくて、もっと安息な日々を過ごせるようになりたいの」
「わかんないなぁ。仕事が忙しくて平和じゃないなら……こんな店でもやってみればいいのに」
「ウフフ、そういうことじゃないわ……。もうやめましょ、この話題」
「ふむ。だったら、覚えておいてよ。五年後だろうと、いつだろうと美紗子さんの安息で平和な日々を邪魔する奴は、オレが許さないって」
視線をかわすように目を伏せた美紗子。
「ありがとう。……忘れないわ」
なぜか陰のある表情を見た公平は、雰囲気を変えようと声を張り上げた。
「じゃあ飲もう! ガモさん、樽ごと持ってきてー」
美紗子もクスリと笑みを浮かべ、場の空気は陽性に転じた。
すると、美紗子がバッグの中で携帯が震えたことに気づいたようだ。
「あら、マチルダからメールだわ」
すぐさま公平が携帯を取り上げた。
「何時だと思ってやがる! 美紗子さんの安息を邪魔する奴はこのオレが!」
「アハハ、わかったから返して」
「返すけど、よほどの緊急案件でなかったら今夜はスルーだからね」
「わかった、わかった」
メールに目を通す美紗子に酔った緩みはなかった。公平の目を意識してか、返信するでもなく携帯をバッグにしまいこんだ。
いくらか心配そうに覗き込む公平に、「大丈夫」と微笑んだ美紗子。
「平和が遠のいたって顔してるぜ」
「だったら、楽しい顔にさせてよ」
見つめ合うと、ふたりは互いに吸い寄せられるように唇を重ねあった。
---チェッ! これだから、大酒飲みってやつは!
美紗子が乗ったタクシーを見送りながら、公平は舌打ちをした。
ついさっきガモウの店を切り上げると、表に出たところで美紗子がタクシーに手を挙げていた。
しれっと一緒に乗ろうとする公平を遮ると、そそくさとひとりで乗り込む美紗子。
ウィンドウが下がり、困ったような微笑みが見えた。
「今夜は楽しかったわ。でも、あれははずみよ、はずみ。おやすみなさい」
---ま、よくある話だけどな。酔った勢いでキスしたまではいいが、まだ出会って時間も経ってない。ここで甘い顔見せたら男はすぐにつけあがる。ちょっとモテるからって、アタシはそこらの女と同じ扱いじゃ満足しないのよ、ってところだな。
想像のシナリオを描きながらも、公平の口元は緩み、胸の内は温かくさえなっていた。
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