落とす人

久条楓斗

前章 表裏の狂人1‐1

復讐なんて無駄だ。復讐は何も生まない。復讐なんてしても、被害を受けた人間が喜ぶことはない。

 だが、本当にそうだろうか。


 一山亮太朗は、九月初旬にも関わらず居座り続ける、真夏の暑さでやられた頭でぼんやりと考えながら、階段を踏んでいた。エレベーターを使おうとも考えたが、生活安全課が慌ただしく占有していたため、泣く泣く階段を使うことになった。

 復讐、そんなことが浮かんできたのは、先ほどまで担当していた事件の影響もあるか。

 どうであれ、復讐は何も生まないという言葉には、賛同できない。勿論、殺人は許される行為ではないが、一般人には計り知れない覚悟を持ち、行動に起こした結果がそれとは、あまりにも胸が痛い。

 無機質な階段を目当ての階まで上り終え、

三階へ入る扉を開ける。

そこから、会議室に続く廊下を少し行ったところで、後ろから先輩の甲斐健太が声をかけた。

「おかえり、リョウ。ありがとね、所轄いってくれて」

 労いの言葉をかけながら、甲斐は隣に立って歩き出した。

 甲斐は年齢が五十代後半の、ベテラン刑事であった。役職も、一山より2つ上の警部であった。

「はい……」

 と曖昧に答えると、甲斐は、うつむいている一山の顔を覗きこむ。

「お前、そういうのよくないぞ。」

 ハッと顔を上げ、甲斐を見る。

「まぁ、ホシだって人間だ。同情しちまうような、かわいそうになるやつだっているさ。

 今回の事件だってそうだぞ。娘に事故で死なれた父親が、娘と最後にいた同級生を襲った。それで動機は、あいつが殺したんだ、その復讐だ、だ」

 復讐。この言葉がまた、心に響いた。

「そりゃあ、嫌になりますよ。父親は、早くに奥さんを亡くして、男手一つで育ててきた可愛い娘まで亡くなったんですから」

いうまでもないかもしれないが、確かに今回の事件の被害者は通事故が起こる前に一緒にいたが、全く関与していなかったのだ。

運転手も事故が起きた時に死亡している。

そのため。残念ながら彼の復讐は、結果的に、無意味だったと言わざるを得ない。

「犯人に同情して、悩んで落ち込んでちゃ、刑事続かなくなるぞ。お前も、それなりの魂もって、ここにいんだろ。お前は優秀なんだから。そんなことでへばんなよ」

 どうやら甲斐は、二人で担当したいくつかの事件から、かなり一山をかってくれているらしい。

「そろそろ巡査部長は役不足だろ」

「そんな、僕まだ27ですよ? 勤続年数も全く足りてませんし」

 かっていただいているのはありがたいですが、と一山も笑みを返した。

 会議室の扉を開けると、独特な空気感が押し寄せてきた。

 大量の机と椅子が、前のスクリーンと、ホワイトボードの方に向けて整えられている。

すでに椅子は、ほぼ全席が埋まっていた。

「またなんか事件ですかね?」

 一山は甲斐の方を向こうとするが、

「すいません!」

 大きな段ボールを持ったガタイの良い男が間を通り抜けていったため妨げられた。俺とそこまで年齢が変わらないように見えたが、慌てふためいている様子を見て、一山は、自分が県警に入りたてだった頃を思い出した。おそらく、年下だろう。

「さぁ、俺はそんなニュース見てないがな。リョウはなんか知ってることないのか?」

「僕さっきまで現場出てたんですよ。知ってるわけないじゃないですか」

「それもそうだな」

 周りを見渡すと、どの捜査員も、ことにまったく検討ついていない様子だった。

「リョウ、とにかく座ろう。もうすぐ始まるよ」

 二人は急いで、空いている前の方の席に座った。すぐに甲斐は、おいてある事件資料を手に取った。

 そのうちに前方の電気が落とされ、スクリーンが鮮明に見えるようになった。

 城西高校生連続殺人事件。一山はこの事件について、個人的に調査をしていた。とうとう警察も、公式に事件として処理することにしたようだ。

「起立!」

 松葉徹警視の低く鋭い声で、捜査員が音を立てて椅子から立ち上がる。全員が背筋を伸ばし、真剣な面持ちで前方に立つ松葉に注目する。松葉はそれに応えるかのように、捜査員を見回した。

