第25話 出発前夜に一つのベッド

 階下の部屋は狭く暗い。ベッドも一つだ。

 魔力ランタンでもなければほとんど何も見えないくらいで、外の音はほとんど聞こえない。

 灰石で包まれた部屋は魔力が通らないため、光も音の魔力も入ってこないため光源がなければ見えないし、音源がなければ聞こえない。

 ただしそれはアウレーリアだけであってマルテは違うようだった。


「ちょっとうるさいですね」

「あれ? 外の音聞こえてるの?」

「アウレーリアさんは聞こえないんですか? こう……ずどーん、ずどーんって音がしてますけど」

「聞こえないわ。なるほど音の感じ方も違うのね。眠れそう?」

「ええと、慣れないと難しいかも、です……」

「そう、ならこれでどう?」


 そっとアウレーリアの冷たい手がマルテの耳を塞ぐ。

 聞こえていた騒がしい音が少しだけ遠のいた。これなら眠れそうな気がした。

 ただ温かなアウレーリアの手に包まれて、どくんと胸の辺りが跳ね馬のようになって、どくんどくんという音の方がうるさいくらいに感じられてしまう。

 そっちの方で眠れなくなりそうだった


「これならうるさくない?」

「……え、えっと、ひゃい、少しだけマシになりました」

「そうだ、良いこと思いついた。あなたもやってみて?」

「な、なんでですか?」

「ちょっとした実験」


 本当にやっていいのかと何度も逡巡して、ようやくおずおずとマルテも手を伸ばしてアウレーリアの耳を塞いだ。


 温かな手が耳を覆うとアウレーリアは音を聞いた。何かが流れるような音を。

 まるで溶岩が流れるかのような熱い音を、何かが時を刻むような拍動を聞いた。


「何かが流れるような音がするわ。なんの音なのかしらね。なんだか落ちつく」

「わ、わからないです」

「屋敷に帰ったら寝る時これやってくれない?」

「あの……たぶん、あたしが眠れないです……」

「残念。それじゃあ、寝ましょうか」

「ベッドが一つしかないんですけど……あ、あたし床でもいいですよ!」

「一緒に寝ればいいじゃない」

「え、でも……」


 そうやってまごついているとアウレーリアの手でベッドへと引き込まれてしまった。

 近い。

 ほれぼれするような芸術品のような顔が目の前にあって、思わず唾を飲みこんだ。


「顔真っ赤よ」

「あ、あまり見ないでください!」


 身を寄せ合ってベッドに入ってもそれで狭くて息がかかるほどの至近距離に相手がいるのがどうにも恥ずかしいやらなんやらで顔が赤くなるのは当然だった。


「魔力灯を消せば真っ暗で見えないでしょう?」


 魔力灯が消されて部屋の中は真っ暗になる。

 音も通らないのであれば光もとおらないが、マルテには少しだけ見えていた。

 何も見えてないからとばかりに無防備を晒すアウレーリアの姿にマルテは思う。


 これが最後かもしれない。


 そう思うと自然と口が動いていた。


「……あ、あのまだ眠れそうにないので少しお話しても、良いですか?」

「良いわよ。なに?」

「……あたしのことですけど……本当はマルジャーナ・テ・ルブアルハリって名前なんです」

「ルブアルハリってことは、ルブアルハリ王家の縁者?」

「はい、末の王女でした」


 ルブアルハリ王家の末の第百王女。それがマルテであった。


「ふぅん、そうなの。気が付かなかったわ」

「言ってませんからね。でもあまり驚いてないですね?」

「なんとなく、ルブアルハリの上の方かな? とは思ってたもの。所作の端々にニコと似た匂いがあったから。でも、どうして今更言う気になったのかしら」

「最後かも知れないので知っておいてほしいと思ったんです」


 マルテは遠い日々を思い出すようにアウレーリアの鏡のような瞳を避けるように視線を逸らして、ぽつりぽつりと話し始めた。


「王族とはいっても母は平民だったみたいで、それに魔力もありませんでしたから出来損ないとして兄や姉たちからはずっと疎まれて生きてきました」


 父も当然魔力のない出来損ないの彼女に見向きすらせず母親だけがマルテの唯一の味方だった。

 王女として与えられるはずのものは何一つ与えられず、与えられたのは名前と住む場所だけのマルテには母親しか頼れるものがなかった。


「それでもお母さんがいれば、あたしは幸せでした」


 迫害やいじめをされていても、役立たず、出来損ないと言われて、小さくなって謝ってばかりの日々でも。

 辛く苦しく、いつも自分を投げ出したかった日々でも。

 母がいれば、耐えられたし幸せだったのだとマルテは思っている。

 そして、そんな日々は続かなかった。


「魔力汚染がルブアルハリ王宮を襲いました」


 突然のことで誰も対処できなかった。

 対処するはずの王族が一番に魔力汚染に晒された。

 マルテの母もそうだった。

 あの時無事だったのは呪われたマルテだけだ。


「母はあたしに言ったんです。逃げなさいって」

「それで逃げたんだ」

「いえ、逃げられませんでした」

「どうして? 逃げろって言われたのでしょう?」

「お母さんを置いてなんてできなかったんです。そんな風に迷っているうちにお母さんがあたしを襲ってきたんです」

「汚染獣になったのね」

「……はい。あたしは無我夢中で抵抗したんだと思います。気が付いた時には、あたしの手はお母さんの真っ黒な魔力で汚れていました」


 そのあとはよく覚えていない。マルテが気が付いた時には、ルブアルハリの外で砂漠を一人彷徨っていた。

 何かを踏みにじったことだけは覚えている。もしかしたら動けなくなっていた兄姉たちを殺していたかもしれない。

