第2話 一応、趣味はある29歳独身

土曜日の朝、俺はいつもの休日の日課をこなすため、いつものようにフード付きのスポーツウェアを着用して玄関を出る。


まぁ、一時間ほどこのマンションの近くをウォーキングするだけだ。

今日は天気も良いし、絶好の散歩日和。



「あ、松坂。おはよー」



そんなことを考えながら自宅の玄関のカギを外から静かに締めていると、背後からは隣人である女性の声が聞こえてくる。


「あ、うす」


その声にふり返ると、そこにはカジュアルにビジネススーツを着こなす、まるでモデルのようにスレンダーな女性



高崎たかさき 春華はるかの姿。



肩まで伸びる艶やかなオレンジブラウンの綺麗な髪が映える、はっきりとした顔立ちをしている大人な美女が爽やかな笑みを向けてくる光景が俺の目には映り込む。


「いーなー、今日休み?」

「うん。そっちは仕事?」


まぁ、聞かなくとも、今日のその風貌から仕事だとはわかっているが一応そう言葉を返す俺。


「そ。暇なら売り上げに貢献しに店に来てよー」

「いや、一番俺に縁のない店だろ。もし俺が行くことがあったら、それは誰かに騙されている時だろうから全力で止めてくれ」


そう。彼女の職場は宝飾店の店員。いわゆるジュエリーショップで働いている。

昔から、ショッピングモール等に入っているジュエリーショップの店員は何故あんなにも美人が多いのだろうと外から見て思っていたが、彼女はその中でもトップクラスの例になるのだろう。


現に、その明るい髪色をマイナスに感じさせない清潔感と上品さは、いつ見ても『綺麗なお姉さん』という言葉を俺の頭には連想させる。


「フフッ、何それ。相変わらず朝一番から自虐とばしすぎ。あ、そうだ。私に買ってくれればいいじゃん」

「いや、言ってる傍から騙されるわけがないだろ...。俺以外に買ってもらえ。俺みたいな、いかにもモてない奴はそもそもあの空間に身体がこれでもかと拒否反応を示すからな。イケメンからたっぷり搾取しろ」


実際、あのキラキラ空間に入れる気がしないし、基本的に彼女とか奥さんへのプレゼントの為に行く店だろうから、そもそも入る予定と理由が全くない。


「ハハッ、また自虐かよ。ま、そろそろ時間だから行くね。じゃ」

「ん、じゃ」


自虐の何が悪い。

自虐続きの人生を歩んできたんだ。そう。自虐が俺の本体だ。

自虐が聞きたくなければ俺に話しかけないことだな。


「あ、そういや今日の夜あいてる? 多分、今日は残業なく早く帰れそうだし、また飲もうよ」

「いや、今日の夜は...」


夜は...予定が...ない。相変わらず予定がない。

嘘をつく予定すらすぐに出てない来ないレベルで日頃から何もない。


「はい。いつも通りなしでしょ。じゃ決定ね。またlineする」


そして、そう言って、仕事前とは思えないほどの眩しげな笑顔で俺に手を振りながら外廊下を歩いていく彼女。


「.....」


後ろ姿まで美人とは、相変らず、から住む世界が違う。


そう。あの頃から。


実は俺と彼女は昔に、一応は同じ空間にいた過去がある。

その昔とは具体的には高校生の頃。


俺は彼女と同じクラスになったことがある。

それも2年間。


とは言え、当時から目立っていた学校の1軍女子である彼女と、クラスの8軍男子である俺に接点があるわけもなく、まともにその頃に会話をした記憶なんてなかった。


だから、俺がここに引っ越してきた当初に隣に既に住んでいた彼女に挨拶をした時は、当然、彼女は俺に対して初対面の様な装いではあったが、俺の方はすぐに彼女が昔の同級生であったことに気がついた。


あの頃はもっとギャルギャルしい感じではあったが、いい感じに大人びて洗練された彼女とは違い、俺はただ単に身長が当時から10cmほど伸びて177cmになったぐらい。


人間としての成長のレベルの差をまじまじと、あらためてその再会の時に一方的に実感させられたことを覚えているが、それが、後々ふとしたしょうものないことをきっかけに彼女が俺のことを思い出し、こんな感じでほぼ毎日のようにしょうものない会話を交わすことになることになるとはな。


でも、このマンションに越してきて何だかんだでもう2年になるのか...


「.....」


とりあえず、この2年で一つわかったことがあるが、女性と話すことがそこまで得意でない俺も、彼女ほど突出した美女が相手だと、脳がそういう関係になることは億が一にもないとわかっているのだろう、逆に全く緊張せずに話せるということがわかった。


要はここまで格の違う相手だと、何の意識もせずに自然体で話せている俺がいる。


そして、彼女は彼女で、おそらく俺と言う野良犬に暇つぶしに餌を与える感覚で話かけてきているのだろう。


「.....」


まぁ、何でもいいけど、野良犬らしく今日も、散歩しますか。


そんなことを考えながら俺はワイヤレスイヤホンを片耳につけて歩きだす。


イヤホンから耳に流れてくるのは、俺が昔からずっとメールを投稿して楽しんでいる好きな芸人の大人気ラジオ番組。


『はい。それでは続いてはこのコーナー。あなたのマッチングアプリでの失敗体験談!』

『では一発目、ラジオネーム【モテナイ野良犬】さんの失敗体験談』

『えー、2回目にマッチングアプリでマッチングをした相手に不動産販売の勧誘に誘導され、彼女とは一回しかご飯に行けていないのに、ガチムチのゴリラみたいな男とは毎週のように5回もご飯を共にし、最終的に5,000万円のマンションのローン契約を結ばされかけました』


『ハハハ、さすが【モテナイ野良犬】さん!えーっと。確か、初めてマッチングアプリでマッチングした相手については、2時間制のバイキングに連れて行って、1時間もしないうちにトイレに行くと言われて、ドロンされたんだったよね!』

『いいねー。初めてのデートにバイキングを選ぶその感じ、しっかりモテないねー。さすがモテナイネタに関してはこの人は尽きることがないねー』


そう。実に懐かしい思い出だ。

ちょうど、新卒で今の会社に入社して2年目ぐらいの頃、周りが皆マッチングアプリをしていて、自分もした方がいいのではないかと漠然と始めた時に起こった思い出だ。


変に相手のことを意識しすぎて力んで、ことごとく空回りしていた何年も前の出来事。


他にも、焼肉屋に連れていった相手の女性の皿に、もう大丈夫と言われているにも関わらず、一方的な気遣いの押し売りで、焼いた肉をノンストップで盛りに盛りまくった末にぶち切れられるといった淡い思い出もあるが、それはまだ温存しておく。


一応、これでも俺も29歳。


ただ何もせずに恋愛を諦めたわけではないことだけは言っておく。


しっかりとした強固な実績の積み重ねの末に諦めたのだ。


それに、こっちの方がやっぱり楽だしな。


モテないのなら、モテない男として自然体で生きるのが一番楽。

この経験のおかげで好きなラジオにも毎週のように投稿が採用されて地味ではあるが毎週小さな幸せを噛みしめている。


やはり無理なんてする必要はない。


そう。俺は生涯独身、松坂 透。29歳だ。

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