第2話
いつもの喫茶店ではなく、レストランの個室に通された。
「あなたともお別れかもしれないわ」
掠れた声でフィリオリが言った。
彼女は隣の国に嫁に行くことになったそうだ。だがグリシフィアは小首を傾げる。
「あなたはランスが好きなのではないの?」
直球で言うと、フィリオリが顔を真っ赤にして俯いて、「好きだなんて、だって、弟だもの。いけないわ」と消えそうな声で言った。
「そう。じゃあ、その隣の国の男が好きになったわけね」
「そんなわけない! 会ったこともないのよ。それに噂によれば怖い人だと聞いているわ」
そういう彼女は握った手を膝の上に置いて、弱々しく震えていた。しかしグリシフィアにはわからない。
「なら嫁に行かなければいいわ」
「そうは行かないわ。私が隣の国に嫁げば、戦争が終わるんだって」
この国と隣国ではもう100年も戦争状態にあるようだ。だが最近では小競り合い程度で、もう長い間、大きな衝突がないと聞いている。
「戦争なんて終わらなくたって、王女のあなたは何不自由なく暮らしていけるじゃない」
「そんなこと、できない。この国のために戦っている騎士たちが毎年、何人も怪我をしてる。死んだ人だっているわ。それなのに王女の私だけが自分のために生きて、いいはずがない」
「あなたもあの真面目な弟みたいなこと言うのね。王族に生まれたからそうしなくてはならないなんて、誰が決めたの?」
「誰が決めた、とかではないの。それが王族の務めだもの」
「誰が決めたかわからない務めのために生きるなんて、私には理解できないわ。だってあなたたちは、あっという間に死ぬ生き物じゃない。好きに生きればいいのよ」
「短い命だとしても、持って生まれた役目を果たすことは大事なことよ。それに王族の役目は、他の人よりずっと大きいの。だから飢えもせずに不自由なく暮らせて、こんな綺麗なドレスを着せてもらってるのよ」
しかしグリシフィアはまるで納得がいかないようだ。
「あなたに役目を与えた人間だってすぐに死んでしまうわ。そんな取るに足らない誰かの決めたことを、自分の気持ちよりも優先するの? その弟だって、あなたと離れたくはないんじゃないの?」
弟の話をすると、フィリオリの顔が一瞬、歪んだ。
「ランスはきっと、祝福してくれるわ」
「そう。だとすれば結婚の話がなくても、あなたの気持ちは叶わなかったのでしょうね」
「叶えるつもりなんてないもの!」
フィリオリが初めて、大きな声を出した。
「ずっと見ているだけで良かったの! いつも一生懸命なランスが報われて、幸せになってくれればそれでいいもの。だって私、実のお姉さんなのよ! こんな気持ち、許されるはずがないの!」
この個室からは人払いがされていて、お付きの侍女だけがそこにいた。その侍女も感化されたのか、涙を堪えている。
「あなたがそんなに大きな声を出すなんて初めてね」
グリシフィアがふっと笑った。そう、その方がいい。
自分と同じ顔をしている娘が、他人の決めた結婚などでメソメソしているのは不愉快だった。だから今のような叫び声の方が心地よい。
そしてフィリオリの望みはグリシフィアにも明白だった。だから言った。
「もし無理やりに結婚させられるのだとすれば、ランスと一緒に逃げてしまえばいい」
フィリオリが目を大きくする。
「そんなこと、できない。だって私、あなたのように強くないもの」
「そう、ため息が出るほどに弱々しいわ。でもそんなことは関係ない。誰かのために生きようと、自分のために生きようと、あっという間に死ぬことにかわりないの。好きに生きればいいのよ。もっと好きに、傲慢に生きればいい」
もっと傲慢に……
フィリオリは胸を押さえた。
本当に、好きに生きてもいいんだろうか。このグリシフィアのように、海を渡って、この国から逃げ出して、誰も知らないところでランスと暮らす。そんなことが許されるのだろうか。
「私が許すわ、フィリオリ。もし海の向こうに渡りたくなったのなら、私の船に乗せてあげる。私の名前を呼ぶの。そのときはどこにいても、飛んでいくわ」
フィリオリは答えなかった。だが否定もしない。ただ迷っている。
おそらく初めて、自分自身の気持ちのために迷っている、グリシフィアはそんな彼女の姿を新鮮な気持ちで眺めていた。
おかしなものだ。人間の気持ちなどまるでわからない自分の言葉が、目の前の王女を惑わしているのだから。
不思議な気持ちだった。
不死不変の存在として全てを超越した彼女は、ただ一人、この世の頂に存在している。誰も届かない遥かな高みから、全てを見下ろしている。見えるのははるか地表を這う、下等でくだらぬものばかり。
何者にも興味を持ったことがなかった。
だが、フィリオリを放っておくことができなかった。彼女を変えるべく、言葉までかけている。
数日後、遥か上空から見下ろすグリシフィアから、二人を乗せて南に向かう一頭の馬が見えた。
あのどうしようもないほど箱入りの姫君が、
どうやら自分の心に従ったようだった。
グリシフィアは自分でも気づかず、満足げに微笑んでいた。
だがその表情もすぐに消え、ランスたちよりもさらに南、世界の壁のように聳える霊峰フロストピークに目を向けた。
厳しい氷雪が舞う頂に、遥か古代に打ち捨てられた神殿がある。一気にそこまで飛んでいって降り立つと、重く閉ざされた扉を開ける。
中は真っ暗闇だった。だが、永遠にして不変、六人の人ならざる者たちの気配を感じる。どうやら自分は一番最後のようだ。
開催されるのは不毛な集まり。
傲慢の魔女として、
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