第10話

 ダンジョンの最深部、冷えた石壁に囲まれた薄暗い空間。奏多は静かに立っていた。目の前には、無数の影がうねり、蠢いている。彼の体を取り巻く影は、まるで彼の意識そのものを反映しているかのように、絡みつき、消え去り、再び現れる。彼はその場で動くことなく、ただ無表情にその影を見つめていた。


 「俺の力……こんなにも膨れ上がって、果たして俺は、これを使いこなせるのか?」


 奏多の声は、どこか遠くから聞こえるようだった。その声は、影に溶け込むように消えていく。彼は心の中で自問自答していた。何度も繰り返した問いに、返事はない。彼が得た「シャドーウォーカー」の力は、もはや単なるスキルではなかった。それは、世界そのものを歪め、引き裂くことができる力だ。しかし、それを使うことでどんな未来が待っているのか、それは誰にも分からない。いや、奏多自身にも分かっていなかった。


 「俺は、いったい何を求めているんだ?」


 その問いに対して、答えはない。過去の自分が目指していたものは、もう手に入らないことは分かっている。あの時、異世界に召喚されたことは、ただの偶然だった。しかし、その偶然の中で彼が得た力は、あまりにも巨大すぎて、制御が効かない。奏多は、自分の中に渦巻く力に震え、そしてその力を恐れていた。


 「俺がやったこと……この力を使うことで、何かを変えられるのか?」


 彼は自分の手を見つめた。その手のひらに浮かび上がる影は、まるで自分の手から逃げるように渦を巻きながら広がっていく。その影を操り、思い通りにしているはずなのに、奏多の心の中でそれを使うことが怖いという感情が拭いきれなかった。彼は知っていた。どれだけ力を使いこなしても、その力がもたらすのは破滅の未来だということを。


 「……この力を使い続ける限り、俺は消えていくのだろうか?」


 その考えが、奏多の胸を締め付けるように感じられた。彼は知っていた。「シャドーウォーカー」の力が暴走する前に、それをどうにかして制御しなければならないことを。しかし、その方法が分からない。どんなに力を使いこなしても、彼の心の中にある深い孤独と恐怖は、ますます強くなるばかりだった。


 突然、足元で不意に影が動いた。奏多はその動きに反応して、瞬時に影を操ろうとしたが、その瞬間、自分の内面に深く潜む何かが目を覚ました。心の奥底から湧き上がる感情、それは「破壊」への欲望だった。


 「こんな力……俺が使うのが間違いだ。王国を滅ぼしたのも、きっとこれが原因だろう……」


 奏多はその欲望を抑えようとしたが、次第にその力が彼を圧倒してきた。影が暴れ、周囲の石壁を引き裂き、空間そのものを歪め始める。奏多は必死にその力を制御しようとしたが、内なる力が暴走し、彼の体から溢れ出る影がますます強くなっていった。


 「だめだ……このままじゃ……!」


 自分を制御できない。奏多はそのことを痛感した。力を手に入れることができたその瞬間から、彼はすでにその破滅の運命に飲み込まれていたのだ。彼はそのことを理解し、深い絶望に襲われる。しかし、その絶望の中で、何かひと筋の光が見えた。それは、遠くにいる誰かの声が響いたように感じられた。


 「ユウキ……?」


 彼はふとその名前を口に出した。ユウキ――あの時、召喚されたクラスメート。彼と共に過ごした日々、そしてその絆が、奏多の心の中で少しだけ温かさを取り戻させてくれる。だが、その一瞬の温もりも、すぐに冷徹な現実に引き戻される。


 「俺は……もう戻れないのか?」


 奏多は自分に問いかける。だがその答えは、どこにもなかった。彼はただその場に立ち尽くし、暴走する影に身を任せるしかないのか。それとも、何かのためにその力を制御し、救いを求めるべきなのか。


 「ユウキ、もし君が俺を……助けてくれるのなら……」


 その思いが心の中で膨れ上がり、奏多は少しだけ前を向いた。だが、すぐにその考えも揺らぐ。果たして、自分を救う方法は本当に存在するのだろうか?


 「もう……遅いのかもしれない」


 奏多はその言葉を呟くと、再び冷徹な目でダンジョンの闇を見つめた。彼の周りに広がる影が、まるで彼を待っていたかのように、徐々に姿を現し、暗闇に飲み込まれていく。

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