ミラーボールを取り返せ
石橋 怜
プロローグ/DJ成れの果て
公平の夜を満たすものは音だった。
音の圧で震えるフロア、ヒトの鼓動と同調する音楽。DJブースに入った公平にとって、甘美なテンションに支配された時間だ。目の前はレーザーもスモークもない暗闇で、ミラーボールのきらめきだけが艶めかしい。
次の曲をセレクトすると、公平はリズムをとりながら、視線をガールズシートへと向けた。
目当ての彼女はいつもの席にいた。ここ最近よく遊びに来ていた客で、初めて来た時から公平のDJプレイを気に入っていた。そうした客はいくらもいるが「彼女はどこか違う」と、公平はニヤついていた。
だが、視界にとらえた彼女に楽しげな表情は浮かんでいなかった。それどころか、眉をひそめて腕時計を覗き込んでいる。
---退屈なのか? 首をかしげながら次の曲をミックスしようと、ミキサーに指をのばした時だ。
突然、照明が昼間のように明るくなったかと思うと、流れていた音楽がピタリと止んだ。代わりに「警察だ!」「ポリース!」といった怒号が飛び交い、戸惑う客の気配が混じった。
戸惑ったのは公平も同様だ。憮然としたまま、慌てふためくスタッフや客を目で追うことしかできない。すると、ガールズシートから彼女が歩み寄ってくるのが見えた。
「ああ、ゴメン。なんかトラブってるみたいだよな、ハハ。とりあえず、こっちのブース入るか? ここなら、どうにか……」
ブースの前にきた彼女に、言い訳じみた声の公平。
「そういうことじゃないの」どこか剣を帯びた声。
「……どうした?」
公平は彼女の姿を見て声を失った。さきほどまでは着ていなかったブルゾンの胸元には「警察」の二文字がプリントされていたからだ。
「……風営法違反の摘発です」彼女は遠慮がちな声で警察手帳を掲げた。「証拠のために演奏用パソコンの画面を撮影しますので、ご協力お願いします」
「え? なにいってるのか……」意味がわからないと言おうとした公平を押しのけ、彼女はブースに入ってカメラを構えた。
「ちょ、ちょっと待てよ」ストロボが何度か光ると、あわてて彼女の肩に手をかけた。
「だから……、証拠の撮影です。邪魔をすると……」
「……まあ、警察じゃ仕方ないけど、撮影するなら……せめて曲は変えさせてくれ」
止めようとする彼女を片手で制して、公平はミッドナイトスターのエレクトリックシティをパソコンにセットした。
「そ、それは……」
「どうせ、次にかけようとしてた曲なんだ」
ためらいを一瞬だけ見せながら、彼女は何も言わずにシャッターを押した。
振り返った彼女は視線を合わせようとしない。深呼吸でもしているのか小さな肩を上下に揺らし、ようやく彼女は声を振り絞った。
「……午前1時47分、間渕公平、風営法違反の現行犯で逮捕します」
手錠のロックはスムーズで、冷たい金属の感触は意外にも不快ではなかった。
第1章 DJ成れの果て
-1-
「落ちたのは何度目かね?」
「たしか……三度目だったと思います」
「違う、これで五度目だ」
---わかってるなら聞くなよ。
イラつきを隠すために、公平は唇を固く閉じた。
課長の前で萎れていれば、背中に刺さる視線の温度はわかる。
素直に営業マンをしていればいいものを、理工系でもないくせに技術開発への転属を願い出た向こう見ず。しかも5回連続で不合格とくれば、嘲笑と憐れみのリミックスも絶妙だ。30歳にあと少しという身で、この姿はみっともないと身体も縮こまる。
「君の熱意や向上心には感心するが、我々は組織である以上適材適所という効率も求めている。転属試験の不合格、五度目といったらそろそろ気づいて欲しいものだがね」
公平はうなだれ、ため息を漏らす営業課長から目をそらせた。もっとも、課長のことは決して嫌いではない。誰に対してもフランク、かつフェアでいてくれる。さらに言えば、今は冷たい視線を背中に送ってくる先輩たちにしても同様だ。普段接する時は気のいい仲間と呼べるほど打ち解けている。営業課の居心地は公平にとって申し分のないものではあった。
