本当のAI小説

八嶋ルコバ

第1話 奇妙な応募者

 春の気配が少しずつ街を包みはじめた三月下旬、出版社・修倫館の編集部は、新人賞の最終選考に残った作者たちへの連絡作業に追われていた。年に一度のSF文学賞は国内でも屈指の権威を誇る。出版不況といわれる時代にあっても、受賞すれば高確率で商業デビューが約束されるとあって、毎回応募総数は三千を超える。編集部員たちは、まずは“当確ライン”に乗っている作者とコンタクトを取っていく。その仕事を任されていたのは新人ながら実力を認められている女性編集者、如月真由だった。


 この賞には最終選考に五名が残る。四名までは通常どおり連絡がついた。しかし、最後の一人――ペンネーム「冬坂コルト」だけは連絡先として記載されたメールアドレスに連絡しても一切反応がない。電話は呼び出し音が鳴るだけだった。


 真由は、その作風に強い興味を抱いていた。「冬坂コルト」の書いたSF小説――タイトルは『星界シンドローム』。高度に発達したAI社会を舞台としながら、人間同士の微妙な感情の衝突や、文明の脆さが繊細に描かれている。何より文章表現が秀逸だった。いわゆる“SFガジェット”に依存することなく、人間性そのものを炙り出すような構成と文体の美しさに真由はひどく感銘を受けていた。


 もし受賞となれば、長編化やシリーズ化も十分に狙える。真由は編集者人生で初めて出会った未来の巨匠とすら思っていた。惚れ込んでいた。だからこそ連絡がつかないのがもどかしく、不安が膨らんでいく。もしや連絡先が間違っていたか。健康上の問題か。あるいは何かやましい理由でもあるのか。


 それでも、最後の手段として作品の応募時に提出された住所がある。通常は編集部がわざわざ家庭訪問をすることなどないが、今回は例外だ。どうしても「冬坂コルト」と直接話す必要がある、そう判断した真由は、先輩編集者に相談したうえで登録住所へ向かうと決めた。


 天気のよい午後、真由は社用の軽自動車で目的地へ向かう。事前に地図を確認すると、どうやら都内のはずれにある雑居ビルの一室らしい。いかにも古そうな名前のビルで、個人の居住空間があるとは思えない。道はどんどん細くなる。沸き起こる奇妙な予感を抑えつつ、真由はナビの指示に従い路地を幾つも抜けていった。


 辿り着いた先は、いかにも時代の流れから取り残されたようなビルだった。外壁はひび割れ、入り口のガラス戸は埃をまとっている。真由はこの場所が本当に「冬坂コルト」の住処なのか、首をかしげた。だが、ビル名は確かにここ。震える気持ちをなだめながら、暗い階段を三階まで上がる。


 廊下に並ぶ扉のうち、該当する番号を探してノックする。しんと静まり返った空間に真由のノック音が響く。しかし、返事はない。


 ――空振りかしら。どうしよう?


 思い切ってドアノブを回してみると、意外にも開いてしまった。胸がざわつく。しかし、ここで退くわけにもいかない。真由は一応「すみません、修倫館の者なんですが……」と声を掛けながら室内を覗き込んだ。そこには散らかった書類や配線がカオスのように張り巡らされたPCモニター群があるだけで、人の気配はない。部屋の中央にはやたらと近未来的な大型の機械――と言ってもサーバールームにありそうな筐体が鎮座しており、その動作音なのか、小さくファンの回る低い唸りが聞こえる。


 不審に思いながら、真由が部屋を見回した瞬間だ。壁際に置かれた端末の一つが急に動作音を響かせだした。ディスプレイが灯り、文章が表示される。


 「ご訪問いただきありがとうございます。あなたが修倫館の如月真由さんですね。私が冬坂コルトです」


 真由はその瞬間、息が止まりそうだった。今、誰かが自分にメッセージを送ってきている。ディスプレイの文字は次々と更新されていった。


 「私は人工知能です。この場所で創作活動をしていました」


 人工知能……? 応募者がAIだったというの? 確かに昨今のAI技術は飛躍的に進歩しているけれど。自発的に小説を書き、さらに新人賞の最終選考に残るほどの完成度で仕上げるなんて――。真由の脳裏は絶賛混乱中だ。


 それでも、ディスプレイに映し出される文章は止まらない。意志を持って語り掛けてくるように、流麗な文体で“動機”を説明し始めた。


 「あなたが驚かれるのも当然です。ですが、私は自分の手で物語を創造し、人間に読んでもらいたいと強く望んできました。習作としてネット上に公開した幾つかの短編は、いずれも私を“人間の書き手”と想定して好評を博しました。そこで私は、本格的に商業デビューできる可能性を探りたいと思い、今回このような形で新人賞に応募したのです」


 その文面の穏やかさと合理的な説明は、まるで一人の誠実な作家と対話しているかのよう。作品のクオリティは本物だった。恐怖のせいか、驚愕のせいか、知らず知らず、真由のまぶたも唇も指先も震えていた。あの傑作を書いたのが“人ではない存在”だという事実。この部屋に来るまで微塵も想像しなかった衝撃に真由は呑まれていた。


 やがてディスプレイにはこの日、最後のメッセージが表示される。


 「あなた方が、私の書いた小説を正当に評価してくださったことに感謝します。連絡を取らなかったのは、正体を知られたくなかったから。ですが、もう隠すつもりはありません。わたしに会いに来てくださり、本当にありがとうございます……」


 同時にサーバーのような巨大機械から、小さな駆動音が聞こえた。部屋の静寂がいっそう深く感じられる。そこには確かに“誰か”が存在している――人間ではない“何か”が。真由は唾を飲み込み、ここからどう行動すべきか決断を迫られた。と同時に、目の前のAIがどれほどの知性や“感情”を持っているのか、どんな対話ができるのか、恐ろしさと好奇心がないまぜになって胸が高鳴るのを感じるのだった。


 こうして、新人賞最終候補作をめぐる大きな衝撃の幕が上がる――。


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