用務員と七大罪

三水 京

傲慢の章

第1話

皆様は自分の人生が変わった瞬間を覚えているだろうか。それはいわゆる受験であったり就職であったりの世間一般では人生の岐路として有名なものだ。

この時ああしていれば僕の人生が一変していたのかもしれない、そう思うような重大な人生の決断が皆様の中でも一回や二回、あるいはそれ以上の数の決断をしてきたのかもしれない。

これから僕が話すのはその人生の岐路の中でも最も性質が悪いタイプのものだった。無理やりに例えるのならば交通事故であった。

ただし一般的な交通事故と違うところは被害者は人間で加害者は悪魔だったことだ。あの出来事に関しては何度思い返そうとも避けようがなかったと自信をもって断言できる。

これから振り返っていくのは俺が経験して取り返しのつかないほどに変わり果ててしまった自分の人生の一幕を誰に向けているかもしれないまま書き連ねていくだけのものだ。

そして悪魔に魅入られて普通であることを自称していた僕が悪魔どもに思想も思考も心情も変えられてしまった変化の過程を誰かに向けて書いている、何かが変わることを信じて。

思い返していこう。ろくでもないが優しかった悪魔たちと正しいが慈悲なんて言葉を知らなかった天使たち。そしてそこの二つの勢力の間に無理やり挟まれることになって地獄みたいな苦しみを背負う羽目になった俺と七人の少女たちが不幸の連鎖を断ち切って自分の道を歩き始めるまでの話をさせてもらおう。

最初にネタバレを一つしておくが、この話はハッピーエンドだ。



「疲れた…。」

そんなことが無意識に口から漏れ出てしまう。

時刻は23時を過ぎ時が止まったかのように静かな自宅までの道を足を引きずるようにして歩いていた。

大手に入ったのはよかったが体のいいように使い走りをやらされている毎日に鬱屈としてくる。子供のころの俺は果たしてこんな毎日を望んでいたのだろうか…とあまり思考がよくない方向に走り始めたところでふと視界の端に黒い毛玉のようなものが映り込む。猫だろうか、それならば好都合だ。こちらは今すぐにでも癒し成分を補給しなければ灰になって消えてしまいかねないのだ。ねこてゃんには悪いが少しばかりモフられる事を我慢してもらおう。そう思い近づいてみる。一歩、また一歩と近づいていくが何やらおかしい。どうもシルエットがおかしい。体毛は真っ黒なのは全然いい。黒猫ももちろん可愛いのだから、毛が長めなのもいい。もっふもふは正義だからだ。電柱の足をかけるところにひっかかっているのもまぁいいだろう、ドジっ子も可愛いものだ。足が短いのもプリティさを感じさせる。だが全体的なシルエットが某国民的ネコ型ロボットのような二頭身はさすがにおかしい。重量バランスを考えれば野生で生きていくのは厳しいフォルムをしている。それに耳も長い、体の全長に等しい耳の長さは全然ファンタジーに片足を突っ込んでいる。

モフる気分ではなくなったがこの謎生物を観察してみたいという好奇心が首をもたげてしまった、こうなっては見てみないと気が済まない。

そうこうしているうちに電柱の足場に引っかかった謎生物の目前まで来た、目は大きく口はちいちゃく鼻はまんま猫ちゃんの三角形である。気を失っているらしく脱力している様は落とし物のぬいぐるみを善意で目立つ場所に引っ掛けている様相だ。少し大きめの手のひらサイズの体を引っかかっている足場から外してやりとりあえず撫でてみる。野良のはずではあるが毛並みはサラサラのつやつやでまるで高級なファーを触っているかのような手触りに自然と笑みがこぼれる。何なら声も出ていた。「ふおぉ…。」そのような声が漏れてしまうほどに毛並みは上々だった。いや、毛並みについて感嘆している場合ではない。しげしげと眺めてみる。そして目を覚ましたらしい生き物はそのクリクリの目を見開いて俺を視認した。たっぷり五秒は目が合っただろうか、撫でる手は止まっていなかったが。そして謎生物がとうとう口を開ける。

「なんじゃ貴様、わし様をか弱い犬猫のように持ちおって。不敬であるぞ。」

その声が目の前の生き物から発せられた事を認識するのに僕はたっぷり10秒の時間を要した。

「だがここで会ったのも何かの縁。おい人間、住処に案内せよ。」

「あ、お断りします。それでは。」

途端に厄介なことになる事を察した僕はもう一度電柱の足場に引っ掛けなおしそそくさと逃げることにした。人語を解するマスコットっぽい生き物とかマジで僕の日常にいらないのだ。よくてフ〇リキュア悪くて救済に囚われる展開になるとかマジでごめんだわ。