だが、ここが自分の居場所かと問われれば、だいぶ前から違うと感じていた。
組織に身を置くことに抵抗はなかった。が、組織を構成する一人ひとりが考えることを拒み、ただ従うことで満足するような風潮にはとうてい馴染めなかった。自らを貫き通すことを放棄するのは、遠慮の美学とは違う。たとえそれが日本の成長原理だったとしても、慣れることは自分を殺すことに等しいと感じていたのだ。
公平が働くキャリオニア株式会社は、戦前からトランジスタを駆使した電気製品で一斉を風靡した名門電機メーカーだ。所属している音響機器部門は同社でも歴史が古く、特に営業課は花形だった時代すらある。
オーディオ製品を始め、通信機器、またそのインフラ技術に至るまで、世界シェアのトップに上り詰めた時代。F1レースや、当時始まったばかりのパリ・ダカールラリーに出場するマシンにデカデカとスポンサーロゴが貼り付けられていた頃だ。
しかし、近年マーケットの環境は熾烈を極め、総合的なベンダーには逆風が吹き荒れた。数多くの専業メーカーが台頭して覇を競い合うと、市場を拡大するのと同時に荒らしもした。キャリオニアも手をこまねいていたわけではなく、あらゆる自動車メーカーとの取引や、北米に大規模な現地法人を設立するなど対抗策を打ち続けた。
しかし、いつしか市場は価格競争の嵐が吹きすさぶ荒野と化し、数々のメジャーが舞台を降りることとなり、キャリオニアもまた敗北に近い撤退を余儀なくされたのだった。
その後、キャリオニアは転身を図った。蓄積していた技術の転用で、工業用の検査機器や医療器具、あるいはマイクロコンピュータといった新製品が国内需要の伸びに合わせるように成長した。どん底にまで落ち込んだ業績を回復させると、再び市場で脚光をあびることとなったのだ。
一方で、いつしか音響部門は不採算部門の筆頭に成り果てていた。普通なら部門ごと解体されるはずだが、今日まで生き残ったのは、戦前から連綿と続く会社の礎を潰すのは忍びないという、いかにも日本企業的な生ぬるい判断によるものだ。
数百ページもあった音響製品のカタログは映画のパンフレットより薄くなり、電気店の店頭を賑わせていたトレードマークは軒並み姿を消していった。
たったひとつ、DJ機材の分野を残して。
「わかるよ。君の気持ちはわかるとも。元ディージェーが機材の開発をすれば、そりゃあ素晴らしい製品になるとね。とはいえ、技術の知識もなしに開発部門に乗り込んだって苦労を背負いこむのは君じゃないか。外部から協力してくれたDJの時とは立場が違うということ、理解してもらわないと互いに不幸になるとは思わないか?」
課長の声に湿り気が帯び始めた。ここから先は、下手なテクノDJのプレイと同じだ。つまり、似たようなフレーズが意味もなく繰り返され、盛り上がりに欠けるだけでなく「退屈の無限ループ」になる。これを遮るかのように公平はうなだれた頭を上げ、課長の視線と向き合った。
「申し訳ありませんでした。課長のおっしゃる通り、立場や能力をわきまえるべきでした。転属試験はこれきりにしたいと思います」
「……ふむ、不合格になるたびに同じこと言い合うの、不毛だよな。わきまえるとかわきまえないじゃなくて、今の立場を存分に生かすことを考える方がより生産的じゃないか。だいたい、元ディージェーの営業マンなんてよその会社にはいないだろ。実に説得力あるセールスだと思うがね」
それまで、家庭用オーディオセットや、各種の通信機などを売っていた音響部門だったが、新たにDJ機材を発売するや否や予想外のヒットとなった。以来、中途半端な売り上げしか望めないオーディオ製品の生産は徐々に減り、逆にDJ機材は年々増加の一途をたどり、今や主力商品の座を担っている。
