閑古鳥が鳴いている
大口の商談がまとまった俺は会社に戻って報告書を作る前に喫茶店に入ることにした。
この案件を三ヵ月でまとめる事が出来るのは俺しかいないだろう。客のニーズを聞いて、それ通りにプランニングするだけ。顧客の気付いていない隠れた要望を一つでも発見出来ればこちらのものだ。その要望をまとめて提案すればどんどんと話は進む。
こんな単純な事が出来ない同僚が多すぎる。どうせ怠けているに違いない。
俺がそう言っても、周りの人間はへらへら笑うばかりだ。
それにいくら教えても部下はちっとも学習しないし、少し問い詰めるだけで黙りこくる無能ばかり。俺の後任を任せられる奴はいつ現れるのか。まったく先が思いやられる。
喫茶店の中は外の光が遮られていて、少し薄暗かった。柔らかい間接照明に包まれていて、少し眠気を覚える。正面通路の右手にカウンター三席、左手に二人掛けのテーブル席が二つ、入口右手側通路の窓際に二人掛けのテーブル席が二つ配置されている。
客は既に飯を食い終わった女がカウンターに一人いるだけで、あとの席は昼時だというのに一つも埋まっていない。
こんな閑古鳥が鳴いている店に入って大丈夫だろうか。
小さな喫茶店だ。おそらく道楽でやっている類の個人店だろう。店がどうであれ、俺の口に合うコーヒーが出てくれば文句は言わないが、埃の被ったような雰囲気を感じてしまう。
窓際の席に座るとコーン、という鹿威しのような音が何処からともなく聞こえた。どうやら呼び出し音の様で、その音につられるようにもたもたとウェイトレスが店の奥から出て来た。
「ご注文お決まりでしょうか」
「ここの豆は?」
「豆? 料理だとバーニャカウダを使った野菜スティックの……」
「いやいやコーヒーの種類を聞いたんだよ。コーヒー豆。喫茶店入ってバーニャカウダを頼む馬鹿はいないだろう」
「……失礼しました。本日のおすすめはグアテマラとキリマンジャロ多めの配合ですね。酸味を抑えて旨味を際立たせています」
「正確な比率は?」
「……え?」
「調合比率もわからないコーヒーを出すのかここは?」
聞いてきます、と慌てて奥へと引っ込むウェイトレスを見ながらため息を吐く。こんな当たり前の事も答えられないのかこの店は。待っている間に暇つぶしに店内を見渡すが、細かな調度品や壁に飾られた絵などは悪くない。せっかくの雰囲気をウェイトレスの教育一つで台無しにするとはもったいない限りだ。溜息をもう一度吐くと、カウンターに座っていた女と目が合った。あちらも気づいたのか慌てて目線を逸らされる。じろじろと人の顔を見て客の質も知れたものだ。店も店なら客も客、小さな喫茶店なんてこんなもんだろう。
コーン、とまた音が聞こえた。先ほどよりも大きく感じる。
「おい」
店の奥に声を掛けるが誰も出てこないので二、三度声を掛けるとようやく先ほどのウェイトレスが出て来る。
「何でしょうか。コーヒーの調合については確認中で……」
「そんなに確認に時間が掛かることじゃないだろ……まぁ早くしろ。それより小腹が空いているんだが」
「それでしたら軽食メニューがこちらにございます」
ドリンクメニューの裏に立てかけられてあった軽食メニューを取り出しながら、ウェイトレスがにこりと笑った。
何だこいつ、軽食メニューくらい自分で見つけろってか。馬鹿にしてるのか。
「わかりにくいところにメニューを置くな」
「……申し訳ございません」
またカウンターの女がこちらをチラチラ見ていたので睨みつける。いちいち人のテーブルを見て失礼だと思わないのだろうか。
サンドイッチを頼んでブレンドの配合を聞き、ようやく一息つく。有能なウェイトレスがいれば一度で終わった話だ。
コーン、という音が耳元で聞こえた。思わず振り向くが、そこに何も無い。さっきから耳障りな音だ。
「おい。……おい! 客が呼んだら一度で来い」
コーン、という音が再び響いた。思わず飛び上がる。耳元どころではない、何かの拡声器を通したのかと思うほど、鼓膜を震わす大きな音だ。
