第29話 エルレーン大公の白い闇

 深夜。

 エルレーン公国首都シ・イル・リリヤ、貴族街中枢。

 大公フィリップは、就寝時は常に一人であることを好んでいた。

 決して安らかとは言いがたい眠りに就いていた大公は、浅いまどろみの中にいた。

 熟睡してはいなかった。


 シャン!


 突然、澄み切った音が響いた。


「……鈴の音!?」

 はっと胸を突かれて飛び起きた。

 周囲は暗闇に包まれていた。


 そんなはずは、ないのに。


 エルレーン大公フィリップは真っ暗な中で眠ることをよしとしない。

 大公という身分もあり、護衛騎士たちは常に傍らに控えさせていたし、夜陰に紛れて不審な者が侵入する事態に対抗するため、常夜灯をつけていた。

 大陸南部のキスピ王国で少量のみ採掘されている高価で稀少な光水晶を熱源に用いた常夜灯である。

 ところが、起き上がった大公の周囲は、明かりひとつ見えない、暗闇に包まれていた。

  不思議なことに、常に側近くに仕えているはずの従者や護衛たちの姿は全く見当たらず、常夜灯は、大公の周辺から夜の闇を追い払うべきものであるのに、いつしか消えてしまっていた。


「どういうことだ! 誰か、居らぬか!」

 大公の叫びは、誰の耳にも届かなかったようだ。

 従者の気配もなく護衛騎士も来ない。


「お目覚めかな? フィル坊や」

 涼やかな声が頭上から振ってきた。

 

 背筋が凍り付いた。

 心臓が、バクバクと音を立てた。


 白い指先が闇の中から現れて大公の肩を押さえた。それだけで起き上がることはできなくなる。動かせたのは首だけで、視線を横にそらすと、銀の鈴を連ねたアンクレットをつけた、白い足が見えた。

 素足だった。

足の下には微かな銀色に光る波紋が広がっていく。


 シャン!


 重ねて、鈴が鳴った。

 大公フィリップ・アル・レギオン・エイリス・エルレーンは、指先さえ自分の意志で動かすことはできなくなっていた。


「どうした、フィル坊や。相変わらず、暗いところは苦手かな? じゃあ、明るくしてあげよう」

 声とともに出現したのは、青白い光球。

 闇の中を漂い、流れていく。

 常夜灯は消えたままだが、光球はしだいに増えて、室内を明るく照らし出していく。

 ここは執務に就かれた大公が、余人との接触を離れ一人で眠るための専用寝室であるので、大公の身分に対して、さほど広くはない。

 瀟洒で趣味の良い、かつ高価な調度品の数々。

 壁に飾られたタペストリーや、風景画。

 天蓋つきの寝台。

 大公が一人になり眠るためだけの場所。ここには大公妃も、いわゆる夜伽をする女性たちも立ち入りを許されることは決してなかった。

 つまり、大公以外には、絶対の信頼を置いている護衛騎士たちだけしかいないはずだった。

 それなのに閉ざされた扉の内側に、やすやすと侵入している人物。

 身にまとうのは夜の闇のような黒い長衣。そして携えているのは黒い杖。

 抜けるように白い肌色を引き立てる長い黒髪は、緩い三つ編みにされてなお床まで届き、その瞳は闇色。けれど瞳の中には、水精石アクアラのような淡い青の光が浮いている。

 侵入者は、魔道士協会の長、漆黒の魔法使いカルナックだった。

 カルナックが極上の笑顔で口にしたのは、少しばかり不穏な内容だった。

「さて、フィル坊や。サウダージの商人といつから接触していた。フィリクス公嗣のもとに『あれ』を遣わして、何を画策していた?」


「…………」

 大公は、凍り付いたように動けないままである。


「あ、そうだったね。魔法で縛っているのをうっかり忘れてた。それじゃあ喋れないよねえ。会話の受け答えができる程度に拘束を解こうか」

 くすくすと笑って、カルナックは再び大公の肩に手を触れた。

 すると、かの大公フィリップは、ゲホゲホと激しく咳き込んだあとで、ようやく、掠れた声を絞り出した。

「か、カルナック様。そのようなこと、身に覚えがありません」


 しかし申し開きなどカルナックの耳には入らなかった。

「ところで君の息子のフィリクスが私を襲おうとしたんだけど。あ、性的な意味でね。もちろん果たせるわけはない。二頭の従魔は貸し出し中だったから、弟子たちの中から戦闘に向いた護衛を選んで連れて行ってたしね。だから危なくはなかったんだけど、むかついた」

