episode.3
「…これは…ちょっと信じらんないわねぇ」
私の隣にいる、下着の上に白衣だけを羽織るという奇抜なファッションをした女性が、手元にある資料を見ながらそう呟いた。
「その反応だと、やはりこの生き物は普通ではないようですね。レズ子さん。」
…彼女の名前は、
私が仕事上で信頼を置いている数少ない人間の内の一人である。
彼女はとにかく博識で、色々な顔を持っているけれど…一言で言うならば"超優秀な研究者"だ。
だから気まぐれで拾った生き物の、その謎の身体を調べられるのは彼女だけだと考えて、こうして今回私の方から依頼をした。
そして彼女が見ている資料こそ、まさに今現在私の膝上で船を漕いでいる小さな生き物の、その検査の結果。
「…まず、この子の体の状態からね。」
レズ子さんは、私の問いかけに軽く頷いてから話し始める。
「人体が生命を維持する為に必要なあらゆる物の基準…結論から言うと、それをこの子の身体はまるで満たせていない。」
この小さな生き物の見た目から容易に想像できた事であるが、それはあまりにも非現実的なことだった。故に信じきれていない自分がいたが、レズ子さんの折り紙つきとなればもう疑いの余地はない。私はそれほどまでに、この人の能力を買っている。
やはりこの生き物の身体は、ほぼ死んでいるらしい。
「…で、もっと不思議なのが、そんなボロボロの状態にありながら、"何不自由なく"生きれてしまっているというこの状況。」
そして、その状況にはレズ子さんも私と同じ様に疑問を抱いていた。
それはつまり、この生き物がやはり"普通ではない"と言う事。
この生き物の状態を『ほぼ死んでいる』と表現したのは、実際には『死んでいない』からだ。
レズ子さんは資料から顔を上げると、かけていた眼鏡をとって、私を見つめた。
「…まぁ、十中八九、【能力者】でしょうねぇ」
そして放たれた言葉に、内心大きく溜息をつく。
「…不死身の能力…ということですか?」
「うーん…それに近しい物であるとは思うんだけど…断定するには、まだ材料が足りないかなぁ。この子自身がまだ子供だから全然喋れないし、勿論能力の使い方も分かってないだろうし。…秘密を解き明かすなら、これから長い目でこの子を観察していく必要があるわね。」
「…そうですか。」
レズ子さんは、現状だと『痛覚が無い』事と『不死身に近い身体』である事以外に、わかる事はないと言っている。彼女の能力を持ってしても、やはりそこに干渉するのは難しいらしい。
そもそもここまで幼い内から、能力者として覚醒している人間はかなり珍しいから仕方のない事ではある。
それに、レズ子さんが解明できない領域があるのなら、それは他の誰でも解明できない領域。これ以上はレズ子さんの言う通り、時を待つしかない。
「…で、六花ちゃんはその子をどうするの?元々殺すつもりで拾ってきたんでしょう?」
レズ子さんは、涼しい表情で問うてくる。
言葉の通り、私がこれを拾った理由。1つは、私の殺気を浴びても怯える様子のない姿に不快感を覚えたから。そして2つ、最終的に恐怖心を抱いたこの生き物を殺すという遊びを思いついたから。
…だけど、2つ目に関してはそこまでこだわりはなかった。もしこの遊びに飽きた時は、すぐに殺してしまおうと思っていたほどに。
だから極論今ここでこの生き物を殺してしまっても構わない。不死身だろうと、傷が完治していない所を見るに再生能力があるわけではないだろうから、肉を細切れにでもしてしまえば死んだも同義になるはずだ。
…だが、如何せん、私はこの小さな生き物が持つ能力の行く末に興味が湧いてしまった。今ここで殺すのは惜しいと思ってしまっている自分がいるのだ。
しかしそうなると、この小さな生き物が成長するまで面倒を見なければならないという、酷く長い拷問を受けなければならない。
頭の中で葛藤して良い案がないかと知恵を絞る。…そして、一つの妙案を思いついた。
私は自分の顔に不自然で自然な笑みを貼り付けて、レズ子さんに向く。
「…あぁ。そうですね。」
