DJ成れの果て-4-
数日後、公平が出社するとすぐさま課長に声をかけられた。
「間渕君、今日の営業回りだけどな、相良君にでも代わってもらうか、キャンセルしてくれ」
「え? キャンセル、ですか?」
「そう。以前の選抜試験のことで君のこと呼び出せって通達があった」
ギクリとしたが、課長の顔に浮かんでいるのは心配顔でもない。
「いや、心配しなくてもいい。落ちたとかなんとかっていうなら、総務管轄の試験だ、そちら経由で正式な通達があるはずだ」
「じゃ、呼び出しと言いますと?」小首を傾げる。
「それがな、専務の桧原さんが君を呼べと、こう来てんだよ。喜びなさい、世界に冠たるキャリオニアの専務が一介の営業部員と面会するなんて滅多のことじゃありませんよ」
---桧原専務? 選抜試験の発案者がオレを呼び出す? だったら、わざわざ不合格を伝えるわけもないだろう。それでも、最悪のケースを思い浮かべると背中がジワリと汗ばんだ。
---バレたか? だが、そうだとしたら呼び出す手間などかけないで一言「クビだ」と告げてくるのではないか。
解せないでいると、課長に肩を揺すられた。
「間渕君! 驚くのはわかるが、しっかりしたまえ」課長は微かに苦笑い。「いいかね、11時に役員室だぞ。直接ノックしたりせず、手前の秘書室から取り次いでもらうんだ。わかったかい」
「承知しました。11時前に秘書室に参ります」
「そう、堂々と行ってこい、堂々とな」
最後の言葉は耳に入らなかった。不可解でならない。鉛の塊でも飲み込んだように胃が重くなる。カンニングがバレるはずはないが、他に呼び出される理由も思い当たらない。
不安を胸のうちに隠しながら、約束の時間に秘書室の扉を叩いていた。扉が開くと、年かさの秘書らしき女性が顔をのぞかせた。
「あら、間渕さんですね、お待ちしておりました」温かな目元からは、当然の事ながら呼び出しの意図を図ることはできない。
「お疲れ様です。音響営業の間渕です」精一杯、やわらかな声をあげたつもりだった。
「ええ、ええ、存じてますわ。大倉さんもお見えになってるので、行きましょうか」
その名を聞いたところで呼ばれた理由に察しがついた。
---まずいことになった。
秘書室の小さなソファに惚けた顔で腰かけていた久太郎に口元を歪めて見せた。が、久太郎は反応らしきものも見せず、幽霊のように立ち上がった。その様子に、秘書は意表を衝かれたのか少しのけぞった。
「……で、では、こちらへどうぞ」
久太郎もカンニングがバレたことに感づいているのだろう。背を丸め、うつむいて歩く姿は刑場に向かう囚人そのものだ。桧原の重役室についたところで、公平は一度だけ久太郎の背中を叩いた。
---なんとかする。しっかりしろ!
