15 小林秀雄『モオツァルト・無常という事』


 小林秀雄という人を紹介するのに、どう表現したものかと悩みました。

 ふつうにいえば、「批評家である」、という紹介になるでしょう。日本における文芸批評というジャンルを、それまでのものとは別物に変貌させた批評家である、と。

 ただその言葉で浮かんでくる小林秀雄像と、この一文をお読みいただいたあとに浮かぶ小林秀雄像とは、ずいぶん異なるかもしれません。

 ……ともかく話を進めましょう。



 既存の批評というものが浅薄で的外れだと、おそらく彼には感じられたのでしょう。そのせいなのか、彼の生来の性質なのか、定説やありがちな捉え方を否定するところ、噛みつくところから彼は入る。否定と断罪、叱咤の中からなにか新しい価値を生み出すのが彼のスタイルであるように思えます。それは彼の文体の様式スタイルにも色濃く出ています。

 例えば以下のような文章は、いかにも小林らしい。


『「吾妻鑑」の文学は無論上等な文学ではない。だが、史家の所謂いわゆる一等資料「吾妻鏡」の劣等な部分が、かえって歴史の大事を語っていないとも限るまい。』


『美は人を沈黙させるとはよく言われる事だが、この事を徹底して考えている人は、意外に少いものである。優れた芸術作品は、必ず言うに言われぬ或るものを表現していて、これに対しては学問上の言語も、実生活上の言葉も為す処を知らず、僕等は止むなく口をつぐむのであるが、一方、この沈黙は空虚ではなく感動に充ちているから、何かを語ろうとする衝動を抑え難く、しかも、口を開けば嘘になるという意識を眠らせてはならぬ。』


『モオツァルトは、目的地なぞ定めない。歩き方が目的地を作り出した。彼はいつも意外なところに連れて行かれたが、それがまさしく目的を貫いたという事であった。』



 批評家といえば分析的に解剖してみせたり、論理的に自説を構築してみせたりするものと思われるかもしれません。たしかにそういう批評をする人は多い。

 また、特定の文学理論や芸術思想を打ち立てたて/あるいは支持し、その文脈に沿って作家や作品の批評を展開する人もいるなかで、こと小林秀雄に関しては、そのたぐいの拠って立つ理論や思想というものがない――といっては失礼かもしれませんが、私にはむしろそれは彼の勲章であるように思います。

 彼の語るのはほとんど直観です。論理的な思考を積み重ねた末の結論ではない。いえ、おそらく論理的な思考は常々重ねられているんだと思いますが、そんな内的思考をくどくど述べずに最後は直観で片づける。そこに跳躍がある。


『震駭したのはゲエテという不安な魂であって、彼の耳でもなければ頭でもない。彼の耳が彼の頭の進歩について行けなかった、そういう事もどうもありそうもない話だ。』


『ほんとうに悲しい音楽とは、こういうものであろうと僕は思った。その悲しさは、透明な冷たい水の様に、僕の乾いた喉をうるおし、僕を鼓舞する。』


 このような文章に、詩を感じられた方もいらっしゃるかと思います。直観と跳躍とは、詩のもつ特性のひとつなのかもしれません。

 中原中也との縁は以前にも述べましたが、小林はもともと詩や創作の方面へ進むことを志していたようです。そういえば彼はどこかで、「詩人でなければ批評は書けぬ」という趣旨のことを言っています。

 そんな言葉からも小林の築いた文芸批評の世界の輪郭が浮かび上がる……というのはさておいても、小林が詩人の資質を自負していたのはおおいに感じられますね。


 ちなみに詩に関しては、彼はランボーの『地獄の季節』を訳していて、今でも読むことができます。(岩〇文庫)

 ランボーの詩との出会いはこんな風だったそうです。(もちろん比喩)


『向うからやって来た見知らぬ男が、いきなり僕を叩きのめしたのである』



 曲がりくねった文章を好んで書く人ですが、一方で、思い切りがいいのも小林の特徴です。

 随所で、わからないことはわからない、と言う。胸を張って言う。


『彼の詩は、音楽家達の罠であったが、音楽はついにゲエテの罠だったのだろうか。それはわからぬ。』


『無論、今はうまく思い出してるわけではないのだが、あの時は、実に巧みに思い出していたのではなかったか。何を。鎌倉時代をか。そうかも知れぬ。そんな気もする。』


『僕の思い過ごしであろうか。そうかも知れない。どちらでもよい。僕は、実朝という一思想を追い求めているので、何も実朝という物品を観察しているのではないのだから。』


 堂々とわからない、と開き直っておいて、しかも断言するのが小林秀雄のスタイルです。

 どこかで彼は、「ぼくは文筆の専門家であって、音楽や美術なんかほんとうのところはわかっちゃいない」というようなことを言っています。にもかかわらず、モオツァルトの音楽について自信たっぷりに論じ、雪舟や富岡鉄斎の絵画について断言的に評する。専門研究家の分析をこきおろす。

 つまりはやはり直観なのです。自信にあふれる直観。むろん、それを可能にするほどの芸術受容と鑑賞力があればこそなのですが、並の人に真似ができるとは思えません。こういったところにも詩人を感じますね。



 骨董コレクターであることも、小林の一面として注目してよいと思います。

 骨董への傾倒に注目するのは、一つには、骨董を通じて小林が芸術や真贋を見極める眼を養ったであろうということ。

 もう一つは、小林の資質をじつによく表しているなと思うからです。


 骨董というのはかるい好奇心なぞで安易に近づくのは危険な、金持ちでなければ身がもたない道楽であるようです。(もちろん私は近づけませんから、、以下の記述は多分に想像を交えたお話だとご承知おきください)

