第38話 視線の巨人 -ゼメスア-




 突如爆音と共に中庭の中央の地面が破裂し、周囲に小石混じりの砂塵が巻き上がる。破裂といっても爆発ではない。地盤が掘り起こされたようだ。



「……あ……ッ」



 同時に、それを目の当たりにしたエミィが酷い怯えを見せ始めた。

 

「あああ……ああ……ああぁぁあぁああ……ッ!!」


 彼女はバイランに抱えられたまま顔を真っ青に染め上げ、ガタガタと音が聞こえてきそうなほどにその小さな身体を震わせ、意味の無い声を発している。


 粉塵が晴れると、中庭の中央に直径30メートルにもなる大穴が空いていた。


「……く……そ……ッ!!」


 雄弥ゆうやはその口から焦燥を漏らす。


 さすがの彼でも理解していた。先程のエミィとの会話の内容が、現状の答えになっていたからだ。

 なぜ地面に穴が空いたのか。空いたからなんなのか。そして……バイランが呼んだ"ゼメスア"とはーー



 考えるのも束の間。その空けられた穴から突如、黒い影がぬるりと姿を見せた。



 それは瓦礫を押しのけ、がらがらと音を立てながらゆっくりと穴からい出てくる。やがて抜け出し、その全身を星明かりのもとにあらわした。



『ーーなんだ。人……!? ……巨人きょじん……!?』



 そいつの姿形は、人のそれだった。尻尾は無し、頭がひとつ、手足が2本ずつ、そして指は5本ずつ、……が、やはりそこは化け物。人との共通点は、あくまで身体の形のみである。


 まず、圧倒的に大きい。身長は……10メートルはあるだろうか。

 顔に鼻が無い。耳も。そして身体には、乳首も、へそも、生殖器も無い。口だけが人と同じ位置取りで付いている。

 全身の皮膚は濃い赤紫色で、かつ、しわくちゃ。そんな外見はまさに梅干しを彷彿ほうふつとさせる。そして身体の表面は粘度の高そうな透明な液体に覆われており、巨人が少しでも身動きを取るたびにいちいちその液体が擦れて、にちゃりにちゃりと音がしている。


 ……これだけでも見ているだけで気分が悪くなるだろうが、何より気色悪いのは、巨人はその皺だらけの体表全てーー顔の前面、腕、腹、背中や脚、果ては尻に至るまで、直径およそ30センチほどの眼玉で覆い尽くされていたということだった。


「……ッ!!」

 

 そのあまりにもおぞましい姿を見た雄弥は思わず息を呑み、同時にあることを理解した。


『そう、か……エミィのトラウマの元凶はこいつか……!! 全身眼だらけの怪物……魔狂獣ゲブ・ベスディアゼメスア……!! ……こいつが……こいつが、エミィのお父さんをーー』



「逃げ、て……ッ!!」



 彼はその声にはっとする。


「逃げて……ッ!! 早く……逃げ……てッ!! 逃……げてェ……ッ!!」


 バイランに抱えられたエミィが、彼に向かって必死の形相で叫んでいた。

 彼女はいつの間にか雄弥からかなり離れた位置にいた。彼女を抱えたバイランが、気づかぬ間に雄弥から距離を取っていたのだ。


 

 彼女の声を聞いた雄弥の心中は、葛藤の嵐だった。



 ーー言われなくたって逃げてぇよ……!! 俺にあんなヤツどうしろってんだよ……!!


 だが、不可能……!! 子供らを置いてくなんてできねぇし、どっちにしろこの傷じゃ俺1人でも逃げられん!! 


 ちくしょう……!! もうやるしかねぇ……!! あのバケモンを仕留めるしかねぇ……ッ!! 


 落ち着けよ……ちょっとばかりデカいからなんだってんだ……!! 奴はどうせ知能の低い怪物だ……!! いくら人をたくさん喰って多少レベルが上がったとはいえ、結局は暴れるしかできない獣だ……!! 人のように……あのジジイバイランのように……小細工を仕掛けてくるようなことは無い!! 駆け引きも何も必要無い!! 力技だ!! ゴリ押しでいいんだ!!


 一撃だ……!! 一撃でケリをつけてやる……ッ!!