そう伝えたかったものの、久太郎の背中は何も語りはしない。
はすに構えて、ふっと息を吐くのと、オーク材の扉が開かれたのは同じタイミングだった。
「失礼します」声をあげたのは公平だけだった。
「ああ、待っていたよ」
重役然とした大きな机の向こうで、グレイフランネルのダブルをまとった桧原が立ち上がった。窓からの日差しが背中から当たり、表情までは読み取れない。
「間渕君と大倉君、だね。忙しいところ、呼び出したりしてすまなかった」
ジムでも通って鍛えているのか、桧原の声は腹から出ていてよく通る。
身振りで机の前のソファを示すものの、桧原は座ろうとしない。いや、秘書がお茶を並べて退室するのを待っているのか。大企業の専務という立場がそうしているのか、佇まいには一分の隙もなく、世慣れしたつもりの公平でも気圧される。ようやく見ることのできた表情はさして厳しさも浮かんでいなかったが、こういう顔のまま喉を切り裂く殺し屋を公平は映画で何度となく観てきた。
秘書が退室すると、桧原の目つきが変わった。
「今日はメガネでなくコンタクトか」
---いかん! バレてやがる。
「は、本日は空気が乾燥しているのか、ものがよく見えまして」
「ふざけるな!」野太い怒声が腹まで響く。「私の目が節穴だと思ってるのか!」
「申し訳ありません!」声を裏返して久太郎が縮みこむ。
「謝って済むと思ったら大間違いだ。いいから、そこに座れ」
ふたりが恐る恐るソファに腰掛けようとすると、桧原がどろりと言う。
「誰がソファに座れといった。自分らがしたことがわかっているなら……」と、床を指差す。
「……あの、お言葉ですが、私たちがしたことと言いますと?」
悪あがき、とわかっていても公平はささやかな抵抗を試みた。
「ほぉ、この期におよんでシラを切るつもりか」桧原が口元を不敵によじらせた。「よかろう、どっちみち見せるつもりだったんだ。ほれ、これを見ろ」
差し出されたタブレットの画面にはびっしりとプログラムコードが並んでいる。
びくびくと覗き込んだ久太郎は「……あちゃー」と言ったきり言葉を失っていた。
「え? なにか……その、バグではありませんか、これ」公平にはさっぱり意味がわからない。
「電ポの記録だ」奥歯を噛み締め、久太郎は悔しさまじりの小声。
「間渕は営業だったな。もう少しわかりやすいものを見せてやろう」
そう言うと、桧原がタブレットを二、三度スワイプして画面をこちら側に向けた。今度は画面いっぱいに「臥薪嘗胆」の文字がびっしりと並んでいる。これには公平も天を仰いだ。
久太郎の推察通り、キャンモニを振り飛ばした拍子に誤作動を起こし、通信帯域が電ポのそれを侵食したのだろう。その上、誤作動ついでに公平と久太郎の通信内容まで記録していたのだ。
「総務からドローン墜落の原因についてレポートが届いた時、奴らはバグの可能性を示唆するにとどまった」桧原のボリュームはいくらか下がっていた。「奇妙に思ったが、バグというならわからんでもない。その時は気にも留めなかった」
そこで一旦止めると、内ポケットから使い込まれたシガーケースを取り出した。右手の指に挟んだシガーは葉巻のようにずん胴だったが、長さは紙巻きタバコと変わらないように見えた。
---吸いさしか? と見当をつけた公平だったが、ロングサイズの葉巻用マッチで丁寧に炙るのを見て「最初から太く短いサイズ」なのだと納得をした。
「……だがな、受験者の小論文をチェックしている時に気付いた。難しい漢字だ。インテリぶって使いたがったはいいが、どうにも書けないヤツが居たとしたらどうだ? 何らかの手段でカンニングを講じるのではないかとな。そこで小論文を読み返してみたらヌケヌケといるじゃないか」
「それは、専務がお調べになったのですか」今やしたり顔の専務に公平が上目を使う。
「そうだ。そもそも選抜試験は私の発案だし、あの時に言った社運を賭したプロジェクトの責任者も私が担っている。試験の監督責任が私にあるのは言うまでもなかろう」
「で、ドローンの記録と照らし合わせたと?」
