第9話 涼子の気持ち

「私は……自分でもまだはっきりとは分からないけど……橘の事が好き、なのかなって……思ってる」


 心臓がバクバクと高鳴った。指先が震え、顔が熱い。顕人本人に伝えた訳でもないのにこんな風になるのかと、涼子は自分の事ながらに驚いた。


「そうか」


 リーゼロッテは涼子の手を取りにっこりと微笑んだ。


「君のような可愛らしい女性に好かれるとは、アキトの奴も幸せ者だな」

「か、可愛らしいなんて、そんな事……」

「私は見た目にも性格にも可愛らしさというものが欠けているようだからな。貴女あなたの可愛らしさが本当に羨ましい」

「あ、ありがとう。お世辞でも……そう言って貰えるのは嬉しい、かな……」


 涼子はリーゼロッテの言葉をお世辞と受け取ったが、例えそうだとしてもリーゼロッテのような美しい女性に可愛らしいと言われるのは嬉しかった。だが、リーゼロッテの次の言葉は涼子を驚かせる事となる。


「よし……それではどちらがアキトの嫁になるか、競争という事だな」

「き、競争!?私とリーゼロッテさんが?」

「ああ」

「そ、それは――」


 『私なんかじゃきっとリーゼロッテさんに敵わない』『そもそも、自分は結婚なんて考えた事もない』。そんな事を言おうとした涼子だったが――しかし、彼女の口をついて出てきたのは、涼子自身にも予期せぬ言葉だった。


「――わ、分かった。リーゼロッテさん。競争……だね。ど、どっちが……橘のお嫁さんに、なるか……」


 どうしてこんな言葉を言ってしまったのか、涼子には分からない。リーゼロッテの騎士道精神溢れる物言いについつい釣られたのか……それとも、涼子が心の中で望んでいた事だったのか。


「ふふっ……嬉しいな」


 リーゼロッテの口元に爽やかな微笑みが浮かぶ。


「何事も強敵ライバルがいてこそ燃えるというものだ。アキトを巡り戦い、そして共に高め合って行こう……リョウコ」

「わ、私なんかじゃリーゼロッテさんのライバルには役者不足だろうけど……。でも、リーゼロッテさんが言う通り、仲良く高め合っていけたら……いいね。橘の事が好きな人同士で」

「ん?」


 と、今まで爽やかな笑顔を浮かべていたリーゼロッテが突如、首を傾げる。


「『タチバナの事を好きな人同士』とは、どういう意味なのだろうか……?」

「え?私とリーゼロッテさんの事だけど……」

「いや、私はアキトの事など好きではないが」

「ええ!?だって、橘と結婚するためにこの国に来たって……」

「それは父上が決めた事だからだ。別にあの男の事が好きな訳ではない」


 その言葉に、涼子は一瞬ぽかんとなり……そして叫んだ。


「えっ……ええ~!ず、ずるーい!」


 リーゼロッテに抱きつかんばかりに体を寄せる涼子。


「なっ……ずるいとはどういう意味だ!?」

「だってリーゼロッテさん、絶対に橘の事、絶対好きでしょ!?」

「す、好きではない!」

「ウソ!絶対に好き!橘の事喋ってる時のリーゼロッテさん、恋する乙女の表情してたもん!」

「ち、違うっ……。こ、恋する乙女などではない!わ、私はあの男の事が好きな訳では……!」


 立場は逆転。今度はリーゼロッテが涼子に押される番となった。


「絶対好き!」

「好きではない……っ!」


 そんな押し問答をひたすらに繰り返す。リーゼロッテも涼子も決して譲らない。これだけは両者ともに絶対に譲れない一線なのだ。無限に続くと思われた押し問答だったが……第三者の介入により、それは唐突に終わりを告げる。


「……お前ら、何言い合いしてんだ?」


 気が付けば、リビングの入り口に橘顕人が立っていた。買い物帰りのエコバッグを持ったまま、顕人は怪訝な表情でリーゼロッテと涼子を見つめていた。


「な、アキト!?」

「た、橘!?」


 2人は思わず仰け反り、顕人の方を見る。


「い、いや、その……別に大した話はしていない……っ」

「そ、そうっ……なんでもないんだよ。ね、ねー……リーゼロッテさん」


 苦笑いで頷くリーゼロッテと涼子。そんな2人の反応に、顕人は不審げな視線を向ける。


「怪しいな……ひょっとしてお前ら……俺の事を話してたんじゃないか?」

「「えっ……!?」」


 図星を突くような発言に、リーゼロッテと涼子の声が重なる。


「つまりあれだ、お前らが好きだのなんだの言ってたのは、俺の――」


 ゴクリ、と息を飲み2人は体を硬直させた。


(ひょっとして、私が橘の事を好きっていうの……バ、バレちゃった!?)

(ひょっとして、私がアキトの事を好きだというのがバレたのか?――い、いや、別に私は好きではないが……!)


 そんな2人の心配はしかし、完全な的外れであった。


「――俺の料理の話だろ?」

「「え……?」」

「ったく、家の外まで聞こえそうな声で好きだの何だの叫びやがって……そんなに俺の料理が好きなんだな?よしよし、ささっと作ってやるから待ってろよ」


 そう言い残し、顕人はキッチンへと向かう。その後ろ姿を見ながら、リーゼロッテと涼子は安堵のため息をついて……そして、互いに顔を見合わせた。


「橘ってさ……鈍感って言うか、結構その……天然な所あるよね」

「……そうだな」


 涼子の言葉にリーゼロッテは深々と頷く。そして、どちらからともなく「ふふっ」と笑いを漏らした。その笑い声を聞き、キッチンから声が上がる。


「なんだ、お前ら……楽しそうに笑って。俺の悪口でも言ってんのか?」

「ふふふ、まあ……そんなものだ」

「ったく……」


 顕人は、やれやれとばかりにため息を漏らす。


 リーゼロッテと涼子は、そんな彼の反応に再び顔を見合わせてクスクスと笑い合うのだった。

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