自殺を救う魔法少女(二十五歳男性)は自殺に焦がれる

獅子倉八鹿

0.首に縄をかけるなら、私は縄を切るね!

 狙ったわけではなかった。

 ただ、部屋にいい感じのクローゼットがあったから、いい感じのロープを買ってきただけ。

 前の家はクローゼットなんてなかったし、前の職場ならロープを買う必要もなかったと思う。


 スマホで調べた通りにロープを結び、結ぶのに使った台に乗ったまま、首を輪の中に入れる。


 皮肉だな。

 この輪には、ちゃんと入れるんだ。

 オフィスの刺してくる目線を思い出し、身震いする。


 輪が小さくなる。

 新卒で入った、小さな工場の温かさを思い出す。

『しっかりね』

 厳しかったけど、優しかったあの声を今も思い出す。


 すみません。しっかりできなかったです。


「やめて」

 輪が首に触れた時、女の子の声がした。


 この部屋に、誰も呼んでない。

 まず、呼んだことがない。


「私、その縄を切っていいですか」

 高校生くらいの声は当たり前のことを聞いてくる。

 死とは違う恐怖に、一気に体の動きが鈍くなる。

「誰?」

 普段と変わらない動きができる目を動かし、声の主を探すが見つからない。

 死ぬから何も怖くないと思っていたけれど、そうでもないらしい。


「えっと、自殺を止めに来たんです」

 その言葉を聞いて、体のこわばりが体外に溶け出していく。

 どうやら私、未練があったらしい。

 こんな都合のいい幻聴を聞くなんて。


「なんで止めるの」

 私の口から出た言葉は、思ったより悪者じみていた。

「あなたが私なら分かるでしょ? もうあんな場所行きたくないの。私ならそれくらい知っといてよ」

 まるで白雪姫の継母。あるいは意地悪なお姉ちゃん。

「死にたくなるくらい、嫌なんですね」

「当たり前。もう楽になりたい」


「死なずに、行かないことってできないんですか?」

 カッとなる。

 その言葉の意味が初めて理解できた。


「バカじゃないの! できないわよ!」

 怒りを吐き出しながら、縄から首を抜いて台を降りる。

「一ヶ月で退職なんて非常識でしょ! 辞めても次の仕事が決まらない!」

「休みを取るとか」

 非現実的な提案ばかりしてくるこいつを、一回殴ってやらないと気が済まない。

「まだ有給ないし!」

 机の上に積み重なっていた資料を薙ぎ払う。

「もし出来てもあんな場所に戻る気ないし!」

 右に移動してベッドサイドテーブルをなぎ倒す。

 その先にあるカーテンに、人のシルエットが映っている。

 窓の向こうにあるベランダから声をかけていたらしい。


 倒れた物を踏みながら進み、カーテンを開ける。


 そこには、ピンクの髪をした、長髪の魔法少女としか思えない人物が立っていた。

 フリルをふんだんにあしらったワンピースに、左手に持ったキラキラのステッキ。

 胸元に付いた大きなリボンと、サラサラのロングヘアが夜風に揺れる。


 その姿に、憎いという感情しか湧きあがらない。


 無言で近づき、魔法少女の頬を叩く。

 パチンという音が響いた。

 反対側も、パチン。

「綺麗事ばっかり!」

 何も言い返さない相手に、蹴りを入れる。

 蹴りを受けた魔法少女はよろけて、ベランダのフェンスにもたれかかった。


 ああ。私、悪者だ。

 だが、普段なら差し伸べたはずの手は伸ばさず、少女に背を向け中に戻る。


は溜め込んじゃうから、たまには出してスッキリしないと」


 足を止め、ベランダに向き直る。

「なんで私の名前を、なんで」

 なんで、最後の日に奥さんが言った言葉を知ってるの。

 喉に何かが引っかかって、後に続く言葉は出なかった。


「私、魔法使いなので」

 見た目からして、そりゃそうだと思うけど。

「朱莉さんを応援してくれたその人、しっかりできないから死んでしまえなんて言いません」

 魔法少女はゆっくり近づいてくる。


「朱莉さんが今の仕事を辞めたからって、死ねとは言いません」

 視界がぼやけて、魔法少女が分身して見える。

「朱莉ちゃん、逃げたっていいんだよ」

 奥さんと魔法少女が、並んでこちらにやってくる。

 確か忘年会の時、隣で酔っ払った奥さんが同じ事を言ってたっけ。

『私は逃げたから、今の旦那――社長に会えた。ちゃんと手順踏んで逃げりゃ、いいこともあるよ』


「奥さん」

 走り寄って奥さんに抱き着いた。力が抜け、ずるずると座り込む。

 奥さんが頭を撫でてくれて、何かが満たされていく。

「大丈夫大丈夫」

 私が失敗して、泣いたときも同じ言葉を言ってくれたっけ。

「次からしっかりやればいい」


 とめどなく涙が流れ、足裏に痛みが走る。

 何かが刺さっているらしい。

 奥さんに抱き着くのをやめ、足裏を見ると傷ができており、出血している。

 落ちたものの中にガラスか何かあったらしい。

 こりゃ痛い。


 しかめっ面になりながら顔を上げると、そこには誰もいなかった。


 私は痛む足をかばいながら立ち、歩き出した。

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