そもそもキャリオニアにとってDJ市場はそれほど魅力的だったわけでもない。マーケットこそグローバルなものだったが、いかんせん規模は小さかった。また、開発しようにも製品に対する知見がなかったばかりか、DJそのものに対する知識すら皆無に等しかった。
だが、ひとりの取締役のちょっとしたへそ曲がりから、キャリオニアはDJ機材のトップランナーへと登りつめた。
車載用ナビゲーションシステムの黎明期、開発部門が社内でのプレゼンテーション用にナビのカットモデルを製作。地図データを記録したCDとそれを読み取るレーザーピックアップのあたりが露出していて、まるで小さなレコードプレーヤーのような代物だった。振動が強ければ、レコードプレーヤーは盤面を針がなぞることが出来ず「針飛び」が生じる。ディスクを読み取るレーザーも同様の課題に直面したものの、キャリオニアのエンジニア達はそれを乗り越えて見せた。
「回転しているCDを揺らしてみても、モニターに映る地図に乱れは発生しません。どうぞ、お好きなだけ揺らしてみてください」
役員向けの試作機プレゼンテーションの席。エンジニアの説明に、役員達は試作機のカットモデルに額を寄せた。そのうち、生産技術上がりで設計図も読める役員がディスクを指で弾いたものの、エンジニアの言う通りモニター上に一切の乱れは生じない。続いて、何人かの役員が本体を小突いたり、モデルを置いた机ごと揺らしてみたが結果は同じでモニターは淡々と道路をトレースし続けてみせた。すなわち、車内での揺れや衝撃にも安定してCDが読み取れることを実証したのである。
「いかがでしょう。スタビライザーと先読み機能のコラボレーション、以前より精度を高めただけでなく、構成部品を減らしてコストカットも実現……」
立て板に水のごとく説明する若いエンジニアにほとんどの役員は興味深そうにしていたものの、ひとりのへそ曲がり役員だけは疑り深そうな表情を浮かべていた。長年、技術畑を歩いてきたものの出世レースではさしたる地位を得ていない人物で、新技術については有無を言わさず慎重論を唱えることでも有名だった。
一同がエンジニアの追加説明を聞くために試作機から目を離すと、その役員はやおら試作機に手を伸ばし、あろうことか回転しているディスクにさわり始めた。手のひらで無理やり押さえたり、逆回転させようとする様は、ターンテーブル上のレコードをスクラッチするDJの動きに見えなくもない。この狼藉とも取れる検証に、真っ先に気付いたのは社長だった。
「お、おい、君! いくらなんでもそりゃ無茶だ」
唖然としたのは他の役員、エンジニアたちも同様だ。しかし、試作機を壊さんばかりにスクラッチしていた役員が「モニターを! モニターをご覧ください」と指差して叫ぶと、会議室はにわかにどよめいた。
モニター上で投影されていた道路地図が上下左右、いや自由自在なまでに「踊って」いたのだ。それは到底クルマの動きとは思えないもので、スクラッチに合わせて右右右、左、そして上、すぐさま下下下などと小気味いいまでのアクティブさに誰もがあっけにとられた。
これがキャリオニアがCDJを開発した発端とされている。開発された最初の商品、ターンテーブル上でレコードを激しくスクラッチするDJのアクションを、CDで再現できる「CDJ」シリーズは世界中で売れに売れたのだった。無論、精密電機分野で培った品質というブランドイメージも重要なファクターだったろう。また、世界の一流と呼ばれるクラブやDJたちに機材を無償提供し、地道に宣伝する戦略も効果的だった。クラブ業界やプロDJの間でスタンダードになりさえすれば、そこを目指す子供達が放っておくはずもない。勢いに乗った音響部門は様々な機材をリリースし続け、圧倒的なシェアを握ることに成功。また、こうしたキャリオニアの牽引もあって、小さかったDJ市場はにわかに拡大し始め、現在も成長を継続しているのだ。
間渕公平が中途採用されたのは、そんな頃だった。
