第8話 空を飛んでみよう
空を飛んでみたい。
恐らく、誰しもが一度は思った事があるだろう。
特にやる事もなかったので、私は朝から空を飛ぶ魔法の研究をしていた。
「師匠、お弁当です。朝からどうしましたか?」
ビスコッティが声をかけてきた。
「うん、ちょっとした興味だよ。理屈では空を飛べるはずなんだけどね」
私はノートパソコンのキーを叩きながら、ビスコッティが渡してくれた弁当を食べた。
「空を飛ぶって正気ですか。ドラゴンではなく生身で?」
ビスコッティの声が裏返った。
「空は自由なんだよ。夢だよ。ロマンだよ」
私は笑った。
「そうですか。私にはイマイチピンときませんが、なにか手伝えることはありますか?」
ビスコッティが問いかけてきた。
「今のところはないよ。まだ、資料集めしてるから。薬の研究でもしてて」
「はい、分かりました。では、なにかあったら呼んで下さいね」
ビスコッティが隣室に引き込み、カチャカチャとガラス同士がぶつかる音が聞こえてきた。
「さてと、重力と空気抵抗。これはいいね。あとはそのバランスと推進方向と…うーん、難しい」
私はキートップから両手を離し目を閉じた。
私の魔力なら、高度一万メートル弱まで上昇し、音速の六倍まで出ると計算上ははじき出されるが、いざイメージするとなると難しい。
人は経験したことしか想像出来ないので、生身で飛行している姿が思い浮かばないのだ。
「よし、アレ使うか。支えがあればなんとかイメージ出来る。オーソドックスにホウキかな」
私は部屋の掃除道具がしまってあるロッカーを開けた。
「あっ、掃除機があった。これでいいや」
私は掃除用具入れから掃除機を引き出し、本体に座ってホースを手に持ってみた。
「なるほどね。こういうイメージか。業務用掃除機でよかった。ちょうどいい。あとは…」
なんとなくでいい。イメージが出来れば、あとはどうとでもなる。
私は手早く呪文を作りあげ、試しに実行してみた。
すると、掃除機全体が光り、ふわりと宙に浮いた。
「おっ、これはイケる。もう少し練って…」
掃除機のホースにある電源スイッチを弱に入れると、そのままゆっくりと横移動を始めた。
「そういう事か。じゃあ、中にしてみよう」
私は掃除機のスイッチを中にした。
すると、横移動の速度が上がり、よりイメージが明確になってきた。
「これならいけるな。ビスコッティ、庭に出るよ。急いで!」
私は掃除機を引きずりながら、隣室に入った。
「あっ、お出かけですか。って、その掃除機はなんですか?」
ビスコッティが複雑な笑みを浮かべた。
「魔法だよ。空飛べたよ。ほら、浮遊とは違うんだよ!」
私は唾を飛ばしながら、ビスコッティに返した。
「確かに浮遊とは違うようですが、なぜ掃除機なんですか?」
「ホウキがないからこれなんだよ。庭で試すからおいで!」
私は困惑顔のビスコッティの手を引いて、研究室から出た。
庭といっても、正面玄関から少し歩けばもう未舗装の地面だ。
私は適当なところに掃除機を設置し、それに乗ってホースのスイッチを弱に入れた。
掃除機がふわりと浮かび、緩やかに横移動を始めた。
「師匠、なんだか分かりませんが、無茶はしないで下さいね」
ビスコッティの声を聞き、私は試しに掃除機のホースを上空に向かって掲げた。
瞬間、凄まじいスピードで掃除機が上昇し、あっという間に研究所と王都が俯瞰できる高度まで上昇した。
「なんだ、ノズルの角度で高度が操れるんだね。そうと分かれば…」
私は風の結界で全身を包み、さらに高度を上げた。
見る間に地面が遠ざかり、ここでスイッチを高に設定した。
すると、掃除機の速度が一気に速まり、あっという間に外周の壁を通り超してしまった。