「え、ちょ、おい人間?ま、待てって、ちょ、チョマテヨ…待って!待ってってば!ねーえ!ごめんって!いきなり人間とか言ったの謝るから!ゴーメーンって!やっぱりファーストコンタクトって大事じゃん!?こっちもこっちでやっぱり初対面でインパクト強めでいくしかないかなー?とか考えてたんだって!…え、チョ嘘、このまま見捨てられる?お願いだってー!話聞いてよー!最悪話聞かなくてもいいからここから降ろしてよー!こんなに短い手足じゃまともに移動もできないんだってー!」

背中からとんでもなく罪悪感をあおる抗議というか懇願が飛んできた。これはいけない。元来可愛いものには目がないのだ。最終的にはピャーという擬音が似合うような泣き声を披露されてしまった。これには大手商社で営業の死線を潜り抜けてきた俺ですら見なかったことには出来ない。

仕方なく戻りめそめそと泣いている小動物に話しかける。

「…話聞くだけだぞ。」

「話聞いてくれるんですか!ありがとうごじゃいましゅ!」

涙と鼻水で顔がぐしゃぐしゃだ、きったねえな…ティッシュをとりあえず渡して鼻をかませる。うわ、盛大に出てきた。

「とりあえず家で話は聞いてやる…お前のことはなんて呼べばいい?」

「名前?…個体名のこと?私たちにはないよ?だからぁ、あなたの名前を教えて欲しいな♡」

「なんで急にこびてきたんだこいつ…御影 相馬これでいいか?」

「うーんと…がっつり真名だね!ありがとう!」

そう微笑んだ瞬間に胸が何かに締め付けられるような、異様な感覚を覚えて。

「は?」

そうやって一言発する間に自分の意志では指一本動かせなくった。

「駄目だよ~知らない生き物に真名なんて伝えたら。まぁどうしようもないとは思うんだけどさー?」

目が霞み、力が入らなくなっていく。そして最後に視界を占めたのは凶悪な笑みを浮かべた生物に手を伸ばし最後の抵抗をしようとしたところで、急にすべての不調が消えた。

「…ん?あれ?…おっかしいな…?。もっかいやらせて?」

「え?ああ、どうぞ?」

「ありがと~。んじゃもっかいやるね?ほい。」

流れで肯定してしまったが全然だめだということに気づいたが時はすでに遅く生物がこちら短い手を向ける。そして全身が光る、だが体に不調は何もない。変わったことは何もない。何なら先ほどまでの残業の疲れまで吹っ飛んだかのように体が軽い。

「あれぇ~…?これはもしかするともしかしちゃう?だったら最の高なんだけど…。」

延々と首をかしげているがこちらに不調が無くなったのであればこちらのターンだ。命に対する敬意をいったん忘れてがっつり鷲掴んでいく。

「あー!ごめんなさい!!ごめんなさい!!催眠かけて傀儡にしようとしてごめんなさーい!」

「とんでもねえ事さらっと暴露しやがったなこんの謎生物おいこら。」

じたばた、じたばたと短い手足を振り回しながら謝罪の意を表明する自称悪魔だがさすがにここでこの生物を野放しにしては第二、第三の被害者が生まれかねない。なのでしっかりと対策と予防措置を講じなければ。応急の対策と予防措置としてはここでこの不思議生物を殺処分に処することで以降の対策も予防措置も必要なくなると判断できる。同様のケースなんか二度と現れんだろ。以上で思考の必要性がなくなったため早速応急措置の実行に移る。差し当たっては空き瓶なりに詰めて川に流せばいいか。

「殺処分!?空き瓶に詰めて川に流す!?こんな!こんな可愛いふわふわとした命になんて残酷な仕打ちをしようってんですかこの、鬼畜!無慈悲!機械人間!!」

「おーおー急に思考盗聴とはやってくれるじゃねえかこれは僕も頭にアルミホイルでも巻かないといけないかぁ?」

あまりにも急に思考を読まれたものだかららしくない反応をしてしまった。これは果たしてどこから俺の思考を読んでいた?いや、最初から読めるのなら真名がどうのこうのいう必要はない。勝手に俺の名前を記憶から探って勝手に契約なるものをして俺の意識を消滅させればいいだけの話だ。聞いた限りの話ではこれにはそういう人智を超えたことが出来るのだから。