プロDJだった公平に、キャリオニアは機材の評価を依頼していた。使い勝手や仕様の評価が任され、開発初期の製品を除けば、現状のラインナップすべてに公平の意見が反映されている。
当時の開発部門でDJといえばBucci(ブッチ)、すなわち間渕公平の代名詞にさえなっていた。そして、公平がDJを辞めると、すぐさま入社の声がかかった。ただし「研究員として雇用する社員の資格」という社内規則が開発部門への道を阻み、現在の音響部門営業課に落ち着いたのだった。開発部門としては苦渋の決断だったに違いないが、公平自身もまた納得いくものではなかった。
「別に所属なんてどうでもいい。でも、これまで通り開発のアドバイスって仕事ができないのがツラいといえば、ツラい」
不満を募らせる公平を見かねた営業課長が、それこそ気休めで「転属試験」を持ちかけたのは入社後半年が過ぎた頃だった。
「その試験さえクリアできれば開発にいけるのですか。これは面白そうだ」
課長は、難解な技術知識が求められる試験だけに一度受ければ諦めもつくだろうとタカをくくっていた。また、親心というわけでもなかったが、会社勤めをしたことのない公平に、仕事の厳しさを知るきっかけにでもなれば、との思いも込められていただろう。
だが、公平は落第に懲りることなく試験を受け続けた。
仏の顔も三度までとはよく言ったもので、四度目に落ちた時には課長の額に青筋が立ったのも無理はない。世間知らずにも程がある、部内の空気をこれ以上乱すな、自己中心的な考えを改めよ、さすがに厳しい言葉が浴びせられた。
そして、五度目の試験を受けると公平が言い出した時、課長は言葉にこそ出さなかったが「最後通牒」を突きつけるつもりで我慢強く言ったものだ。
「どうやら覚悟を決めたようだね、間渕君」
落ちたら後がないぞ、言外に含めたつもりだったが、めでたい性格の公平には伝わらなかった。
結局、課長の懸念は的中し、公平は五度目の不合格をさらすはめになったのだった。
「ともかく、これからも音響部門の営業マンとして積極的に働いてもらうこと、これだけが私の望みだ。わかってもらえるよな、ディージェー間渕君」
課長がスッキリした顔をみせると、公平は一礼して自分の机に戻った。
---ディージェー間渕じゃないんだよ、DJ ブッチと呼んでもらわないと。
気分を変えられないかと、視線と想いを巡らせた。机の上に無造作に置いてあった自社製のサウンドミキサーに目が止まる。それで引き出しに量産試作のヘッドフォンがあることを思い出した。耳に当てるマッフルが巨大なドーナツのようなデザインで、いかにもクラブDJが使いそうに見える。が、性能はいたって平凡なもの。スピーカーの分解能が低く、高低音の分離と「粒立ち」が弱い。内部のネットワーク回路で工夫ができるところだけにいかにも惜しい。大音量に包まれるクラブで、DJの命綱とも言えるヘッドフォンならば、公平の耳もより厳しくなる。
---もっとも、パソコンとウチのミキサーがあればモニターしなくとも直感的なミキシングができるけどな。
そう、今やDJといえどもクラブでレコードを鳴らしている者は少数派に過ぎない。大半はパソコンのDJソフトを用いて、データ化された楽曲をDJ向けハイスペックミキサーで「演奏」するのがメインストリームだ。
公平はヘッドフォンを挿してあるミキサーに目を向けた。チャンネルがふたつだけのベーシックなタイプに過ぎないが、フェーダーとイコライザーはもちろん、さまざまなサウンドエフェクトのダイヤルやセレクトボタンが整然と並ぶ。従来のミキサーと違って、ソフトごとに機能をアサイン(割り当て)できるタッチパッドなど、見てくれは昔のSF映画に出てくる宇宙船のコンソールを思わせる。
正直なところ、公平もすべての性能を使いこなしているわけではなかった。
---でも、フルに使いこなすにはテクニックより感性やセンスだ。キャリオニアがあれば、フロアがロックできると思ったら大間違いだぜ!