「それは少し難渋した。さっきのプログラムコードを解読して、輻輳した発信源を特定せねばならなかったからな。だが、幸いなことに会議場の監視カメラが役立った。それも見るか?」
「も、もう結構です」
久太郎が悲鳴のような声をあげると、床に頭をこすりつけんばかりになっている。
「おっしゃる通り、通信機能付きウェアラブルコンピュータ、開発番号001のTR48は確かに私めがこの間渕君に使用させて、事もあろうに選抜試験のカンニングを手助けいたしました。本当に申し訳ございません。二度とこのような悪事は働きませんので、何卒お許しくださいませ」
それを見下ろしていた桧原が公平の方を向くと「お前は?」という表情を浮かべている。
---面倒くさいことになっちまったなぁ。と苦り切って頭を掻いたところで腹を決めた。
「申し訳ありませんでした。正直なことを申し上げますと、どうしてもリストラだけは避けたかったもので、つい出来心であのような大胆極まりない悪事を働いてしまいました。ですが、大倉をそそのかして開発番号……ホニャララを持ち出したのは全て私の責任です。私はいかなる責めも負いますので、どうか大倉だけは寛大な措置をばお願いいたします」
久太郎の惨めな姿を見るのは忍びない。この際、自分ひとりがクビになって済むのなら上出来だ、くらいに思ったのだろう。
「ふむ。潔いとまでは言わんが、殊勝な態度は認めてやろう」桧原の声音から棘が消えていた。「だが、肝に銘じておけ。貴様らが犯した罪は重い。社内の試験であろうとも、こちらは業務上背任の科で刑事告訴もできる。分かるだろうな」
これを聞いてさらに恐縮している久太郎、すでに開き直りを見せている公平。
「実は、驚いたのだ。社内にこんな人材がいたとはな。考えてもみろ、リストラの噂が漂う試験だ。選抜されただけで震え上がるのが当然というものだろう。そこに、豪胆というか厚かましいというのか、社内の開発機材を使ってでも乗り切ろうという輩が現れたのだからな。いやはや、嬉しい誤算だったよ」
「専務、歯向かうわけではありませんが、ああいうタイミングであれば試験は将来を左右しかねないとシビアに考える者がほとんどのはず。自分を正当化するつもりは毛頭ありませんが、苦肉の策であろうとも何がしか……」
「黙れ」シガーを挟んだ右手が公平のセリフを阻んだ。「言いたいことはわかるが、思いつくのと実行するのでは雲泥の差がある。君らの策は上策ではなかったというだけで、実行したことは誉めてやろうというのだ」
---叱られてるのか褒められてるのか、わからなくなってきたな。
戸惑いながらも公平は桧原を注意深く観察していた。汲み取らねばならない他意がありそうだ。
「私はふたつ目的を持って選抜試験を行ったのだ」ソファの上で姿勢を緩めた桧原。「ひとつは噂通り、リストラ要員の洗い出しだ。もっとも、これは人事との兼ね合いなのでそれほど重点を置くつもりはなかった。もうひとつの重要な目的は何度も言ってる通りプロジェクトに関わる人材の選抜だった」
「あの……、専務、お話長くなるようでしたら正座を解いてもよろしいでしょうか」
公平の厚顔に目を剥いた桧原だったが、仕方ないとばかりにソファを指差した。さらに、公平がテーブルの茶を一気に飲み干すのを待って、桧原は言葉を続けた。
「我が社が買収の対象、正確に言えばMBOのオファーを受けていることは知っての通りだ」
ソファの上で居住まいを正したふたりが小さく頷く。
「はじめ私はその阻止を目論んだ。三十年以上勤めた会社をバラバラに解体して、どこの馬の骨ともわからんやつらに経営を任せるなど、到底承服できなかったからだ。経営的な話は省くが、当初、役員会での意見は情けないことに賛成派が半数を占めた。すでに相手先に取り込まれたかと思われたが、彼らのほとんどが外部取締役、つまり銀行や投資元からやってきた外様だったわけだ。買収によって親元が利益を得るとなれば、奴らの弱腰も致し方あるまい。だがな、最近になってある事実が判明したことで反対派が盛り返し始めたのだ。さらには賛成派の中にも慎重論が出始め現状は混沌とし始めた」
「あの……、お話の途中ですが、そういうの私たちが聞いちゃってよろしいものでしょうかね」
