9 谷崎潤一郎『春琴抄』


 のっけから下世話な話で恐縮ですが、谷崎潤一郎はマゾヒストだったんでしょうね。精神的に。

 それは処女作『刺青』や、ほかにも例えば『痴人の愛』『少年』などにも隠れようなく表れていて、強い女性と、そんな女性にひれ伏し崇拝する男性を描くことが多いように思います。

 今回ご紹介する『春琴抄』にも、その性癖は顕著に表れています。


 下世話ついでに谷崎にとってマゾヒズムとサディズムとは必ずしも固定的なものではないらしい、ということも指摘しておきましょう。

 『刺青』の娘ははじめはむしろ生贄のように怯えていたのが豹変しますし、『痴人』のナオミはだんだんと女王へ育っていきます。

 その点『春琴』は九歳にして既に女主人の気韻があり、封建の世とはいえ四歳よっつ上の佐助をひれ伏させるあたり、生まれついての気質だったのでしょう。彼女の場合は逆に、超絶だったのがある大事件を機にのが、ある意味本作のクライマックスともいえそうです。

 やはりサディズム/マゾヒズムの関係は変化し得ると谷崎は考えていて、その変化を描くことに特別な関心を抱いているように思えます。



あらためて登場人物をご紹介しておきましょう。

 主人公は春琴と佐助の二人。

 春琴は大坂の商家の娘で、九歳で盲目となり、琴や三味線の名手に育ちます。

 佐助は近江から丁稚修行に遣られた少年で、春琴が三味線の先生の家に通う行き来の付き添い役となったことから、彼女に魅入られます。

 春琴に焦がれるあまり佐助は三味線を独学し、やがて春琴の弟子になるのですが、彼女に接する態度は主人や師匠という域を超えてまるで神を仰ぎ見るかのよう。

 この佐助に、谷崎は自身を重ねていたのではないかと思います。あるいは佐助を羨望し、なろうことなら佐助になりたいとの望みに胸を焦がしながら執筆していたのかもしれません。


 やがて佐助までもが失明し、二人ともが視覚のない世界に入ることで、物語は新たな段階を迎えます。盲目というのも谷崎が惹かれたテーマらしく、『春琴抄』のほかに『盲目物語』『聞書ききがき抄』を著しています。

 とくに本作に於いては、視覚を失った闇のなかだからこそのめくるめく官能、触覚嗅覚聴覚を鋭敏に研ぎ澄ました交歓の恍惚境を描くのがもうひとつのメインテーマ、クライマックスであったように思います。


 物語のなかで佐助は盲いたことを不幸どころかむしろ天恵であるかのように語るのですが、それはそのまま谷崎自身の夢見た楽園であったような気がします。



そろそろ文章の方を見ていきましょう。

 『春琴抄』は文庫本で70ページほどの短篇ですからさっと読めるのですが、文章が独特ですので人によっては手こずるかもしれません。

 ですが、この独特な文章を味わうのが私には愉しいですし、皆さんにも愉しんでいただきたいと思います。


 独特、というのは、極端に句読点をおしんだ文体である点です。

 谷崎潤一郎の、特に後期の作品は、水の流れるように滔々と一文が長くつづく流麗な文章が特徴的だと思うのですが、なかでも『春琴抄』では読点どころか句点さえもふつうあるべき場所に打たない、おそらく現代文では他に類を見ない文体になっています。


『だが何分にも敵の多い春琴であったからまだ此の外にもどんな人間がどんな理由で恨みを抱いていたかも知れず一概に利太郎であるとは断定し難い又必ずしも痴情の沙汰ではなかったかも知れない金銭上の問題にしても、前に挙げた貧しい盲人の弟子のような残酷な目に遭った者は一人や二人ではなかったという又利太郎程厚かましくはないにしても佐助を嫉妬していた者は何人もあったという佐助が一種奇妙な位置にある「手曳き」であったことは長い間には隠し切れず門弟中に知れ渡っていたから、春琴に思いを寄せる者はひそかに佐助の幸福を羨み或る場合には彼のまめまめしい奉公振りに反感を抱いていたのである。正式の夫であるなら或はせめて情夫としての待遇を受けているなら文句の出どころはなかったけれども……(後略)』


 この一文のうちに、ふつうならいくつも句点が置かれるはずです。

 「断定し難い。」「知れない。」「なかったという。」などなど。

 句読点を挟まない文章は最初は読みづらいかもしれませんが、慣れていくうちゆたかな川の流れに乗って揺蕩たゆたうような快い読み心地がクセになるのではないかと思います。


 参考までに続く一文の冒頭も引いておきましたが、ここで区切るのはなぜか?

 また、読点が2カ所あるのはどのような意図でつけたのか?

 理屈はいろいろつけられるんでしょうけれどもそれよりきっと、感覚的な語りのリズムを文筆家の本能で嗅ぎ分けた結果であったのではないかと思います。

 直感的につけられた句読点は、それだけ、書く者のセンスが問われます。もちろんそれは谷崎だけのことでも『春琴抄』だけのことでもありません。私たち物書きすべてが、常に問われているのだと思います。そのことに思いを致すとき、あらためて身を引き締めずにはいられません。

 それにしても谷崎は、よくもこれほどまでに前例のない、それだけに句読点のセンスをより問われる文体に挑戦したもの――と感嘆します。


 この独特な文体であればこそ、つぎに引用する、盲目になった佐助が恍惚の三昧境に迎え入れられるシーンが生きてくるのでしょう。(長いですが、、これで一文です)