などと、ひとり納得した様子でブルーノ・マーズのリブートにリズムをとっていると、不意に肩を叩かれ、尻が持ち上がった。
「びっくりさせんなよ!」
公平が振り向きざまに出した声は、ヘッドフォンを大音響にしている時にありがちなデカい声。肩を叩いた本人はもちろん、周囲の者すら驚いて肩をすくめていた。
「その試作品ってビギナー向けの安物だから、あんまりボリューム上げても意味ないよ」
クラシカルなティアドロップのメガネ越しに、目つきが小さな腹立ちを見せている。エンジニアのユニフォームたる白いモック、肩のあたりが角ばって見えるのは痩せているせいだろう。あるいはクシャクシャな髪型と細い身体のコントラストか。
「それとも、聞きたくないお説教でもされていたとか?」大倉久太郎は、皆に見えない角度で胸ポケットのタバコを指差した。
「ウッセーな、キュー太郎! ちょっとこっち来いや」荒っぽい言葉とは裏腹に、公平のほおが緩んだ。
久太郎は社内で気を許せる唯一の友人だった。父親同士が親しかったことから、幼いころから互いの家を行き来しており、今に至っても仲の良さは変わっていない。
白いモックをはおったとおり、久太郎は開発部門に所属しており、手がけた製品が褒賞されたこともある。これが久太郎の研究者としての立ち位置を高めた。おかげで、公平は現役DJアドバイザーとして高額な契約料がもらえただけでなく、途中入社の口添えまでしてもらえたのだ。一方で、それほど優秀ならば出世街道をまっしぐらに進めそうなものだが、久太郎の社内における評価には裏側もあった。
生来の人嫌い。
エキセントリックな性格からか、公平のような人物とともに育ってきたからなのか、人の選り好みが激しく、気に入らない相手とは一切のコミュニケーションを絶ってしまう。しかも対面時だけならいざ知らず、社内ネット上での物理的なラインさえ断線させてしまうという噂すら立っていた。社内のイントラネットを意のままに操れるというハッカー的な能力のせいで、セキュリティ部門からは『要注意人物』と目され、人物評定に翳りが生じていたのだ。
そんなふたりが営業部の部屋をこそこそ抜け出す様子は、出来の悪い学生が授業の途中でサボる姿となんら変わるところがない。
「どうしたの? まさか、また試験に落ちたとか?」喫煙所に向かう長い廊下で久太郎が公平を覗き込んだ。
「まさか、とか言ってくれるね。だいたい落ちるの分かってたんだろが」
「そりゃそうだよ。コウちゃんは比較人類学とかなんとかいうガチの文系なんだから、電子技術の試験なんて土台無理がある。何度も言ったよね。ゆえに、落ちたからと言って恥じることもないのだ」
「その『ゆえに』ってやめてくれないか。理系っぽくて腹立つわ」
「で、どうするの? またチャレンジするっていうなら、参考書でも貸してあげるけど」
「いや、もう試験やめる。やっぱり『ここではないどこかへ』って動機が不純だった。いっそのことキャリオニアもやめようかと思ったよ……。そもそも『DJの成れの果て』に会社勤めなんて無理だったのかな」
「あー、なんとなくわかる。その辞めるって選択、タイミングいいかもよ」おっとりした久太郎のセリフがタバコの煙とともにゆらめく。
「おい、まずはとめようよ。お前が入れっていうから入ったんだから、辞めるっていったらとめろよ」
「あ、とめてほしいわけ? やっぱ、慰留しろとおっしゃる? こんな会社でもしがみついていたいというわけですか」
「この野郎、ふざけてるとシメんぞ」公平が腰を下げ、ゆらりと両手を構えかける。
「出たー! カマキリ殺法ですか? ドントシンク、フィ〜ルってやつですか?」
「わかってないな。こりゃ詠春拳、イップマン教えるところの接近戦の構えだ。一瞬で相手の喉仏をかきむしれる。ちなみに、ブルース・リーのは截拳道。覚えておけ」
