第7話  辻斬りは謎の流派の遣い手

 ぎゃあああ……。くぇっ。


 根津権現別当の敷地を出たとき鋭い悲鳴が耳に入った。


 野良猫の喧嘩に似て、人とは思えぬ叫びだったが、男の断末魔の声に思えた。


 崎十郎は声の聞こえた方角へ走った。


「やや、これは……」


 水戸家の中屋敷と小役人の屋敷とに挟まれた通りに、点々と黒い塊が落ちていた。


 冴え冴えとした月明かりのなか、さらに近づいた。


 倒れている人影は四つだった。


 崎十郎が懲らしめたばかりの浪人たちが微動だにせず地に伏している。

 ひとりひとり、確かめたが、全員が全員、すでに事切れていた。


「この斬り口は、なんだ」


 奇妙なことに、浪人たちは全員、腋の下を斬られて死んでいた。


「亡き養父上ならば、いかなる流派なのかおわかりになったろうが、拙者にはさっぱり見当がつかぬ」


 崎十郎は腕組みしながらつぶやいた。


 声だけがしんと静まり返った通りに虚しく響いた。


 養父、文内は世間に知られていない希少な流派にも精通していた。

 訊ねてみたいところだったが、黄泉の国の人になって久しかった。


「それにしても見事な腕前だ」


 ぶつぶつ言いながら顎に手を当てた。


 一太刀で致命傷を負わす手練は只者ではなかった。

 巻き藁でも斬るように撫で斬っている。

 噂に聞いた辻斬りの仕業に違いなかった。


「まるで鎌鼬かまいたちだな」感心すると同時に強い闘志が湧いた。


 広い通りを一陣の風が吹き抜けた。


 月に薄雲がかかり始めて闇が深くなるとともに、夜気が肌に感じられた。


「もう少し早く駆けつけておれば……。噂の辻斬りと対峙できる好機であったのに」


 少しばかり声を大にしてつぶやいてみたが、独り言は虚しく闇に吸い込まれた。


 浪人たちの断末魔の叫びが聞こえぬはずはなかったが、連なった小役人の屋敷からは誰ひとりとして出てくる気配がなかった。

 かかわり合いになりたくないのだろう。

 永く泰平の世が続いている。

 腕に自信がない者が大半だから無理もなかった。


 あたりは、しんと静まり返っていて、深い海の底に沈んだ心地がした。


 彼方の辻番所から人影がふたつ、なにかわいわい言い合いながら現れた。

 提灯をかざしながら、恐る恐るといった様子で近づいてくる。


 だが、十間(約一八メートル)ほど手前でぴたりと立ち止まった。


「ひえええ。辻斬りだあ。辻斬りが出た」


 辻番の老人たちは慌てて踵を返すと、よたよたと走り去った。


 戦国の気風が色濃く残っていた頃は、いまと比べものにならぬほど辻斬りが横行したため、武家地の辻々に辻番所が設けられたが、いまでは形だけとなった。


 町人が差配を請け負うようになってからは、給金が安くて済む年寄りの辻番が多くなった。


「あちらです。辻斬りがまだおります。お気をつけて」


 辻番を先頭に、水戸家の家臣たちが、こちらに向かってくる。


 崎十郎の愛刀〝関の兼常〟には血糊などついていない。


 刀を示せば辻斬りの疑いなどすぐに晴れるが、このような場所にいる理由を説明せねばならない。


 根津権現別当での武勇伝を絶対に知られたくなかった。


(秘密が明るみに出ては、この先、唯一の楽しみがなくなってしまう)


 面倒を避けて反対方向に走り去った。

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