大体5分奇譚~しののきたん~
紫野一歩
猫に小判
「ちょっと相談があるんだが」
通勤途中にたまに見かける野良猫が話しかけて来た。塀の上に座って背筋を伸ばしてこちらを見ている。
「何だ?」
「五百円玉を拾ったんだが、どうやって使うのが一番いいのか、人間の意見を聞きたいんだ」
「五百円くらい、自分で好きに使うのがよろしい」
「しかし、猫に小判という言葉があるだろう。そんな陰口を叩かれたくないのだ。猫だって五百円の価値がしっかりわかっている事を教えてやりたい」
「誰もが認める金の使い方などこの世に無いぞ。猫に珍しく人の目を気にする奴だな。お前らは奔放気ままなのが本質だろうに」
「それは間違っていない。我々は人間の事など爪の先ほど考えた事も無い。しかし、金の使い方も分からない白痴だと思われるのも癪なのだ」
「私は人間より猫が遅れているとも思わない。文化の違いだろう」
「いいや、お前はそうやって殊勝な事を言うが、人間のほとんどは銭を持った猫を見たら鼻で笑う。『お前がそんなの持っていても役に立たないだろうに』と」
「そういう輩は猫が金を使って物を得る事も出来ないと考えているだろう。だからやはりお前が好きな物を買えばよろしい。そうすれば鼻で笑っていた人間も見直すだろう」
「その見直すというのは『猫も頑張れば金を使えるんだな。偉い偉い』程度のものだろう。違うのだ、私は猫を代表して、人間よりも賢いという事をわからせたいのだ」
「それは無理だ。人間の方が賢い」
「そら見た事か。人間は本当に傲慢な奴だ。引っ掻いてやろうか」
「痛いのは嫌いだ。やめてくれ。それに、人間よりも賢い使い方をしたいのなら、人間に聞いてもダメだろう」
「……それは確かに一理ある。貴様よりも私が考えた方が、賢い五百円の使い方が出来るのだからな」
「どちらが傲慢なんだか」
三日後同じ道を通ると塀の上に件の猫がいた。
その足元には五百円玉が転がっている。
「なんだ、まだ使っていなかったのか」
「いや、私は五百円玉の画期的な使い方を思いついた。そこの陰で見ているがいい」
「会社に遅刻するのだが」
「そんなもの休んでしまえ」
よくよく考えてみれば、会社よりも喋る猫の方が我が人生において重要である。なんで喋ってんだこいつ。
素直に猫に従って会社に仮病の連絡を入れる。
「どうして風邪をひいたふりをするのだ」
「人間の文化だ」
猫の指示に従って、塀の曲がり角に身を寄せた。
猫は足元に五百円玉を置いたままぴくりとも動かない。
何処かで鳥がピーチク歌い、空には雲が流れている。非常に長閑だ。こんなにぼーっとするのはいつぶりだろうか。そのままうたた寝してしまいそうになる。
と、一人の小汚い男が猫の前に立った。無精ひげを生やして、コンビニのビニール袋を持っている。靴がボロボロだ。
その男は猫の足元をしげしげと眺めたあと、少しニヤつきながら手を伸ばす。
「シャーーーーッ!」
猫がその瞬間、踊るように飛び、男の顔面を引っ掻いた。男が驚いて手を振り払う頃には既に塀の上へと舞い戻っており、そのまままた眼球目掛けて襲い掛かる。
男は堪らず退散した。
「ほらな」
塀の上で、猫が誇らしげにこちらを見下している。
「ほらな、とは」
「こうして私の足元に五百円玉があると気付いた人間の中には盗人を働こうとする輩がいる。そういう奴を成敗するのだ。言わばこの五百円玉は、卑しい人間を呼び寄せる装置となっている」
私は素直に感心した。なるほど、これは人間がただ五百円玉を持っているだけでは成立しない、猫ならではの使い方だ。五百円玉一枚で、世直しを永続的に可能にする画期的アイディアではないか。
「これは驚いた。この使い方は確かに賢い」
「そうだろうそうだろう」
猫は大いに満足した表情を浮かべて、髭をヒクヒクと動かしていた。その顔を撫で繰り回す。
猫はご満悦のようで喉をゴロゴロ鳴らしている。
私も日がな平日に猫を撫でられて満足だ。有給休暇とはこういう時の為にある。猫が喋っていたら有給休暇。これは今後も肝に銘じておきたい。
さて、今日はどうしようか。長らくご無沙汰だった映画館にでも行こうか。
道の真ん中でそんな事を考えていると、スーツ姿の恰幅のいい男が小走りで隣を通り抜けた。その顔面には何本もの赤い線が奔っていた。
「ちくしょう! あいつが持ってても猫に小判だろうが!」
俺は通り過ぎていく男の背中を眺めて思わず唸る。
なかなか思い通りにはいかないな。猫も人も。
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