父親がブルース・リーに影響を受け、子供の頃からいくつかの中国拳法を習わされた公平は実際にそこそこの使い手に育っていた。
「で、タイミングってどういう意味だ」短くなったタバコをもみ消しながら公平が尋ねた。
「さぁ、それなんだけどね! 今朝の役員会議でウチが買収されるって話が出た」
「すごいね! いつの間に役員会議に出る地位をゲットした?」
「バカ。議事録のコピー、たまたま覗いたんだよ」
「ほざけ! たまたま覗けるほどウチのセキュリティは甘くないだろ」
「ハハハ、細かいこと気にしなさんな。人事部長のマシンがハックされてるなんて誰も疑ってないから」
「お前のせいで通産省から調査入ったんだから、ほどほどに! セキュリティルールの変更って、社員からしたらめちゃくちゃ面倒臭いの知ってるだろうが」
「わかったわかった。でね、ウチを買い取ろうっていうのがアメリカのなんとかって会社」
「なるほど。ついにウチも公用語が英語になるわけだ」
「エクスキューズミー?」
「まだ早い。議事録の続きを教えろ」
「オーケイ。先方はウチにバイアウトを求めてるらしい」
「バイアウト?……野球で言うところの……ダブルプレイ的な?」
「言ってる意味がわからないけど、完全に買収しようというわけでなく、部門を選んで経営権を手に入れたいと望んでるんだ。技術部門、工業電子部門、それから医療機器と情報通信なんかを欲しいってことらしい」
「英語が得意な人には嬉しい話かもしれんね。あるいは、アメリカ人の社員とか。ほら、BDレコーダーやってるジェイムズさん、あの人も日本語おぼつかないからね」
「ジェイムズはコウちゃんの日本語よりマシでしょう。ひどいのは胃カメラのチャールズさん。笑いながら喋ると、なに言ってるのかさっぱりわからない」
「ああ、赤毛のチャールズね! 待てよ、あの人バタ臭い顔してるけど、出身はシンガポールだか香港じゃね? 食堂のラー油をラーメン一杯で使い切るって、おばちゃん愚痴ってたじゃん」
「そりゃ僕の隣で翻訳ソフト作ってるチャンだよ。バタ臭いというより、笑いながら裏切るメキシコ人俳優的な顔ね」
「ハハハ『アディオス・セニュール!』ってやつか。今度声かけてみよ……ていうか、音響部門は?」
「売れ残る。コウちゃんの従姉妹、ほら、静江さんだっけ? 彼女みたいに売れ残るはずだよ」
「するとどうなるんだウチの部門は? ちなみに、静江ちゃんは確かに未婚だけど漬物のネットショップ開いてそれなりに成功してるぞ」
「ふむ。そしたら静江さんに教わってピクルスのネットショップでもやるかね」
「いいね。赤いのやら、緑のやら、メイソンジャーに入れちゃって……ていうか、マジでどうなる?」
「財務状況の詳しいことはわからないけど、音響部門だけで独立するのは不可能、だろうね。技術開発が別会社になっちゃうわけだから、競争力が極めて低下する。早晩、破綻することは確実かな」
「なるほど! それで辞めるにはタイミングが良かったわけだな。久太郎ちゃん、たまには使える情報もってくるじゃない!」
「でしょ、でしょ! この件、本当にそうなったらコウちゃんどうするつもり?」
「エクスキューズミー?」
「コウちゃんの部門にとっては英語以前の問題だろ」
「音響部門が破綻するってことは、DJ機材もなくなっちゃうのか?」
「その可能性は高いけど、どこか奇特な会社が買い取ったりしたら生き残るチャンスもある。なにしろDJの分野はシェアもブランドもあるんだから、開発さえできる企業ならうまくいくかもしれないね」
「だったら、ユー、開発しちゃいなよ」
「ミーが? それはそれで面白いとは思うけど、僕がやりたい方向とは違うよ」
「あー、翻訳ソフトやりたいんだっけ?」
「違う違う。あれはチームリーダーやっただけ。……ほら、もっと、あるだろう」
「わかった! 電子バイオリンの形してるけど、弾くとトランペットの音が出るやつだ」