そして今度は一度では鳴りやまなかった。コーン、コーンと断続的になり続けている。
「早くしろ!」音に負けないように叫ぶ。
「お客様、恐縮ですがお静かに願います」
「五月蠅いなら俺じゃなくてこの音を止めろ! 何ださっきからコンコンコンコン!」
「……? そんな音はさせていませんが……」
「今も鳴ってるだろ! 鼓膜が破れる! 早く止めろ!」
ウェイトレスは困ったように背後のカウンターに座っている女に目線を送った。女は首を傾げて寄越す。
「何も聞こえませんが」
「お前じゃ話にならん。店長を出せ! 無能が!」
机を叩いて急かすと、奥から初老の男が現れる。真っ白に染まった髪と髭が鬱陶しい。
「早くこの音を止めろ!」
「……どんな音ですか?」
「コンコン何かを叩く音だよ!」
「……なるほど。お客様、お代は結構ですのでお帰りください」
店長は頭も下げずにそんな事を俺に言ってくる。その目に光は無く、接客をしている自覚も感じられない。なんという態度だ。俺を誰だと思っている。
「いきなり客に向かってなんだ! こんなちんけな喫茶店の店主が偉そうに」
音はいよいよ耐え難いものになっていた。一つ音が鳴る毎に歯の奥がギリギリと割れそうになるし、自分の意志とは関係無く身体が一瞬硬直する。
「やはりそうですね。どうぞお引き取りを」
「やはりってなんだ」
「閑古鳥に鳴かれるようなお人柄だなと思いまして」
「はぁ?」
「貴方が聞いてるのは、閑古鳥の鳴き声ですね」
店長はどうぞ、と入口の扉を開いて俺を追い出そうとする。そんな態度を取られるとますます帰りたくなくなる。
俺は椅子に深く座り直した。
「閑古鳥が鳴いてるのはお前の店が流行りもしない寂れた店だからだろうが!」
「いいえお客様。本当の閑古鳥は違います」
店長がにっこりと笑いかけて来る。
「閑古鳥は平穏を好みます。不協和な人間を見つけ次第、その人にしか聞こえない鳴き声で追い出す習性を持っておりまして。卵が先かにわとりが先か。誰もいないから鳴くのか、鳴いて誰もいない空間を作るのか。答えはにわとりが先でして」
最後の方は何を言っているかわからなかった。遂に閑古鳥の鳴き声は俺の聞こえる音全てをジャックするほど大きくなっていた。
俺は逃げるように喫茶店を後にした。
○
「あなたは邪魔だという事です」
店長がはっきりとそう告げて僕はひやりとした。しかし、店長の言葉は既に男の耳には届いていないようだった。
「Kさん大丈夫かい。酷いお客さんだったね」
「はい……ありがとうございます」
僕がバイトに入ってもうすぐ一年になるけれど、あんなにも尊大で傲慢なデブを見たことがなかった。ここのお客さんは上品な方が多いので、尚更異質な存在だった。
「あの、閑古鳥って……?」
「ああ。昔何処か忘れたが雑貨屋で買ってね。案外長生きで可愛くてねぇ……」
今度見せてあげるよ、と店長は笑った。
「たまにこうやって、邪魔者を追い出してくれるからありがたい。この空間にいらない人間がわかるんだ」
「へぇ……そんな鳥、いるんですね」
邪魔者にしか聞こえない鳴き声、か。聞いてみたい気もするけれど、聞こえた瞬間、僕は邪魔者という事になる。それは何だか悲しい。一生聞こえないのが、一番いいな。
と、片付け中のテーブルの隅に紙切れを一枚見つけた。
「あ、あの人名刺忘れて行きましたよ……○×商事のGさん……」
「○×商事? 常連さんがいるところだ。ちょうど今日、雛を一匹貰ってくれたんだよねぇ……」
○
まったく散々な目に遭った。あそこの喫茶店に卸してる業者を調べてあそこと取引するのはやめろと言っておこう。舐めやがって。
俺が業務のついでに少し雑談するだけで小さい喫茶店ごとき潰せるのだ。あの髭面の泣き顔が目に浮かぶ。
俺は社員証を翳してオフィスへと戻る。
「おう、帰ったぞ」
俺の帰社に反応して、その場にいた奴らから挨拶が帰って来る。
その中に、コーン、という鳴き声が聞こえた。
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