「構わんよ、間渕君。ただし、この部屋で話したことは他言無用だ。もしも漏れたのがわかったら……」
桧原が手刀で首のあたりをヒラヒラとさせる動作には冷たいリアリティがあった。
「は、承知いたしました! 承知しましたが、何卒お手柔らかに」
「フフフ、自分らの行く末を案じるようになってきたか。まあ、いい……ええと、どこまで話したかな」
「ある事実で反対派が勢いづいたところまで伺いました」久太郎の声は平時を取り戻していた。
「そう、一大事だ。大倉君なら耳にしたことがあるやもしれんが、開発中の極秘OSが相手先に盗まれた形跡があるのだ」
これには久太郎がソファからずり落ちんばかりの反応を示した。
「あ、あの、耳に挟んだことがあるのは、AIブリッジのOSですが、まさか……あれが?」
「そう、あれだ」
「ですが、あのOSは未だ完成してないというか、部門内でもディスコンになったと風の噂で聞いたような……」
「ふむ、さすがに耳がいいな。だがな、開発中止の決定は隠みのだった、といえば納得出来よう。あれは我が社の次世代を担うOSとして極秘裏に最重要項目に位置付けられ、その開発も通常の秘匿扱いでは不足だと考えられた。なにしろ、暗号化してあってもコードを盗むというのは、ネットワーク上であれば理論上十分に可能だということ、君の前では釈迦に説法だろうが」
桧原は久太郎の人事記録にも目を通し、以前のトラブルを指しているのだろう。
「すみません、OSが盗まれたってことですが、また新しいの作ったらよろしくないですか? いわゆるバージョンアップ的な?」
公平の疑問に対し「これだから素人は」と首を振る桧原。
「一体いくら投資したと思ってるんだ。そんじょそこらのOSと違って、ミラーボールは……これが秘匿呼称だ……コンピュータに搭載されたAIと操作する人間を有機的に連携させる画期的なシステムなのだ。我が社だけでなく、IBMやHPも次世代のヒューマンインターフェースとして莫大な予算をつぎ込んでいる。ここで競争に負けたら、十年の遅れをとることは必至。そうなってみろ、キャリオニアがメジャーに返り咲くチャンスは永久に消えるぞ」
「ミラーボールか……」青ざめた久太郎がつぶやくように言った。「あれは……、そうAIの進歩とか、コンピュータの変革なんてレベルじゃない。シンギュラリティなんて飛び越して、社会そのもの、いや地球の営みだって変えちゃうぞ……」
「えーと……野球でいうと……」ついていけない公平は曖昧な笑みを浮かべていた。
「ミラーボールが理論通りに働けば、コンピュータがネット世界だけでなく物理社会とも連携が可能となるんだ。AIは自律性が進化したとしても、既存の知識だけでは進化に限界があることはわかるよね。いかにAIのディープラーニング機能が発達したとしても、ヒトの想像力、そうだなコウちゃんの突飛なDJミックスを追い越すことは難しい。コウちゃんは、いわばデジタルな感覚とアナログな直感でもって曲を選ぶハイブリッド脳で、AIにそうしたカオスな機能を持たせることは極めて難しい」
公平だけでなく、桧原も真剣な表情で聞き入っていた。財務出身では専門知識は久太郎におよばないのだろう。
「そこで、ヒトがAIの苦手な分野をサポートして、相互補完できるようにと考えられたのがミラーボールだ。こうした理論は従来からあったんだけど、ミラーボールはAIの自律性をいささかも犠牲にすることなく、ヒトの脳と連携できるブリッジ機能が革新的なんだ」
「じゃあ、ミラーボール使ってDJするとキーやテンポを合わせてくれるだけじゃなく……」
「そう、コウちゃんお得意の意表をついたミックスや、どう考えてもマッチしないのにフロアがアガる曲をセレクトしてくれるはずだ。しかも、コウちゃんの主体性、テイストを損なうことなく実行してくれる」
「いいかね……」勇んで話す久太郎に、冷静な桧原の声が割り込んだ。「ミラーボールはなにもDJ機材のために開発したわけではない。さっきも言ったとおり、脳との連携でコンピュータの適応能力が飛躍的に進化するため、遺伝子工学やナノテクはこれまでにないスピードで研究開発が進むと考えられている。そのスピードは脳の1兆倍のさらに1兆倍という速度なのだ。どうだ、DJという卑近な例とは比べものにならない売り上げが想像できるだろうが」