『そして無言で相対しつつある間に盲人のみが持つ第六感の働きが佐助の官能に芽生えて来てただ感謝の一念よりほか何物もない春琴の胸の中を自ずと会得することが出来た今迄肉体の交渉はありながら師弟の差別に隔てられていた心と心とが始めてひしと抱き合い一つに流れて行くのを感じた少年の頃押入れの中の暗黒世界で三味線の稽古をした時の記憶が蘇生よみがえって来たがそれとは全然心持ちが違った凡そ大概な盲人は光の方向感だけは持っている故に盲人の視野はほの明るいもので暗黒世界ではないのである佐助は今こそ外界の眼を失った代りに内界の眼が開けたのを知り嗚呼此れが本当にお師匠様の住んでいらっしゃる世界なのだ此れでようようお師匠様と同じ世界に住むことが出来たと思ったもう衰えた彼の視力では部屋の様子も春琴の姿もはっきり見分けられなかったが繃帯で包んだ顔の所在だけが、ぼうっと仄白く網膜に映じた彼にはそれが繃帯とは思えなかったつい二た月前迄のお師匠様の円満微妙な色白の顔が鈍い明りの圏の中に来迎仏の如く浮かんだ』



 こうしてみると、谷崎にあってはマゾヒズムは、己を滅して絶対的なものを愛し抜く、至高の純愛の形であったのかもしれません。


 私生活においても彼の愛の表れかたは独特のようで、門弟格の佐藤春夫に妻を譲った事件が有名です。またまた下世話の極みのような勝手な想像で恐縮ですが、そのとき彼は、絶望するよりも恍惚に打ちふるえていたのかもしれません。

 『痴人の愛』の結末は、彼にすれば男の地獄絵図などではなく、悖徳に満ちた至福の世界であったのかとも思えます。



ここですこし、『春琴抄』前後の主要な経緯を時系列で見てみましょう。


 1911年 『刺青』発表、永井荷風に激賞される

 1923年 関東大震災被災し、関西に移住

 1924年 『痴人の愛』発表

 1930年 千代子夫人と離婚(千代子は佐藤春夫と結婚)

 1933年 『春琴抄』発表

 1935年 「源氏物語」口語訳に着手

 1943年 『細雪』連載開始するも、すぐ軍部に禁止される


 毎年なにかしら発表しているなかでも、代表作といえるものがほぼ十年毎に出ている。いずれも谷崎らしさが通底するのはもちろんながら、それだけでなく必ず進化し、多彩な風味が付加されていっています。

 『痴人の愛』は、その後の離婚を予言しているかのようです。

 『源氏』口語訳が『春琴抄』より後にくるのはちょっと意外ですが、おそらく口語訳開始以前から古典には深く親しんでいたのでしょう。



 彼は明治の東京に生まれ育った生粋の江戸っ子でしたが、関東大震災を機に関西に移住し長らく住んでいたため、見知った大阪近辺の地理や文化、言葉は小説のなかにも取り入れられています。

 春琴や『細雪』の四姉妹たちの話すセリフは、かなり雰囲気のある船場言葉(大阪弁のなかでも、市中心部の商人たちの話す言葉)や芦屋言葉(阪神間の新しい富裕層の言葉)になっています。


 『細雪』でも、読点はまだしも句点を吝んでどこまでも流れていくような文章が目立ちますので、見てみましょう。


『「こいさん、頼むわ。――」

 鏡の中で、廊下からうしろへ這入はいって来た妙子を見ると、自分で襟を塗りかけていた刷毛を渡して、其方そちらは見ずに、目のまえに映っている長襦袢姿の、抜き衣紋の顔を他人の顔のように見据えながら、

「雪子ちゃん下で何してる」

 と、幸子はきいた。』


 セリフふたつを入れつつひと息に語るリズムは、古典を読むような心地がしないでしょうか。『春琴抄』と『源氏』口語訳を経て、円熟した文章の粋を見るようです。

 例えばつぎの、『枕草子』の一節と見くらべてみましょう。


『これかれものいひ、わらひなどするに、ひさしの柱によりかかりて、物もいはでさぶらへば、「など、かう音もせぬ。ものいへ。さうざうしきに」と仰せらるれば、「ただ秋の月の心を見侍るなり」と申せば、「さもいひつべし」と仰せらる。』



 もうひとつ気がつくのは、『春琴抄』までのエキセントリックな愛の形はやや落ち着きを見せ、奇矯な人物が跋扈する妖しい世界からわりとふつうの人たちが住む現世へと舞台を移したように思えます。

 そこでは気の利いたセリフひとつ言うでなく、夫婦や姉妹のあいだの些細な会話が、流れるようにするすると交わされる。でものなかにも譲れない思いやこだわりのようなものはあって、そんな情念をこまやかに描くすがたに、谷崎の来し方行く先を見る思いがします。



ところで、

 谷崎潤一郎は、じつはノーベル文学賞にかなり近いところにいたそうです。

 1965年に亡くなることがなければ、日本人初のノーベル文学賞を川端康成ではなく谷崎が受賞していたかもしれません。(川端の受賞は1968年)

 もしそうなっていれば、三島由紀夫の自決(1970年)も、川端康成の自殺(1972年)もなかったかもしれず……と妄想を広げてしまいますが、たしかに江戸・明治から大正・昭和へと変遷する近代日本社会と人々を見つめ、『源氏』をはじめ日本の古典に親しみ、多彩な作品をつぎつぎ物しゆたかな物語世界を築いた功績はその栄誉を得る資格を十分にもつと思います。


 谷崎潤一郎のゆたかな物語世界はどこから読んでも存分に耽溺することが可能ですが、もしこの世界に初めて足を踏み入れるのでしたら、『刺青』あたりから入っていくつか短編を楽しまれたあと、『細雪』と戦後作品に進まれるのが標準的コースかと思います。もちろん『春琴抄』は、谷崎を愉しむのに欠くべからざる必読の書です。


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