「それも量産試作までいったけど、マーケに不評でディスコン(開発中止)」
「そしたら、メガネの形でアイアンマンみたいに通信できる、あれか?」
「お! いい線ついてる。それ、もう少しで試作品できるよ。けど、惜しいことしたな。もう一回試験受けるなら、そのメガネでカンニングとかやりたい放題だったのに」
「これだから、お前の評判はいいこと聞かねーんだよ。理系はすぐにカンニングだもん。お前の人生すべてカンニング! 略して『すべカン』だね」
「たしかに文系のカンニングって効率悪そうだ。書き順とか、読み仮名をふるとか、小・中学生向け商品にしかならないね」
「売るな! すべカン野郎!」
一週間ほど経つと、買収の噂は全社を巡った。キャリオニア自体の業績はわずかながら黒字を保っていたことから、財務方は「敵対的買収」を予想して戦々恐々。悲惨だったのは、売れ残りが噂された音響部門に他ならない。中には部門の独立を思い描いて楽観視する者もいなくはなかったが、大半は瞳を曇らせて不安と疑心に苛まれた顔ばかり。その一方で、北米から撤退したどん底の時期でも思い出しているのか、何のこれしきと気勢を吐いているベテラン社員もいることはいた。
ともかく、社内でもっとも歴史ある部門、今に至る業績の礎、ブランドの顔とまで呼ばれた部門だけに、噂の震度は最大級だった。
公平は、試験の落第からは立ち直っていたが、部内の冷え込んだ雰囲気に嫌気がさし、営業活動と称して外出する時間を増やしていた。
---このまま残っても『早晩、破綻することは目に見えている』なんて偉そうに言われると、辞めたほうがいいし。どこかの会社にDJブランドだけ買われたら『公平が元DJってアドバンテージを改めて主張すれば、それなりのポジションにつけるかも』って久太郎の意見も理にかなっている。ほんと、どうしたもんかね。
このところ、ひとりになるたびに頭を巡るどっちつかずな気分。
公平にしても、これまで思い悩んだり、立ち行かない場面に差しかかるなどストレスを感じることがなかったわけではない。その都度、浴びるほど酒を飲み正体なく酔っ払うと、二日酔いを味わいながらも頭の中をクリアにできていた。
---だいたい人間なんて単純なんだから、ぐっすり寝て起きたら大抵のことには見通しが立つ。
このストレス解消法に対して納得のいかない者がいると、そんな理屈を述べていた。
今度もこの乱暴な方法を試してはみたものの、どうも首尾が悪い。
---ちょっとヤバいな。焼きが回るとか、分別くさいとか、オレもそういう年頃なのか。
公平の歳で分別くさいもあったものではないが、見通しがつかず決断も覚悟もできない自分に対し、やりきれない思いのまま帰社の途についていた。
「戻りましたー。日報、さっきメールしときましたんで、コンピュータ閉じて帰ります」
営業部に戻った公平はルーティンな言葉だけを発し、カバンの中のタブレットを机に戻すとさっさとログアウトのプロセスに入った。
「間渕君、ちょっと話があるんだ。いいかね」
課長が自席から声をあげ、部内の打ち合わせスペースを指差した。
社内の打ち合わせに会社支給のタブレットは必携、このルールに従えと再三指摘されてきた公平は、終了して画面の消えたタブレットを脇に挟んで打ち合わせのテーブルに向かった。
---電源入れとけ! とか叱られたら「会社やめる」って言おうかな。
そんな開き直りが顔に出ていたのかもしれない。課長はいつも以上に親しげな笑みを浮かべていた。
「今日もご苦労さん。ええと、渋谷の池端楽器、池袋はロッカーズとDJステーションか。どうかね、市場環境は、え?」
公平が送った日報から目をあげた課長は、それまでと同じく柔らかな表情。まさかバレるはずもないが、喫茶店でサボっていたことをなじられる様子はない。