「一丁、さらに一丁! なるほど、そりゃすごい」集中力が尽きかけていた公平。適当な相槌を無視して、桧原が一転して苦々しげな顔を浮かべて続けた。
「最初、先方は敵対的買収を望んでおらず、友好的に話を進めようと近づいてきたのだが、こんなことが起きたのでは友好もへったくれもない。ところが、買収に賛成している役員連中はミラーボールが先方に盗まれたという確たる証拠が上がるまでは静観しようなどとほざいている有様だ」
目の前のふたりが理解しているか確かめるようにまっすぐな視線を向けてくる桧原。
「それにしても、賛成している連中は買収後の保身に躍起で、こちらが恥ずかしくなるほど相手先をかばっているよ。我が社の名誉のために知らせておくが、先ほど言った通り賛成派は皆よそから出向してきた外様連中で、反対派は技術畑の叩き上げがほとんどだ。私は財務から上がったにも関わらず反対しているものだから、外様のエリート連中からは冷たい目で見られているがね」
最後に自らを哀れむような冷笑を浮かべると、桧原は口を結んだ。
「ところで、先方はどうやって我が社の厳重なセキュリティをかいくぐって……盗んだのですか?」
沈黙の空気を嫌ったのか、久太郎が腑に落ちない様子で口を開いた。
「もっともな質問だ。だが、役員レベルでも最高機密扱いなので、残念ながら詳細は伝えられん。実に巧妙だった、とだけ知らせておこう」
「すると、先方が何らかの手段で盗んだことは判っているものの、決め手となる証拠がないということですか」
頷いた桧原が不敵な笑みを浮かべる。
「そこで、君らの出番だ」
公平と久太郎が「出番」という言葉を飲み込めないでいた時、ノックの音とともに秘書が三人分の昼飯を重箱で運んできた。気づけば、室内にあった大理石の台座に埋め込まれた時計は昼時を指していた。
「遠慮するな」と桧原は早くも重箱の蓋を開けていた。どうやら桧原は食事時に胸襟を開くタイプらしく、ゴルフの日取りでも打ち合わせるかのような軽い口ぶりになっていった。
「私のプロジェクトというのはだな……盗まれた証拠を手に入れて欲しいのだよ」
器用に箸を動かしながら気安い声音になる桧原。
「相手先の会社に近づいて……いや、潜入といった方がいいだろう。そして、OSの在り処を突き止めて欲しい……違法なことでなければ、手段は一切を君らに任せる……という段取りだ」
「せ、潜入って、専務! 忍び込むとか、そういうことですか?」
さすがに公平の箸は止まった。
「さほど難しい話じゃない。ちょっとした企業視察のようなものと捉えれば違法でもなんでもない。そこまでの段取りはこちらで用意した……間渕君、そこの急須をとってくれないか」
公平が桧原の湯のみに注ぎ足すと、うまそうに茶を啜った。
「近く、先方がプロモーションイベントを開催する予定でな、その制作を外部の広告会社に委託した。幸いなことに、その外注先に私はちょっとした貸しがあった……あー、茶が美味い……その会社のスタッフとして先方に近づけばいい」
「お言葉ですが専務……広告屋が会社の中枢に近づくというのは現実的にいかがなものかと」
久太郎が心配そうに言うと、桧原の砕けた態度が霧消した。
「おい……、勘違いしてないか。ここまで段取りしてやってるんだ、そこから先は君らの才覚でなんとかしようという気概を見せたらどうだ。なに、OSはプログラムだ。現物を取り戻す必要はない。先方の手元にあったという事実さえ押さえることができれば、この買収……」
そこまで言うと桧原はむせたのか急に咳き込んでいた。
「そうだ、もうひとつ重要なことを伝えておかねばならん。ミラーボールは開発時から特殊なセキュリティを仕込んであって、フィーディングコード…でよかったかな。一定の期間中にそのコードを与えないと自己融解を起こして再現不可能となるのだ」
