目に見えている悲劇

@SBTmoya

第1話 同じ空の下




屋上の景色というものは、どこも変わり映えがしない。

そこにある物は、

例えば、室内ブレーカー設備。

空調設備。

室外機。

給水機。

とってつけられたようなベンチ。

肝心なのは、70mの落差のある下界とを隔てる黒い手すり。


 そして、遠くの建物の屋上をじっと見つめる男。

屋上にあるものなんてそんなものだ。



 男のタバコには火がついているが、口をあんぐりと開けたまま、タバコを口元までなかなか運ばなかった。

老舗食品メーカー、「鉄の素」支社ビル。その屋上の黒い手すりに腕を乗せて、

100メートル先にある『何か』を、男は見ている。


 おそらく、男が「それ」を見つけてしまったのは、タバコに火をつけた直後なのだと思慮できる。


 男の名は、苗山という。屋上に昼休憩中の苗山が一人。もちろん彼は、「鉄の素」の社員である。

まるで目を開けながら眠っているかのように、口を開けて微動だにしない。


 ややあって、苗山の後ろにある扉が開いた。

扉の向こうから女性社員、床田が屋上に入ってくる。

床田は、屋上に苗山がいることに気がつかなかったようで、というよりも、誰かがいることを望んでいないようで、

とどのつまり、一人になれる場所を探しているようだった。


 床田は苗山を発見した後、少し迷いながら屋上に入ってきて、微動だにしない苗山をしばらく見たのちに、

やはり気が変わったのか、今入ってきた屋上の扉をくぐり、下に降りていった。


 苗山は、後ろに床田がいたことなど気が付かなかった。

それほどに、目の前の景色に熱中しているようだった。

遠くを見ながら険しく顔をしかめ、歪め、時々、「あ……」「あー……」

などと、小さく声を漏らした。





 ややあって、再び苗山の後ろにある扉が開いた。

今度は苗山の同僚、山口が入ってきた。

山口は、苗山が屋上にいる事を確認すると、隣に並び、タバコに火をつけた。


「お疲れ」


 苗山は、声をかけられ、一瞬山口を見ると、


「おう」


 と言って、再び視線を元に戻した。


 山口は、タバコをふかしながら喋り始める。


「社内メール読んだ?」


「え? ……ああなに?」


「『健康習慣キャンペーン』なるお達しですよ。ここも2、3日以内にタバコが吸えなくなるらしいよ」


「ああ。それな」


「会社がこんなんだから仕方ねえよなあ。聞いた? 今月の売り上げ目標また上げられたって」


「うん」


「部長の悪い癖だよなホント。現場を無視しすぎというか…… 新商品の『カレー風味チキンバー』って、あれどう思う? 」


「うん、……スパイスが……きついかな。」


「そうなんだよ。『ヘルシー』だとか『代謝アップ』だとか、いつから俺らのターゲット層は意識高いOLになったんだっての……おい?」


「……ん?」


「何見てるの? さっきから」


「あー……」


 山口に問われて苗山は、さっきからずっと見ていた、100m先ほどの建物の屋上を指差した。

山口は、苗山の指先を視線で追うが、よく見えないので老眼鏡をかけた。


 ……そこには、女性が思い詰めた顔で、地上の道路を眺めていた。

よくないのは、建物の手すりにもたれかかっているのではなく、手すりに座っている。


 ……靴を脱いで……。


「なんだありゃ……」


「わかんねえんだよ。もう……10分間ああしてる」


「え、え、まじか? 飛び降りるってか!?」


「だから、わかんねえよ。でも、無いとは言い切れないよな」


「お前、さっきからあれ見てたの?」


「だって見てる……以外に何ができるんだよ」


「そりゃお前、止めるとかさあ。一応」


「声が届くか? この距離で」


「警察? 消防? に連絡するとかよ」


「自殺じゃなかったらどうすんだよ」


「あれは……そうだろう、どう考えても自殺だろう」


「それがわかんねえから、俺も10分近くここから離れられねえんだよ」


 男たちの視線の向こうで、手すりの上の女性は下を向いて微動だにしない。

 苗山は、いまだにタバコに手をつけることができずに、山口に問うてみた。


「こんな場合どうすればいいか、お前正解出せる?」


「もどかしいなあ。せめてこの建物の屋上で、うちの社員だったら止めるけどなあ」


「な。これさ……現実だけど、まるで映画でもみてるみたいだよな。俺たち介入できねえんだよ。同じ空の下でさ」


 山口も、火のついているタバコの存在を忘れ、苗山の見ている建物をただ眺めていた。


 空は、晴れでも曇りでもなかった。

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