 選択肢など無い。

 ついに腹をくくった雄弥は自身の身体で唯一まともに動かせる右腕に力を込め、そのてのひらに青白い魔力をまとわせる。

 魔術の放射体勢を整えたのだ。ゼメスアがあと3歩、いや、あと2歩でも近づいたら、すぐさまそれをぶつけてやれる。


 それと同時に、離れた位置からバイランが叫んだ。



「ゼメスアッ!! その男は貴様の餌だッ!! だがカンタンに殺すなよッ!! 苦しませろ!! 徹底的にだ!! 死ぬ前に地獄を見せてやれェェッ!!」



 ゼメスアは彼の声を聞いた瞬間、全身の眼玉をぎょろりと動かし、その視線を全て雄弥のみに集める。首を2、3度左右に曲げ、ゴキリゴキリと音を鳴らす。そして今の今まで棒立ちの状態だった身体をゆっくりと大きく前傾ぜんけいさせたかと思うとーー


 地表を思いっきり蹴り、凄まじいスピードで雄弥に向かって走り出した。




「ーーあれ」




 雄弥はすでに臨戦態勢にあった。傷だらけでボロボロであるとはいえ、自身の意識の全てを間違いなくゼメスアに集中させていた。

 ……なのに。怪物のその突然の動きに、全く反応できなかった。頓狂とんきょうな声を出すのがせいぜいであった。


 ゼメスアはそんな彼までの50メートル以上もの距離を一瞬で詰め、その巨大な右拳で彼を殴り飛ばした。


「ぉごぇ……ッ!!」


 身動きひとつ取れずその一撃をまともに受けてしまった彼は潰れた蛙のような声を吐きながら左真横に猛スピードで吹っ飛び、地面に顔面から激突。白眼を向き、身体をぴくぴくと痙攣けいれんさせる。



「…………あ…………あ…………」



 その光景を目の当たりにしたエミィは呼吸をも忘れ、絶望に染め上げた瞳からボロボロと涙を落とす。


「…………ご…………あが…………」


 殴り飛ばされた雄弥は呻き声を出すばかりで、うつ伏せのまま動けない。そんな彼の背後から、大きな足音と地響きをたてながら歩くゼメスアが迫る。

 だがその怪物は雄弥の元までは行かなかった。途中で歩くのをやめ、ジャンプしたのだ。前寄りにおよそ30メートルほどの高さまで跳び上がると、その巨体を倒れている雄弥目掛けて急降下させた。彼を踏み潰そうというのだ。


「…………う…………ッぎぃイ!!」


 ゼメスアの足裏が地に着く直前、間一髪で正気を取り戻した雄弥は地面を転がることでそれを回避。数百トンはあろう巨体が落下した衝撃で、一際ひときわ大きく地が揺れた。

 避けた先でどうにか上体を起こし少しでも体勢を立て直そうとする雄弥だったが……。


「……ぐ……は……ーーうッ!?」


 しかしそんな暇など得られない。続けざまにゼメスアの巨大な拳が彼を目掛けて振り下ろされる。雄弥は身をよじって避けようとするも、さすがに身体が追いつかなかった。拳の1部が彼の左頬ひだりほほかすめ、その肉をえぐり取ってしまった。


「ぐがあァッ!!」


 彼は痛みに思わず眼をつぶってしまうが、それでも怪物の攻撃は止まらない。そしてすでに満身創痍まんしんそういの雄弥はやはり満足な回避行動を取れず、どんどんその身体をけずり取られていった。 

 ひたいの皮膚をむしられ、左脇腹わきばらを千切られ、右のかかとを潰される。そして次には、丸太のような太い脚が雄弥に向けて迫った。

 彼はその蹴りを全く避けられずに身体の左側からモロに打ち込まれ、野球のライナー打球の如く地面スレスレを吹っ飛ばされる。そのまま30メートル先の地面に身体を打ちつけるも勢いは止まず、さらに10メートルほど転がり、彼の身体の皮膚はその摩擦でどんどん擦り切れていった。


「…………か…………」


 雄弥はもう限界だった。全身を鉄のハンマーで満遍なく殴られ続けているような痛みに襲われ、意識の糸は繊維1本で繋がっているだけの状態。

 それでもここで倒れたら負けなのだ。助けも何も望めないのだから。自分自身の血で全身を真っ赤に染め上げた彼は、ぶるぶると腕を震わせながら仰向けの身体をどうにか起こす。

 