「なるほど、プログラムが自分で自分を溶かしてしまうのですね。よくできてる。それで、一定期間というのは?」久太郎が桧原に聞いた。
「一ヶ月、と設定されている」
「ちなみに、盗まれたのが判明したのはいつのことでしょう」
「……機密扱いだ。最近のこと、だと思ってくれればいい」
「ということは、ミラーボールの発見が遅れると、盗まれたという事実を証明できなくなる可能性があるわけですね」
「そういうことだ。我々には、あとひと月ほどの猶予しか残されていないのだ」
「もうひとつ、暗号化はAESで256ビットと考えてよろしいでしょうか?」
久太郎が発した問いに怪訝そうな顔をしたものの、桧原は手元のファイルをめくりながら「その通りだ」と答えた。現在、実行可能なセキュリティ措置は最高レベルで施されているといって良いだろう。
「それから、失敗した時のことは考えたくもないが、たとえ違法行為を取らなかったとしても君らは我が社と一切関係のない者として扱うので覚悟しておきたまえ。そのあたり、ウチの法務部門はごく洗練されているということを忘れるな」
下手を打って警察沙汰になるようなことがあっても、キャリオニアはかばい立てなどしてくれないのだろう。
「通常であれば、計画書の提出を命じるところだが、事が事だけに記録を残したくないのだ。今後、報告その他はすべて口頭で、直接私に伝えるように」桧原が一枚の紙を差し出した。「君らが知るべきことは全て記してある。この場で暗記したまえ。苦手だろうがな、ははは」
嫌みたらしく笑う桧原をよそに、久太郎が必死の形相で紙に目を走らせる。公平も横から覗き見たものの、会社名がふたつあるだけで拍子抜けしてしまった。
「成功の暁には今回のカンニングについて処罰めいたものは免除する。無論、記録も残さない。フェアな話だと思うがね。……ともかく、貴様らの命に代えてでも取り戻してこい!」
久太郎から受け取った紙はすぐさまロングサイズのマッチで火をつけられた。
咥えたシガーを炎に近づけると、桧原は目を細めて煙を吸い込んでいた。
その晩、久太郎は公平のマンションにいた。
公平はDJ時代から変わらず、南青山の片隅にある古ぼけたマンション暮らしだ。コンビニ弁当を平らげ、缶酎ハイを飲み干した頃になっても、久太郎の仏頂面は収まらない。
「どう考えても納得いかん」久太郎は理詰めで通らないことに腹を立てているようだ。「ウチのセキュリティでも、秘匿扱いのデータウェアハウスは特別扱いでね。世界中のハッカーが束になってもそうそう破れるものじゃないんだ。よしんば破ったとしても、仕込んだトラップに必ず痕跡が残るはずで……」
「だ、か、ら、その痕跡から盗まれたってのがわかったんじゃないのかよ」床に寝転んでいた公平が物憂げに体を起こした。「ていうかさ、いまさらセキュリティに腹立てたって仕方ないだろ」
「防御システムは外注してるんだぞ。世界一って呼ばれる会社に年間いくら払ってるか知ってるか? 僕だって、耐性を調べようと何度となく攻撃を仕掛けたけど、ことごとく跳ね返されたからね」
「おいおい、物騒なこと言いなさんな。それより、どうすんだよこれから。なんか作戦考えないとコレだよ、コレ」
公平が両手を差し出し、手錠をかけられる仕草。
「バカだな、そこまで専務がするわけないだろ。ていうか、コウちゃんがフロント突破して、僕がバックエンドってラインが……」
「お前、それはないだろう! ツートップで行こうよ、ツートップ。オレひとりで先方の会社に潜入とか激ヤバでしょうが」
「いやいや、そうでもないよ。キャンモニ使えば、ヤバいこと起こる前にフォローできる」
「懲りないヤツだな。そのキャンモニのせいで、オレらが証拠見つけてこいって言われてんだぞ! ボケナスが!」
「ボケナス言うな、カス! ああいう製品は振動とか衝撃に弱いってことわからんか間抜け!」
ひとしきり暴言を吐き散らかした後、ふたりが立てた計画はこうだ。
桧原の手配による広告制作会社「マクルーハン」のチーフプランナーになりすました公平が先方に潜入。イベント制作に携わるふりをしながら、社内環境、すなわちセキュリティやネットワーク、サーバーなどのシステムをできる限り調べる。久太郎は、キャンモニやハッキングボードを駆使して公平を支援。当然、解読作業に当たっている部署や人員の調査も公平が担うことと決められた。