「いかん、無断外出になっちゃう。戻すには荷重かな…」
私はまたがっていた掃除機に後ろ荷重をかけた。
すると、掃除機は後退を始め、再び玄関側の地面に着地した。
「なにやっているんですか。危ないです!」
ビスコッティが私を掃除機から引っぺがした。
「確かに危ないね。だから、改造しよう。掃除機の予備なら、いつでも事務局でくれるし」
私は笑みを浮かべた。
「そういう問題ではありません。一体、なにを目指していたんですか!」
ビスコッティが怒り顔で怒鳴った。
「だから、魔法の実験だって。さっそく、掃除機を手に入れないと」
「分かりましたよ。私が手配しておきます。全く、また妙な事を…」
ビスコッティが掃除機を持ち、私たちは研究室に戻った。
研究室に戻っても、私の熱意は変わらなかった。
より分かりやすく便利な魔法へと、私の探究心は無限だった。
「掃除機ももっとお洒落な方がいいいよね。業務用じゃ無骨すぎるよ」
私は研究メモにカリカリ書きながら、『飛行』の魔法を研究していた。
「師匠、なぜ掃除機なんですか。せめて、モップではダメですか?」
ビスコッティがあきらめ顔で、つぶやくように声を漏らした。
「分かってないな。掃除機だからイメージしやすいんだよ。モップじゃ飛べない」
私は笑った。
「そうですか。では、さっそく掃除機を手配します。また、ゴミの山にしてはいけませんよ」
ビスコッティが苦笑した。
色々研究して、研究室内の空間ではなんとか掃除機で飛ぶ事が出来るようになった。
これ以上は広い空間が必要なので、私とビスコッティは研究所の庭に出た。
攻撃魔法の試射場のように、特定の目的があって押さえてある場所は、勝手に使うことは出来ないが、それ以外は自由に使える。
私とビスコッティは研究所の庭で適当な場所を選び、さっそく研究と実験を開始した。 地面に置いた掃除機の上に座り、私は色々と試す事にした。
「まずは飛行高度だね。少しずつ上げていこう」
私は掃除機に座り、ホースを片手にイメージを広げた。
「この辺りは浮遊の魔法と同じようなものか。取りあえず、二メートルぐらいにしておこうかな」
掃除機が空に浮かび、程ほどの高さで止めた。
「あとは横移動。これも、浮遊の魔法の応用で…」
この辺りは浮遊の魔法と変わらず、さほど難しくない。
「なるほど、こんなもんか。あとは、飛行速度を…」
宙に浮かんだ掃除機を相手に、私はなんとか速度を上げようとした。
しかし、思うようにはいかず、フヨフヨと漂うように移動するだけ。これではダメだ。
「よし、とりあえずこんなもんか。あとは、考えなきゃ…」
理屈としては、浮遊の魔法とそう変わるものではない。
浮いて移動出来れば飛行といえなくもないが、私がイメージするものとは違う。
「安直だけど、空といえば風の精霊か。あまり得意じゃないんだよねぇ…」
思わず呟きながら、私はなんとか呪文をひねり出そうとした。
しかし、浮遊の魔法とは決定的に違う事は、なにか見えない壁でもあるかのように先に思考が進まない。その理由が分からない。
宙に浮いたまま考え込んでいると、いつの間にかリズがやってきていた。
「おーい、掃除機に乗ってなに間抜け面下げてるんだよ。ビスコッティから聞いたよ。飛行の魔法を研究しているんだって?」
「うん、いいでしょ。でもね、どうしても思いつかないんだよ。浮遊の魔法と同じ原理だとは思うんだけど」
私は苦笑した。
「まあ、そこから入るのが普通か。でもね、それだとずっと飛行の魔法にならないんだよ。せいぜい、浮遊の高速移動版しかできない。その方が実用的で安全だし、お勧めではあるんだけど、どうしても飛びたかったら気流を考えないといけないよ。お手本を見せてあげようか。一周してくるから待ってろ!」