「ん〜?」
「…この生き物はレズ子さんにお譲りします。あなたの好きにしてくれて構いませんので。存分に研究材料として使ってあげてください。」
そう。簡単な話だ。
成長するまで殺したくない、けど成長するまで育てるのは面倒臭い。…ならば、育児を他人に任せて成長を待てばいい。
「…あのねぇ、六花ちゃん。毎回毎回、お姉さん言ってるわよねぇ?面倒事ばっか押し付けるな、私は六花ちゃんの掃除係じゃないんだから…ってさ。」
しかし、レズ子さんは呆れたように溜息をついてから私を咎める。
言葉を選んだつもりであったが、やはり付き合いが長い事もあって、私の思惑は簡単に見透かされ、その通りには動いてくれないらしい。
「そもそも、私のこの防御力皆無の格好見て?私がどうしてこんな格好してるかわかる?」
レズ子さんは、着ている白衣を手で掴み、ひらひらさせてその中身を私に見せつける。
見えるのは多量の肌色。
彼女のいう通り、防御できるものは申し訳程度に下半身に付けられた黒色のレースの下着だけ。なんとも破廉恥な格好である。
「…あなたに節操がないからでは?」
「せっかく捕まえた美女とお楽しみ中だったのに、あなたが突然部屋に突撃してきたからでしょう…」
私がそう答えると、レズ子さんは額に血管を浮かばせてにっこりと笑った。
これは中々に怒っている状態だなと思いつつ、やはり節操はないじゃないかと、自身の言葉が間違っていなかった事に頷く。
…確かに私は、レズ子さんが見知らぬ女と肌を合わせてまぐわっている最中の部屋に侵入した。
でもそれは、この小さな生き物の汚れを落とした後、レズ子さんに連絡をしたが繋がらなかったからだ。
だからこちらからわざわざ出向いて、直接仕事の依頼をしにきたのだ。私調べでは完全なる不可抗力である。
そんな相手の女性は、私の事をレズ子さんの恋人だと勘違いをしたらしく、レズ子さんに華麗な平手打ちをお見舞いして出ていってしまったのだが。
私としてはレズ子さんの予定が無くなり、すぐにでも小さき生き物の調査をして貰える状況になったことは酷く喜ばしい事だったけれど、彼女からしたら相当ショックだったようで、ぁぁ…マイちゃん…すっごく可愛かったのに…ぅぅ…、と、ぶつくさと嘆いてた。
…しかし、私は知っている。
大の女好きである彼女が、それ以上に興味を惹かれるモノがある事を。
私は項垂れているレズ子さんの元に近寄り、私の腕の中で眠っているソレを見せた。
「…でもレズ子さん。今、あなたは逃した女の裸体なんかよりも、この生き物の正体の方が気になって仕方ない…違いますか?」
「うっ…」
私の発言に、レズ子さんは顔を顰める。
…図星だ。
「しかし…あなたの言い分を通すならば、この生き物は現在私の所有物ということになりますね。」
「つまり。…この生き物をあなたが研究するには、必然的に所有者である私の許可が必要になるということ。」
レズ子さんは、超がつくほど優秀な研究者。そして、同時に超がつくほどの好奇心と探究心を持っている。それは相対関係であり、研究者であるならば切っても切れない自然的な欲求。…そしてそれは、彼女の持つ性欲よりも遥かに高い欲である事を私は知っている。
だからいくら逃した魚が大きくて落ち込もうが、彼女がこの"謎"の塊である小さな生き物を前にして『研究をしない』という選択肢を取るわけがないのだ。
私は彼女のそんな特性を利用してやればいい。
「しかし、私は寛大な心を持っています。…あなたが貸して欲しいと言うのであれば、いくらでもこれを貸して差し上げましょう。勿論返却に期限を設けません。」
「ただあなたが、この生き物の能力が解明されるまでの間、全面的に面倒を見てくださればいいんです。それ以外の対価は望みません。」
「どうです?好条件だと思いますよ。ドクターL」
彼女の中にある欲を存分に刺激してあげる。
そうすれば彼女の眉間に深いシワが出来る。恐らく今、二つの選択肢を天秤にかけて、葛藤しているのだろう。
でも、彼女の天秤がどちらに傾くかなんて、私からしたら迷う事なく、それこそ容易に想像がつく問いであった。
