第5話 水精石《アクアラ》色の目をした子
わたしはシルル。風の妖精。
隣を飛んでいるのは友だちのイルミナ。光の精。
妖精とは、空気、光、水、緑、大地。
あらゆるところに在るけれど、それでいて実体はどこにもない。
人の目になど捉えられない。
妖精が通ったことを人々が知るのは、その痕跡による。
淡い光の尾を曳いて飛び去る妖精の姿を見る者はいない。
それこそ特別な場合だけだ。
そんなわたし、シルルとイルミナは、気まぐれで人間の住処に入ってみた。
エルレーン公国首都シ・イル・リリヤの中程、そこそこ大きな庭園を持つ富裕層の邸宅が多く見受けられる一郭。
貴族の館という趣きではないが豪奢な装飾に満ちた邸宅だ。使用人も多い。
主人は羽振りのいい商人かしら。いかにも金持ちそうだこと。
わたしたち妖精の小さな身体は退屈と気まぐれで一杯だ。
なぜこの邸宅に惹かれたのか、それはじきにわかった。
館の中央、中庭に面した窓のある部屋に入ったときだ。
天蓋付きのベビーベッドに、赤ん坊がいた。
きれいな子だ。ふっくらした色白の頬、ふわふわの金髪は光のよう。
ちっちゃな指をにぎったり開いたりといそがしく動かして、上機嫌にきゃっきゃと笑っている。
天井から吊されているのは半透明の貝殻と、木彫りにピンクや水色を塗った小さな動物を連ねて並べた、風鈴だ。風もない室内でシャラシャラと音を立ててゆっくりと回っている。魔法のしかけで動いているのだ。
ベッドにいるのはどうみても生まれたての子で、玩具を喜ぶのは少し先だろうに、気の早い子煩悩な父親からの贈り物だろうか。
かわいい玩具。この子は女の子みたいね。
それにしても、大切にされていそうなのに、一人で置いておくなんてどうしたのかしら。子守はいないの?
人間の赤ん坊、特に生まれたばかりの子の中には、特別な子がいることがある。
遠くからでもわかった。
近づいて、それは確信に変わった。
この赤ん坊、
なんて不思議な目の色をしてるの!
最初は緑の瞳をしていると思った。
けれど、どう?
いつの間にかきらきらした瞳には透き通った淡い青が宿っている。
そして、驚いたことに。
この赤ん坊は、小さな口を開けて、こう、言ったのだ。
「魂が浮かんでる」
なんで? なんでそんなこと生まれたばっかりの赤ん坊が言うの!?
なんでこんな赤ん坊が、あたしたちを見たうえに本質まで見抜くわけ?
※
以前のあたしが知ってたものにとてもよく似ている。
小さな淡い光球が部屋のそこかしこにいる。
『この子、わたしたちを見ているわ。生まれたばかりなのに』
『いいえ、生まれたばかりだからよ。ときどき、そういう人間がいるそうよ』
飛び回る魂たちが、あたしのことを噂してる。
『生まれながらにしてわたしたち妖精を見る
光が近づいてくる。
残念ながらあたしの瞳にはまだ物の形がはっきりとは見えないはずだが、それでも確かにわかるのだ。
「だぁ」
どうやら、あたしは新生児であるらしい。
もちろん言葉なんてまだ話せません。
でも、魂たちにはわかったみたい。
『魂じゃないってば! わたしたちは妖精なの!』
「だぁ、だ」
『ああもう! わかってるわよ。ともかく、わたしたちは可愛くて優しくてキュートな妖精さんなのっっ!』
「だぁ!」
※
あたしは、アイリス。
それとも……イリス?
いえ、アリスだったかしら?
だんだん、以前の記憶とかあいまいで、よくわからなくなってきているのだけれど。
でもちょっと覚えてる……というか記憶が浮かんでくる。
たとえば、ふわふわと浮かんで飛び回る、ぼわっと光る球体を感じ取っていると、思い出す。
むかし、古代のとある国の考え方では、魂魄(こんぱく)というものがあった。人間を構成する要素を、このように捉えていたのだ。
魂(こん)は精神を支える気、魄(はく)は肉体を支える気を指した。
合わせて魂魄(こんぱく)と言う。魂は天に帰し、魄は地に帰すという。
『へえ。そういう考え方があったってわけ?』
『面白いわ。わたしたちの存在と通じるところが、ないでもないわね。それにしても生まれたばかりの赤ん坊の考えることじゃないわよ』
おや。魂たちには、あたしの考えていることがわかるのか。
『ちょっと待って。そこんとこは譲れないから』
『わたしたちは、妖精なの! ほらね、あたしは風のシルル。でもって、この子は、光のイルミナなの』
そうなの。あたしはアイリス。よろしくね。
ふうん。妖精。
……妖精。っていうと。
あ、イメージが脳裏に浮かんできた。
背中にある透明の薄羽根で、優雅に浮かんでいる、綺麗な女性達。長い髪、スタイルもいい、大人っぽかったり、子どもだったりする。
こんな感じ?
『そう! まさにそれよ! 気に入ったわ!』
『気に入ったわ』
それはうれしい。妖精に気に入られたら、いいことあるの?
『もちろん。幼きものよ愛し子よ、贈り物をあげるわ』
『あなたに妖精の守護を!』
ふわりと風が動いた。
冷たい感触が、ひたいの真ん中に、ある。
『わたしたちは寛大で気前のいい幸運の妖精なんだから……』
妖精の守護?
ひたいに、輝くしるしが付けられた?
それはとっても嬉しい、け、ど…。
……急に、すごく眠くなって、きた……
『いけない、この子まだ生まれたてだったわ、イルミナ』
『キャパオーバーってやつじゃないの? シルル』
声が、存在が、遠ざかっていく。
眠りに落ちていく……あたし。
あたしは、アイリス。
それとも……イリス?
遠い昔の記憶が、かすかによぎる。
眠り続けていた
肉体を喪失しデータに置き換えられても、夢を見続けていた。
地球は永遠に繁栄を享受し、自分たちはいつまでも人間らしく楽しんで生きているという、儚い夢を。
わたしは
この呼称が意味することさえ、いまでは……夢幻のよう。
そしてまた浅い夢に落ちていく、あたし、アイリス。
新生児です。
すっかり眠ってしまったあたしは知るよしもないの。
この後すぐに子ども部屋に入ってきた女性がいたことを。
※
ラゼル家の執務をとりしきるハウスキーパー、エウニーケ。見た目は四十代の女性である。
彼女は子ども部屋に入るなり、険しい目で天井近くを一瞥し、それから落ち着き払ってベビーベッドに近づき、幼子を抱き上げた。
「大事な大事な、我がラゼル家の虹の至宝、お嬢様。よくお休みのようで良かったですわ。あの愚かな子守女は遠ざけました。旦那様の商売敵に弱みを握られていましたの。でももう、心配事はありません。これからも、雇い人の身辺にまでも、よくよく注意を払わなければ……誓いましょう『世界の大いなる意思』の名において。我ら精霊は、永遠にお嬢様の味方です。ふふふ、わたくしはエウニーケ。そこらの野良守護妖精よりもずっと頼りになりましてよ」
その時には、妖精たちは姿を消していた。エウニーケの一瞥におびえ、雲散霧消してしまったのだった。
だが、妖精たちは、じきにまた、戻ってくる。
ひたいに与えた仮の「しるし」のみならず、正式に守護の誓いを立てるために。
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