リズが笑って呪文を唱えると、半透明のホウキのような物がその右手に現れた。
「えっ!?」
「よし、行ってくる!」
リズは一言残し、そのホウキに跨がってどこかに飛び去ってしまった。
「あ、あれ、リズって飛べたんだ。知らなかった」
大体手の内を知っていると思っていた研究仲間の意外な魔法に、私は驚いて掃除機から落ちてしまった。
「イテテ…。ビスコッティ、見た!?」
「はい、見ました。文字通り飛んでいってしまいましたね。一体、どうやって…」
私の知る限り、空を飛べる魔法使いは存在しなかった。
私と同様ビスコッティも動きが固まってしまい、数十秒後に再び飛んで戻ってきたリズに肩を叩かれるまで動けなかった。
「あたしって、機密文書の高速輸送任務が多くてね。必要に迫られて作ったんだよ。連続で飛べるのは十五分くらいが限界なんだけど、速度が出るからこれでも国中どこでも運べるんだな。実際に使えるからいえるんだけど、飛行の魔法なんて開発するもんじゃないよ。危なくていかん」
リズが笑った。
「なにいってるの。見ちゃった以上は作るよ。リズに負けてる場合じゃない!」
我に返った私は浮いたままだった掃除機を地上に降ろし、再び上に乗った。
「その掃除機は邪魔だと思うけど、あくまでも拘るか。余計に難しいと思うけど」
リズが笑みを浮かべた。
「同じホウキじゃつまらないもん。掃除機の方がいい」
自分でもよく分からなかったが、私はあくまでも掃除機に拘る事にした。
「ホウキっていっても、魔力で作った擬似的なものなんだけどね。やってみれば分かるよ」
リズが笑った。
「挑戦する価値はあるよ。リズに出来て私に出来ないはずがない」
否定されると燃えるもの。
私は再び掃除機を浮かべ、そこで思考した。
「ここからが分からないんだよね。どうやっても、浮遊が…」
「最初から発想のポイントが違うんだよ。浮くんじゃなくて飛ぶの。この辺りは、感覚の話しだから上手く説明出来ないけど」
リズが笑みを浮かべた。
「飛ぶっていわれてもな。それが分かれば苦労しないか。えっと、どうしようかな…」
いくら考えても答えが出ない。
この感覚は、久しぶりの事だった。
「どうもこうもないよ。冷静になろう。飛ぶって何だろう…分からないな。どういう感覚だ…」
私は地上一メートルの掃除機の上で、静かに思考を巡らせた。
「まあ、今は暇だし、気が済むまで付き合ってやろう。ヘルメットを被っておいた方がいいよ」
リズが笑った。
…結局、夕方まで研究したが飛べなかった。
「惜しい気がするんだけどな。もうちょっとで掴めそうなんだけど…」
色々試して体中にアザやら傷やらを散々作った私は、ベコベコにヘコんだ掃除機に座り、夕日の元で腕を組んだ。
「だから、その掃除機が邪魔なんだって。物質的になにかを抱えている時点で、浮遊は出来ても、重量制限が厳しい飛行は出来ないと思うよ。どうしても掃除機にしたいなら、魔力で擬似的に作るしかないと思うんだけどね」
なんだかんだで一日付き合ってくれたリズが、小さく笑みを浮かべた。
「それじゃ、リズのホウキを掃除機に変えただけじゃん。同じような魔法じゃ面白くない」
私は小さく息を吐いた。
「だったら、まず魔力で掃除機を作って、それで飛べてから考えればいいじゃん。まあ、だったら構造がシンプルなホウキの方が、よほど理にかなっていると思うけどね」
リズが笑った。
「だから嫌なんだよ。じゃあ、なんだ。私もホウキで始めればいいのかな。それから考えればいいのかな…」
「だから、一日中アドバイスしていたでしょ。ホウキでやれって。別に棒でもなんでもいいけど、あたしは昔話に出てくる魔女が使うホウキのイメージがしやすかったから、素直にそうしただけ。たまには、あたしのいう事を聞いて欲しいもんだ」