だからニコッと笑みを浮かべて、レズ子さんを見つめてあげた。
「………あぁ、もう…ほんと口だけは達者なんだから…」
すると、彼女は今日一番の深いため息をついた。
「…分かったわよ。…その子置いていきなさい。…どうせ子猫ちゃんには逃げられちゃったから当分フリーだし」
自身の持つ欲に抗えず、私の思惑を飲むしかなかったレズ子さん。私は心の中で満面の笑みを浮かべた。
そして、腕に抱いた小さな生き物を彼女に渡そうと前に突き出…
「ふふ。では、交渉成立ですね。…それでは今日からこの生き物はあなたの物ということで……………?」
…そうとしたところで、私は胸元に違和感を覚えた。
何か力が加わっているような、抵抗するような…
「…あら?」
…そう、服を引っ張られているような、そんな感覚。
私はその不思議な力の正体を確認する為に、視線を胸元に映す。
そして、ソレを視認すると、眉間に深くシワを寄せた。
「…なんのつもりですか?」
私の視界に写ったのは、ついさっきまで閉じていたはずの潤んだ琥珀色の大きな瞳。
…その瞳の持ち主である小さな生き物が、私の胸元の服をぎゅっと握りしめて、私を見上げていた。
「…離してください。」
私はそれを、殺気を込めた冷ややかな視線で制そうとする。…しかし、やはりこの生き物に殺気は通用しないらしい。それどころか服を握る手の力が強くなった気すらする。
言葉や脅しでは、埒が開かない。
「…その両手、切り落としてあげましょうか?」
私は暗器ホルダーから小ナイフを取り出そうと、スカートの中に隠れた太ももに手を伸ばす。
勿論、本気で殺そうとは思っていないし、腕ごと切り落とそうとも思っていない。ただほんの少し肉を削ぎ落としてやるだけだ。
「…待ちなさい。」
…しかし、その私の行動は不意に聞こえたレズ子さんの声で止められた。
新たな苛立ちを覚える。
そして、その積み重なる苛立ちから私の中に新しく静かな殺意が芽生える。この生き物も、私を止める彼女も、全てが不快だった。
私はその不快感を彼女にぶつける為に、この生き物にした時と同じように、視線に殺気を込めてレズ子さんを見てやる。
「…なんです?邪魔するのならあなたも一緒に殺…………」
そして、その言葉を口にしようとして、彼女の表情を見た私は途中で喉を震わせるのをやめる。
…いや、正確に言えば、声を出す事を喉が拒絶した。
…この感じは、恐怖心。
。
私と合わせた彼女の視線に、私の身体が警笛を鳴らしたのだ。
それほどまでに、冷たく凍えるような彼女の真っ黒な瞳。
少しでも動けば、一体どうなるのか分からない。さっきまでとは明らかに違う彼女の雰囲気が、完全にこの場を支配していた。
「…なんです」
彼女に気づかれないようにゴクリと唾を飲み込んで、相手の言葉を待つ。
「今ね、私の中でこの子の身体の謎について、かなり自信のある仮説ができたの。」
「もしかしたらこの子……うんうん。まだ仮説の段階だから、口にするのは良しとこうかしら。」
「…とにかく、その子を殺すのはNG。勿論これ以上傷つけるのもダメ。何故なら、どれも私の邪魔になるから。」
「…六花ちゃんなら私が言ってる言葉の意味、分かるわよね?」
「…だからさ、」
「…その手、どけよっか?」
レズ子さんは、私を見つめて優しくて綺麗な笑みを浮かべる。
でもその笑みの裏にある彼女の顔を、私はよく知っている。…そして、彼女の言葉の意味も理解できる。
武器を取り出す為に太ももに当てられていた自分の右手に、ツーッ…と、冷や汗が流れたのを感じた。
こうなった彼女は、止まらない。否…止められない。
私は彼女の指示に従って、ゆっくりと手をふとももから離していく。
「うん。良い子ね。」
そして完全に手が太ももから遠ざかると、彼女から出ていた威圧感がスッと消え去る。
同時に、身体が急激に軽くなる感覚を覚えた。それほどまでに私の身体は緊張で硬くなっていたらしい。