 手に降りかかったどす黒い汚染された魔力痕と手にしていたどす黒く汚れた剣こそ、マルテが誰かを殺したのだという証だった。


「あたしは逃げました。そして、あたしだけが生き残ってしまいました」

「そう、良かったじゃない」

「よくないです」


 一人生き残ってしまって、どうして自分なんかが生き残ってしまったのかと思ってしまった。

 一度だけならばまだマシだったかもしれない。

 しかし、マルテは二度も一人生き残った。南部の虐殺からも生き延びてしまった。


「どうして、あたしが生き残っちゃったんだろう……って。ずっと苦しいんです。生きているだけで、朝が来るたびに、息をするたびに、どうして生きているんだって苦しくなる時がありますぅ」

「わたしは、に共感できないし、原因でもあるから、あなたの望むことは言ってあげられないわ。でも、どうして生きているのかについては言えるわよ」

「え?」


 アウレーリアは自信たっぷりに言った。


「魔力汚染から全てを救うためよ。良かったわ、生き延びていてくれて。おかげでこの国が救えるかもしれないし、世界も救えるかもしれない」

「アウレーリアさんって前向きですよね、本当に」

「だってわたしは天才だもの。誰よりも前を歩かなくてはいけないのに、後ろなんて見ていられないでしょう? 明日からの旅なんてあなたにしかできないことなのだから、すごいことじゃない。だからあなたは胸を張るべきよ」


 ああ、彼女はいつもほしい言葉をくれる。

 世界を救ってたくさん救えば、生きていても良いと思えるかもしれない。

 そうすれば生き残った意味があると思えるかもしれない。


 そう思わせてくれる言葉をくれる。

 彼女はきっと何も考えていないし、そういう意図があるわけでもないのかもしれないけれど、マルテは思うのだ彼女がそう言うのなら、そういう自分でありたいと。

 素直にそう思うのだ。


「じゃあ、今度はあたしが前を向いて歩かないと、ですね」

「そういうこと。でも、そうね。普通に考えたら無謀だし、死ぬのは確定よね」

「うっ……なんとか頑張ります……」

「それでどうにかなるならもっと世界は簡単よ。そうね、あれがあればなんとかなるかしら」


 ぽんと思いついた風に彼女は懐からネックレスを取り出してマルテの首にかけた。

 リングの中に紫色の結晶がはめ込まれた金のネックレスだ。


「これはなんですか……?」

「わたしの魔力を溜めてある魔石の一つ。これに今、古い呪いをかけたわ」


 アウレーリアは目を閉じて何事かを呟いた。

 ふわりと結晶が輝いて、それきりになる。


「えっと……?」

「このネックレスをつけている限りあなたが怪我を負うような場合、全部、わたしにそれが転移するようにしたわ。本人指定じゃなくて範囲指定ならあなたでも使えるしね」

「え……? な、何をしてるんですか!? 馬鹿なんですか!?」

「馬鹿って、はじめて言われたわ。何かしら、胸のところがむかむかってする気がするわ」

「それ怒ってますよね!?」

「なるほど、これが怒ってるってことなのね。ありがとう、勉強になったわ」

「それは良かった――って、そうじゃないですよ!? こんなものつけててもしあたしが死んだりしたら」


 死ぬ。

 そんなのはダメだろうとマルテが言うが、アウレーリアはあっけらかんとしたものだ。


「わたしが死ぬかもね」

「ちょ、いりません。あ、あれ、はずれない!?」

「古い呪いだからね。わたしが解除するまで外れないわよ。だから、生きて帰ってきてね。待っていてあげるから」

「めちゃくちゃすぎますって!? ああもう……もう! 本当にアウレーリアさんはめちゃくちゃすぎます。これじゃあ、あたし……」


 責任も重大すぎると慄いている彼女の頬にアウレーリアは構成魔力不足で冷たく冷え切った手を置いた。


「あなたは魔力汚染を解決しようとしているわたしの前を歩いてくれようとしているんだから、先達からの贈り物よ、黙って受け取りなさい。前を歩くのは不安なのはわかるもの」


 誰もいない場所を自分で道を選んで道を作りながら歩くことは、不安があるに決まっている。

 間違っているかもしれない。

 救えないかもしれない。

 アウレーリアですらそうなのだ。


「え、アウレーリアさんでも不安を感じたりするんですか!?」

「人のには共感できないけれど、自分のことならある程度はわかるわよ。といってもそう思っていたとわかったのはついさっきなのだけれどね」

「さっき……?」

「たぶん、わたしは安心というものをしたの。あなたが汚染領域に行くと言ってくれたから。わたしよりも前を歩くと言ってくれたから」

「そんなことで……?」

「そんなことをやってくれる人なんて今までいなかったもの。はじめて言われたわ、自分がやるからあなたはやらなくていい、なんてことはね」

「アウレーリアさん……あのあたし、頑張ってきます。ちゃんと生きて帰ります。アウレーリアさんも無理しないでくださいね」

「ええ、そうするわ」

「……それじゃあ、おやすみなさい」

「ええ、おやすみ、マルテ」



 アウレーリアは静かな闇の中で目を閉じた。


 夢に見るのは、いつだって自分が殺したあらゆるものと、自分が救えなかったあらゆるものと、いつだって一人暗い荒野を歩く自分。


 けれど今日は、先を歩く、誰かがいた。

 安心というものを感じる夢だと思った。

 この日の朝は、生まれて初めて感じるくらいのいい気分だった。

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