リズが笑みを浮かべた。
「それじゃそれで考えてみるけど、今日は体中が痛いから明日に回す。疲れた」
あたしは苦笑した。
「師匠、片付けますよ。昼食を抜いた事ですし、まだ早いですが夕食にしましょう。その前に、シャワーですか」
ビスコッティが苦笑して、ボロボロの掃除機を空間ポケットに放り込んだ。
「まあ、有意義な一日だったよ。リズ、ありがとう」
私は笑みを浮かべた。
「どういたしまして。さて、今日は食うぞ。確か、日替わりがステーキだったような…」
リズが笑った。
「今日は奢るよ。今日は徹夜で考えるか。これで、寝られるはずがない」
私は笑った。
晩メシ後、研究室に戻った私はさっそくノートパソコンを相手に、飛行の魔法について研究をはじめた。
一回も成功しなかったが、今日一日かけてやった事は無駄にしない。
レポートでも書く要領で、気の向くままに文章を作成していると、改善点や疑問点などが次々に浮かんでくる。
簡単ではないとは思っていたが、飛行の魔法は想像以上に難易度が高かった。
「うーん、掃除機からホウキに変更するとして、そのホウキはどんな物がいいかな。いきなりすぎて、リズの魔法が読めなかった」
恐らく、いたずらに真似をされないためだろうが、リズが一度飛んで見せてくれたとき、その魔法構成を読めるほどの猶予はなかった。
「師匠、冷たい麦茶です。どうですか?」
ビスコッティが、麦茶が入ったグラスを持ってきてくれた。
「どうもこうもないね。全然、手がかりが掴めない。リズが飛行の魔法を使えるとは思っていなかったな。油断ならんヤツだ」
私は笑った。
「空を飛ぶ魔法を研究する魔法使いは、結構多いですからね。成功例は初めて見ましたが、見事としかいいようがないです」
ビスコッティが笑った。
「だよね。全く、いきなりこういう魔法を見せるヤツだからね。完全にやられたよ。それにしても、どうしたものやら」
ノートパソコンに打ち込んだ文章を読み返してみても、全くその理屈が読めてこない。
こんな事はしょっちゅうあるが、今回はかなりハードルが高かった。
「いっそ、師匠お得意の機械を使った方が早くないですか?」
ビスコッティが笑みを浮かべた。
「それじゃ意味ないよ。あくまでも、体一つで飛ばなきゃ。そうじゃないと、ドラゴンを借りた方が早いし」
私は笑った。
実際、現状では空を移動したいなら、この前のようにドラゴンを借りた方が安全で早い。
しかし、今回は空を移動をしたいわけではなく、そのための魔法を開発する事が目的だ。
「それもそうですね。空を飛びたいとなると、風の精霊力がキーになりそうです。どうでしょうか?」
ビスコッティが笑みを浮かべた。
「もちろん、私の着眼点はそこだよ。いっそ、風の結界で体を囲んで、そのまま吹き飛ばした方がいいかなって思ったけど、それじゃ地面を転がって…いや、待てよ。そういう事か…」
ビスコッティに軽口を返す途中で、私はヒントのようなものに気が付いた。
風の結界で対象を囲んで浮くのが浮遊の魔法だが、さらにそれを横風で吹き飛ばしたらどうか…。
日中に掃除機に跨がって散々やった事だが、掃除機はなしにして支えとなるホウキを魔力で編み出し、それに乗って上昇や下降、水平移動をするようにすればいけるような気がする。
私は取りあえず考えをまとめるべく、再びノートパソコンに向かった。
「そうだね。この精霊力分布ならいけるかな。微妙だな。でも、これ以上は…」
ここにきて、ようやく停滞していた思考が回ってきた。
私の潜在性霊力で風が一番弱いのだが、それでも工夫すればなんとかなりそうである。