少しだけ乱れていた息を整えてから、腕に抱えていた生き物の状態が気になって見る。…やはり、何事もなかったかのように、ポカンとしたマヌケな表情で私を見ていた。
「ふふ。六花ちゃんの言ってた通りね。…私の圧を受けても平然を保ってるなんて、本当に面白い子。」
レズ子さんのいう通りだ。
私が緊張するほどの彼女の圧がかかった室内にいながら、平然としているこの生き物。
その事実が信じられないという驚きと、やはりそんな生き物が成長した先が気になるという確かな好奇心を私は抱く。
「…ふふ。ふふ。ふっ。ふふ。」
しかし、この生き物に対する彼女の好奇心は私の比にない。…何がきっかけかは分からないが、この生き物は今この瞬間、完全に結城レズ子の【研究対象】に認定されてしまった。
それすなわち、何人たりともこの生き物に手を出す事は許されなくなったという事を意味していた。
「あ。それと六花ちゃんさ、やっぱりこの子はあなたが育てなさい。」
そして、急に言われたそんな理不尽な言葉にさえ、こちらからは文句ひとつ言わせてもらえない。
これはお願いや提案ではなく、強制で命令だから。
「…そこまで強要するのなら、その仮説とやらをお聞かせ願いたいんですが」
せめてもの抵抗として、睨むように彼女を見つめて言葉を発する。
「うんうん、ダメ。それは秘密ね。さっきも言ったけどまだ仮説の段階だし…それにね。もし私の仮説が正しいとするなら、六花ちゃんがそれを知っちゃってたら研究結果に影響が出ちゃうから。」
しかし、私の願いは聞き入れてもらえなかった。
研究に必要だと言われれば、仕方ないと諦めるしかない。…けれど今回はかなりの重労働だ。そう簡単には納得はできるものではない。
「…そんな曖昧な説明で、この私に命一つ育てあげろと?」
「…研究者としての結城レズ子が保証する。この子、あなたにとってもすごく面白い子に育つわよ。」
また、ぎゅっと眉間にシワがよる。
先も言ったが、私だってこの小さな生き物の未来にはかなり興味がある。
ただ、苦労して育て切った先でこの生き物がその重労働に見合う価値を発揮してくれるのかどうかという疑問が、私の天秤の片方を重くしていた。
…しかし、今レズ子さんの言った言葉は、私の天秤の傾きを大きく変えるに十分な発言だった。
「はぁ……………」
私は目を閉じて、今日一番の溜息をつく。
「…10年です。それ以上は、面倒見きれませんよ。」
…それは私が覚悟を決めた瞬間だった。
「ええ!おっけーよ!…ふふ。さすがは六花ちゃんね。話が分かる良い子。」
私の返答を聞いたレズ子さんは、それはそれは嬉しそうな笑みを浮かべて私の方に近寄ってきた。そしてその勢いのまま、小さな生き物を間に挟むように私を抱きしめる。
心の中で、『何が、話が分かる子、だ…』と、悪態をついておく。
この人があの状態になったら、誰だって逆らえない。みんながみんな『話のわかる子』になる。…それをこの人が一番理解しているくせに、本当にタチが悪い。
だけど同時に、この人は言い切った。この生き物が私にとっても面白い存在になると。だから今の私の気分は、正直そこまで悪いわけでなかった。
「…でも、10年で結果が出なければコレの事は問答無用で殺します。」
とはいえ、ここまで一方的なのはやはり癪だから、こっちからも一つ条件を提示しておく。
「うん。あなたの好きにしなさいな。」
「…それと、その時は大人しくあなたも私に殺されて下さい。」
「ん〜、いいわねぇ。研究者として、自分の説には常にプライドと命をかけてるし。もし、私の仮説が間違ってた時は、ちゃんと死んであげる。」
私の条件を、彼女は自信満々の笑みを浮かべて受け入れた。
正直、彼女が【死】ごときを恐れる人間でないことは分かっていたから、完全なる無駄な条件ではあるが。…まぁ、いいだろう。
こうして私は、結城レズ子という女に、ほんの気まぐれで拾ってきたはずのこの小さな生き物のお世話係兼護衛として働く事を任命されたのだった。
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