「夏のフェスが一段落してますんで、機材関連の動きは鈍いようです。ただ、ドイツのメラート社が買収によってサポート終了の噂が出ていまして、対応するウチのミキサーに問い合わせが出始めています」
買収という言葉を口にして、しまった! という顔をしたのは公平だけではなく、課長も目をしばたいていた。
互いにバツの悪い顔をしながら、話の接ぎ穂を探る。
「……ええと、それで、お話しとはなんでしたか?」
「おお、そうだ。他でもない、君にチャンスが巡ってきたんだよ」
「チャンス? と言いますと」小首を傾げる公平。
「今朝方、上からお達しがあったんだが、来週早々に社内の選抜試験が行われるそうだ。その試験、受験するには条件があってね、三十歳未満、独身男性というくくりなんだ。部内を見渡すと、相良君、大原君、それと君が候補にあがる」
「すると、私ら三人にその選抜試験とやらを受けろ、ということですか」
「いや、聞いてみたら相良は明後日の誕生日でちょうど三十になるそうだ。で、大原は大原で今週末に結婚式を挙げるらしい。私は知らされてなかったがね」
「となると、私ひとりがその受験資格を持つというわけですね……。はぁ、承知しました。ですが、その試験で何を選抜するんでしょうか?」
「うん、そこね。選抜てくらいだからね、選りすぐるわけだよ。社員の中から、選りすぐる、えーと、選りすぐる……」
課長の目が宙を泳ぐ。---もしや! 公平の脳裏に疑念が閃いた。
「まさかのリストラ? 買収される前にコストカットして身軽に、という経営層のお考えでは?」
「そんな、まさか! 買収だって決まったわけじゃないし」
「だったら、なにゆえこのタイミングで? 偶然なんて、O・ヘンリーじゃないけど信じられません」
「いや、だからリストラの選抜じゃないって言ってるじゃないか」
「そうはおっしゃいますが、失礼ながら裏がありそうだと勘ぐらずには……」
「聞き分けのないことを言わんでくれよ。私だって、上から回ってきた仕事を振ってるだけで、選抜の目的までは知らされていないんだから」
「聞き分け悪いついでにお伺いしますけど、万が一これがリストラの選抜だったとしてですよ、私がまんまと引っかかって、リストラの憂き目にあったとしましょう。それでも、課長は枕を高くしてお休みになれますか?」
「むむ」課長は腕組みをして口元を固く閉ざしてしまった。
眉根を寄せ、小さな目をさらに小さく縮こませた課長を見ていると、不遜だと思いながらも憐れみの情が胸に湧く。
---上場企業と言っても、この人の立場は中間、それも下に近い管理職だ。オレに分からない苦労だってあるだろうに。生意気な若造から、枕を高くして眠れますか? なんてほざかれてみろ、オレならブチ切れる。ああ、気の毒に。そんな風に、いたたまれなくなるのと同時に、公平の脳裏にあるアイデアが閃いた。
「課長……申しわけありません、口答えなんかしてしまって。立場をわきまえるべきでした」一転して、しおらしい声。「ご指示通り、選抜試験を受けさせていただきますので、お気を悪くなさらないでください」
「おお! そうしてくれるとありがたい。いや、決してリストラなんかじゃない、私が請けあうよ。いやー、良かった、良かった。ほんと良かったわー。間渕君は私が見込んだ通り、男気があるよ!」
「男気だなんて、過分のお言葉です」
公平は演じた。困り果てた上司の前で、それこそ男気を見せる部下を演じたのだ。
選抜試験はやはりリストラ候補の洗い出しに違いない。それをわかっていながら、受け入れる勇気、物わかりの良さ、そして意気込みを力強く印象付けることに成功したのだ。
安堵の顔を浮かべる課長の前を辞すると、公平はすぐさまアイデアの実行に移った。
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