「礼!」

 弾かれたように頭を下げる。

「着席!」

 捜査員全員が、音を立てて座った。

 それを見て、松葉がコホン、と咳払いしてから話し始めた。

「えー今日から、今まで生活安全課が担当していた、高校生の連続自殺を、城西高校生連続殺人事件と改め、殺人事件として、捜査一課が引き継ぐこととなった。理由は諸々あるが、大きな理由は、目撃者が出たことだな」

 確かに、目撃者がいるなら話は変わってくる。必然的にそれと同じ手口とみられる前の事件も調べることになる。

「今回は生活安全課の黒瀬巡査の方から、生活安全課の情報を伝えてもらう。よろしく」

「は、はい!」

 出てきたのは、さっきのガタイの良い警察官だった。かなり肩が上がっており、緊張した様子が見て取れる。

「生活安全課の黒瀬勇樹です。私から、事件の概要を説明させていただきます」

 一山は赤いメモ帳を取り出し、真新しいページを開く。去年、彼女からプレゼントされたものだ。

「この事件は、これまでに三件。一人目の被害者は、月城朱梨さん。三年生で、剣道部の部長。恋人は、おそらくいません」

 スクリーンに顔写真が映し出される。一山は写真を見ないよう、目をそらした。

「四月十六日。死因は転落したことによる頭部外傷でしたが、体には他にも外傷がありました。転落する前に犯人と、揉み合いになったと考えられます。目撃者はなし。事件当日は部活が無く、生徒が残っていなかった時間に犯行が起きたということが挙げられます」

 抵抗時にできた外傷か?と書き加える。

「二人目は石川渚。女子バスケ部の一年生でした。彼氏持ち。

同月二十四日。彼女は、住んでいるマンションの屋上から転落したものと考えられます。同様に、外傷あり、目撃者はなし。事件の前親には、友達と遊ぶ、と話していました。

 三人目は小原壮亮」

 次々に切り替わる映像を、一つ一つ目に焼き付ける。

「八月十九日。彼は最近通い始めた整体の入っているビルの隣のビルの屋上から。

ですが、目撃者がいました。忘れ物を届けに来ていた被害者の弟が、屋上の前で犯人と鉢合わせ。犯人は逃亡し、その際殴られた弟は階段から落ち、昏睡状態に。先ほど意識が戻り、証言してくれました。目撃者は現在この一人だけです。

被害者の話に戻りますが、部活は野球部でエースを務め、県の代表選手にもなっていました」

 一山は要点を書き残したメモを読み返す。

「確かに、前の二件は殺人だという前提が無きゃ、ただの自殺にしか見えませんね」

「あぁ。だから、この事件も最初は事件性無しで、生活安全課が担当したんだろう」

 そして今のところ、被害者達には全員に共通する点が見当たらない。学年も、部活も、被っている習い事もない。学校が嫌いで、城西生ならだれでも良かった、なんて不気味な犯人なら、ありえなくはないが。

「犯人は犯行当時、黒いジャケットに黒のパンツ。靴は赤色で、顔はフードで見えなかったそうです」

 特徴をメモしながら頭の中で服装を組み立てる。

 どうせなら、靴まで黒くすればよかったのに。一山の頭にはそんな疑問がよぎった。

「現在、生活安全課が掴んでいる情報は、これで全部です」

 黒瀬は一礼し、元の席へ戻った。

「黒瀬巡査、ありがとう。また明日朝一の会議で事件を詳しく整理する。今日の所は、解散してくれ」

「起立! 礼!」

 会議室の電気が再び点灯し、捜査員が立ち上がりだした。

「ふぅ、やっとこれで、家に帰れますよ」

 腕時計を見ると、まだ午後六時を回っていなかった。

「今日は早く帰れるかな」

「なんだ、同棲してんのか? 彼女と」

 一山が、荷解きをしていない荷物を手に取りたちあがると、甲斐がニヤニヤしながら声をかける。

「やめてくださいよ、忘れようとしてるんですから」

 と言い残して、帰路に就いた。

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