「ビスコッティ、なんとかいけそうだよ。あくまでも、理屈ではあるけど飛べると思う。もう夜だし疲れているから、明日の朝イチでさっそく試す。よし、まだまだ効率化出来そうだね。楽しくなってきた」
私は笑った。
結局、一睡もすることなく飛行の魔法を研究して、手早く朝メシを済ませるとビスコッティと研究所の庭に出た。
面倒なので昨日と同じ場所にいくと、先読みしていたのか、リズが塩むすびを囓りながら待っていた。
「おはよう。どうせ徹夜して、今からお試しなんでしょ。大体、スコーンの事は読める」
リズが笑った。
「なんだ、読まれていたか。そう、これから実験だよ。理屈では飛べるはずなんだけどね」
私は笑った。
「全く、危ないからお勧めはしなかったのに。死んでも恨まれたら困るから、もう一度止めておくよ。でも、やるんでしょ。見ているからやってみな」
リズが笑った。
「うん、やってみ。添削してあげるよ」
リズが笑みを浮かべた。
「望むところだよ。じゃあ、やるよ」
私は呪文を唱え、まずは魔力で擬似的に作ったホウキを出して、それに跨がった。
それからさらに呪文を詠唱し、体全体が光ってゆっくりと宙に浮かんだ。
「よしよし、ここまでは想定通り。問題はこれから…」
私は地上三メートルほどまで上昇し、風の精霊力を細やかにコントロールした。
すると、ホウキは宙に浮いたままゆっくりと前進をはじめ、私の額に汗が滲んできた。
「おーい、力みすぎだぞ。このままじゃ、暴走するから落ち着け!」
地上からリズの声が飛んだ。
「そういわれてもね…。これは、なかなかキツい…」
小さくぼやきながら、私は暴れそうになる風の精霊力をなんとか制御し、五メートルほど前進したところで、限界がきて地上に下りた。
「うん、悪くはないけど、魔力の無駄が多すぎるね。でも、これは恐怖心からくる事だから、ある程度慣れればもう少しは動けるようになると思うよ。ねっ、掃除機は邪魔だったでしょ?」
リズが笑った。
「はぁ、最初はこんなもんか。もっとトレーニングすれば、イケるって実感は得たよ。久々に歯ごたえがある魔法だね」
私は笑った。
「確かに飛行の魔法だったよ。それは、間違いない。でも、こんなの覚えても使う機会は少ないと思うよ。まあ、だからなんだって感じだろうけど」
リズが笑った。
「うん、そんな感じ。無駄な魔法ほど燃えるよ。リズは開発にどのくらいかかった?」
私はリズに問いかけた。
「うん、構想から開発まで三ヶ月ってところ。一応は完成しているけど、日々改良を続けているよ。これがないと、色々困るからこれでも必死なんだよ」
リズが笑みを浮かべた。
「そっか、じゃあ私は二ヶ月で仕上げる。もう少しトレーニングすれば、コツは掴めると思うんだよね」
私は額の汗を拭った。
「まあ、無理はしないこった。特にこの魔法はちょっとのミスで死んじゃうから、慎重にやってね。なんかあったら聞いて。あたしは眠いから、また寝る」
リズが笑い、右手をヒラヒラさせながら、研究所の正面玄関に向かっていった。
「ビスコッティ、まだやるよ!」
私は笑った。
「はい、分かっていますよ。とことんやりましょう」
ビスコッティが笑った。
「まあ、繰り返しなんだけど、もっと詰めたいんだよね。えっと、まずはホウキ…」
こうして、私の朝練は延々と続いた。
…骨折した。
「うぐぐ…」
昼メシ前に粘ったら、うっかりミスをして地面に叩き付けられ、全身のあちこちを骨折してしまい、ビスコッティが医務室に私を放り込んでくれた。
「だから、危ないっていったでしょ。ビスコッティのエリクサーが効かないって、どんな怪我の仕方をしたのやら」
私が横になっているベッドの脇に立ち、リズが苦笑した。