 その時だった。



 とすん、という音がした。



 同時に雄弥の上体ががくりと倒れ、背中が再び地に着いてしまう。


「ーーえ」


 その理由はすぐ明らかになる。雄弥は自身の身体の左側に恐る恐る、覗き込むように視線を向けた。



 ーー彼の眼に飛び込んできたのは、ひじの部分からげて地面に転がっている、自身の左腕であった。


 

 バイランに銃弾をまともに撃ち込まれて骨も筋繊維もズタズタになっていたところに、先程の蹴りでトドメを刺されたのだ。 

 その恐ろしい現状を視覚から理解した途端、まるで待ってましたと言わんばかりに、彼の脳に無数の"痛み"が雪崩の如く押し寄せる。



「ゔぅぎゃぁあああぁぁあぁあああァァァーッ!!」


 

 彼は今の今まで呼吸もままならぬほどに疲弊しきっていた。大声を発する余力など無し。それは確実である。

 それでも、叫んだ。いや、叫ばざるをえなかった。こんな地獄のような苦痛に対して取れる行動が、他にあるはずもない。

 千切れた傷口に空気が触れる。彼はさらに、それに乗って漂っていた細かいほこりなどが剥き出しの神経にどんどんへばりついていくのを実感していた。


「ぅあ……ッが……がああッ……あぁああぁあ……ッ!!」


 雄弥は患部を押さえながら地面を転げ回り、その激痛に悶える。転がれば転がるほど地面の血溜まりは面積を増してゆく。


「あぁあァァ〜……いい……いいぞォ〜……。新鮮で瑞々みずみずしい……いい声だぞォォ〜……。視覚を得られずとも貴様の苦しむ様子が……よぉぉ〜くほどになァァ……!」


 すでに魔力を使い果たして周囲が一切見えていないバイランは、雄弥の悲痛の叫びにうっとりとした顔を見せる。彼に抱えられたエミィはといえば、もはや声すら出せず、震えることしかできていない。


 ゼメスアはずしり、ずしりと足音を響かせながら、まるで雄弥を煽り立てるかのように、ゆっくりと彼に向かって歩を進めていく。

 


「……ッぐ……ふぅーッ……ふぅぅー……ッ!! くぅ……そが……ッ!! くそ……ったれ……がァ……ッ!!」



 だがーー痛みを少しでも紛らわそうと呼吸を荒げまくる雄弥は、こんな状況においても雄弥のままであった。


 彼は『苦しんで』いた。腕の痛みに。


 彼は『怯えて』いた。眼と鼻の先に迫る"死"に。


 だが何よりーー彼は『怒って』いた。敵に苦痛を与えられ、それに身悶えさせられていることに。無様な姿を無理矢理に晒されて、それを笑われていることに。


 その怒りが、瀕死の彼の身体を攻勢に移した。



「てんめえェェッ!! やりやがったなァァァッ!!」



 感情という感情によって頭の中をめちゃくちゃに混乱させた雄弥は、眼を血走らせつつ再び右手に魔力を集中。やがて周囲の砂や小石を巻き上げるほど高密度に集約・膨張したそれを、自身に歩み寄らんとする怪物に向けて投げ飛ばすように放った。

 完全にヤケを起こしての一撃である。だがその威力に間違いはない。まともに当たればたかだか10メートル程度の大きさの標的など、チリも残さず消し飛ばせるのだ。そんな直径50センチあまりの『波動はどう』の光弾が、空気を裂き、猛烈な速さでゼメスアの顔面に向かっていく。  

 そして命中した。顔面の中央に、見事に命中した。

 


 ところがその時信じ難いことが起こる。『波動はどう』の光弾が、ゼメスアの顔面中央部分の眼玉に、ぎゅるりとのだ。


 

「ーーは……!?」



 その衝撃の光景に、雄弥の正気が無理矢理に引きずり戻される。

 地面にへたり込んだまま亞然とする彼をよそに、眼球から『波動』を呑み込んだゼメスアが突如、頬まで裂け込んだ口をがばりと開く。

 


 次の瞬間ーーそのあらわになった喉奥のどおくから、彼めがけ、青白く太い光線が吐き出された。



「…………おい。なん、だよ。そりゃーー」



 終始状況を微塵も理解できぬまま、彼はあっという間に光の濁流に呑み込まれていった。


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