前章 表裏の狂人2‐8

「ただいま」

 一山がリビングに入ると、蒼はまだソファでテレビを見ていた。そのソファは、一山が家にいる時間が少ないため、既に蒼の定位置になっていた。

「おかえりなさい。遅かったですね」

「甲斐さんと飲んできたんだよ」

 時計に目をやると、既に時計は二十三時を回っていた。

「いいのか?寝なくて」

 明日は金曜日なので、一山は仕事、蒼も学校があるはずだ。

「一山さんが、私に聞きたいことがあると思って」

 蒼は、目線は画面のままで答える。画面には、最近流行りの人気俳優が映っていた。

「聞きたいこと?」

 一山が椅子に腰かけて首をかしげると、蒼はノールックで、画面を付けたままのスマホを渡した。

 一山はそれを受け取り、画面を見る。

「『侑香さん』って、お前の母親か?」

「まぁ、そうですね」

 一山は画面をスクロールして、今日の会話を読む。

侑香さん[今日、警察が家に来た。あの子のことで]

蒼   [大丈夫でしたか?]

侑香さん[えぇ。あなたのことも聞かれたわよ]

蒼   [私のこと?]

侑香さん[なんか、一山とかいう警察から。とにかく気をつけなさい]

蒼   [わかりました]

 メッセージはそこで終わっていた。

 やはり、蒼は親との仲が悪い。以前のメッセージは四ヶ月前。必要なこと以外の、世間話的な会話は全くなかった。

 更にトーク画面をスクロールしようとすると、

「プライバシーの侵害です」

 と言って、いつの間にか目の前にいた蒼がスマホを取り上げた。

 蒼はそのまま、元のソファに戻っていく。

「で、なんですか? 聞きたいことって」

「別に、聞きたいことなんかない」

「嘘つかないでくださいよ。私のこと、あの人から本当に聞けました?」

 一山は黙った。確かに母親からは、思ったような情報は得られなかった。だが、本人に聞いたところで、ちゃんとした回答が帰ってくるとは思えない。

 迷った末に、別の質問をした。

「お前、なんでそんなに親と仲悪いんだよ」

 蒼の答えは、すぐには返ってこない。少しの間、彼女は閉じこもるように目をつぶっていた。

「なんでって言われても、」

 ようやく話し始めた蒼の声には、少しの固さが見えた気がした。

「私、高校生ですよ? 反抗期ぐらいありますよ」

「ただの、反抗期なんかじゃないだろ」

 当たり前だ。

確かに、健全な高校生ならば反抗期でもおかしくない。反抗期なら、親といるのが辛い、家にいたくない、ということもよくある。

だが、それでも、親戚でも何でもない、素性のよくわからない男と一緒に住むことにはならないはずだ。蒼はそんな馬鹿な高校生ではない。

一山の目は、今にも逃げたそうな蒼をしっかりと捉えている。

「反抗期じゃない。もっと、重い話なんじゃないのか?」

「さぁ、どうでしょうね」

 一山の鋭い追及も、蒼ははぐらかす。

「聞きたいことを聞けって言ったのはお前だろ」

「答えられることと、答えられないことがありますよ」

 蒼の家庭環境を追求するのは、まだ難しいようだ。

 一山はため息をつく。

「本当に、お前は何者なんだよ」

「それは、」

 何か言いかけた蒼の次の言葉を催促するように、一山は前のめりになる。

 だが蒼は、薄い笑みを浮かべて、

「まだ、早いですよ、話すのは。終わっちゃうじゃないですか」

 とさらりと言った。

「は、」

 一山の背筋に冷たいものが降りる。

 一山は、蒼についてほぼ知らない。

 県内有数の進学校の一年生。だが年に見合わず頭が切れる。姉は生徒会長で成績優秀。父親は大企業の社長だが、母親からは愛情を向けられず育った。

 蒼の内面的なことに関しては、一山は何も知らなかった。いや、誰にも知らせていないのかもしれない。

 そしてそんな得体のしれない物に目をつけられた自分。

 どうして、自分はこんなにも彼女に魅入られているのか。自分は、彼女に何を知られているんだろうか。

 一山の動揺した目線を受けた蒼は、ふっと微笑んだ。

「それじゃあ、おやすみなさい」

 と言って、部屋に戻ってしまった。



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