「アルミホイル…?ちょうりようの…きんぞくしーと…?頭に巻いて蒸し焼きにでもするんですか?」

「俺の頭の中をのぞけるのは確定したなちっちゃいの。どうやら記憶までアクセス出来るっぽいな。」

「あ、全然記憶とか見てないです。小学校の時に好きな女の子の前でかっこつけて階段飛び降りて骨折したときの事とか何にも知らない本当に。」

「がっつり覗き見てんじゃねぇか!?えぇ!?」

急に黒歴史を開示された事による動揺から大きい声が出てしまった。これは棚の調味料を倒しても致し方がなくなってきた。そうなると最終的にこの生き物を土下座させなくてはいけなくってしまう。

「はぁ~…。とりあえず説明をしろ。一から十までだ。そのあとでお前を空き瓶に詰めるかどうかを考えることにする。」

「説明はするのでどうか空き瓶に詰めるのだけはやめるのを考えていただけないでしょうか?…ねえなんでうぇいぱー?の缶でも行けるかなって考え始めたの?ねぇーえ!」

「もうなんかマジで面倒だなお前。なんでこっちは思考盗聴できないのにそっちだけデフォルトであるんだよおかしいだろ。」

とにもかくにも話が進まない。果たしてこいつは何なのか、何が目的なのか、そしてこちらに何を要求してくるのか。少なくともこの三つを把握しない限りは俺の好奇心が消えることはないのだと僕の魂が叫んでいる。今まで面白くない毎日だったんだ。少しくらいの非日常を味わうくらいは許されるだろう。小動物の首根っこを持ちながら自宅へと歩を進める。話を聞く姿勢を感じ取ったのか小動物は抵抗せずに持ち上げられているままだ。

「お?おにいさーん…。あなた案外面白いことがだーい好きなんだね?」

「あ?そりゃそうだろ。面白いことが大好きじゃない人間なんているもんかよ。人間は退屈をしのぐために人生やってるんだぜ?」

「だったら~、ぜぇ~ったい私のオハナシを聞いたほうが~楽しいと思うよ~?私と関わったらね~もうどうあがいたってこれまでの人生には戻れなくなっちゃうんだから~♡」 

体に科を作っているつもりなのだろうが猫のやんのかステップ未遂にしか見えない現状を置いておきまるで悪魔の囁きのようにもう戻れない選択肢を突き付けてくるかのような現状は不覚ながらも僕の口角を持ち上げる事になった。

「だったら上等じゃねーかこっちとしては代わり映えのしねー毎日ってやつに飽き飽きしてたんだ、いっそこんなにつまんない毎日ならトラックに突っ込まれて異世界に行ってチートの一つ二つもらっておきたいね。」

「ダークファンタジーが覇権とっちゃった系の奴じゃーん。私暗くて不幸な人がいっぱい出るオハナシきらーい。」

「じゃあどんな話が好きなんだよ。自慢じゃないが俺はそいつが好きな話のジャンルで大方の人間像をつかむことを特技としているぞ。」

「それは特技じゃなくって決めつけっていうんだよー。でも私が好きな話はね!」

声のトーンを一段上げてきらきらとした少女のような笑みを浮かべながらそれは高らかに宣言した。

「良心の呵責なく殴り飛ばせる悪者をぼっこぼこにして尊厳を破壊した後に若くって綺麗な女の子を侍らせながら最終的に主人公の周りがご都合主義じゃんキッショ死ねよって言われるくらいの超々々大団円ハッピーエンドを迎える話がだ~い好き!」

「判決、死刑」

純度100%のド直球の欲望で心底からびっくりした。やはりこいつは瓶に詰めて川流しをしたほうがいいのかもしれない。いや、挫折とか苦悩とかするべきだろ山場ないじゃん。

「山場は大事だけどやっぱりそれよりも嫌いな奴をボコボコにするほうがぜぇーったい大事でしょ?特にこれからお兄さんは主人公になっちゃうんだから、いやでもこうなっちゃうんだよなー。ごめんね?でもこれも話を聞いちゃった貴方のせいだから!クレームは受け付けておりまっせーん。ざーんねーんでーしたー♡」

俺はこいつを振り回しながら帰宅した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る