そう、ビスコッティの回復魔法は骨折も治癒するほどの力があるが、どういうわけか利きが悪く、万能薬であるエリクサーすら効かない始末である。
恐らく、普段あまり使わない風の精霊力を酷使した事で、体内の魔力バランスが大きく乱れ、理屈に合わない事態が起きているのだろう。
こうなると、どうにかこうにか自然治癒を待つしかない。
「全治二ヶ月くらいだそうですよ。私の魔法が効くようになれば、もう少し早いでしょうが、我慢の毎日ですね」
お約束通り、リズが持ってきたお見舞いのリンゴの皮を果物ナイフで剥きながら、ビスコッティが苦笑した。
「二ヶ月って…。はぁ、痛み止めは効いてくれて助かったけど、さすがにヘコんだ」
私は決して万能選手でない事は承知の上だが、それでも魔法による怪我の中では過去で一番重傷である。
「スコーンもたまには酷い目に遭ってみろ。あたしの気持ちが少しは分かるでしょ。まあ、命に関わるような事がなくて良かった良かった」
リズが笑った。
「笑うな。全く…。この程度じゃ負けないからね!」
私は大きく息を吐いた。
「勝ち負けより、体を大事にしろっての。あたしは別に勝負してないし。まあ、このまま飛行魔法は封印して欲しいのが本音だけどね。危ないって分かったでしょ?」
リズが苦笑した。
「封印なんてしないよ。こんな怪我程度じゃくじけないから。危ないなら、危なくないほどトレーニングすればいいだけ!」
私は大きくため息を吐いた。
「子供か、全く。ビスコッティも大変だねぇ」
リズが笑った。
「いえ、慣れていますので。師匠、リンゴです」
骨折で両腕とも使えないので、ビスコッティが切ったリンゴを私の口に放り込んだ。
「うん、美味い。これ、売店で一番高い品種でしょ。奮発してくれちゃってもう」
私は笑った。
「まあ、刺激しちゃった責任はあるからね。それにしても、両手両足がダメであばらが何本か折れたりヒビが入ったり…。まあ、暴発事故よりは遙かにマシだけど、それなりに重傷か。当分、遊び相手がいなくて暇だなぁ」
リズが自分で持ってきたリンゴを、一つ取って囓った。
「私だって暇だよ。ベッドの上から動けないし、最悪な気分だよ。二ヶ月もどうしよう」
ゆっくり魔法の事を考える時間が出来たといえばその通りなのだが、この状況では本を読むことも出来ない。
ビスコッティが相手をしてくれると思うが、それだけでは退屈してしまうのは明白だった。
「師匠はゆっくり休んで下さい。たまには、魔法から離れましょう。暇さえあれば、ロクな事をしないですから」
ビスコッティが笑った。
「私は休みの取り方を知らないの。知ってるでしょ。全く」
私はビスコッティに返した。
「それが問題なんですよ。医師からはあまり魔法を使うなといわれていますし、大人しくしていて下さいね」
ビスコッティが笑った。
「はいはい。ったく、楽しみが欲しいな」
私はブチブチぼやいた。
「楽しみねぇ。まあ、毎日弁当くらいは作ってやる。それで、我慢してね」
リズが笑った。
「あのね、普通の病院食は出るよ。太るから気持ちだけ取っておく」
私は苦笑した。
「なんだ、自信作のゲテモノ料理でも食わせてやろうと思っていたのに。まあ、いいや。あたしは研究室に戻るから、お大事に」
リズが笑って、私の個室から出ていった。
「師匠、私も研究室に行きます。掃除や薬の研究をやりたいので。また、きます」
ビスコッティが笑みを浮かべ、部屋から出ていった。
「あーあ、一人になっちゃった。まあ、いいや。たまには、こういうのもありか」
私は一人笑い、静かに目を閉じたのだった。
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