第15話 残業中にお裾分けをする29歳


あー、週の初っ端である月曜日からの残業は辛い。辛すぎる。

もう部署内の他の人達も皆帰宅して、今は俺ひとり。


まぁ、夜のこの時間だ。別におかしなことではない。


そして、隣の部署に目を向けると、いつもの様に...あれ?

山田くんがいない? あ、彼のノートパソコンが閉じられている。


ということは、今日は珍しく早く帰れたのか。それは良かった。

良かったけど、じゃあなんでまだ電気がついているのだろうか。

見る限りでは誰の姿も見えないけれど、消し忘れ? それともお手洗いで席を外しているとか?


まぁ、何でもいいけど。今日ってもしかして俺、このまま行くと終電ギリギリコースだったりするのだろうか...。


「.....」


あと、そうだ。隣の部署で思い出したけど。

俺、本当に来週、彼女と二人で和歌山に行くのか?

だとしたら、ちょっと、かなり...準備と言うか、何と言うか。


え? あらためてだが、本当に行くのか?


とりあえず、そんなことを、ふと思い出した俺は、スマホをズボンのポケットから取り出して確認してみるも、別に昼にlineを交換してからというもの、彼女からのメッセージは特に届いてはいない。


ということは、やっぱり冗談というか、社交辞令か?



「松坂さん!お疲れ様です!」



って、この声は...。


とりあえず、背後から聞こえてきた女性のその可愛らしい声に身体をゆっくりと振り返らせてみると、そこにいたのは


そう。隣の部署のさんがニコニコと俺に向かって微笑んでいる光景。

今、まさに頭の中で思い浮かべていた当事者がいた...。


「あぁ、お疲れ」


彼女も疲れているであろうに、この時間でもその明るすぎる笑顔...。


最強かよ。


「あ、今日もこれ飲んでいるんですね。ふふっ、相変わらずブラック珈琲がお好きなんですね」

「あぁ、確かに気が付いたらこれ飲んでるな」

「美味しいですよね。私も最近は松坂さんと同じの飲んでるんですよ。飲めば飲むほど好きになると言うか、嵌りますよね。私も好きです!」


いや、最早、好きという概念すらないかもしれない。依存というか条件反射でコンビニで手に取ってしまっている自分がいる。


「あ、もみじ饅頭だ。誰かからお土産にもらったんですか?私、めちゃくちゃこの饅頭、好きなんです」


それは割と意外だ。あくまで雰囲気からだが、あんまり饅頭が好きなイメージが彼女からはなかった。


「そうなの? あぁ、じゃあ別にもらいものだし、もしよかったらあげる」


良い意味で庶民的なギャップ。


「やった!これ本当に好き!」


そもそも俺が買ったわけでもないし、こんなものでその笑顔と喜ぶリアクションが見られるのであれば、世の中の男は毎日のように彼女にお菓子を献上することになるだろう。

まぁ実際、ジジイどもから既に彼女が色んなものを結構貰っているところを見かけるしな。


「では、はい。これお返しです」


ん? すると、静かに俺のデスクへと何か小さなものが置かれる光景。


「チョコ?」

「はい!カカオ70%のチョコです。リラックス効果ありです。好きですか?」

「あぁ、チョコは何でも好き」

「ふふっ、そうですか。私も好きです。良かった」


正直、ちょうどチョコが食べたいと思っていたところに、あまりにもナイスタイミングすぎる貰い物。ありがとう、もみじ饅頭。


そんなことを考えながら、早速口に運ばせてもらう俺。


あ、そういえば貰い物と言えば、まだあったな。

取引先のおばさんにもらったミルク饅頭。もみじ饅頭が好きならこういうのも好きな気がする。


「大塚さんって、じゃあミルク饅頭とかも好き?」


そして、そう言って、俺は自分の顔の前にミルク饅頭を取り出してかかげる。


「あ、ミルク饅頭!」


そのリアクションは好きそう。


「お、やっぱり好きな感じ?」


まぁ、普通に美味しいもんな。和菓子だから脂質も少なめだし。


って、何だ...。


「......」


無言で俺の目をじーっと見ながらまた微笑んで...?


「え?」


ど、どうした...。


尚も、目の前の彼女は俺から目を離さないというか、じーっと見つめるように微笑んでくる光景。


その彼女の頬は少し赤みを帯びているというか、熱っぽい表情というか、何と言うか...。


ほ、本当にどうした...?




「好きです」




え、あ、え...?



「あ、え、あ、じゃあ。あげる。はい。あげる。美味しいよな。うん」



いや、何だ。何だおい。俺。アホか。

いやいやいや、何でこんなに動揺して、ほんとバカか。


いや、彼女はミルク饅頭が好きなだけだから。

そう。会話の流れ的にも明らかにそう。


違う、違うから。さっきからずっと思ってたけど、そもそも彼女は誰と話す時もじーっと目を見て話す子だから。


さっきからやたらと。目を見られながら『好きです』って単語が彼女の口から出てきて変になりそうになんか、全然なってなかったから。


そこまでヤバい末期な野郎じゃないから、俺。


違うから。ほ、本当にアホか俺...。


「.....」


やばい。今、俺、どんな顔してる。普通だよな。

平静だよな。何も顔になんて出てないよな。いい歳した大人である俺がそんな思春期の中学生でもしないダサい勘違いをするわけないからな。


そんなことを思いながら、俺はそーっと目の前の彼女の反応を確認する...。


するとそこには、さっきよりも頬を真っ赤にしている様に見える彼女が、尚も俺のことをじーっと見つめながら無言で俺に微笑んでくる...光景。


「......」


そして、そんな光景に不覚にもまた目をすぐに逸らしてしまう俺。


いや、違う。本当に違う。あれはそもそもああいうメイク。チーク的なあれだろう。

妄想がすぎる。妄想が過ぎるぞ俺。


本当に気持ち悪いし、本当にバカか、一体どうしちまったんだよ、俺。


「あのー、松坂さん」

「あ、はい」


な、何だ...。


「お仕事中に雑談すみませんでした。私はもうちょうど仕事も終わったところなのでお先に帰らせてもらいますね」

「あ、ああ、全然。お疲れ。気をつけて」


そう。気をつけて。


「あ、あと...」


あと....


「ふふ、来週の松坂さんとの休日のお出かけ。私すごく楽しみにしていますから。よろしくお願いしますね」

「はい...。こちらこそ...」


休日のお出かけ...。楽しみに...。


「あ。ふふっ、せっかく松坂さんからもらったミルク饅頭、忘れて帰ってしまうところでした。いただきますね」

「うん。ど、どうぞ...」


どうぞ...。


「松坂さんも、ミルク饅頭はお好きですか?」

「はい。好きです」


美味しい...ので。


「ふふ、あらためてですけど、私も好きです。一緒ですね」

「まぁ、美味しいからね...」


そう。皆好き。皆好きだから...。


「それでは、お疲れさまです」

「はい。お疲れ様...です」


お疲れ様...です。



「.....」



いや、違う。違うから。普通の会話。

平凡な日常な会話だから。


そう。饅頭が好きか好きじゃないかの会話をしていただけだから。


ぜ、全然、頭が真っ白になんてなってないし、こんなので動揺なんてするわけがないから。



「......」



え、あ、ヤバ。



今日のデータ、全部消えた...。

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