「その部署やら人員への調査って、具体的にどうすればいいんだよ?」
広告会社からやってきているスタッフが、暗号解読の担当者と接する機会など到底ありえないと指摘すると、久太郎が涼しい顔で返答した。
「ああ、それほど難しく考える必要はないよ。イベントというのは技術の展示会みたいなものだから、コンテンツ制作にあたってインタビューしたいとか、開発スタッフの写真を撮りたいなんて言えば近づけるんじゃないかな」
「言うよね、久太郎ちゃん。だいたい、オレが人見知りするのよく知ってるだろう。そりゃ、DJやってた頃は初めて会った客でもペラペラ喋りましたよ。サラリーマンになったって、懸命にセールストークしましたよ。なぜか? そりゃ仕事だったからに決まってるだろ」
「だったら、これも仕事だと思いなよ。実際、仕事だし」真っ向からの視線を避けるように久太郎は俯いた。「だいたい、コウちゃんは仕事でもなんでも注文が多いんだよ。わがままっていうのかな、それが下手に通用してきたのが今の窮状を生み出してる気がする。そんな自己中で渡り歩いて成功した人なんて滅多にいないと思うけどね」
「んだと、この野郎!」
持っていた缶を投げつけようと肩を回したところで、公平は思いとどまった。
---んなこたぁ先刻承知だっつーの。
自分でもどうにかしたいと感じていた短所だけに、人から指摘されるのは癪にさわる。だが、久太郎はそれすら飲み込んだ上での説教だと、力んだ己を責めていた。
「……わかったよ……、その代わりキャンモニのチューニングちゃんとやっとけよ」
ソファで膝を抱えていた久太郎が、チラと横目で見て頷く。
「あーあ、にしても野郎ふたりで部屋飲みとは、冴えねえなー。タッキーでも行ってカラオケすっか?」
照れ隠しなのか、相談事に嫌気がさしたか、公平は投げやりになる。
「なにいってんだよ! まだリサーチや対策ができてないでしょ」
タブレットに目を近づけた久太郎が熱心にスワイプし始める。
手持ち無沙汰になった公平は、DJブースに向かうとミキサーとアンプそれぞれの電源をオンにした。
DJはたいていの場合、自宅に機材を揃えてブースを設置しているか、売れっ子ならば自らのスタジオを構えていることすらある。ブースは合板を買ってきて自作する者も多く、シンプルな台座と丈夫な棚があれば事足りる。公平も一人暮らしを始めた時に見よう見まねでこしらえた。始めはレコード用のターンテーブル二台とシンプルな2チャンネルミキサー、モニター用に家庭用コンポのスピーカーをどこかから拾ってきただけのミニマムなセットだった。
そのうち、タカシからエレクトリックボイスの50ワットという大型で高性能なスピーカーを譲ってもらうと、にわかに音質にこだわるようになった。大枚叩いてマッキントッシュのアンプを手に入れ、ヴェガのウーファーと、ティールのツイーターを追加。その頃はDJというよりいっぱしのオーディオマニアを気取ったものだ。
当然、レコードの針にもこだわった。派手なスクラッチ用と、鑑賞用を分けて後者には惜しみなく金をつぎ込んだ。両者は盤面への攻撃性、耐久性に違いがあるため同じシステムで聴いても音質は明らかに異なる。DJ用は音圧が高く、鑑賞用は当然のことながら音の描写力に優れるという傾向だ。こうして針ひとつとってみても公平のシステムはマニアの鑑賞に耐えうるもので、DJ用らしからぬ高精度で耳に心地よい音が自慢だった。
「ウインドミルズ・オン・ユア・マインド!」
公平がレコードに針を落とし、イントロが鳴った瞬間、久太郎が言い当てた。
「お前いくつだよ? 古いナンバーなのによく知ってるな」
「忘れたの? そのレコードってウチの親父のを貸してやってんじゃなかった?」
「ああ、そうだった。ていうか、そのソファに腰掛けてると目の前でダスティが唄ってるだろ?」
音場の定位性能にこだわった公平が自慢げな声。
「だったら、もう少しアッパーな曲がいいな。そうでなくとも今日は滅入るような日だったし」
