第3話

「はぁ? 失敗したって、どう言うことやの!」


 長い金髪を後ろ手に束ねただけ――普段同様、簡単に身支度を済ませた――橘花穂華の罵声が控え室に響く。


 ロッカーの扉裏に設えた鏡から視線を移した金髪は、静かに扉を閉めると近くのパイプ椅子を手繰り寄せて腰を下ろした。


 腕組みしたその上の、たゆたゆした稜線がスラリと細い足を組み換える度、重力に抗い、撓む。並んだ二つの至宝に反比例する――小柄で童顔の容姿から注がれる――他者を支配するような眼差しは、一部の諸氏の嗜好を歪ませる。


 その先を向けた途端、硬張った表情の守田からは拙い言い訳が零れ落ちた。


「どうもこうも、あれから昨日大変だったんだって! 穂華ちゃん帰った後、警察出てくるし……、」


「は、警察?」


「嗚呼、でも大丈夫、大丈夫! 警察いたけど、警察沙汰じゃないから大丈夫」


「『嗚呼』って……取っ散らかって、よう判らんから! ちょっと落ち着きぃ」


 そう言うと、穂華は守田にお茶請けのチョコレートを勧めた。


(いつも通り、ウチの仕込みは完璧やったはず……あの後、何があったんや?)


「取り敢えず、警察って何なん?」


 机を挟んで平行に陣取り、すれ違い様の格好で語り合う。何度も積み重ねてきた二人だけの秘密の会合に会話のトーンも自ずと落ちる。


「昨日、鞄の中を確認した後に逃げられて、」


「はぁ? 逃げられた?」


「面目ない。それで、その時に捕まえてくれた人が刑事さんで……」


「刑事さんて、まさか立ち会わせたりしてへんよねぇ?」


「いや、それが……」


「立ち会わせたん!」


「面目ない」


「アホか!」


「でも、被害届は出してないし、あっちにはバレてないから、警察沙汰は大丈夫」


「あっちには?」


「いや、それがその……多分、相手の保護者にバレてると思う」


「何それ? 何で、そんなん判るん?」


「昼過ぎに来るって……少し前に電話があって」


「はぁ?」


「保安員のお嬢さんに会いたいって……」


「嘘やろ? 何でウチのことまでバレてんの!」


「ち、違うぞ、私が穂華ちゃんのこと喋ったり、絶対ないから!」


「誰も店長を疑ったりしてへんわ!」


「うん、絶対ないから……」


「取り敢えず、もう時間やし、昼休みに聞くわ。それまでに細かいトコも全部思い出して、話、整理しといて」


 言ってる途中向きを変えた穂華の、机の上に乗り上げた、弾む至宝に守田の心は奪われた。


「痛てっ!」


 瞬時に側頭部を衝撃が走る。


「この状況で悠長晒してるヒマ、何処にあんねん!」


 いつもなら、これは『ご褒美』! だが、この日の守田は少し違う。


(穂華ちゃんを守らなくては……)


 決意を固める『気合の一発』を喰らって、使命に駆られた漢の仕事は早かった。


 ここに至る顛末を勤務中、懸命に振り返る。やがて、昼休みに入る頃には店長の中で、それなりのストーリーが組み上がった。


 始めのうちこそ、冷静に聞き入っていた穂華だったが、合間合間に繰り出される『対応、間違って無いよね?』の確認作業に煩わしさを抱きつつも、展開が進むにつれ、次第に物語へと引き込まれていった。


(何それ! それって攻略法やん!)


 最終的には当事者感覚も失い、聴衆の一人に成り下がった結果……。


(会うわ! いや、絶対会う!)


 午後の巡回を始める頃には、すっかりミイラになってしまった。


 しかし、どうにも腑に落ちない点がある。


(何でウチの存在までバレてるん?)


 仮に、帰って検証を重ねたとして、保安員を特定した根拠が判らない。


 否、そもそも、検証なんてしてるだろうか?


 穂華に浮かんだ、ひとつの可能性……。


(仕込みの段階から全部見られてたってこと?)


 一瞬、恐怖で凍りついた。


 その結論は、最初から監視されてたことを意味する。


(けど、何の為に? そもそも話に乗っかる理由が判らん)


 それに、この仮説には難点がある。


(結局、誰に仕掛けるかはウチ次第や、そんな確実性の欠ける……!)


 刹那に思考の回路が切り替わった。


 肩からぶら下げたトートバッグへ手を伸ばし、底を少々サルベージ。


 取り出したスマートフォンからリダイヤルを選択。


 守田に緊急連絡が飛ぶ。


「もしもし店長、二番通路で女の子三人組がシール貼ってるわ。後ろに付けるし、レジ素通りしたら声掛けて!」


 不審な挙動を目に留めて、凡そ五分。


 彼女らが取った蛮行の瞬間を穂華が捉えた。


 文字通り、シールというのは防犯センサーを無効にする特殊シールのこと。単純だが手口としては厄介!


