第8話 静かな夜に

 秋祭りの翌週よくしゅうから、ようやく秋学期の授業じゅぎょう再開さいかいされることになった。学園ではもともとひとり親や親無おやなし、それか家から通うには遠い生徒せいとだけがりょうに入っていたところが、ほとんど全寮制ぜんりょうせいのようになってしまった。食堂しょくどうの飲み物はお茶とお水だけ、サウナはお休み、教師きょうし不在ふざいでいくつかの授業じゅぎょうくなった。何もかも元通りとはいかない。それでも、生徒せいとたちは復興ふっこう作業からはなれたひさしぶりの日常にちじょうった。

 三年生のウルスラとカレンにとっても、それは同じだった。二人ふたりはひとり親家庭かていで、大災害さいがいの前からりょうに入っていた。イグラス学園の初等しょとう科寮かりょうには兄役あにやく姉役あねやくというきまりがある。三年生の先輩せんぱいが一年生と相部屋あいべやで住み、小さい子の面倒めんどうを二年間見るのだ。二人ふたりとも今年ことしの春には一年生を同室にむかえるはずだったけれど、カレンの同室になる予定だった子は行方不明ゆくえふめいで入学できず、代わりにカレンと同級生のアテッタが家をうしなって相部屋あいべやになっていた。ウルスラの方は後輩こうはいのヒルタンをきちんとむかえることができたものの、ウルスラは軍人ぐんじんのおとうさんとの二人ふたり家族で、被災ひさいした家の片付かたづけはかれがやらないと進まなかったから、りょうのヒルタンにさみしい思いをさせていた。しかし授業じゅぎょうが始まってしまえば、かれらにも学園生活を楽しむ権利けんりがあった。

 授業じゅぎょう再開さいかいの前の日のばん、ウルスラは一年生の授業じゅぎょうはじめて受けるヒルタンに先輩せんぱいとしてのアドバイスをしようと思い立った。

「いい? ヒルタン。先生のことはてじゃなくて、何々なになに先生ってぶこと。授業じゅぎょう中は先生に何か言われないかぎり、おしゃべりしないこと。トイレに行きたくなったらあきらめないで、手をげて先生に相談すること。それから……」

「あーあ、そんなにいっぱいスルコトスルコトって、ウルスラってばママみたい!」

「……それから、ぼく以外いがい上級生じょうきゅうせい、つまり年上の生徒せいとには、ちゃんと何々なになにさんってんで、ていねいな言葉づかいをすること」

「はぁい」

 ヒルタンはウルスラの話を聞きながら、まど木枠きわく発光はっこうコガネムシをつついている。ウルスラは緑色のかすかな光を横目にこっそりと溜息ためいきをついて、ベッドに上がった。

「もうなよ。消灯しょうとう時間はぎてる。楽しみなのかもしれないけど……」

「……ウルスラ、ぼくもウルスラのベッドで一緒いっしょてもいい?」

「コガネムシれてこないなら、いいよ」

「しないよー、つぶしちゃうもの」

 ヒルタンが窓際まどぎわからはなれると、発光コガネムシは水色に点滅てんめつしながらり、まどが勝手にパタンパタンと雨戸をめた。まど消灯しょうとう時に一度、いっせいにめられる。でも生徒せいとが開けること自体は禁止きんしされていなかった。

 ウルスラの耳は魔法まほうの耳だ。ほかの人とはちがってものすごく聞こえる。ヒルタンがママと言った時に、ヒルタンの心臓しんぞうがきゅっとなみったのも聞こえていた。

 かわいそうなヒルタン。大災害さいがいで、ヒルタンのおかあさんもおとうさんもいなくなってしまった。ヒルタンだけじゃない、今このりょう無事ぶじらしている子供こどもたちのほとんどがひとりぼっちだ。ウルスラのおとうさんは生きていて、おかあさんは大災害さいがいのずっと前からいなかった。かれらとは少しちがう。でも、さびしさは分かってあげられるつもりだ。だから、二つ年下のヒルタンが一緒いっしょたがるのを、ダメだとは言わなかった。

 ウルスラのむなもとでヒルタンがもぞもぞと姿勢しせいさがす。そっとでると、じゅわっとなみだと鼻水のにじむ音がした。へんなところでかれる前にとウルスラはとなりのベッドに手をばして、ヒルタンのタオルケットを手に取り、むなもとの頭にしつけた。ほどなく、すすりきが聞こえてくる。

 まだ六さいなんだもんね。ひとりぼっちになってさびしいよね。そう声をかけるかまよって、ウルスラは何も言わないでおいた。今しなきゃいけないことは、ヒルタンをかせることじゃない。ヒルタンが明日あしたから頑張がんばれるように、早くかせることだった。


 ゆりかごれる 星のしじまに

 ゆりかごれる みどりの風に

 ゆりかごれる ゆめのほとりに

 れるのだあれ ねんねこぼう


 ウルスラの小さな歌声に合わせて、ウルスラの卓上たくじょういたスズランのかざばながほんのり明るくなり、ささやかにはじめる。カレンが前にくれた魔法まほう造花ぞうかだ。ヒルタンの調子っぱずれな歌声にもブンブン首をってこたえてくれるやさしい花だけど、ウルスラが歌うととてもきれいにらめいてくれる。

 ウルスラのおとうさんは、自分は〈音のたみ〉じゃないからと、あまり歌を教えてくれなかった。〈音のたみ〉というのは、おとうさんのような普通ふつうの人からたまに生まれる特別とくべつ人種じんしゅで、おとうさんの世界では歌といえば〈音のたみ〉の仕事しごとだったとか。たぶん唯一ゆいいつ、このゆりかごの歌だけがかれのレパートリーだったように思う。従兄弟いとこのセルシアおにいちゃんもこの曲を歌っていたことがあるし、きっとおとうさんたちの故郷こきょうの歌なんだろう。ウルスラはその故郷こきょうを知らない。セルシアおにいちゃんがおとうさんをたずねて故郷こきょうから出てきたところで運悪く、ほかぞく世界と同じように海にしずんでしまったから。

 ウルスラは三しゅう歌ってあくびをひとつした。子守歌こもりうたって、どうして歌ってるがわねむくなっちゃうんだろうな。どうやらヒルタンはうまくねむれたみたい。ならもう、てもいい、か。

「イグラシアス」

 ぽそりとつぶやいた。イグラシアス、それはおやすみの挨拶あいさつ。この国の名前でもあるイグラスは夜という意味を持つ。いい夜を、というような言葉をりゃくしてイグラシアスという挨拶あいさつになったのだそうだ。そう、この国はちからずっと、夜の神様のもとでさかえてきた。神様がわったから、イグラスという名前も、そのうちえられるんだろうか。

 前は神様なんて遠いだけの存在そんざいだったのに、この前、夜の神様から手紙がとどいた。たぶん本物の神様からじゃないとは思う。でも……だったらなぜ、夜明よあけの神様じゃなくて夜の神様の名前を使ったんだろう……。

 いろいろと考えてみたかったけれど、そこから先は何を考えたのかもわすれたくらい、深いねむりに落ちていった。

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