「ひ……」

「焚きつけたヤツがいる。サウダージの商人だ。私をたらし込めば公嗣の座は安泰だと。ひどいよね~。心が傷ついたよ。信用していたのにさ、フィル。この始末はどうつけてくれるつもりかな」


 返答はない。

 身体の自由を奪われているエルレーン大公フィリップは、だらだらと冷や汗を流すのみである。


「返事がない……それって、死んだふり? ねえ、フィル坊や。君が最も苦手としているものを、私は知っているんだよ?」

 カルナックは、携えていた『黒曜』の杖を、手から離した。

 しばらくすると、カルナックの全身が、内側から滲み出た、青白い光に包まれる。

 身体から、ふわりと、青白い光が球体となって浮かび、離れていく。

 一つ、そしてまた一つ。

 二つ、三つ、四つ……そして、おびただしい数の、光球が。

 それは『精霊火スーリーファ(せいれいか)』である。


「うぎゃわああああっ!」

 フィリップスが叫んだのは、彼のまわりに『精霊火』が集まって来たからだった。

 人々は『精霊火』を恐れる。この火に触れられると、心の底に隠していたもの、内なる恐怖、隠しておきたかった犯罪、後ろ暗いところをあますところなく暴き出され向き合わされるからである。


「あら~。あんなにびびっちゃって。ちょっと可愛そうじゃない? ねえティーレ」

「情けをかけてどうするんだよリドラ。大公なんだから、精霊火スーリーファの大群に埋まったぐらいで動揺するなんて情けない」

 カルナックの左に控えているのはリドラ、右側を守り、仁王立ちになっているのはティーレ。二人はカルナックの護衛として名乗り出て、この大公の寝室まで付き従ってきたのだ。


「そうキツく言ってやるな。ことに、ティーレ。お前さんの故郷ガルガンドでは心身共に頑健な戦士ばかりじゃからの。男を見る目も自然と厳しくなろうというものだろうが」

 二人に答えたのは、コマラパ。やはりカルナックと共にここまで足を運んでいたのであった。

「大公には、トラウマがある。幼い頃、敵対勢力に誘拐され幽閉されておったのだ。真っ暗闇の中で、精神を病むほどの虐待を受けてな。カルナックが救出したのだ。精霊火に囲まれて、その当時の、思い出したくもないだろう記憶が、蘇っているのじゃろうな」

「……え~。ひくわ~。大公の精神的外傷を、とことん突いてるってことよね?」

 と、リドラ。

「……お師匠様、えげつないっすね」

 ティーレもぶるっと身を震わせた。だがリドラのほうはどことなく嬉しそうなのであったが。

「そうかもしれんがな。幼い頃の大公を救け出して立ち直らせてやったのはカルナックじゃ。だのに、あやつめが恩を忘れおるからいかんのだ。息子のフィリクス公嗣も毒を盛られて死ぬところをカルナックが助けてやったのに。まったく、父と子で似た者同士じゃわい」

 

「しょうがないよコマラパ。トラウマを克服させるために記憶を封じたから憶えていないんだ。それに王侯貴族には、政治という手枷足枷がついているのだから」

「しかし……」

「ふん、だからと言ってこの私に手を出そうなんて。私は『世界の大いなる意思』の寵愛を受けている。ただのヒトが『世界』の怒りをかえば破滅するだけ」

 馬鹿だなあ、と、穏やかにカルナックは呟いた。


 その間も大公フィリップは精霊火スーリーファに包み込まれ、もんどり打って苦痛にのたうち回っている。肉体に傷は見当たらないが、神経系に直接、針が打ち込まれて苦痛が注がれているように感じているのだ。


「ぐあああああ!」

 恐怖と苦痛がないまぜになった叫び、そして懊悩。

「怖い……世界が、闇が、私を、家族を、国民を、引き裂く……!」


「やれやれ。そろそろ解放してやるかな。うるさいから」

 カルナックは怜悧な目で大公を観察していたが、興味をなくしたように、ぽつりと言った。

 先ほど手放した『黒曜』の杖は、そのまま床に突き立っていた。

 カルナックは手をのばして、真っ黒な杖を握った。

 とたんに、身体から溢れていた光が消えていき、精霊火スーリーファもまた、少しずつ数を減らし、カルナックに吸い込まれるように消えていくのだった。

「さて、と」

 カルナックは杖を振りかざし、くるりと身を翻して、

 トン、と。

 床を杖で打った。


「それでは尋問を始めようじゃないか」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る