 二番通路、中央脇のスイートスポット――店内に設置された八台の防犯カメラ、唯一の死角――昨日、少年に仕込みを入れた場所での現認。


(女子高生か……あの場所を知ってるんは常連? まぁ、昨日の分、回収できるんやったら何でもええけど)


 ところが、その後の足取りが予想と違う。


 直ぐにでもカウンター脇を擦り抜け、御用になると思われた三人組が反転、急にこちらに向かってやって来た!


(チョット、もう一周廻る気?)


 一旦、距離を置く為に通路を離れ、カゴ積みの特売コーナーに身を預ける穂華、そこに不意の一声。


「嗚呼、ソレ。見るだけ時間の無駄だと思いますよ」


 その隙に三人組が視界から消えた。


(アカン、見失う)


 追いかけようとした、穂華の足を一瞬で止めるモノ……。


「お薦めはコレ、一択です」


 否、正確には凍りついて、金縛りのように身動き取れなくしたモノ……。


 お薦めのタイトルは愚か、パッケージすら目に入らない。


 それを持つ、手が……過ぎる。


(薄手の白い手袋!)


「あ、居た居た! 言われたようにしたんやから……約束通り、パフェは和兄ぃの奢りね!」


 そこに、例の三人組が合流して来るから脳内はパニック。


 鞄から商品を取り出し、シールを剥がしてヒラヒラと靡かせた時には処理が追い付かず、吐き気に襲われた。


「和兄ぃ、知り合いの人?」


「まぁ、ちょっとね。それより茜音、ついでにコレで会計も頼めるかい? 釣りはパフェ代にしていいから」


「おっと、万券頂きましたー!」


 摘んだ一万円札を掲げながら、茜音は戯けるようにカウンターへ向かった。


「ご馳走様でーす!」


 残る二人が互いの腕を組んで、それに続く。


 直後、何の事態も把握せず、三人組を迎えた店長の慌てる様子が見物だったのは言うまでも無い。


 訝しげにレジを務めるも、背後に穂華の姿はなく、清算を済まそうとする三人組に戸惑って、普段なら造作もないレジ操作にミスを連発……。挙げ句、女子高生に同情される『哀れな大人』に貶められ、出番は終了。


 何の見せ場もない大役を見事に演じ切って果てた。


 黙ってお釣りを渡し、鼻歌混じりに退店する彼女らを放心で眺める……。


「昨日は甥がお世話になりました」


 その一言で穂華の金縛りが漸く、解けた。


「でも、あれで三十万はチョットやり過ぎじゃありませんか? 労力に対して収入が多過ぎる」


(アカン、全部バレてる!)


 朝の時点で身を引いていれば、この最悪は防げた。


 興味本位に留まった迂闊さを穂華は呪った。


「いや、正確には、ひとり頭十万ですか……」


「え?」


 予想外の問いに、穂華は思わず声を漏らしてしまう。


「あれ、違いました? 三人組、貴女と店長さんと刑事さん……」


「警察は、そちらやないんですか?」


「参ったな。本当に偶然だったのか……、ひとり分余計に払っちゃいましたよ」


「……ひょっとして……パフェ代ですか?」


「ええ、まぁ……」


 恥ずかしそうに答える和哉を見て、急に安堵が込み上げる。


 途端に、全身の力が抜けて踏ん張りが効かない!


 その場に座り込んだ穂華の意識が十数秒間、遠のく。


 ……左脇に回された手の在処に気遣いを感じる。


 ……右後頭部に当たる硬めクッションが時折、隆々とした逞しさで弾んだ。


 ……右側の臀部に当たる感触から、そこが均等に割れているのも判った。


 ……両膝の裏に当たるゴツゴツした、骨ばった感じは少し痛いくらい。


 ただ、右の乳房に当たる硬い突起とは比較にならない。


 人工的な異物に突かれる痛みで意識が揺り戻される……。


(ちょっと待って! アカン! アカンて、この状況は!)


 道中の穂華は意識より先に体勢を取り戻しに掛かる。


「降ろして下さい! 大丈夫です! もう、ひとりで歩けますぅ!」


 だが、既に遅過ぎた。


 和哉にプリンセス・キャリーで運ばれる姿は、衆目の的。


 慌てたところで、そこはもうスタッフ・オンリーと書かれた扉の前で、衆人環視が終わりを迎える寸前!


 それでも穂華は地面に足を着けた。


 その直後、望んでもいない解答編に突入することも知らずに……。


「これに見覚えありませんか?」


 そう言うと、和哉は内ポケットから先の人工的な異物〈アクセサリーケース〉を取り出し、開いてみせた。


 アゲハ蝶を模った銀製のシルエットに『H・T』の刻印……。


 ペンダントをひとめ見て、穂華は咄嗟に下腹部へと手を充がった。


「店長、体調不良なので早退させて下さい」


 急遽、出番を追加された守田に台詞など無い。


「昨日の控え室、ちょっとお借りします」


 スタッフ・オンリー(の筈)の扉の向こうに消える、二人を黙って見送るだけ。

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