「ふむ。それもそうだ……な、と。これでどうだ」
即座に選んだレコードを片方のターンテーブルで回し始めた。
「……ハウスはイントロ長いから、はじめだけだとわかりづらいよ……」
「ハハハ、ここでわかるようならDJなれるよ。ミゲルのシティ・ピープルだ」
「ああ、いつか聞いたことあるな。青山のトゥールーズでかけたよね?」
「記憶力いいね、いやマジで。オレなんてしょっちゅうかけた曲忘れて、同じ曲を一晩で二回かけてたからね」
「記憶で思い出したけど、ミキサーに先行してMP3の曲データをメモリさせる機能って、あれコウちゃんのアイデアだったんだね」
「そうだけど、オレの記憶力サポートってわけじゃないぞ。メモリを呼び出して鳴らせば、2チャンネルミキサーに3チャンネル目の音が出せるってこと。最初にオレがビーライフで使って見せたら他のDJがブースにすっ飛んできたからね」
レコードを数枚鳴らしたところで、タブレットに首ったけだった久太郎が声をあげた。
「イベントって、ただの技術展示じゃなさそうだよ」タブレットを向けて見せた。「創立百周年の記念行事ってことになってるよ」
「ふむふむ、てか英語のサイトじゃん。翻訳しろよ……って、潜入先はアメリカか?」
「オムニはアメリカの会社だよ。いまさら何言ってんの?」
「え? オムニって……あのロボコップ作ってるオムニ?」
「そりゃシカゴのオムニコープ。専務が見せた紙に書いてあっただろう。こっちはオムニ・エレメンツ。テキサスの大会社だよ」
「で、テキさんの東京事務所ってのはどの辺にあんの?」
「赤坂だ。ついでに言うと、事務所なんて規模じゃない。ほら、青山通り沿いにホンダあるだろ、あの角を六本木に曲がったところにデカいビルあんじゃん」
「はいはい、裏手にナチュローあるビルだな。ウチから近くて助かるな」
「だよねー。てかさ、ウチの川崎本社とかどうにかなんないかね。せめて二子玉川とか、用賀とかさ」
「けど、あのあたりで昼飯食いにでかけるの大変だろ? 毎日コンビニ弁当とか、ラーメン屋とかキツいな。コンビニのレジ渋滞とか吐きそうだし」
「それにしたって、社食よりマシじゃないの? 味はともかく、飯の時まで社内のやつらと一緒にいたくないんだよな」
「出た! ミスターコミュ障! それでよくサラリーマン務まるよな。出世に影響するとか考えないのかよ」
「外資に買収される時点で出世なんて諦めないとね……」
久太郎は先ほどからタブレットの画面を見つめたままだ。
「ねぇ、ちょっと調べてみただけでもオムニって半端ないよ。それこそ、ロボコップどころかアイアンマンだって作れるレベルだね」
「だったら、わざわざウチのOSなんて盗まなくたっていいじゃんな」
「いや、それがそうでもない」
「短編小説でそういうのあったな。盗人株式会社だったかな、窃盗団が会社組織化されて盗みに入るのも上役に稟議書出すとかなんとか」
「近いってわけじゃないけど、オムニが大企業になったのは度重なる買収によるものらしいね。見込みのある技術を持った会社を金にあかして買収し続けた結果、IBMやヒューレットパッカードと並ぶポジションをゲットしたってこと」
「自社で技術開発しないで、他社から買い取るって方法はどこの国だってやってる話じゃん」
「まあね。一方で、ポルシェみたいに技術を売って成長した例もあるくらいだし、資本主義下ではありふれた手法だとは思うけど、だいたいにおいて世論の風当たりは強い」
「それはやっかみ半分だろ。買収されて、より豊富な資金で研究開発できたら技術者だけでなく双方の会社がハッピーに……」
そこまで言って、公平は音響部門に勤める人々を思い出して口を噤んだ。
「……一方でハッピーだと喜んでばかりいられない人も、ね」久太郎が意を汲んで付け足した。
「むしろ、そっちの味方でありたいね、オレらはさ」
これが、ふたりの胸の内に「ミラーボールを取り戻す」という使命感が生まれた瞬間だった。
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