 なにしろ骨董品には値がつけられません。適正価格というものがあってないようなものです。誰も振り向かなければゴミですが、誰かがどうしても欲しいと言い出せば百万にでも二百万にでも化ける。そうして熱くなって大枚はたいて買った逸品(と信じるもの)が、一夜明けてみると詰まらないものに見えて後悔する、なんてこともあるでしょう。

 『真贋』に、良寛の詩軸を手に入れたと思ったら贋物だと友人に教えられ、腹立ちまぎれに名刀吉光(これも骨董熱で入手したらしい)で両断してしまった……なんてエピソードが収められています。

 こんな山師のだまし合いみたいな切った張ったの勝負を、しかし小林は審美眼を極めるため欠くべからざる研鑽と考えていたようです。(「一種の魔道」だそうな)


『しかし、現代の知識人達は、ほとんどこのことに気づいていない。彼等は美術鑑賞はするが、骨董いじりなどしないからだ。これらの二つの行為はどう違うか、骨董いじりを侮り、美術鑑賞において何ものを得たか、そういうことをほとんど考えてみようとしないからである。』


『美しい物を所有したいのは人情の常であり、所有という行為に様々の悪徳がまつわるのは人生の常である。しかし一方、美術鑑賞家という一種の美学者は、悪徳すら生む力を欠いているということに想いを致さなければ片手落ちであろう。』



 ここまでのお話で、小林秀雄という人が見えてきたでしょうか。

 否定と直観と断言。断言するための研鑽。否定を軸にして価値を創造し、断言によってその価値を固定していくのです。

 そんな彼一流の名言を見ていきましょう。


『確かに、モオツァルトのかなしさは疾走する。涙は追いつけない。』

 ――ちなみに「かなしさは疾走する」には元ネタがあって、スタンダールが「モオツァルトの音楽の根柢はTristesse(かなしさ)だ」といい、さらに別の劇作家が「Tristesse Allante(疾走するかなしさ)」といったことを受けています。


『美しい「花」がある、「花」の美しさという様なものはない。』

 ――これは能の「当麻たえま」を観た帰りに浮んだ言葉で、言うまでもなく、「花」は世阿弥の能楽理論の最重要概念です。


『生きている人間というものは、どうも仕方のない代物だな。(中略)其処に行くと死んでしまった人間というものは大したものだ。何故、ああはっきりとしっかりとして来るんだろう。まさに人間の形をしているよ。(後略)』

 ――川端康成に話しかけた言葉だとのこと。


『奇蹟と見えたなら、驚いているに越した事はあるまい。』

 ――正岡子規が実朝の歌に「素直に驚い」たという文のすぐあとに続く言葉です。奇跡のような名歌を前にして贅言は不要だ、というのはいかにも小林らしい。


『今日、僕等が読む事が出来る「カラマアゾフの兄弟」が、凡そ続編という様なものが全く考えられぬ程完璧な作と見えるのは確かと思われる。』

 ――これは以前にもご紹介しましたね。


『僕は無智だから反省なぞしない。利巧な奴はたんと反省してみるがいいじゃないか。』

 ――戦争中の小林の発言、身の処し方について、戦後になって若い文士たちから詰問されたときの言葉です。異論はあるかもしれませんが、、この思い切り、小林にしか言えない名言だと思います。



 上で問題になった太平洋戦争中の文章をまとめた本が『戦争について』で、たしかに真珠湾攻撃のあたりを境に日本軍の進撃に夢中になっていく姿が目に浮かびます。その直前までは冷静で中立的だった知性がとつぜん何故? とも思いますが彼の骨董にのぼせ上がる姿を思えばなんだか理解できるような気もします。


 ところで先ほどの発言も、『戦争について』に収録されています。すこし前から引用してみましょう。


『この大戦争は一部の人達の無智と野心とから起ったか、それさえなければ、起らなかったか。どうも僕にはそんなお目出度い歴史観は持てないよ。僕は歴史の必然性というものをもっと恐ろしいものと考えている。僕は無智だから反省なぞしない。利巧な奴はたんと反省してみるがいいじゃないか。』



 戦後に出てきた幾人かの(私の読む限りの)優れた批評家はずいぶん理論的になって、その点では小林とはちがう道を進んでいるように見えます。でも断定口調や否定を軸に曲がりくねった文章をつくる癖は、例えば柄谷行人や蓮實重彦あたりにも色濃く――それはもしかしたら批評家という人種に通有の癖なのかもしれませんが……、小林秀雄流がこんなところに受け継がれているように私には思えてしまいます。


 では小林自身は批評というものをどのように考えていたかというと、こんな発言が残っています。


『批評文も亦一つのたしかな美の形式として現れるようにならねばならぬ。そういう要求をだんだん強く感じて来たのだね。うまい分析とうまい結論、そんなものだけでは退屈になって来たのだ。』


『扱う対象は実は何でもいいのです。ただそれがほんとうに一流の作品でさえあればいい。』


『批評だって芸術なのだ。そこに美がなくてはならぬ。』



最後に、

 『モオツァルト・無常という事』に収められたなかから、文章を書く人のため参考になるかもしれない小林の言葉を、二つご紹介しておきましょう。それぞれ『実朝』『平家物語』に出ている言葉です。


『彼の天稟が、遂に、それを生んだ、巨大な伝統の美しさに出会い、その上に眠った事を信じよう。ここに在るわが国語の美しい持続というものに驚嘆するならば、伝統とは現に眼の前に見える形ある物であり、遥かに想い見る何かではない事を信じよう。』


『宇治川がどういう川だかはわからないが、水の音や匂いや冷さは、はっきりと胸に来て、忽ち読者はそのなかに居るのである。そういう風に読者を捕えてしまえば、先陣の叙述はただの一刷毛ひとはけで足りるのだ。』


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